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連載感覚の遊び場

Sensory Playground: Game 1-2

A Dictionary of Consciousness

意識の辞書——浦川通氏インタビュー

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何かを想う時、わたしたちの頭の中には、その“何か”に紐づいた存在や匂い、音、情景、触り心地などの記憶が立ち現れます。それは、おなじ瞬間におなじ空間にいたとしても、ひとりひとりそれぞれに異なっています。

それでは実際、わたしは、日々の体験をどの感覚で受け取り、どんな風に感じているのでしょうか。この人は、あの人は、どんな世界を見ているのでしょう?

ここでは、さまざまな方と一緒に世界の見え方を探求し、自分以外の世界を感じられる場をつくりたいと思います。子どもがおままごとの中で、もうひとつの世界を立ち上げていくような気軽さと夢中さで、誰かの意識に飛び込んで遊ぶ、今まで知らなかった色彩をみつける、相手を重さで感じてみる——。

頭も身体もやわらかく、いつもとべつの方法で世界と交わる、ここ「感覚の遊び場」で、一緒に遊んでみませんか。

Planning BY NATSUMI WADA
TEXT BY KON ITO
GRAPHIC BY MOMOKO NEGISHI

 

ひとりひとり異なる意識の世界で生きるわたしたち。長い歴史の中で、人間はあらゆるものごとに名前を与えて、状況や感情を分かち合ってきました。言葉はとても便利なコミュニケーションツールのひとつです。でも、それは、テレパシーのような完璧な方法ではないようで、わたしたちはしばしば、相手の言葉の意味を取り違えます。ある人にとっての「愛」は、燃え盛る情熱。またべつの人にとっての「愛」は、ほのぼのと育むつながり。「金曜日」も「桜」も「ビーフシチュー」も、すべての単語の意味や色は、持ち主によって少しずつ異なっているようです。メディアアーティストの浦川通さんは、個人の意識の中で育った言葉を、一冊の辞書にまとめた『意識の辞書』の作者です。『意識の辞書』には、通常の辞書のような単語の説明書きはありません。その代わり、似通った言葉同士が隣り合って並んでいるのです。例えば、夏目漱石の意識の辞書では、「恋愛」は「罪悪」や「意味」などの近くにあるそう。あなたの辞書では、「恋愛」の近くに、どんな言葉がありそうですか? 連載「感覚の遊び場」意識回、第2回は、意識に基づく言葉とそのコミュニケーションについて、浦川さんにお話を訊きに行きました。

浦川通|Toru Urakawa 
アーティスト・研究者。Qosmo, inc.などを経て、現在、朝日新聞社メディアラボにて機械学習・自然言語処理の研究に従事。主な活動・作品に『バイナリカードゲーム』(2014年〜)『Coded Textile』(ANREALAGEとの共作、2016年)『意識の辞書』(spiral、2017年)『はなしたところで(落花有意/Talked)』(NTT InterCommunication Center、2018年)など。

言葉は意識のフィルターを通して生まれるWords are born through consciousness filters

——作曲家の友人が、クラシック音楽とメタルを特に好んで聞くんです。最初は不思議に思っていたのですが、どちらもすごく繊細で緻密な面があるので、そのふたつを好きになるのは、あまりめずらしくないそうです。それまで、これらに「音楽」以外の共通項はないと思っていたのですが、そこそこ近いものとして認識するようになりました。『意識の辞書』では似通った言葉が隣り合って並んでいますが、夏目漱石の場合、「恋愛」の近くに「罪悪」や「意味」という単語が並んでいるんですよね。それがあまりに漱石っぽくって、感動しつつ、少し笑ってしまいました。

浦川さん 明治時代の知識人っぽい価値観が表れているような気がします。

 

——ある言葉と別のある言葉が似ている、って、どうやって判断するんですか?

