ART

特集エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 03

WE ARE HERE AWAKE AND ALIVE

エコゾフィーの未来へ

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コロナ禍で大きく変わりつつある世界、その先に浮かびあがる、来るべきエコロジーとアートの役割とは? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る新連載「エコゾフィック・フューチャー」の第3回。
 

text & photo by Yukiko Shikata

新たなリアリティの眺め

 
「あと少しで頂上、見晴らしがいいですよ」。ちょうど1年前、米国サンノゼ近郊の山側の公園にあるモンタルボ・アート・センターに滞在し始めた時のこと。散歩の延長でトレイルを結構歩き、そろそろ降りようと道を尋ねた女性の言葉をばねに頂上へ向かうことにした。

 

サンフランシスコのアーティスト、スーザン・オマレー(Susan O’Malley / 1976〜2015) による《A HEALING WALK》(2012、再設置2018)。モンタルボ・アート・センター恒久設置作品。

 

光が射し込む鬱蒼とした森の小径には、時おり「THE BEAUTIFUL MOMENT」などメッセージが立っていて、 ふと足を停める。頂上にさしかかる手前で出会ったものには、「YOU ARE HERE AWAKE AND ALIVE」という文字が! 「ここに到ってあなたは目覚め、生きていることを実感する」——という言葉に鼓舞されて急な坂を登り切ると、目の前にシリコンバレーが広がった。

 

 

「あなたの言葉でここまで来ました。ありがとう!」。先ほどの女性がいたので、お礼を伝える。「あれが、アップルのUFO(クパチーノの新本社Apple Park)」と教えてくれた彼女と景色を楽しんだ後、昼前の暑い日差しの中、大自然とシリコンバレーをしばしひとり占めした。

数多くの最先端企業が生まれ、本社を構えるシリコンバレー。Apple、Facebook、Google……近年ではZoomやClubhouseも拠点をもつ。リスや鹿に遭遇する豊かな自然と、グローバルに人々がつながる情報ネットワークとの共存。全世界で共有されていく新たなリアリティがここから生まれていると実感する。

この地に到着したのは、新型コロナウィルス感染症が日本でも深刻になり始めた2月25日だった。滞在中にカリフォルニアでも感染が拡大し、3月の第1週以降、美術館や大学などが次々と閉鎖し始め、滞在先のレジデンスも急遽、3月16日で閉鎖することが決定した。

そのことが伝えられた3月12日の夜、滞在中のアーティストやセンターの担当者たち10人余りが集まった炭焼きピザを囲んだディナー。孤立した森の中で、きらめく星空を見上げながら、これまで体験したことのない状況を共有した経験は忘れられない。そしてその3日後には、予定を繰り上げて日本への帰途につくことになる。

真の「21世紀」がはじまる

 

あれから1年。地球全体で、私たちの生活や社会は大きく変わってしまった、そして今も変わり続けている。人の移動や接触が制限され、日々の活動の多くがオンラインへと移り、人が集まる場やイベントを以前の方法では設けにくくなった。

近代というシステムは、都市への集中や、特定の機能を持つ大規模な空間を整備することで、群衆を前提とした社会や経済、文化を形成してきた。そこではモノや空間など、アナログベースの所有や管理が前提とされていた。しかしポストパンデミックの世界には、デジタルをベースとした情報共有やコミュニケーションが中心的なリアリティとなってくる。

 

オードリー・タンとの対話——11のキーワードで紐解くデジタル・テクノロジー・社会|前編

 

デジタルベースのリアリティは、すでに2000年前後にあらわれていた。1990年代半ば以降のインターネットの普及を経て、90年末以降注目されたプログラマーやハッカーによるオープンソースやデジタル・コモンズの実践が、デジタルを基盤にした来るべき社会、とりわけ贈与や共有をベースにした新たな創造の可能性を推進していた。2001年オードリー・タンと私が接点を持ったオンライン・プロジェクト「Kingdom of Piracy」(共同キュレーター:シュー・リー・チェン、アルミン・メドッシュ、四方幸子)もその潮流の中にある(→連載第1回「オードリー・タンとの対話|前編」を参照)。

それから約20年を経た現在、ようやく真の「21世紀」が訪れつつあるような気がしている。モノや空間をベースにした近代の機能不全は、21世紀になって至るところに見られたけれど、ほとんどがそのまま維持され、社会が大きく変わるまでには至らなかった。その意味で20世紀を引きずっていたといえる。そのような中、人間の意図や予測を超えたパンデミックが現実になったことで、近代的に確立されたシステムの多くが継続困難となり、見直しを迫られている。

経済の停滞、生き方や働き方の再編成……ここ一年、社会は「ニューノーマル」を掲げながら、試行錯誤とともに対応や運営に明け暮れてきた。加速し続けていた資本主義が減速したことで、各人が自分や世界にとって何が重要かを問い直し、ウェルビーイングを求め始めるまたとない機会ともなった。

同時にここ数年とりわけ顕在化してきていた社会の非対称性(経済、人種、ジェンダーなど)がより鮮明になり、抑圧されていた人々が、情報の透明化を求めて声を挙げ始めた。それはまた、人間同士だけでなく、人間と自然環境との非対称性(人間が行ってきた環境汚染や破壊)と、そこから深刻化した地球温暖化や気候変動に向き合うことにもつながるはずである。

今後ワクチンが機能し始めても、社会が以前のように戻ることはないだろう。私たちは、社会だけでなく人類史、ひいては地球・宇宙史的な大転換期にいるように思われる。それほどのマクロな時間や空間のスケールで世界を捉えることが、まさに今私たちに与えられたミッションであり、希望への兆しなのではないだろうか。

