ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 15

Living in Extreme Environments

極限環境へ|拡張するアートのミッション

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David Buckland in collaboration with Amy Balkin “Discounting the Future”(2008) Cape Farewell 2008 Expedition - Disko Bay (West Coast of Greenland) Photo: Nick Cobbing/Cape Farewell

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地球の生態系に端を発するどれだけの奇跡を前提に、わたしたちは今ここに存在し得ているのか? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第15回は、非人間や自然・人工環境からの声を聴こうとするアーティストたちの試みに触れながら、拡張し続けるアートのミッションについて考える。

text by Yukiko Shikata

今ここにいることの奇跡

今このエッセイを読んでくれているあなたへ……唐突だけれど、それを可能にしている環境について思いをめぐらしてみてほしい。インターネット接続など技術やインフラに加えて、あなたが存在していることを可能にしている数えきれないほどの前提について……!

 

Tara Equipe Banquise Expedition Tara Arctic © F.Latreille-Tara Expeditions

 

遡れば138億年前、宇宙が生まれ地球ができて、変転する環境の中から生命が芽生え、やがて人類が誕生し、遺伝子が連綿とつながってきたことで私たちはここにいる。生まれた後は、言葉や知識、慣習など、環境に応じた多種多様なミーム(文化的遺伝子)を受け取り駆使して生きている。服や食べ物、建築や乗り物など、身の回りのあらゆるものは自然から加工されたもので、それらを享受しながら日々の生活がある。今パソコンに向かっている私も、こうしているのが当たり前のように見えるけれど、いくつもの条件が積み重なった上で可能になっている、とつくづく思う。

地球をより即物的に見てみると、さまざまな環境要素が私たちの生存を奇跡的に可能にしていることに気づく。大地があり重力があり、空気があり、気温や湿度も生存可能なレベルに保たれている。考えてみると、そもそも人類をはじめとするあらゆる生命は、形態もサイズも機能も地球の生態系から発生したのだから、その条件が維持されている限り生存できるのだろう。

空気の制御

あらゆる生命は、大小にかかわらず、常に変化する環境の中で——時には厳しい自然に晒されながら——やりくりしながら生きている。唯一生身では生きることができない私たちホモ・サピエンスは、その弱さを補うための構想力やテクノロジーを得ることで生き延びてきた。道具を作り、火を使い、衣類や住居で自らを守り、社会を形成し、文明や文化を発達させて今がある。それは同時に自然の支配をともなってきた。

人類の歴史の中では、ルネサンスに発した人間中心主義、西欧から世界各地へ進出した大航海時代を経た上で、とりわけ産業革命が、人間による自然の支配をグローバルに押し進めてきた。その延長として、機械技術に加え化学や電気など数多くの技術が生み出された20世紀は、現代社会の基盤となる近代的なシステムが整備された時代といえる(その最後のディケイドに普及し始めたインターネットが今世紀の大きなインフラとなっている)。ここ約150年で、地球各地で人間のための人工的なインフラや空間——物理そして情報的な——が生まれ、またたく間に拡張した事実には、驚きを禁じえない。そうしてよく思う、近代前の生活や風景、そしてそれぞれの風土に生きる人々が見ていた世界はどのようなものだったのだろうと。

たとえば、私たちが生存するためになくてはならない空気。現在は、屋内や乗り物内のほとんどが閉鎖空間となっており、空調によって温度や湿度、成分が保たれている。このようなシステマティックな空気の制御は、20世紀の初頭に米国で、電気式のエア・コンディショナー(冷却機)や冷蔵庫が発明されたことに端を発する。日本でエアコンや冷蔵庫が普及したのは、高度経済成長時代の1960年代以降*1で、1990年代以降には冷暖房に加えて空気清浄機能が搭載され始める。エアコンや冷蔵庫は、当初「文明の利器」として称賛されていたが、冷却のためのフロンがオゾン層を破壊し、地球温暖化の原因となることが確認されたため、1980年代後半からは先進国を筆頭に使用中止に舵を切っていく(とはいえ、現在使用されている代替フロンも温暖化の原因にはなるという)。人間による空気の制御が、地球の大気の成分バランスを崩し温暖化を進める、そのため暑さが増すと、さらに空調に頼ってしまう……というジレンマの只中で私たちは生きている。

1960年代以降、空気の制御は、宇宙船、深海など、それまで未到であった場所や地域へと人間の生存や活動領域を拡張してきた。と同時に生活圏では、乗り物や高層ビルなど空調化された空間が増えていった。加えて特殊な空調機能をもつ隔離空間——病院や研究所、工場、観測施設などでの滅菌室やクリーンルーム*2など——が生み出されてきた。そこでは生身の人間は「保菌者」であり、立ち入れなかったり、入れる場合もエアシャワーや所定のウェアが義務づけられる。

