アーティスト松山智一の活動を見ていると、それまでの同じくニューヨークを拠点に活動した日本人作家の草間彌生・篠原有司男・村上隆らとは全く異なる。そこには「日本ぽさ、日本人らしさ」の文脈化から「グローバルな混血性」への鮮やかな移行がある。そんな彼のアトリエを訪ねてみた。
TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Miki Takashima
courtesy of MATSUYAMA STUDIO
ニューヨーク、マンハッタンの中心、タイムズスクエアに居並ぶ約100面の巨大LEDディスプレイは毎日23時57分から0時00分までの3分間、1カ月に渡って、ひとりのアーティストの作品で埋め尽くされる。これまで、アンディ・ウォーホル、デイヴィッド・ホックニーやオラファー・エリアソンらもここで作品を展開した。今年(2026年)4月の1カ月間は現代美術家、松山智一が作品を繰り広げた。

松山智一がNYのタイムズスクエアで展開した世界最大級のデジタル・パブリックアートプログラム「Midnight Moment」(2026年4月) Photo by Michael Hull courtesy of Times Square Arts
松山は活動拠点もニューヨークだ。アトリエはブルックリン。イーストリーバーを挟んでマンハッタンが正面に見える。元は工場地帯だった土地。ソーホーやチェルシーを例に出して説明するまでもなく、元は工場や倉庫だった地域にアーティストたちがアトリエを構え、住み始め、やがてギャラリーができ、ナイトクラブが出来る。レストランができて、ブランドのショップが軒を連ね、綺麗なコンドミニアムが立ち並ぶようになる。

松山はこのいかにも工場風の建物に来て、15年くらいになるという。6〜7年、今より狭いところにいて、その後、他のテナントが縮小したりしたのを機に現在の広いところに移り、9年目になるという。
「うちの建物は登記した目的以外に使ってはいけない対象なんです。製造業とデザイン系だけです。不動産の価値が上がっても転売してはいけない。僕もウィリアムズバーグ、グリーンポイントとブルックリンに20数年間住んでるんですが、アーティストとして場所を出ていかなくて良いというのは精神的にも大事ですね」と松山は説明してくれた。

現在の松山のスタジオスペースは建物のほぼワンフロアを使う形で700平方メートルと広大で、35人ほどの社員がここで活動している。エントランスを入ると、まず、100平方メートルくらいのギャラリースペースがある。そして、制作のスペースが2つに分かれて大きくある。ミーティングをするための場所があって、スタッフがくつろげるレクリエーションスペースがあり、バックオフィスもあるという具合だ。アトリエに関しての松山の基本的な考えを聞いてみた。
「スタジオを訪れる人は、作家が何に影響を受けているのかを知りたいと思うんです。その体験が文化経験になる。最初のギャラリースペースには僕の主要な作品がまとまって展示されているので、作品の密度やコンセプト、身体性、引用元といったものを読み取ることができる。
制作スペースに行くと、複数のスタッフが制作に向き合い、壁にはさまざまな引用元の資料が貼られています。そこでは、作品が機械的に作られているのではなく、思考やリサーチを重ねながら生まれていることが見えてくる。その先のオフィススペースには、八千年前の縄文土器やその隣にトム・サックスの茶碗があり、生け花の先生が2週間に1回お花を生けに来てくれています。その生け花を見ると、アメリカのフラワーアレンジメントって日本と違うと感じる。
そうしたさまざまな視覚的体験を重ねることで、訪れた人の中に新しい関心や問いが生まれ、これまで意識していなかった感覚が刺激されていく。彼らの中の知りたいっていうチャンネルを全部集約して伝えることによって、僕の作家の志がどこにあるのかっていうのを伝えるっていうことがとても大事だと思います」