またミクロなスケールで世界を見ることも重要になっている。新型コロナウイルスは、人間による環境や生態系の破壊が原因とも言われるし、人間の胎盤形成に過去に感染したレトロウイルス遺伝子が関与しているという研究成果もある。それ以外でも、細胞や微生物などミクロなレベルで世界を見ると、人間中心的な善悪に回収できない「コミュニケーション」としての様々な関係性が浮上してくる。人間の身体も、複数の微生物の集合や寄生によって成立している。もはや個体としての人間像や自己や意志という概念が、リアリティの一つでしかないことに気づかされるのだ。

ポスト新人世へのメタモルフォーゼ

 

そのような観点は、今世紀になって定義された「人新世(アントロポセン)」という地質年代にもあらわれている。「人新世」は、1950年代以降、広義では産業革命以降の都市化・工業化の時代において、地球が長い年月をかけて形成してきた自然資源を大量に採掘・加工・消費・廃棄することで、地球規模で取り返しのつかない汚染を及ぼした時代を意味する。

 

 

私たちは、パンデミックという試練に押されながら、「ポスト人新世」へと真剣に進む時期に入ったのではないだろうか。たとえば蛹が、メタモルフォーゼを経て蝶になるように。自然、社会、そして自身の生態系(これらは相互につながっている)と向き合うことで、近代のシステムから不要なものを捨て去り、同時に近代化の過程で排除されてきたもの(近代以前の文化や精神性)を見直していくこと。未来は、近代的な人間像(白人男性中心)から、多様な人々へ、そして人間以外の可視・不可視を超えた森羅万象(動植物、自然の事物や環境)との共生を前提としたものになっていくように思う。

とはいえ社会が次のフェーズへ変わるためには、多くの痛みを伴う……実際、社会の様々なところで問題が吹き出ている。特に経済的な側面で、社会的に弱い立場におかれた人々が厳しい状況にさらされている(日本では、たとえば非正規雇用が多い女性の自殺者が増加している)。これら非対称の痛みを社会で「コモンズ」と認識し、ともに分かち合い引き受けることが、まさに必要となっている。

人が人に対して行ってきた搾取が及ぼした負荷に加えて、自然全般に対しても、誰もが当事者として目を向け(関係のない人間はいない、世界はつながっている)、サステナブルな社会や環境へと舵を切ること。科学技術の発達によって、様々な環境や社会のデータを取得・解析・可視化し共有できる現在、個人や組織の連携やネットワーク化によって、より迅速な対応が可能な条件は整っている。

来るべきエコロジーの可能性

 

ここで本連載のタイトル「エコゾフィー」(フランス語のécologie とphilosophieによる造語)について、触れておきたい。この概念は、フランスの哲学者で精神分析家のフェリックス・ガタリ(1930-1992)が、晩年の著作『三つのエコロジー』(1989)で提起したもので、エコロジーが環境だけでなく社会と精神に延長されるものとして先見的に位置づけられている。

 

 

「エコゾフィー」は、私の世界観に大きな影響をもたらした。90年代初頭に出会って以来、時代の流れとともにその意味と可能性を自分なりに探求し続けている。2011年の東日本大震災以降は、3つのエコロジーに加えて、これらを包摂しながら相互につなぎ循環させていくものとして、デジタルのエコロジーを想定している。そうして現在、環境のエコロジーの中に新たに人間が接合したり、社会と精神のエコロジーの中に自然が接合していくハイブリッド的なイメージを抱き始めている。

本連載「エコゾフィック・フューチャー」は、ポストパンデミック、ポスト人新世の時代における「来るべきエコロジー」の可能性を発見・検討し、「エコゾフィー的な未来」を構想していくワーク・イン・プログレスの場と位置づけている。そして「エコゾフィック・フューチャー」に向かうための、唯一無二のインフラと見なしているもの、それがアートなのである。

「芸術作品との出会いという出来事」について、ガタリはこう述べている。「実在の流れに不可逆的なかたちで新しい区切りをつけ、日常性という「均衡のとれた世界」からかけ離れた可能性の領野を触発的に生みだすのです」(ガタリ『三つのエコロジー』)

「エコゾフィック・フューチャー」においてアートは、このような異化的・批評的な役割に加えて、狭義の「美術」という閉ざされた領域から抜け出て、社会の諸領域(科学技術、政治、経済、社会、教育など)の深層に、地下水脈のように浸潤していくことになるだろう。実はアートは、近代以前、脈々とそのようなものとしてあった。そしてこれから私たちが、そして地球全体がすこやかで幸せになるために、21世紀に新たなかたちで再接合させなくてはならないものなのだ。

近代以降に確立された美術という領域は、存在意義とともにその世界を保ち続ける。並行して、そこからのスピンオフや既存の美術から排除されてきた広範囲の表現が、洞窟壁画にまで遡る、アートの根源性・偏在性へと還流し新たな関係を結ぶことで、人々を豊かで創造的な存在へと変えていくだろう。それこそが、批評と直観力、覚醒と生が相互循環しながら想像性が創発されうる「エコゾフィック・フューチャー」の世界、と現時点で仮想している。
 
 
WE ARE HERE AWAKE AND ALIVE
 
 
冒頭の山歩きで出会ったメッセージを、「私たち」と読みかえてみる。「私たちはここで、ともに目覚め生きている」。日々刻々とそのような意識や体験に開かれていく、生(せい/なま)の感受性を目指して——Welcome to “Ecosophic Future”! 

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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