人間が立ち入れない究極的な人工空間としては、地球上では起きえない核分裂を人工的に誘発する原子炉があるだろう。高濃度の放射性物質に満ちた空間は、事故を起こすと環境にも大きな影響をもたらしてしまう。人間は快適さや安全性を追求するために、生身では生存不可能な場所へと進出すると同時に、自然から切り離され、自身を疎外する空間を生み出してしまったのだ。

空気の制御は、20世紀以降、戦争においても重視されてきた。第一次大戦で化学兵器が登場し、第二次大戦では原子爆弾が、広島と長崎に投下されてしまった……。そして戦後も太平洋や米国をはじめ核や水素実験が行われている。20世紀にはまた、工場から排出される化学物質によって、地球規模での汚染が進んでいった。科学・技術の最前線では、21世紀を目の前に環境保護対策が大きな課題となっていく。

人間を含む生命体は、呼吸しないと生きていけない。私たちは生きている限り、地球の空気を共有している。現代において空気は、C02に換算・数値化されてグローバルに取り引きされるものでもある(「カーボンフットプリント(CFP)」)。私たちはまた、ポスト3.11、ポストパンデミックの時代において、空気を放射線や細菌、ウィルスなど知覚できないさまざまな成分を含むものと認識しながら、呼吸し共有している。

三上晴子と空気

空気といえば、空気や空間における知覚できないものに先見的に注目していたアーティスト、三上晴子(1961-2015)を思い出す。三上は、1980年代半ばから急逝するまでの30年間、時代に応じて素材やメディアを変えながらも、身体や世界をめぐる「情報戦争」や「被膜」「知覚」というテーマを一貫して追求していた。環境と生体的な知覚との境界領域、つまりメタ的なフレームを可視化する作品は、研ぎ澄まされた直観とリサーチ能力、そして独自の美学の賜物といえる。

1985年に鉄のジャンクを素材にしたオブジェをはじめとする大規模な初個展「滅ビノ新造型」(サッポロビール工場跡/現:恵比寿ガーデンプレイス)で一躍カリスマとなった彼女は、1990年代初頭には国家間、ウイルス、コンピュータウイルスなどの領域を超えて情報戦争を扱う作品を発表*3、並行して世界各地の特殊環境の空気を収集していた。またこの頃、「被膜」や「境界」をテーマに、現代美術のギャラリーやスペースのための作品を発表していた*4

90年代にNYに滞在してコンピュータ科学を学んだ三上は、1990年代半ば以降「知覚のインターフェイス」というテーマを掲げながら壮大なインタラクティブ・アート作品を発表してきた。

私が共同キュレーターとして関わった《モレキュラー インフォマティクス—視線のモルフォロジー》(キヤノン・アートラボ、1996)では視線が(視線の軌跡がヴァーチャル空間でリアルタイムで生成)*5、《存在,皮膜,分断された身体》(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、1997)では聴覚が(自身の体内音と増幅された体内音とのずれを無響室で体験)、建築家市川創太との共作《Gravicells》(山口情報芸術センター[YCAM]、2004)では、重力(ものとものが引き合う力の可視・可聴化)が、そして《欲望のコード》(YCAM、2010)では、監視(世界中に張り巡らされたデジタルを介在させたフィードバック)が、いずれも来場者それぞれの知覚的体験として実現されている。

 

手前中央:三上晴子《[スーツケース(黄)]》、三上晴子 《スーツケース|World Membrane: Disposal Containers – Suitcases》(1992-93)MOTコレクション展示風景 撮影:柳場大

 

三上は00年代初頭に、保持していた1990年代前半までの作品を廃棄してしまった。そのため、初期の作品で残っているのは当時のコレクターやギャラリー所蔵の少数でしかない。そのような中、昨年東京都現代美術館が三上作品を購入した。そうして今年、三上が掘り下げていたテーマの一つである「被膜」を起点にするかたちで、1990年代前半の作品5点が「MOTコレクション」枠内の「被膜虚実」で展示されている*6。その中の一つである《スーツケース》は、ハザードマーク入りのスーツケースが空港の荷物受け取りコンベア的な構造の上に並んだもので、人や物の移動とともに汚染物質が国境を超えて移動する可能性が示唆されている。

 

三上晴子《Eye Tracking Informatics (ETI) 》(2011) 山口情報芸術センター[YCAM] 撮影:丸尾隆一(YCAM) 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

三上晴子《Eye Tracking Informatics (ETI) 》(2011-2019)多摩美術大学(2019)での展示風景 撮影:古屋和臣 写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

 