浦川さん 例えば、ネット上の大量の文章を集めて、「バナナ」という単語に注目します。「バナナ」という単語の前後を解析すると、おそらく「収穫」とか「皮を剥く」といった言葉がたくさん出てくる。言語学者のジョン・ルパート・ファースが‘You shall know a word by the company it keeps’、意訳をすれば「言葉の意味はその周辺の単語から自ずと知れる」というようなことを言っているのだけど、似たような登場の仕方をする単語は自然と似てくるという考え方があります。「リンゴ」や「みかん」の前後にも、きっと「収穫」や「皮を剥く」が頻出するはずですが、「絶望」の前後にはほとんど出てこないんじゃないかな。「絶望の皮を剥く」とか「絶望を収穫する」とは言わないから。

——なるほど。「収穫」「皮を剥く」と言えば、野菜や果物のようなものが多いはずですよね。

浦川さん ある単語について、前後に登場する単語の分布を計算していくと、単語同士の意味の近さのようなものを図表上に表すことができるんです。

——バナナ・リンゴと、バナナ・絶望だったら、おそらくバナナ・リンゴの方が意味が近いですよね。

「バナナ」…「失望」という6つの単語ベクトルを、二次元にプロットした例(文章中で同じような使われ方をする単語は、図表上で似たような位置に集まります)

 

浦川さん そうそう。この図表上で、近くにある単語をたどって、並べていったものが意識の辞書です。

——なるほど。夏目漱石の作品のみで、この図表を作ると「恋愛」「罪悪」「意味」が、似たような位置にくるわけですね。でもこれって、夏目漱石の「意識」なのでしょうか。「無意識」という面もあるような気がするんです。

浦川さん 実は、はじめにこの辞書の名前を「無意識の辞書」にしようかとも悩んだのですが、結局「意識の」としました。というのも、言葉ってすごく意識的な一面があると思うんです。しゃべり方や、書き方って、相手によって変わります。例えば、今、僕たちは喫茶店にいます。遠くで鳴っているコーヒーマシンの音を無意識に浴びているけど、このことを人に伝えるには、一度この状況を意識しなければできない。さらに、「今、ここで、しゃべっていいのかな?」とか、逆に「今、ここで、すぐしゃべったら絶対おもしろい」という意識もあります。個人的な意識、時代的な意識など、さまざまな意識のフィルターをかけて、やっと出てくるのが言葉なんだと思います。

——確かに。夏目漱石の頭をぱかっと開けて、そこにあった単語をばばっと解析したら、漱石の無意識かもしれないけど、漱石が作品に書くまでして残した言葉ですもんね。わたしたちは言葉を発するとき、無意識のうちに、何枚もの意識のフィルターを通している。興味深いです。

撮影:土田祐介

コミュニケーションと意識Communication and consciousness

浦川さん 意識のフィルターが、一番シンプルな状態って、恋人や家族、友達とする会話なのかなって思うんです。空間も関係ないし、「わたし」と「あなた」の間のフィルターしかない。そこで行われているやりとりに注目したのが「はなしたところで」という映像作品です。都内に暮らす複数のカップルのメッセージアプリ上の会話履歴を解析しています。

——カップルそれぞれの意識の辞書を作ったんですよね。

浦川さん はい。「会う」っていう言葉の近くにある言葉が、片方は「好き」「くる」なのに、もう片方は「考える」「いく」だったりする。同じ「会う」でも、当然一緒にはならない。

——うう。それって結構ずれちゃうものなんですか?

浦川さん 何か与えられた言葉に対して、別の言葉で返すという会話の性質上、ずれてしまいます。ずれないようにするひとつの方法として、オウム返しというのがあるかもしれません。全く同じテキストからは、同じ単語ベクトルが得られるはずですから。そんな風に考えると、会話が成立するっていうのは、ずれること、なのかもしれません。今、僕と同じ意識を持っている人が向かいに座っているとしたら、会話は成立しないのかもしれない。「ちょっと格好つけてデミタスとか頼んだけどさ、やっぱりアイスコーヒーにすればよかったよね」と言っても、「うん、そうだね」としか返ってこないかもしれない。それってもう、話さなくていいじゃないですか。

——その通りですね。ずれがあるから、「えっ」って反応になったり、方向が曲がって次の話へつながったりするわけですね。「はなしたところで」は3部構成で、最後の「言葉」もすごく印象的でした。

