小説の序盤、いじめを受ける主人公の少年がかけている丸メガネのレンズは、両方ひび割れている。その割れたレンズが象徴するのは、戦争中から現在に至るまで沖縄の地から去ろうとしない「暴力のプリズム」だ。その只中を、いまの少年少女たちも、そしてかつて徴兵された兵士たちもひた走る。まるでその輝く青春が、「暴力のプリズム」に巻き込まれないよう願うがごとく──。 2026年1月に刊行された長編小説『はくしむるち』(講談社)で第39回三島由紀夫賞を受賞。沖縄を故郷にもち、23歳という若さで現代日本文学の世界を駆けゆくのが、作家・豊永浩平だ。作中ではヒップホップが鳴り響き、グラフィティを描き出すスプレーが蠢き、『ウルトラマン』から『攻殻機動隊』まで、特撮ヒーローや映画・アニメの引用が溢れ返る。そうした“サンプリング”的手つきのもと、現在を生きる若者たちと、80年前の戦場を生きた少年兵たちの声が並び立つのだ。「編集できない世界をめぐる対話」第31回は、そんな真摯でシームレスな眼差しに迫る。
TEXT BY Fumihisa Miyata
PHOTO BY Kaori Nishida
──琉球大学を卒業された後、2025年に東京に引っ越されたそうですね。
豊永 2025年5月の頭にこちらに来ましたから、1年が過ぎたぐらいですね。
──ざっくりした質問で恐縮ですが、東京はいかがですか。
豊永 いろいろと遊びにいくところが多いのは嬉しいですね。たとえばよく映画館には足を運んでいますし、電車に乗れば隣り合う県にもすぐいけますし、よく友人とも遊んでいます。
──それはよかったです。とはいえたとえば作家の大先輩にしてかつて芥川賞の選考委員も務めていらした池澤夏樹さんは、豊永さんとの対談(『群像』2026年3月号)で、北海道出身の立場から東京に対して手厳しいことをおっしゃっていますね。一時期住んだこともあるけれど、「ここは何もない場所だという気がした」と。

豊永 そこは池澤さんとは感覚が違うかもしれず、ぼくは何もないとは思わないです。ただ、池澤さんの物の見方をお借りしつつ話すならば、文化と土地をめぐる関係性の違いは感じます。東京には、いろんな場所や地域の文化が集まっていますよね。たとえば東北など他の地方の物産展がおこなわれている場面はよく目にしますし、それこそ沖縄料理店も多い。ただ、そうした文化の根っこは東京の外にあって、東京はそうした文化が資本によって集まってくる場所なのだと感じます。
──なるほど。そうした肌感覚についてまずお尋ねしたのは、『はくしむるち』の裏にある土地の感覚についてお聞きしたかったからでもあります。いまの沖縄を生きる少年少女たちの話が、シームレスかつ自然に戦中の少年兵たちの話とリンクし、それらの時間軸を行き来していく本作の構造は、もしかしたら沖縄の街中に立っているときにも風が吹くようにして戦争のことが思われる感覚に根差しているのではないか、と想像しました。この首都でも東京大空襲はありましたが、現在を生きる私たち住民がいつもそのことを意識しているわけではないと思います。

長編2作目の発表となった『はくしむるち』(講談社、2026年1月刊)。主人公の行生、友人の瑞人と円鹿が過ごす、麗しくも苛烈な現在の青春と、戦争中に勤皇隊に召集された沖縄の少年兵たちのドラマが、数多くのサブカルチャーからのサンプリング・引用と共に展開される。その瑞々しく、読者を魅了する文体とストーリーテリングは、朝井リョウらの絶賛を受けている。
豊永 本土が見舞われたのは空襲であり、沖縄の場合は空襲の後に、地上戦がおこなわれた、ということは大きいと思います。もちろん単純に比較できることではないとも感じますが、沖縄の地上戦は、日本軍が沖縄の一般住民を巻き込んだわけですよね。そうした戦火によって焦土と化した沖縄の地は、その後再建と復興を経て現在に至ります。その地に後年、ぼくは生まれたのですけれど、いま触れたような変遷の細かいところがまだよくわからない、という感覚があるんです。
──沖縄がたどってきた歴史が、実感としてまだよくわからない、と。
豊永 進駐軍がやってきてアメリカの施政権下に置かれた時代が長く続き、1972年の「本土復帰」があって……といった長いスパンをリアルタイムで生きてきた方と違って、ぼくの場合は、そうして展開した歴史の“後”の状況が、生まれたときからひとつの環境として目の前に広がっていました。
『はくしむるち』の序盤で主人公が訪れる浜辺は、やがて「港に変わり、あの対岸にはショッピングモールが建てられる」のですが、そうして移り変わる沖縄にぼくは生きてきました。まるで中上健次さんが『地の果て 至上の時』(1983年)で描いた紀伊半島の「路地」の解体のように、ひとつのトポス(場)が大きく姿を変えていく、その進行の最中を生きているという気がします。
──それでも後から歴史や土地の記憶をたどろうとするとき、手がかりとなるのは何なのでしょうか。

