日々、目まぐるしく社会が変容する現代。ロジックやエビデンスのみに頼ったビジネスアプローチでは立ち行かない場面が増えつつあります。「状況を打破するヒントは、前提や常識を疑うアートの世界にある」とデータサイエンティストの宮田裕章氏。グローバルビジネスセンターである虎ノ門ヒルズのTOKYO NODEで開催された『トニー・アウスラー:技術と霊知のはざま~魔術、メディア、アート~』展をヒルズのイノベーション拠点に参画するメンバーとともに巡りながら、既存のビジネスフレームを揺さぶる5つの視座を教わりました。
TEXT BY YUKA UCHIDA
PHOTO BY MIE MORIMOTO
マルチメディアアートの巨匠として知られるトニー・アウスラーは、映像、彫刻、音、光、言葉など、多様なメディアを自在に操り、不可思議な没入型インスタレーションを生み出すアーティストだ。「アウスラーの疑う力や不確かなものを愛する眼差しは、ビジネスにも多様な示唆を与えてくれる」と宮田さん。さっそく会場を案内してくれた。

宮田裕章|Hiroaki Miyata 慶應義塾大学医学部教授。東京大学大学院医学系研究科健康科学・看護学専攻修士課程修了。博士(保健学)。専門は医療クオリティマネジメントやデータサイエンス。データサイエンスによる社会変革を提唱し、共創社会の実現に向けた研究・実践を牽引する。2025年の大阪・関西万博ではテーマ事業プロデューサーを務め、シグネチャーパビリオン『Better Co-Being』を手掛けるなど、学術の枠を超え社会デザインを先導している。
❶ テクノロジーを客観視する

《計り知れないもの》 信じること見ることを問う3D長編映像
「最新技術はいつも過剰な期待やある種の胡散臭さを孕んでいるものです」と宮田さん。「そのことを常に意識し、技術を疑う、ということを続けてきたのがアウスラーです」。作品《計り知れないもの》のテーマは“信じることと見ること”。心霊現象や降霊術といったオカルト現象をめぐる物語が描かれた長編映像だ。「18世紀から19世紀初頭には、熱や電気などを“重さをもたない流体”として説明する理論がありました。アウスラーの作品に触れると、科学的に説明しようとする営みと、目に見えないものを信じる想像力の関係を考えさせられます。今、私たちは“生成AI狂騒曲”の只中を生きています。あらゆる課題の解決をAIに託すようになった一方で、開発者からはこのままでは人類の破滅を招くという未曾有の警鐘が鳴らされています。求められているのは、私たちは一体どこに向かっているのか?ということを、少し引いた視点で眺めることではないでしょうか。単に技術を批判したり、信じようとする気持ちを断罪したりするのではなく、なぜ人はそう見てしまうのか? というアウスラーのようなアイロニーを含んだ眼差しで世の中を俯瞰してみる。そうした視座は、ビジネスで何を目指し、何を価値とするのか、その前提を問い直すことにもつながるはずです」
❷ 「直感」を実装させる

《空(くう)》(2000)デヴィッド・ボウイ、グレン・ブランカとの共作 アウスラーの詩、デヴィッド・ボウイによるその詩の朗読、作曲家グレン・ブランカによる音楽の全てが融合した作品。1999年〜2000年に撮影された映像を軸に、ひとつの完成したインスタレーションとしては今展で世界初公開された。
「既存の評価基準に合わせて説明できることだけを積み上げていくと、発想の核にあった面白さが失われることがあります」と宮田さん。ビジネスの現場ではエビデンスやファクトを求められるが故に、過去の延長線上に囚われてしまったり、未知のイノベーションに飛び込めなかったりするのではないか。「僕はデータサイエンティストを名乗っていますが、仕事を共にするクリエイターからは“プロジェクトの起点に直感がある”と指摘されることが多いんです。まず直感から仮説を立て、そこからデータや論理で検証しながら、実現する道筋を探っていく。そうしたプロセスはアートにも共通するところがあると思います。アートにも、言葉や数値だけでは捉えきれない感覚や問いを、形にしようとする営みがあるからです」。例えば《空(くう)》は、1999年〜2000年に撮影された映像をもとに、本展で初めて完成したインスタレーションとして公開された。表現したいこと、伝えたいことの核がまずあり、そこから作品として着地させる方法を探っていったのではないか。「最も大切なものを見失わないためにも、データだけを拠り所としないプロジェクト設計は重要。本質的な目的を置き、そこを起点に実装方法を探るという姿勢はアートから学べることのひとつだと思います」
❸ 概念的な問いと向き合う