「コレクターは『どのようなコレクションを持っているのか』と聞いてきますし、キュレーターは『なぜこれとこれを一緒に置いているのか』と、その関係性に関心を持つ。アーティストは発想そのものに反応する。それぞれ異なる視点から興味を持ってくれるんです。芸術家のスタジオは聖域で人を入れたくないという人もいる。創作っていう範疇がどこまであるかっていうことなんですね。
うちはそもそも三十数名スタッフがいるので、プライバシーなんてない。ならば、これまでのアーティストスタジオにはなかったような、様々な要素が一つの場所で繋がる空間にしたい。美術館クラスのスケールで作品を見ることができ、何千年前のものから最新の現代美術までが同じ空間にある。そうした一つの経験を届けることが、自分の芸術家としてアメリカで一つの戦い方なのかなって考えているんです」
こういう規模でスタッフが35人ほどというと、他のスタジオだと8割くらいが制作のアシスタントということが多いが松山の場合独特で、制作は半分以下、パブリックアートや美術館での大型展の運営を担うプロジェクトマネージャーが5〜6名いて、総務や人事がいて、グラフィックデザイナーたちがリサーチ&デベロップメントというチームを作っている。クリエティビティを分散することで、スタジオ全体を一つのシステムとして、IQを高めていくのが独特のやり方だと言う。
「制作を“生命を宿すひとつの生態系”として再定義し、スタジオ自体が持続的に機能する仕組みを目指しました。次に知性として作品を考える。量を作らなくて質を上げるとなると、自分一人の考える時間に限界があるので、僕の“引用(サンプリング)の哲学”をチーム全員で共有・探求するアプローチへと舵を切りました。
サンプリングするソースが、例えば18世紀の新古典主義、アメリカのポップアート、フランドル派、現代のポピュラーカルチャーなど、多岐にわたる膨大な情報を集める作業は、作家本人でなくても可能ですから。僕がこれまでリサーチしてきた書籍や資料を、基礎的な技術を身につけた段階でデザインチームとも共有し、リサーチの基盤として活用するようにした結果、個人のキャパシティを超えて、新しい作品のアイデアが継続的に生まれ続ける体制が整いました」

昭和期に単身渡米した世代(篠原や草間など)は、言葉の壁、経済的困窮、人種差別にぶつかり、「ニューヨーカーとしての生き残り」そのものが壮絶なドキュメンタリー(悲壮感や反骨精神)だった。一方、松山智一を見ていると、親の夢に従って、少年時代に一家で渡米、スノーボードカルチャーやグラフィックデザイン出身といったバックグラウンドを持ち、最初からグローバル都市の共通言語(ストリート、デザイン、ポップカルチャー)を身体感覚として内包している。特別、経済的に恵まれた生い立ちではないにせよ、「過酷な異国への挑戦」という悲壮的な文脈よりも、多様なカルチャーをニュートラルに編集・遊泳する「しなやかさ」と「ドライな戦略性」を身につけてきた逞しさが見える。
一つ前の世代、村上隆が「組織的なスタジオシステム」を切り開いたのは、活動を世界視野に置いた日本人作家として、画期的だった。それを松山はより現代的かつグローバルな経営手法として最初からアップデートした形で実装している。ブルックリンの巨大スタジオに様々なバックグラウンドを持ったスタッフを擁し、ペインティングの質感管理からデジタルアーカイブ、グローバルギャラリーとの連携までを洗練された体制で運営する。アートを「感性」だけでなく「作品と制作プロセスの精緻な構築」としてプロフェッショナルに捉えている。

麻布台ヒルズギャラリーの展覧会で発表した、スーパーマーケットにソクラテスがいる作品《We The People》を例にとると、構想に8カ月かかり、制作に9カ月かかったそうだ。制作を始めた段階では締め切りがあったわけではなく、自主的に始まり、しかし、制作をしている段階で大きな展覧会のオファーが来る。作りだすと必ずどこかの展覧会に自動的に組み込まれていくことになる。美術館が来て、この作品を展示したいと言ってくる。展覧会のための締め切りに追われてではない、余裕のあるクオリティに満足できる制作がかなっている。

《We The People》2025
今回このアトリエ取材のための撮影した時期、ポップアートの潮流の中で活発な活動をしたアーティスト、トム・ウェッセルマン(1931年-2004年)が晩年に制作したNYのアトリエでの展覧会「Wesselmann x Matsuyama」(9月27日まで)の準備に追われている時期だった。ウェッセルマンの財団との協働による松山の企画展である。松山がウェッセルマン作品を選定し、そのレガシーに応答する新作絵画を制作するというユニークで意欲的な展覧会である。