豊永浩平|Kohei Toyonaga 2003年、沖縄県那覇市生まれ。琉球大学人文社会学部卒業。在学中の2024年、「月ぬ走いや、馬ぬ走い」(ちちぬはいや、うんまぬはい)で第67回群像新人文学賞を受賞。同作で第46回野間文芸新人賞、第11回沖縄書店大賞(小説部門)も受賞。2024年7月に講談社より単行本化、2026年5月に講談社文庫に。2026年1月に『はくしむるち』を講談社より刊行、同作で第39回三島由紀夫賞を受賞。
豊永 オジーやオバーといった年配の人たちとのコミュニケーション、もっといえば沖縄語(うちなーぐち)のなかに、歴史や風土が残っていると感じます。あとは、お盆に行われる儀礼や儀式などでしょうか。
ただ後で触れることになるかもしれませんが、沖縄語(うちなーぐち)と一言でいってもぼくが理解できるのはその一部でしかありませんし、何かしらの手がかりをもとにたどりつけたものがリアルな歴史かどうかも定かではない。そうしたわからないことに何とか手を伸ばそうとしたのが、『月ぬ走いや、馬ぬ走い』と『はくしむるち』という最初の長編二作だったと思います。
──かろうじて残る、何かの痕跡に触れようとした作品だ、と。
豊永 そうですね。ただそこでも、比較的最近生まれた立場としての難しさはあるんです。1990年代の沖縄ブームの後に生まれた世代なので、音楽をはじめとしたカルチャーの面や、あるいはリゾート・観光地としてのありようを含めて、ある種のつくられた沖縄のイメージを幼い頃から当然のものとして受け止めてしまっています。もちろんそうしたイメージと現実の些細な違いには、20年も生きてくれば気づくことはできるわけですが、とはいえ沖縄について考えるときには自分のなかに根をおろした沖縄のイメージが絡みついてくるんですよね。
──ある種の刷り込みが自身のなかにある、と。

豊永 かといって、どこかに“本当の沖縄”があるのだと考え出すと、それはそれでファナティックに過ぎるというか、おかしな考えに陥ってしまう危うさがある。だからこそひとつひとつ、以前には何があって、どんなことが起こり、現在に至って自分が存在するのかということを、小説というかたちで冷静に考えてみようと思ったんです。
──先ほど沖縄語(うちなーぐち)のお話が出ましたが、世代がくだれば沖縄日本語(うちなーやまとぐち)が主になるとのことで、そのあたりも歴史をたどるうえで考えるべきことが多くありますよね。といっても関東圏で生まれ育った読者としては、戦中の登場人物が語るのが沖縄語(うちなーぐち)だろうか、と類推するしかないのですが……。
豊永 いや、『はくしむるち』の戦中の兵士の言葉は、ぼくとしては沖縄語(うちなーぐち)で書こうとしたのですが、あれは若い世代が理解できる限りにおいての沖縄語(うちなーぐち)なんです。完全な再現ではない。実際に、言語に詳しい方からは「若い人が書いた言葉だよね」と感想をいただきました。
このあたりの事情は、刻一刻と移り変わります。いま沖縄日本語(うちなーやまとぐち)は、ヤンキーっぽい子が使う傾向にある。たとえば「たっくるさりんどー(たたき殺すぞ)」というようなラフな沖縄日本語(うちなーやまとぐち)を使うわけですね。そうした言葉を真面目な子は意識的に使わず、場合によっては沖縄語(うちなーぐち)を勉強するようにして使うことさえある。かと思えば、オジーやオバーは普段は沖縄語(うちなーぐち)で話しつつ、若い子と喋るときは沖縄日本語(うちなーやまとぐち)を使おうとする傾向もある。なかなか一概にはいえません。
──そうした言葉の探索もしつつ、見えない歴史や記憶に手を伸ばそうとするとき、豊永さんはなぜ小説という形式を選んでおられるのでしょう。