そして現在、三上の2011年のインタラクティブ作品《Eye Tracking Informatics(ETI)》(YCAM)が、東京のギャラリーで展示されている*7。本作は、1996年の《モレキュラー インフォマティクス—視線のモルフォロジー》(前述)を再制作したものだが、15年後ということで、ハード、ソフト、外見ともに一新することになり、タイトルも変更された。今回体験可能な作品は、三上の没後に本人不在の中で、この作品の制作に関わったYCAMをはじめとするメンバーが検討の上、修復したものである(収蔵管理:YCAM)。普段自覚しない視線の動きによってリアルタイムで世界が生成していく本作は、データの可視化であるとともに、私たちが世界とつながり、生存するための根幹の一つである視覚の持つ生体的なダイナミズムを感じさせてくれる。

三上は、最初から最後まで、私たちが存在する世界の自明性、そして人工環境に介在された私たちの身体や知覚の自明性をたえず問い続けた稀有なアーティストだった。そして思う……彼女が今も生きていたらどのような作品を作っているだろうか、と。

極限環境へ

カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《氷の海》(1821) The Sea of Ice (The Wreck of Hope), 1821, by Caspar David Friedrich (1774-1840), oil on canvas. (Photo by DeAgostini/Getty Images)

 

人間は、厳しい自然環境の中で、畏怖を感じながらも生存のために道具や技術を改良し、自然を改変してきた。生存に加えて、未知のものへの好奇心や探究心から移動し、テリトリーを拡張してきた。それは大航海時代に地球規模のものとなり、近代以降の科学・技術の発達が大規模かつシステマティックな自然資源の搾取へと展開していった。

そのような中、19世紀以降、生身の人間が生存できない極限環境への進出が、冒険や調査を目的に、とりわけ欧米やロシアによって展開された。1728年ロシアのベーリングが北極海と太平洋を結ぶ海峡を発見(ベーリング海峡)、1820年頃には英国のブランスフィールド、米国のパーマー、ロシアのベリングスハウゼンが南極大陸を発見、1865年に英国人エドワード・ウィンパーがマッターホルン初登頂を果たしている。

人間の生存を阻む地への憧れは、たとえばC・D・フリードリヒの《雲海の上の旅人》(1818)や《氷の海》(1824)など、ドイツ・ロマン派の絵画においても描かれている。ここでは人間は、未踏もしくは到達できない地や世界と自身の生きる地の境界領域において、崇高かつ不可侵なものとして前者に対峙しながら佇んでいる。極地への憧れや挑戦は、人間を阻む自然の脅威や自身の限界への挑戦、未到の地を踏むことやまだ見ぬものに遭遇することへの期待、崇高性などいくつもの理由があるだろう。

そもそも科学・技術は、とりわけ戦争や遠征の際の軍事技術を契機に発達してきた。それは武器や兵器、通信だけでなく、ロジスティックス(兵站術)にまで至る。ナポレオンが、遠征のために食べ物の保存方法を募集した際には、瓶詰めが考案され(1804)、そのアイデアから6年後に缶詰が英国で発明されたという。20世紀後半において軍事技術は、宇宙開発や民間利用に活用されていく。現在、南極基地など極地においても室内は快適に制御されており、宇宙空間においてもISS(国際宇宙ステーション)の内部など、生存のための環境はコンパクトに整えられている。

極地や宇宙は国や複数の国の協力によって研究開発される領域で、厳しい審査から選ばれたエキスパートが派遣されていたが、今世紀以降は、アルゼンチンなど複数の国が南極基地へのアーティスト派遣を実施、宇宙ではスペースXやispace社など民間の宇宙開発企業が一般向けのサービスを開始している*8。将来的には、宇宙移住が一般人も含んだより現実的なものになるのだろうか。いずれにせよ、未知のものや新しいものへの興味は人間の欲望の一つであり、同時にそれらの征服や人間の領土の拡張を意味している(モンゴル帝国、大航海時代、極地探検や高山登頂、宇宙開発……)。ただとりわけ科学・技術が高度に発達した現在において、欲望はとどまることなく、宇宙やヴァーチャル空間へも向かっている。欲望は、人間を超えてシステムやアルゴリズムによって加速化され、私たちはその状況から逃れられない状況にある(三上晴子《欲望のコード》(YCAM、2010)は、人々の振る舞いがデータとして取得・解析され、フィードバックの連鎖へ巻き込む作品で、まさにこの状況を扱っている)。