きっかけは2024年から25年にかけて、パリのルイ・ヴィトン財団で開催されたポップアートの展覧会「Pop Forever Tom Wesselmann &…」だった。この展覧会はタイトル通り、ウェッセルマンの作品が基軸となって、マルセル・デュシャン、リチャード・ハミルトン、ジャスパー・ジョーンズ、ロイ・リキテンスタン、クレス・オルデンバーグ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジェームズ・ローゼンクイスト、クルト・シュヴィッタース、ス・ドーホー、ミカリーン・トーマス、アンディ・ウォーホル、横尾忠則ら総勢35アーティストの作品が展示されるという圧巻の展覧会だったのだが、松山もそこで新作を発表し、展示場所からも重要な作家として位置づけられていた。
「あの展覧会以来、ウェッセルマン財団ディレクターのジェフリー・スタージェスさんとは交流が続き、いつか何か一緒にできないかという話を重ねてきました。財団はウェッセルマンの旧アトリエで、イーストヴィレッジにあります。ウェッセルマンの没後も、ご家族がスタジオを当時の状態に近いかたちで残していて、テーブルには彼のメモが今も残っています。彼自身も古典などから引用して作品を制作していたので、その参照元となる資料もスタジオの随所に残されている。これまで一般に公開されることのなかった場所ですが、ウェッセルマン財団の方々が僕の引用の方法にも関心を持ってくださり、今回僕がキュレーションを担当することになりました。僕の作品を5点、ウェッセルマンの作品7点で展開します」

たとえばこんな作品。新約聖書「ヨハネによる福音書」からの引用なのだが、イエス・キリストが旅の途中でサマリアのスカルという町の近くにある「ヤコブの井戸」に立ち寄る。水をくみに来たサマリア人の女性に「水を飲ませてほしい」と声をかけた。当時、ユダヤ人とサマリア人は互いに交際がほとんどなく、さらに男性が昼間に見知らぬ女性と話すことも異例だった。

多くの画家が好んで描くシーンの一つだ。もちろん、この唇はウェッセルマンのスモーカーシリーズから来ているのは明らかで、松山の描くイエスはタイダイ(絞り染め)のシャツを着て、彼もセーラムのタバコを吸っていて、手にはバドワイザーの缶を持っている。ウェッセルマン作品、それに歴史的な絵画からの見事な引用。ウェッセルマンに倣い、コンシューマーカルチャーに寄せている、そんな松山の仕事に唸ってしまうのだ。

「あと、ウェッセルマンはマティスがすごく好きでしばしば引用しています。マティスのダンスも描いています。この絵では、インテリアやファッションカルチャーから取った人物の上に、マティスのダンスが重なってくると。そして、カンヴァスの形は巨大な男性器の象り。これはウェッセルマンがよく男性器を描くことからの発想ですね」
松山の日頃の研究の成果であるのだが、緻密な調査による古典からの引用、現代の消費社会の現状をリアリティとして込めること、それが行われている例だ。

トム・ウェッセルマンの晩年のNYのアトリエでの展覧会「Wesselmann x Matsuyama」展示風景
さらに展覧会は目白押しで続いていく。
韓国の大邱市にある「Lee Ahn Gallery」での個展はオープンしていて10月15日まで。約20点(大型作品10〜15点、小型作品5点)が出展。来年は全米で8番目に大きいNewfields(旧インディアナポリス美術館)でも、大規模な個展。約15,000平方フィートのスペースに、絵画と彫刻複数点、そしてイマーシブデジタル作品などで構成予定。
グループ展では、フランスのルーヴル=ランス美術館で開催される「Too Cute! The Art of Happiness」展に絵画作品1点を展示予定。この展覧会は幸福、快楽、安心感といった感情を美術史の流れの中で捉え直し、日本的な“かわいさ”の感覚についても国際的な視点から再解釈しようというもの。さらにドイツ、ケムニッツの美術館Mythos、アメリカ、ボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館などでの展示も控えている。
そして、パブリックアート作品があり、ブランドとのコラボ作品などプロジェクトは次から次にあり、そうして、作品はこのアトリエで生み出され、世界各地に送られていくのである。
Q. 新たな気づきや共感を得ることができましたか?






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