ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 08

Dialogue Place of Light

諏訪・八ヶ岳で始動する、新たなコモンズの実践の場「対話と創造の森」

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Photo: NOJYO

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新たなコモンズのあり方とは? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第8回は、公共創造を目的に諏訪・八ヶ岳に開設された「対話と創造の森」の背景をめぐって。

 

text by Yukiko Shikata

光の対話場

10月23日午後2時過ぎ、快晴。長野県茅野市の八ヶ岳山麓の森の中で、新たな光が開けた……! 天上を向いて設置された約2.4mx8mのチタンの大鏡が、ゆっくりとカバーを剥がされ露わになり、空と木々が鮮やかに映し出される瞬間に立ち会った。「光の対話場」のお目見えである。

正直、これまで見たことのないものを見て、何とも言えない感動に包まれた。カバーを剥がすプロセスをドローンで撮影するため、少し離れた上の道路から見守ったが、そこからの鏡面は、そこここが微妙に歪んだ木々の映像が現実とは異なる不思議な世界を見せている。光や木々が刻々と変化をする中、映し出される映像はフルイド的に微妙にぶれ、たゆたい続ける。もちろん自分が動くことでも多様な表情を見せてくれる。

近くに行くと、映像は歪みを減じて鏡のようにシャープに見える。木々、そして周囲に佇む知人や関係者たちを映し出すその面は、3次元空間を2次元へと投射したものと言えるけれど、現実よりクリアで解像度が高く感じられる。あたかも別次元が開口したように。矩形の内部に広がる奥行きは、私たちの想像を鏡の向こうへ誘ってゆく……。

以前からスケッチを見たり製作の進捗を聞いていたけれど、実物は想像を遥かに超えるものだった。誰も見たことのないもの、この世界になかったものが出現したのだ!

 

光の対話場 Photo: NOJYO
 

光の対話場 Photo: NOJYO
 

大鏡は、周囲に円形に敷き詰められた白い面(白御影石)の上に浮いているかのようである。下には約20cmの高さで鉄平石がフラットに敷かれ、鏡を乗せている。光の対話場で使われているチタンや鉄平石、白御影石という素材は、いずれも火山エネルギーが生み出した素材で、この地域でも産出されるという。実物は地産でまかなうことができなかったというが、光の対話場が設置されたまさにこの場所が、フォッサマグナに由来し、その後火山活動によって生まれた八ヶ岳の歴史や地勢とつながっている。

地中から生まれ精錬された素材を、現代の技術の粋を集めて一枚物として仕上げ、自然の中に設置された大鏡。それは周囲の風景を映し出すだけではない。木々のざわめきや鳥の声、遥か下を流れる渓流のせせらぎなど周囲の音や周波数、そして気温や湿度など、環境変化に感応するメディウムといえる。これからは、満月の夜や雨や雪など異なる季節や気候の中、イベントの際に開示され、集う人々や交される言葉に感応していくことだろう。

公共創造家 新野圭二郎

光の対話場は、今年9月に公共創造を目的として設立された一般社団法人ダイアローグプレイスが新たに開設した「対話と創造の森」(後述)の中にあり、この組織の理念を体現するものである。一社の代表理事は、今年から「公共創造家」を名乗る新野圭二郎。東京・日本橋において10年以上、リノベーション事業とともに文化の活性化に携わる中で、地域活動にも積極的に関わってきた。その中で、江戸時代から現在にまで日本橋に根づく自治の精神に触れ、「公共性」の大切さを身をもって学んだという。

 

森のラボラトリー Photo: 新野圭二郎
 

新野圭二郎 Photo: NOJYO
 

光の対話場は、アーティストとしての活動歴ももつ新野によって10年以上前に構想され、N STUDIO, Inc.(新野圭二郎+三宅祐介+沼尾知哉+宮地洋)によって実現した。その名の通り、光を受け森羅万象を反映する場として、人と自然、人と人が対話(ダイアローグ)に開かれることがめざされている。またアーティストのパフォーマンスなどにも開き、アートを介した現代における祭祀場になればと新野は言う。一見パブリックアートにも見える光の対話場だが、構想・実現者である新野は個人名をクレジットしていない。彼にとって、この場そして「対話と創造の森」で起きることが重要である。つまり「新しい公共」を人々とともに創造していくことこそが、彼のプロジェクトであり作品といえるだろう。

それは彼が、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」という理念に強く賛同しながら、自分なりに現代における「公共創造」を希求していることにつながっている。日本橋で文化や地域の活性化に関わり、江戸時代に遡る日本の根源的な精神性を探求する中で諏訪・八ヶ岳地域に突き当たり、コロナ禍の状況を踏まえて思い切ってこの地に拠点を据え、新しい公共の創造へと向かう決断をしたという。そして長年フリーズしていた光の対話場の構想が、新しい公共とともに蘇ったのだ。

対話と創造の森は、八ヶ岳山麓の御小屋山(おこやさん)につながる標高1600mに広がる約1600 坪の森である。御小屋山は古来より、諏訪大社上社の御柱祭で使われる樅木を切り出す別格の山。来春が7年ぶりの御柱祭で、なんと今年、約30年ぶりにここから木が切り出されるという!(伊勢湾台風での倒木などの関係で、長く別の山から切り出されていた。そしてなんとこの原稿を書いている10月27日の午後、御小屋山から、まさに先ほど木が切り出されたという情報が!)