《ウィッカ》(2024)の隣に立つ宮田さん。「現代における“魔女”はもしかしたら僕のような格好をしているかもしれない」と冗談を交えて解説してくれた。
アウスラーの作品《ウィッカ》は箒に乗った小さな魔女の立体作品だ。この姿から、宮田さんは社会における“普通”の基準へと思考を広げる。「魔女は“普通じゃない”というレッテルを貼られ、社会から迫害されてきた歴史がありますよね。僕自身、風変わりな人間として見られることも多いわけですが(笑)、人類のイノベーションはいつの時代も、既存の枠から外れたところから生まれてきました。一方で、現代のアルゴリズムや生成AIは、使い方や設計によっては、多数派の価値観や既存のパターンを増幅する装置にもなり得ます」。アートに触れることで生まれるこうした気づきは「では普通とは何か?」「逆に普通じゃないとは何か?」といった概念的な問いを投げかけてくれる。「平均から外れたものを恐ろしいと思うのか、逆にワクワクするのか、など思考をさらに広げていくのも面白いでしょう」と宮田さん。“普段は考えないこと”の中には多様なヒントが散りばめられている。日常を脱した空間だからこそ向き合える問いが思考を柔軟にしてくれる。
❹ 不確かさと共に歩む

《キメラ》(2026)【本展のための最新作】
アウスラーは不確かなものに魅せられた人だ。人魚、ネッシー、ビッグフット……。実在するかわからない未確認生物の写真や資料を膨大にコレクションしており、没入型インスタレーション《キメラ》の主題にもなっている。ビジネスにおいて“不確かさ”はできる限り排除すべき項目かもしれないが、「アウスラーは“不確かさ”を信じようとする人間のおかしみや、過去すでに人類がUFOや宇宙人といった“不確かさ”と共に歩んできたことを教えてくれています」と宮田さん。そして、AIやゲノム編集がもたらす未来にも大きな不確実性があり、誰にも完全に予測することはできないと続ける。「例えばAIエージェントは、個別の人格があるかのように振る舞い、あらゆるモノ・サービスに入り込んで、すでに私たちと暮らし始めている。見方によっては、AIエージェントを現代のキメラと捉えることもできるのです」。そうした社会でビジネスを展開するならば、不確実性=リスクと単純化することは視野を狭めることにつながるかもしれない。「人と人が集まって未来に向き合うとき、互いを完全に理解できるわけではなく、未来にも見通せない部分が残ります。確かめられることは確かめた上で、なお残る違いや不確かさを無理に消すのではなく、共有しながら共に歩んでいく。それが、これからの時代のひとつの豊かさになるのではないでしょうか」
❺ 身体性を伴って知覚する

アウスラー展を振り返りながら、思考を深めていく宮田さん。アートと対峙するという豊かな時間を宮田さん自身が楽しんでいた。
生成AIの急速な成長の裏側で、人が持つ「身体性」の価値が見直されている。「AIが高度化しても、私たち自身が世界に身を置き、他者や環境と関わりながら生きる経験の価値が失われるわけではありません。アウスラーのインスタレーションはその最たるもの。空間に身を置くからこそ広がる思考や感覚があったのではないでしょうか」と宮田さん。アートを情報として処理するのではなく、自らの身体性に意識を向けて深く味わうこと。そのプロセスにこそ、これからの時代に求められる“新たな価値”があるのではないか。「経済を中心とした社会構造は限界を迎えています。私たち人類は限りある資源を奪い合うのではなく、多くのことを分かち合うフェーズに入らなければならない。Better Co-Being(ともにより良くあること)という概念も、個人のWell-Beingにとどまらず、多様な命や環境、テクノロジーが、それぞれの違いを失わずに響き合い、共に豊かになる世界を目指すものです。人の生きる喜びには、計算や予測だけでは捉えきれないものがあります。身体を通して感じる予期せぬ出会いや、揺らぎを含んだ実感も、そのひとつです。そのことを知るレッスンとしても、ギャラリーやミュージアムに足を運ぶことは有効。ビジネスパーソンこそ、オフィスを飛び出し、世界と直に交感することを始めてみてほしいと思っています」
Q. 新たな気づきや共感を得ることができましたか?









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