地球温暖化や環境汚染を理由に、私たちを生み育んできた地球からの脱出を構想する動きもあるが、地球を消費した上での責任の放棄や他の星の植民地化という方向には疑問を感じざるをえない。また極限環境への拡張は、宇宙に加えて、冷凍技術や生命科学、AIなどを駆使した生命の操作——不老不死、遺伝子編集、異なる種とのハイブリッド化など——へと向かっている。それは人間が、人工的に自然や時間を操作すると同時に自らを「領土化」してしまうことを意味するのではないだろうか。現在の科学・技術は、かつてない「人間」のあり方とその領土化について、私たちに深く大きな問いを投げかけている。

極限・隔絶環境での先見的プロジェクト

Biosphere 2(米国アリゾナ州 / 1992年頃)

 

私が人工環境に興味を持ったのは、1991年の「バイオスフィア2」に遡る。「バイオスフィア2」は、地球を「バイオスフィア(生物圏)」とした上で、米国アリゾナ州の砂漠に作られた、地球環境の縮図としての2つ目の生物圏で、約12,000平方メートルの温室の中に熱帯雨林や草原、砂漠や海などをもつ閉鎖的なシステムである。SFのようなその発想に魅了されるとともに、現実離れした印象を覚えた。地球環境のシミュレーション、そして将来的な宇宙移住のための実験は、内部で男女8人が2年間暮らす設定で行われた。結果的に、酸素の減少を始め、サステナブルな循環が成立せず2回で終了したが、そのような実験が行われたこと自体も興味深い。

極限環境への興味は、1995年のノウボティック・リサーチ(3人で構成されたドイツのチーム)によるメディアアート作品《DWTKS(Dialogue with the Knowbotic South)》(1995)*9に端を発する。彼らは、複数の南極基地からの自然の観測データ(流氷の移動、風速など)を取得し、これらのデータを複数の自律的な「ノウボット」(情報エージェント)」(最初のバージョンではワイヤーフレームによる構造体として、のちのバージョンでは流動し変化するブリザードとして可視化)として、ヴァーチャル空間に浮遊させる。VRグラスとベストを装着し、インターフェイスを手にした体験者は、ブリザードとインタラクションができ、それによる情報の変動が、空間の風や温度を変化させていく(エアコンから冷気を出力)。

 

Knowbotic Research (KR+cF) “DWTKS (Dialogue with the Knowbotic South)” (1995)

 

《DWTKS》でアーティストは、南極を、19世紀に発見されて以降も生身で立ち入ることが困難な場であり、自然の中に設置されたセンサーを通してデータが取得され可視化される「第二の自然(セカンド・ネイチャー)」としての南極を本作を通して提示している。また南極が、1959年の南極条約によって、特定の国家が所有することなく、環境観測を通して学際的な利用に開かれた場であることを重視している。ここでのアートは、領域横断的かつ環境や人間のあり方を批評的に見つめ、異なる形で知覚化し「公共的な知の空間」(ノウボティック・リサーチ)として人々に開くための実験場とみなされている。

 

Marko Peljhan “Makrolab Mark VII, the Ladomir Antarctic Base” © Projekt Atol

 

1997年から2007年には、スロベニアのマルコ・ペリハンが《Makrolab》*10というソーラーパネルや雨水で自給自足する情報ステーションを、世界各地の隔絶された自然環境——スコットランド、オーストラリアやヴェネツィアの島——にそれぞれ2〜3カ月設置し、テレコミュニケーションの状況、渡り鳥の移動、気象変化の観測を行いながら滞在するプロジェクトを展開している。そこにアーティストや科学者を招き、ともに時間を過ごしリサーチやコラボレーションを誘発するとともに、10年間に徐々に厳しい自然でも耐えられるようにシステムの改良を行い、最後には南極での実現に至っている。

ペリハンはまた、1999年にモスクワ郊外のスターシティにあるガガーリン宇宙飛行士訓練センターで、スロベニアの演出家ジバディノフの演劇のための世界初の無重力状態でのパフォーマンス「ビオメハニカ・ノールドゥン」をプロデュースしている*11

 

Dragan Živadinov (Zavod Delak) “Biomechanics Noordung” (1999), produced by Marko Peljhan at Zvyozdny gorodok (Star City), Moscow Oblast, Russia

21世紀:アーティスト、隔絶環境へ

Cape Farewell 2007 Expedition – Svalbard to Greenland Photo: Nick Cobbing/Cape Farewell

 