豊永 もちろんさまざまな表現手段が存在するのですが、こうしたつながりが見えにくい物事や、ときに錯綜した事象を扱うジャンルとして、小説はいいものなのではないかと感じます。たとえば音楽などでも可能なのかもしれないですし、ぼくもヒップホップなどを聴くのは好きなのですが、複雑な歴史や記憶を描く場合には一曲では時間が短すぎるということは実際にあるわけですよね。
他にも漫画や映画などでの表現は可能だとも思うのですが、小説は、いろんな時代を頻繁に行き来したり、長いスパンの歴史をすっ飛ばしたりしながら、それらをひとつのつながりのなかに描き出し、現在まで連なっているということを示すのに適したメディアだと考えています。
──時間軸の行き来というお話がありましたが、作品を構想する順序として、豊永さんとしては現在を起点にして過去に遡るわけでしょうか。戦争のことを描こうとして結果として現在に至るというのではない、あくまでいまのリアリティが前提となっている印象を受けます。少年少女たちが聴くラッパーの名前が至るところに書きつけられているのも、現在に立脚しているからではないか、と。

左:第一作『月ぬ走いや、馬ぬ走い』(講談社文庫) 右:『はくしむるち』の巻末参考文献に挙げられている、沖縄タイムス社編『沖縄戦記 鉄の暴風』(ちくま学芸文庫、2024年) 中:『はくしむるち』で言及される数多くのラッパーのなかには、沖縄出身の人気ラッパー・唾奇(つばき)の名も(書影は唾奇が表紙を飾った『BLUEPRINT THE MAGAZINE vol.1』、2024年)。2025年には日本武道館でワンマンライブをおこなった、全国区のアーティストだ
豊永 『月ぬ走いや、馬ぬ走い』も『はくしむるち』も、物語の最初に登場するのは現在の子どもたちです。ぼくとしてはやはり、いまという時点が最初にあって、ではなぜそうなっているのか遡っていく、というのが基本的な方法になっているんです。自分たちがここにいて、そこに至る歴史や記憶をたどっていくことに、意義を感じています。
──歴史といっても現在の若い世代にとっては、たとえばゲームやアニメといったコンテンツで触れる実在の登場人物をめぐる歴史のほうが身近ですよね。そうした感覚はご著作にも強く滲んでいると感じます。
豊永 『はくしむるち』に顕著だと思いますが、自分を含む若い世代にとっては、実際の戦争の歴史より先に、サブカルチャーにおける戦争の歴史やイメージがあるんです。たとえば『機動戦士ガンダム』で語られるような「宇宙戦記」のほうが先にあるというのが普通の感覚で、そのままに小説を書いたら、新しいタッチだと受け止められ、読まれるのだと、後から気づいたわけなんですね。ぼくとしては、こういう歴史認識が当たり前のものとして存在している。
逆にいえば、そうしたフィルターを通してしか歴史を捉えることができない自分たちが、戦争を書くにはどうすればいいのかという問いが生まれます。重要なのは、認識の仕方はバーチャルになってしまうけれども、遺物や遺跡も、戦争がもたらした痛みも、人々のあいだにずっと残っているということ。それをどうすれば表現できるのかは、これからも考えることになると思います。
──ご自身の感覚を素直に表出したら意外性や新規性があるといわれたというお話は、印象的です。

豊永 殊更、若い世代の感覚を表現しようとしたわけでもなく、自分たちにとってのリアリズムがこういうものなんです。サブカルチャーと現実のあいだの境界はそこまで明確ではないし、複数の登場人物や時間軸が交錯するというのも当然といいますか、それこそが自分にとってのリアリズム。奇をてらったわけではなくて、そちらのほうがリアルだから、ということなんですね。もちろん、手法はいろいろと広げていく必要があるとは考えていますが。
──雑誌で発表された近作の短編では、沖縄が「本土復帰」せずアメリカの州となったという歴史改変SFに挑まれています。
豊永 とはいえ、いまはSFがSFにならない世の中という難しさも感じています。昼間に作業したり本を読んだりしながらよくラジオで国会中継などを流しているんですが、現実のほうがディストピア的になってしまっているので、SFを書いても普通のリアリズムになってしまう可能性がある。そのあたりは今後も考えていきたいです。
──なるほど。『はくしむるち』の話に戻ると、流れてきた歴史的な時間を貫くように、沖縄を構造的な暴力が苛(さいな)んできたことが、改めて小説から伝わってきます。先ほど言及のあった地上戦に加え、その後の米軍基地の問題が存在する。そしてそれらを背景にした暴力の多くが、女性たちに降り注いでいきますね。

