WORDS TO WEAR

ドラマチックな何か——連載|鈴木涼美「今日はこの言葉を纏う」07

「私ら食べたいときに食べたいもの食べたいだけ食べてたら、一日中食い続けることにならない?」
——金原ひとみ『腹を空かせた勇者ども』より

TEXT BY Suzumi Suzuki
PHOTO BY Ittetsu Matsuoka
hair & make by Rie Tomomori
design by Akira Sasaki

真っ白でやたらと大きい観音像が不気味に見下ろす駅前でバスに乗って、私は三年間中学校に通った。自宅のある鎌倉駅から電車で七分、そこからバスに揺られて二十分、片田舎の女子校の敷地は広く、割と設備も立派だった。と、思う。ただ断片的にいくつか思い出す場所があっても、校舎の中で起きたことの記憶は薄い。ダンス部の部室とか、教室のベランダをいくつか覚えていても、あんなに毎日通ったはずの校門や校舎の記憶が朧気なのは、きっとその場所にいた私には気合いが足りていなかったからじゃないかと思う。友人や先輩の顔は良く覚えているし、それなりに思い出深いことはいくつも起こったのだけれど、守られていて、やや息苦しいぶんとても安全で、ちょっと退屈な檻の中にいる時、私は自分の存在を必死に主張したり、振り落とされないようしがみついたり、身を守るために周囲を見渡したりする必要がなかった。別に誰でもそうだというわけではなく、集団でいることがどうしても苦手だったり、校内暴力や言葉で傷つけられたりした人にとってはそこは戦場だったろうと思う。

校舎の代わりに覚えているのは観音像が見える駅の周辺で起きたことだ。そこだってもう二十年以上ほとんど降りることがなかった場所だし、原宿駅や鎌倉駅に比べれば何の特徴もない郊外の退屈で雑多なターミナル駅でしかない。それでも欲しいもののほぼすべてが詰まっているように思えた駅ビル二階の化粧品コーナーから、初めて友人たちと行ったカラオケの階段や教師に見つかって寄り道を叱られたファーストキッチンまで、隅々を再現できるほど覚えている。多分そこを歩き、友人たちと喋り、何を買うでもなくモノを物色していた私は気合いが入っていた。自分が何者かになれるかもしれないという希望と、自分は何者でもないかもしれないという不安の狭間で、何かに必死に抗わないと輪郭が保てないような毎日だった。イビザ島でもマンハッタンでも渋谷でもない、大きな商業施設といえば駅ビルのほかには大型家電量販店くらいのどこにでもあるつまらない街で、私は子どもから女に変わる直前の、何をしても劇的な展開にはならない、でも何が起きても泣いたり笑ったりできる日常を過ごした。

私はテレビで見るバンドや漫画の登場人物に憧れるくらいで全然早熟なほうではなかったけど、友人グループの子たちは近くにあった男子校の誰がかっこいいという話をよくしていた。一つ上の学年で、皆タッキーに似てるとかなんとか熱を上げていた男子に、親友の一人がバレンタインにチョコを渡すというのでついて行ったことがあった。少女漫画で言うとすごく邪魔なポジションだなと思いながら改札の向かいで彼を待ち、彼を含む集団が遠くに見えると私は彼を呼び出して連れてくる係を仰せつかり、六人くらいの男子の中から彼を引き留めて親友がいる方を指さして教えた。告白を控えているのは全然自分じゃないのに、普段女友達としか遊んでいない私はそれだけで妙にあがって、言うべき言葉の全音を噛んだような気がする。普段は派手で豪快な親友が、内股で縮こまっているのを遠目で眺めて、女になっていくにはこれからみっともないことをたくさんしなきゃいけないんだな、と漠然と思った。いつでも何かドラマチックを求めているのに、いざドラマチックになりえる状況が現れるとたちまちぎくしゃくとして怖気づく。自分の身に何が起きているのか、何を欲して何に抗うのか、それを理解するには圧倒的に知っている言葉が少なすぎて、友人たちと集まってフウとかイエイとか雑音を出すのが精いっぱいだった。駅のトイレで年の離れたお姉ちゃんのいる友人が初めてコンドームを開けてみせてくれたのも、カラオケの別の部屋で初めてダンス部の先輩がキスするのを見たのも、あの殺伐とした駅周辺での日常の中だった。

金原ひとみの長編小説『腹を空かせた勇者ども』は、成長期が遅かったからか、中学に入ると同時に「自分でも引くくらい食欲が爆発的に増加した」というバスケ部の女子中学生が、自分とは喋る言語も尊んでいる事柄も違うママや、ありふれたと言えばありふれた、でもそれぞれ世界に一人だけの友人らと過ごす日常を描いている。少ない語彙で懸命に自分を説明し、世界を理解しようと試みるも、割とけろっと別のことを考えている、そんな浅はかで愛しい主人公も、中学生相手に「いかに趣味判断を乗り越えるかというのは、哲学が誕生した時から人類の命題で」などと説教してしまう滑稽でやはり愛しいママ“も”とても魅力的なのだけど、何よりそういえばあの頃、観音像を見上げる駅でたむろしていた私たちも、なんかいつも食べていたな、と思い出して少しおかしかった。何かが不足している女子中学生たちは、とりあえず近くにあるスナックや甘いもので不足を補おうとする。それはどうせ排泄されてしまうか、嫌な脂肪になって思春期の女子の顔を丸くするくらいなのだけど、ひとまず明日を生きるに値するものとするために、結構大事な作業だった。

 

profile

鈴木涼美|Suzumi Suzuki
1983年生まれ、東京都出身 / 作家。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。日本経済新聞社を退社後、執筆業を中心に活動。小説に『ギフテッド』『グレイスレス』(文藝春秋/ともに芥川賞候補作)。主な著書に、修士論文を書籍化した『「AV女優」の社会学 増補新版』(青土社)『身体を売ったらサヨウナラ〜夜のオネエサンの愛と幸福論〜』(幻冬舎)『娼婦の本棚』(中公新書ラクレ)など。最新刊に小説『浮き身』(新潮社)。