今世紀になると、気候変動がより深刻かつ身近な問題となり、国や企業、科学者、環境活動家などに加えて、アーティストのまなざしが注目されてくる。担い手は、芸術文化の重要性を認識するNPOや企業などである。2001年には英国で開始されたケープ・フェアウェル(2001-)*12は、気候変動の最前線とも言える地域にアーティストや科学者を招聘する活動を毎年のように行なってきた。日本からは、2007年のスヴァーバル諸島からグリーンランドへの航海(帆船)に高谷史郎が、2008年のグリーンランド西沿岸ディスコ湾の航海(大型砕氷船)に坂本龍一が招聘されている。フランスでは海洋科学探査船タラ号(2003-)*13が、世界各地の調査にアーティストを招聘してきた。タラ号には、日本から大小島真木が2017年に太平洋の航海に参加している。前者は氷河や氷山の状況を目の当たりにしつつ、それぞれのアプローチで作品や記録を残し、後者では海洋調査の最前線で、科学者らとともに行う体験や航海から、新たな気づきや作品が生み出されてきた。

 

氷の中のタラ号 Expeditions_Expédition Tara Oceans Polar Circle © N.Pansiot-Tara Expeditions

 

大小島真木が出会ったクジラの亡骸(2017年2月6日) タラ号太平洋プロジェクト 撮影:大小島真木

 

高谷と大小島がそれぞれ乗り込んだのは、小ぶりの帆船(エンジン付)で、航海中は乗船者全員で帆あげ、夜の見張りなどタスクとリスクを共有しながらかけがえのない経験をしたという(いずれも作品制作は前提ではないものの、大小島は、白い鯨の亡骸に奇跡的に出会った経験を《鯨の目》(2017-2019)という作品に結実させている)。これらは、バイオスフィア2や宇宙船のような閉鎖空間ではないものの、隔絶した状況でのサバイバルと固定メンバー間のコミュニケーションという面で共通している。

孤立的な場所でのコミュニケーションの問題に取り組んでいるのが、特定非営利活動法人フィールドアシスタントを主宰する極地建築家の村上祐資である*14。これまで南極(第50次越冬隊、2009-2010)をはじめ、ヒマラヤ、富士山など極限的な地域での滞在に加えて、米国のNPO火星協会(The Mars Society)の火星模擬実験に隊員や隊長として数度参加、砂漠(米国ユタ州)や北極圏(カナダ・デヴォン州)の「火星砂漠研究基地」での滞在を体験してきた(ちなみにNASAは、2016年に隔離生活1年間の火星環境の模擬実験を完了、2023年4月には火星滞在シミュレーション施設を公開している)*15

 

昭和基地(第50次南極越冬隊、2009-2010) 撮影:村上祐資

 

 

「チーム・アジア」による火星模擬実験(2018、米国ユタ州) 撮影:村上祐資

 

村上は、宇宙移住など、広く一般の人々が人工的な閉鎖空間内での長期移動が実現される未来には、人々の間のコミュニケーションが重要になるという。世界各地からの研究者や技術者で構成されたチームによる体験から、むしろ日本人の「和」を重んじる関係性に注目し、2018年の火星模擬実験では、インドネシア人1人を含む日本人による「チーム・アジア」でのミッションを隊長として実施、知見を積み上げている。

村上がこの道に進んだのは、1999年に「バイオスフィア2」を知ったことによるという。そしてくしくもバイオスフィア2(現在アリゾナ大学が管轄)では「火星基地」(名称「SAM」)が昨年末に完成し、オペレーションが開始されている*16

極限・隔絶環境でのプロジェクト

長谷川愛《極限環境ラボホテル 石炭紀ルーム》(2012)

 

「極限環境」を生活圏の中に人工的に作ることで、意表を突くかたちで人間の進化の可能性をアートとして問いかけたのが、長谷川愛の《極限環境ラボホテル》(2012) である。「今現在人類が辿り着けない場所を体験させるラボ、そしてラブホテル」(長谷川)で、「石炭紀ルーム」では3億年前の大気を再構成し*17、「木星ルーム」では、回転する部屋の遠心力によって木星の重力(2.35G)を再現する構想である*18

 

長谷川愛《極限環境ラボホテル 木星ルーム》(2012)

 

長谷川によれば、性行動と生殖が乖離する現代において人間の進化を促進するために、倫理的問題を伴う遺伝子操作ではなく、エクストリームな環境に身を置くこで、人間の身体、行動(生殖行動をはじめとする)、遺伝子の変化を研究する施設という想定という。SFチックで現実離れしたこの構想は、実現を目指すというよりも、「スペキュラティブ・デザイン」、つまり科学・技術が発達した時代において、リサーチを基盤に置き、広く社会に問題を投げかける批評的なプロジェクトとしてある。長谷川は、生命科学が発達し、人間だけでなく人間以外との生殖や、同性カップルのDNAから生まれうる赤ちゃんなど、SF的な世界が可能になりつつある現代における人間の倫理や身体性のあり方を考察している。

近年長谷川は、日本における仏教思想や死生観をめぐるプロジェクトを展開しているが、そこでは人間と非人間、生と死などをつないでいくまなざしが顕著となっている。思えば「死」というものは、生きている人間にとって体験不可能な究極の外部であり、生死の間も極限環境とも言えるだろう。