豊永 そうした問題の数々を、ぼくも最初から意識できていたわけではありませんでした。何となく、自分が暮らす沖縄の社会、自分の周囲に、苦しい状況に生きている人が多いなとは感じていたんです。たとえばシングルマザーが多いとか、貧困家庭が多いといったことなのですが、それが沖縄の問題とは当初意識されることなく、普通にそこに存在するものだと感じられていたのが正直なところです。
そうした問題に一連のつながりがあるのだということ──まさに構造的なしわ寄せが起きているのだということは、徐々に理解されていくわけです。大学に入ったら、窓の外をオスプレイが飛んでいた、というような瞬間を通じて。これは遡れば、薩摩藩の琉球侵攻や、明治政府による琉球処分にはじまった構造だとも思います。日本文学における小説という散文の形式の勃興も、そうした近代国家の成立と沖縄が“植民地化”されていく過程とパラレルになっていると、ぼくは思うんです。だからこそ、小説でなければならない。その連なりをたどるには、やはり小説は適していると感じます。
──近代国家が成立するプロセスにおける歪みが構造的に押しつけられた沖縄を表現するとき、まさに並行して成立していった小説という表現形式を、また別のかたちで用いる……そんなイメージさえ浮かびます。

豊永 『はくしむるち』は、明示されない語り手が主人公に「きみ」と呼びかける二人称の小説です。近代小説は「誰々は」、あるいは「彼/彼女は」というように、翻訳を通じて成立した三人称小説が基本で、その後に一人称の小説が発展していったという歴史があるわけですけれど、そのなかで二人称の小説はいまだに特殊です。
思うのは、そのようにして小説の枠を広げる力というものが、これまで先人の方々が積み重ねてきた沖縄文学の歴史には存在する、ということなんです。そうした先駆者の方たちの歴史を引き継ぎたい、という思いがあります。そのうえで、先ほど時代が変わった後に生まれたという話をしましたが、沖縄文学の先駆者の方々が書いたように自分たちの世代が書いてもリアルではないといいますか、おそらく同時代的にもうまく受け止めてもらえないだろう、という気もしているんです。自分なりの拡張や接続の仕方は、これからも考えたいと思っています。
──東京に出てこられたということは、そうした問題意識にかかわっているのでしょうか。
豊永 そうですね。多くの先駆者の方々は、沖縄に住みながら沖縄のことを書いてこられました。いまの時代のぼくが小説においてこれからの表現を模索し、沖縄文学に接続しながらその枠を広げるということを考えるとするならば、広げる先のフィールドとなる社会を自分の目で見て、感じたことを作品にフィードバックしていくことも必要かなと感じました。
──広く届く表現として、たとえば『はくしむるち』が青春小説として魅力的な作品であることも、重要なポイントであるような気がします。

豊永 沖縄について全然知らない人でも「面白かった」といっていただけるような小説を目指してはいます。ただ、あまり感傷的なタッチになりすぎないように──要はエモくなりすぎないよう、意識してもいるんです。誰かが傷ついたり、犠牲になったりすることが美しくて泣けるというようなところまで至ったら、それこそ戦中の殉国美談のようになってしまう。その塩梅は常に気にかけていますし、感動させすぎることへの批判的な視座は忘れないようにしています。
そのうえでやっぱり、読んで素直に面白いと思ってもらえるようにしたい。『はくしむるち』を読んで、これって『ピンポン』だよね、『キッズ・リターン』だよねとサブカルチャーの方角から反応してくださる人もいますし、読んで面白い文学として楽しんでくださる人もいる。重要人物である主人公の大伯父・修仁は、特撮や映画、アニメなどサブカルチャーにかんして主人公に大きな影響を与えますが、本も読んでいる人でもあります。
──「埃を被った、大伯父さん所蔵の世界文学全集」も、主人公は手に取りますね。
豊永 ぼく自身、世界文学を、サブカルチャーと同じように単純に楽しいものとして受け止めてきました。いまはSNSを通じて、物語というものが人を傷つけるネガティブな方向にも活用される世の中ではありますが、ぼくは小説を書いていると、どうしても物語やフィクションというものに対してポジティブな気持ちを抱くんです。
人は複数の物語を吸収しながら、成長していく。それは本の世界が独占するようなことではなく、もちろん本を読まない人にとっても起こることなのですが、少なくともぼくは多くの本と物語に救われてきました。ぼくが書いている小説自体がそうしたたくさんの物語がひしめく世界ですし、現実的に人が生を歩んでいく過程も同様で、複数の物語が過酷な環境を生き延びさせてくれるということがある。それは、いろいろな声が響き合うひとまとまりの長い小説、そのたくさんのページをめくっていただくなかで伝えられるものだと、ぼくは思っています。
宮田文久|Fumihisa Miyata
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。津野海太郎著『編集の提案』『編集の明暗』(黒鳥社)の編者を務める。各媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラらにインタビューするほか、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。






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