浦川さん 第3部はモダリティというものに注目したんです。例えば「明日は晴れてほしい」と文章の中で、「ほしい」という部分が自分の欲求を表す部分ですよね。こういう、意図や相手へのはたらきかけを表す言語表現をモダリティと呼ぶのだけど、特定のモダリティがでてくる文章を抜粋して、出会いから別れまで、時系列に沿って並べてみたんです。例えば、「もし〜だったら」という仮定のモダリティに限定すると、ふたりが付き合いたての頃は「19時に終わるから遊び終わったら」「今晩テスト勉強しないんだったら」といった文章がでてくる。このあとにくる言葉っておそらく「会おう」なのかなと感じます。

「もし〜だったら」という仮定のモダリティが登場する箇所を抜粋し、出会いから別れまで、時系列に沿って並べた図。

 

——きっとそうですよね。しかも、詳細の時間を伝えたり、相手の状況を気遣うすごく丁寧な誘い方。なんだか初々しく感じます。

浦川さん これがだんだん、「授業次第で」とか「きてほしかったら」という文章がでてくるようになるんです。

——「授業次第で」のあとに続く言葉も「会おう」だろうけど、なんとなく遠慮がなくなっている感じがします。小さな差ではありますが……。「きてほしかったら」はすでにちょっと不穏ですね。

浦川さん 最後の方は「もう関わりあいたくなかったら」「でもまたいつか連絡取りたくなったら」とか。これはもう完全に別れですよね。

——なるほど。相手への興味の変化が、はっきりと見えてしまって、苦しいです。

浦川さん モダリティに注目することで、会話の流れ、字面の印象などの要素を全部取っ払ったときに、結局何がしたいのかが見えてくると思ったんです。最初のいくつかって、全部「会いたい」に変換できますよね。「もっとシンプルに伝えられるのに」と思うのか、「二人の関係を考えたら、やっぱりここまで書かないとね」って思うのかはきっと人ぞれぞれ。「会いたい」という気持ちがあって、その人の意識があって、相手との関係性のフィルターを通したとき、最初の「会いたい」がどんな形になるのか。ただ一つの気持ちがあるだけなのに、言葉を使ってコミュニケーションをするって大変ですよね。

——本当に難しいです。でも、例えば言葉なんてない世界で、「会いたい」の気持ちが数値化されておでこに点数で出るようになったら、すごくいやかも。
 

 
浦川さん どうなんでしょうね。この「気持ちと具体的な表現」というのは関係性によっても変わる気がします。例えば付き合いたての時に、「会いたい」が98点で表示されていて、数年後60点になったとしても、根っこの部分の気持ちはあまり変わっていないというか。ふたりの社会が変わっていく中で、意識のフィルターも変わっていって、実際交わされる言葉の形も変わってくるということはあると思います。

——たしかに。「おっけ〜(ニコニコ)(キラキラ)(ハート)」が「おけ」になったとしても、それは、決して冷めてるわけではない。「おけ」でも伝わる安心感があります。

浦川さん 「おけ」「おけまる」「おけまる水産」が派生して「りょかまる牧場」とかになったりする。もうそこまでいくとふたりの社会でしか通じない言葉ですよね。

——りょかまる牧場 ですか……。でも、そういうわけのわからない言葉を、なんかわかるようになってしまう心地よさって確かに存在します。数字では表せない温度感を言葉なら表現できますね。

意識の残り香Remaining scent of consciousness

——そもそも、浦川さんはどうして『意識の辞書』を作ったんですか?

浦川さん 僕は「日常」というものへの興味が強いんです。小学生のときに「いってきます」って言って、いつものように玄関をぱって出たら、季節が変わっている日があるじゃないですか。冬から春、夏から秋になった時に、匂いがちょっと変わっている。僕はあれが好きで、こういう瞬間が大事なんじゃないかって、なんとなく思ったんです。

——わかります。頭の中にふわっと新しい空気が流れ込んで来るような高揚感と幸福感があります。

浦川さん その後、この感覚を実際に体験するだけでなく、言葉によって感じられたことが2回あって。ひとつは持統天皇が詠んだ「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」という和歌。中学生の時に読んで、情景が浮かぶとともに、小学生の頃に感じた季節の変わり目みたいなものをふと思い出した。1000年以上前の人が感じたことを言葉に残したことで、2000年代を生きていた13歳の男の子が同じように感じられている。文章っておもしろいと思ったんです。人の意識を保存して、後から再生できるコードのようにも思います。