 

齋藤帆奈、北アルプス・雲ノ平にて(2022)*2021年に滞在後、再訪した際に撮影

 

《極限環境ラボホテル》とは逆に、隔絶された山頂という自然の中で展開されているのが、北アルプスの最奥部、標高2600m付近に広がる溶岩大地にある雲ノ平山荘のアーティスト滞在プログラム(2020-)である(滞在の成果展「土と夢」が、2023年4月から7月上旬まで浅草、渋谷、山梨県北杜市で開催された)。どのルートからも到達に一泊二日を要するこの地に、絵画、彫刻、写真、マンガ、バイオアートなど多様な表現から毎夏数名が招聘され、構想や制作を進めていく。雲ノ平山荘での滞在(そしてそこに至るまでのプロセスも含め)は、それぞれにとってかけがえのない体験であるとともに、壮大な自然の中に身を置くことで、人間や文明、そしてアートの意味を問い直すことにもなるだろう。

 

齋藤帆奈、北アルプス・雲ノ平にて(2021)

 

粘菌を中心にバイオアートを研究し制作する齋藤帆奈もその一人で、この地の自然や植生に対面する中で、得たものは大きいという。実は彼女は、数年前から頻繁に登山を続けていた。隔離・管理されたラボ内での実験環境から離れ、山岳の厳しい自然の中に身を置きたいと思ったことに由来する。粘菌が、環境に応じて劇的に変化しながら生き延びていくように、人工環境から自然のエクストリームな環境に入ることで得た経験が、「土と夢」展では生かされている*19

長谷川の、究極の人工環境で人間存在を対象化し、身体を挑発するプロジェクト、隔絶した自然の中でのアーティスト滞在……それぞれ人工と自然の究極的な環境で、前者は構想、後者は生の体験として、私たちの想像力を触発してやまない。

手前:伊藤二朗・齋藤帆奈《雲ノ平庭園》(2023) 雲ノ平山荘アーティスト・イン・レジデンス・プログラムExhibition「土と夢」より 撮影:Kyohei Hayashi

自然・人工環境への畏敬

現在は、VRやAIなど、最新技術によって空間がヴァーチャルに延長され、人間を凌駕する側面も持つアルゴリズムが私たちの存在意義を問い直す時代を迎えている。ホモ・サピエンスは、自然の脅威から身を守るために技術(石器や鏃など)を発達させ、同時に自然への畏敬からアート(洞窟絵画やヴィーナス像など)を制作してきた。ギリシア語の「テクネー」が、技術だけでなく「アート」を含んだ意味を持つように、アートとテクノロジーは根源的には連関している。そして同時に、相反するヴェクトルを持つものとしてもあるように思う。

テクノロジーは、人間の身体を拡張させ、世界の支配へ向かう欲望を加速しがちで、現在においては人間が制御しきれない、もしくは人間を制御してしまう状況になっている。アートはそれに対して、機能や合理性から距離を置き、メタ的な視点を複数導入することで、私たちの世界に対するあり方、そして私たち自身の存在を問いかける。

人間は、時代時代の技術の粋(すい)を、聖なるもの(神殿や教会、寺社など、また神聖視される支配者の城など)に向けてきた。とりわけ宗教建築は、訪れる者に荘厳さを感じさせるよう工夫がなされてきた。興味深いことに、現代においてそのような感覚を抱かせる建築や空間として、宇宙船(人間が生身で生存できない世界)や原発、観測・研究施設など(内部に人間が立ち入れない空間)などを挙げる人は多い。人間の知覚や身体を超えたもの(極限環境も含まれる)との接触やコミュニケーションのための装置という側面では、宗教建築も観測・研究施設も共通する。人間に一種の畏敬と憧憬を感じさせてしまう意味においても。観測・研究施設が宗教施設と異なるのは、同時代の科学・技術結集の場として、フォルムや構造が科学的な目的や機能に特化していることだろう。人間は、それらに削ぎ落とした「美」を見出す。

「宗教」と「科学」は、人間を超えた世界や自然を畏敬しながら探究する側面では共通するが、前者は人間を超越する神(神々)に従うことが前提で、後者はそのような存在への畏敬とともに、それらを探索し、解明・征服するという人間を中心に据えた欲望が前提となっている。

と同時に「宗教」と「科学」は、いずれも「信じる」ということにおいて共通してもいる。そしてそもそも近代以前の時代においては、「宗教」と「科学」(そして科学と錬金術、医療も)は、むしろ未文化で密接に絡まり合っていた。それは現在も、世界各地の先住民をはじめとする地域の文化に連綿と受け継がれている。

ここまで「科学」と書いてきたものは、欧米において確立されてきた還元主義的な「近代科学」を基盤としたものである。その延長に現在の科学・技術があり、AIやVR、バイオテクノロジーなど、かつてなかった「人間を超えうる」とも見なされる状況が現れている。人間は、自らに似たものや人間を超えるものを創造したいという欲望を、恐れながらも本能的に持つ存在である。技術の進歩によって、そのことがかつてない精度で可能になり始めた現在、私たちは「人間とは、 知とは、 現実とは、 生命とは……?」を問い直すフェーズ——これまでの還元主義では追いつけない、現代におけるアポリア(哲学的難題)——の只中にある。

すでに20世紀初頭の不確定理論や後半の複雑系科学は、近代科学に収まらない自然のダイナミックな振る舞いを提示してきた(そこには観察者も含まれる)。世界はたえず、ミクロ、マクロ、時間、空間の中で変動し続けている。静止的ではない、動的な自然との関係の只中から「科学」、をリジェネレートしていくことが今まさに重要になっている。

アートはそこに、人間中心的に止まらない複数の視点を導入し、社会に問いを投げかけていく。人間が人間のためだけに開発してきた技術やそれによる地球の領土化を、非人間たち——地球を構成する生態系——の声を聴き、それらに寄り添うことで乗り越えていく可能性の場として。

 

Chris Hadfield “Space Oddity” (2013), shot at the ISS (International Space Station)

 

2013年5月、ISS(国際宇宙ステーション)に滞在中のカナダの宇宙飛行士クリス・ハドフィールドが、デヴィッド・ボウイの「スペース・オディティ」を歌った動画がYouTubeで公開された。宇宙でのミッションとは別に、思い入れのある宇宙にまつわる曲を宇宙で収録したハドフィールド。このようなことが許可された感慨とともに、ハドフィールドから発信された宇宙への畏敬、技術への賛歌、そしてアートへの想いを受け止める。

20世紀後半以降アートは、美術館に加えて自然の中や街なか、ヴァーチャル空間へと拡張してきたが、とりわけ今世紀に極限環境や人工環境へとその場を延長し始めた。極限環境では、人は世界の存在の深遠に触れることになる。アーティストは、鋭敏なセンサーとして、その深遠と交信し、科学や哲学など領域を横断する自由な思考とともに、知覚しにくいものを知覚化しうる存在である。人間中心的な経済や政治の論理を超えて、非人間からの声を聴くこと。今後ますます非人間や環境、そして視えないさまざまな存在と交信していくアート——極限環境によるアートのミッション——が必要となっていくだろう*20


[追記]この原稿にかかっていた2023年6月18日、1912年に沈没した豪華客船「タイタニック号」の残骸を探索するツアー中の潜水艇「タイタン」が消息を断ち、23日に運営会社から全員死亡と思われると発表された。探査目的の機材を使った極限環境へ商業的な参入が相次ぐが、「タイタン」はそもそも深海艇には使用されないカーボンファイバーで作られているという問題が浮上し、本体自体が観光目的で製造されていたことが明らかになった。
 