——なるほど、コードですか。よく考えたら確かにすごいことですよね。

浦川さん もうひとつは中学生の頃読んでいた小説に、主人公が不動産かなんかの事務所に入るお話があって。事務員の女の人が立ち上がった時に、そのはずみで回転椅子が回ったという描写に、感動したんです。こんな細かいことをわざわざ書いていて、そこにその人の意識が残っちゃっている。夏目漱石の意識の辞書で「恋愛」の近くに「罪悪」「意味」が並ぶのも、彼が本当にそういう風に思ったかはわからないけど、たくさん言葉を紡ぐ中で、そういうことになっちゃっている。それを読んで「ああ、そういうことってあるよな」って思う。いろんな人が日常をセンシングした意識が残っていて、それを嗅げることがいいなって思うんです。意識の残り香ですね。

——意識の残り香ですか。

浦川さん そういうものが香ってくるものが作れるんじゃないか。そう思ったのが『意識の辞書』を作った理由の一つですね。

 

編集後記

日常の中で、誰かの脳内に意識がぱっと灯った瞬間。大きな事件でもなんでもない、その場で誰かに話すほどのことではない、小さくて何気ない瞬間を、人間は言葉を使って残してきました。その残り香を嗅いだとき、何百年、何千年という時代を超えて、脳内に世界が立ち上がる。言葉のもつ力の強さを改めて感じるエピソードでした。

人それぞれちがう意識。その意識に基づいたそれぞれの言葉を、何枚もの意識のフィルターを通して、わたしたちはコミュニケーションに励む。なんてややこしいのでしょう。でもそのおかげで、数値だけでは表せない複雑で奥行きのある感情をどうにか相手に伝える努力ができる。そう思うと、人間がずっと言葉とともに生きてきた理由もわかるような気がします。

会話やメールの中で、自分と相手の意識の違いをすこし「意識」してみたら、言葉に宿った、その人特有の意味や色が見えてくるかも? そのとき、その人の本当の思いをもうすこしだけすくうことができるのかもしれません。

Playing Game 002

「意識のカルタ」

わたしとあなた。ふだん、普通に会話をしているけれど、実際、どのくらい違う意味で言葉を使っているんでしょう。「意識のカルタ」は、相手の意識をのぞけるカルタです。親が提示したお題に、一番近いと思う言葉の書かれたカードをとってください。それじゃあ、はじめ。お題は「恋愛」。あなたが選ぶのは「運命」?「綿菓子」?「義務」?「絶望」?「雨上がり」——? ゲームを続けるうちに、お互いの意識がすこしずつ見えてくるはず。さて、「恋愛」のお題で、「りんご」や「ばなな」に同時に手をかけたふたりがいたら……? 何か始まってしまいそうな予感がします。

連載Sensory Playground|感覚の遊び場

世界の捉え方を知り、広げる、感覚の遊び場。人はどんなことを感じ、どう世界を立ち上げているのでしょうか。じぶんのことをより知ったり、じぶん以外の感覚に驚いたり。様々な人へのインタビューや制作を通して、つくりながら、遊びながら、その人の世界に飛び込んでみる連載企画です。

Planning
和田夏実|Natsumi Wada

インタープリター / クリエーティブリサーチャー。1993年生まれ。ろう者の両親のもと、手話を第一言語として育つ。視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。2016年手話通訳士資格取得。

Writing
伊藤紺|Kon Ito

ライター / コピーライター / 歌人。1993年生まれ。2014年よりライター活動、2016年より作家活動を開始。同年独立。2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』を刊行。

Graphic
根岸桃子|Momoko Negishi

グラフィックデザイナー / アートディレクター。1996年生まれ。東京都出身。2018年多摩美術大学卒業。グラフィック、パッケージなどのデザイン、プロジェクトの企画を手掛ける。

NEXTSensory Playground: Game 1-3

My consciousness, your consciousness

ぼくの意識、あなたの意識——作家・東田直樹氏インタビュー