*1 1960年代以降エアコンは、「文明の利器」としてとりわけ熱帯地域に普及した。以下参照:「エアコン文明 昭和電工相談役 大橋光夫「シンガポール、いや、東南アジア諸国にとって20世紀最大の発明は何だと思いますか?」。シンガポール建国の父であるリー・クアンユー元首相にお目にかかった時の話である。答えを探しあぐねていると「それはね、エアコンですよ」と思いがけない言葉が続いた。(2013年7月30日 日経新聞
*2 クリーンルームは、米国の軍事産業、とりわけ宇宙開発とともに発展した。
*3 1990年には、クリーンルームでの体験も含む大規模展「Information Weapon: Super Clean Room」を開催(トーヨコ地球環境研究所、横浜)。
*4 三上晴子の1980年代-1990年代初頭の活動については、三上が急逝した2015年に今野裕一と共同で企画・キュレーションをした以下の展覧会を参照:「三上晴子と 80 年代」展(2015 年10月2日-11月1日、会場:パラボリカ・ビス)
*5 キヤノン株式会社の文化支援「アートラボ」で、《モレキュラー クリニック 1.0》(インターネット上、1995)、《モレキュラー インフォマティクス—視線のモルフォロジー》(1996)を制作(共同キュレーター:阿部一直、四方幸子)。《モレキュラー インフォマティクス—視線のモルフォロジー
*6 東京都現代美術館のMOTコレクション枠「被膜虚実」で、以下の三上作品が展示。《スーツケース(World Membrane: Disposal Containers – Suitcase)》、《[スーツケース(黄)]》(いずれも1992-1993)、《Scale》、《Mirror》《Security Mirror》(いずれも1993)。MOTコレクション「被膜虚実/Breathing めぐる呼吸」(2023年3月18日-6月18日)、「被膜虚実/特集展示 横尾忠則―水のように/生誕100年 サム・フランシス」(2023年7月15日ー11月5日)
*7 三上晴子「Eye-Tracking Informatics」特別展示(-2023年8月、 √K Contemporary)公開日程は、Webを参照
*8 日本人では2021年12月にZOZOTown創業者の前澤友作がロシアの宇宙船でISSに到達、2023年6月29日には米国ニューメキシコ州で、米国の宇宙企業ヴァージン・ギャラクティックが、初の商業宇宙飛行を行った。現在は富裕層に限られている。
*9 アーカイブ情報
*10 Marko Peljhan: “We materialized the utopia of the Makrolab” (1/2) Published) 25 July 2017 by Benjamin Pothier @Makery
*11 「ビオメハニカ・ノールドゥン」(1999)は、元来宇宙飛行士の訓練枠としてある「パラボリックフライト」(飛行機の上昇と急降下を繰り返すことで30秒ほどの無重力状態を生み出す)の民間利用が可能になって直後、ジバディノフが取り組む1995年から2055年まで10年に一度行う壮大な演劇プロジェクト「ノールドゥン」の一環として実施された(現在も継続中)。本プロジェクトについて、1999年当時ペリハンからは「俳優が亡くなるとロボットに差し替え、数十年後に全員がロボットに差し代わると人工衛星として打ち上げ、地球の軌道上でパフォーマンスが永久に継続される」という構想を聞いていた。「ビオメハニカ」は、1920年台にソ連の演出家メイエルホリドが開発した俳優の訓練システムを、「ノールドゥン」は「No order」を意味する。
*12 ケープ・フェアウェル(2001-)は、「a cultural response to climate change」を掲げ、アーティストのデイヴィッド・バックランドを中心に環境問題について活動を続ける組織。今夏は太平洋のマーシャル諸島において展開される。
*13 タラ号は、アニエスベーフランス本社のCOOで、タラ オセアン財団共同創設者兼会長のエティエンヌ・ブルゴワが、アニエスベーと共に支援するプロジェクトとその船名で、気候変動と環境破壊が海洋にもたらす影響を調査している。これまで11の探査プロジェクトを施行し、世界60カ国、45万km以上を航海。
*14 私のキュレーションでは、南極越冬中の村上祐資に「ミッションG:地球を知覚せよ!」展(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、2009-2010)に(国立極地研究所と第51次南極越観測越冬隊長の許可を得た上で)遠隔参加いただいた。その後2013年には、平本正宏+鳴川肇+村上祐資「コンタクト・ユニバース~宇宙を旅する音楽」展(アツコバルー、渋谷)を手がけた。
*15 「米NASA、火星環境の模擬実験を完了 隔離生活1年間」(2016年8月29日、BBC News Japan)/「NASA、火星滞在シミュレーション施設を公開」(2023年4月12日、DGLAB HAUS)
*16 現在バイオスフィア2で展開されている「SAM」
*17 《極限環境ラボホテル》というタイトルについて。日本語は「ラボホテル」(Lab. Hotel)だが、英語タイトルは「THE EXTREME ENVIRONMENT LOVE HOTEL」で、「ラボ」と「ラブ」が重ねられている。《極限環境ラボホテル 石炭紀ルーム
*18 《極限環境ラボホテル 木星ルーム
*19 「土と夢」齋藤帆奈紹介ページ。本展では、粘菌による「絵画」作品《Eaten Colors》(色素に染まった食物を真正粘菌の変形体が食べることで色を運び広がっていく)、東京で入手可能な材料で雲ノ平の生態系を模した植生インスタレーション《雲ノ平庭園》(雲ノ平山荘オーナー伊藤二朗との連名による)を展示。
*20 南極で越冬中の村上祐資を「ミッションG:地球を知覚せよ!」展に招聘した2009年、海外では南極へのアーティスト派遣がなされていたので、極地研のご担当に今後アーティスト派遣可能性を聞いたところ、検討していないとのことだった。2023年6月27日に文科省が第65次南極地域観測隊員等を公開したが、まだ実現していないようである。

 
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連載Ecosophic Future
エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学・國學院大学非常勤講師。対話と創造の森(茅野、および東京神田サテライト)アーティスティックディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報のフロー」というアプローチからアート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)、「STUDY:大阪関西国際芸術祭」2022, 2023キュレーターなど。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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クジラをめぐって——彼らの眼が語るもの