ここに「光の対話場」や少人数が滞在できる「森のラボラトリー」や「森のキッチン」、そしていくつもの磐座(いわくら)が鎮座している。この地は歴史的に入会地(いりあいち)、つまり地域の人々が共同で管理していたコモンズ的な土地で、1960年代以来別荘地に貸し出しているものの、財産区という公共団体が所有しているという。そのことも踏まえ、新野は入会地を、現代において解釈した新たなコモンズの実践の場と対話と創造の森と捉えている。

対話と創造の森は、一社ダイアローグプレイスのビジョンに賛同するコモンズメンバーとともに共同運営されていくという。具体的には来年以降、食事会やアーティストによる滞在制作や発表などを行い、森とアートの両方を育てていくサステナブルな経済の循環が構想されている。同時に地域の人々との交流を大切にし、一般公開の機会も設けていくという。

諏訪・八ヶ岳地域

ではなぜ諏訪・八ヶ岳地域なのだろうか? これについては、やはり数年前からこの地域の地勢や歴史、精神性を掘り下げてきた私の視点から説明したい。

この地域は、明治時代にドイツの地質学者ナウマンがその存在を発見したフォッサマグナ(東北日本と西南日本の境目となる大地溝帯)の西端に位置し、南北に糸魚川—静岡構造線(日本海側の新潟県糸魚川市と太平洋側の静岡市を結ぶ断層帯、通称「糸静線」)が走っている。そして東西には、中央構造線(九州から関東へと至る大断層)が走り、諏訪湖で二つの断層が交差している。東に広がる八ヶ岳地域では、火山性の豊かな地質や水、動植物に恵まれた自然によって、旧石器時代や縄文時代以来人々が生を営み、技術や精神性、そして文化を育んできた。

 

画像提供:フォッサマグナミュージアム
 

この地域でとりわけ際立っているのは、縄文時代中期である。約一万年という長期間にわたって技術や文化が花開き、一時は日本列島において最も人口密度が高かったことが、おびただしい数の遺跡によって実証されている。また和田峠周辺で産出される黒曜石は、他の産地と比べ飛び抜けた質を持ち、優れた鏃やナイフの素材として旧石器時代から縄文時代にかけて遠方まで運ばれ、青森の三内丸山遺跡でも発掘されている。

諏訪・八ヶ岳地域では、畑の中から縄文土器が見つかることも多く、身近に感じる中で地域の人々による研究が重ねられてきた。出土品を収集・展示する博物館の数も多いが、中でも茅野市の尖石(とがりいし)縄文考古館と富士見町の井戸尻(いどじり)考古館の収蔵品や研究は突出している。前者には、縄文時代の5品の国宝の2品、《縄文のビーナス》と《仮面の女神》が地域出土品として収蔵されており、後者は地元の考古学者、藤森栄一により20世紀半ばに開始された独自の研究が現在に至るまで受け継がれ、大きな成果を挙げている。

井戸尻考古館は「井戸尻文化」を提唱したが(もしくは最初に土器が名付けられた神奈川県の遺跡名と併記して「井戸尻・勝坂文化」とされる)、それは山梨県、神奈川県、東京都、そして埼玉県や静岡県にも及んでいる。これら地域において、土器の文様や立体的な特徴に共通点があり、そこに通じ合う精神性や世界観が見られるという。井戸尻考古館は、これらの地域が富士山を中心に両方に眉のように延びている形状から、「富士眉月弧文化圏」という呼称を提唱している。

 

図版提供:井戸尻考古館
 

現在、江戸東京博物館では、特別展「縄文2021−東京に生きた縄文人」を開催中だが(12月5日まで)、富士眉月弧文化圏がフォッサマグナの地域*にすっぽり含まれることから、火山性の地勢と自然そして精神性とのつながりをどうしても考えてしまう。

諏訪・八ヶ岳地域ならではの磁場や特殊性へと戻ると、縄文時代以降から現在に至るまで、自然、そしてそこから育まれたアニミズムを潮流とする精神文化が連綿と息づいているように思われる。中でも、アニミズム的なものとしてこの地で独自の展開を遂げたものとして「ミシャグジ信仰」が挙げられる。

ミシャグジは、民間信仰において石や石棒などという形状として捉えられがちだが、実体はそうではない。「要するに、世界に偏在するエネルギー。神長官が凝らしめ、いろんなところに下ろす(つける)、後に上げる」(石埜三千穂/諏訪信仰研究家・スワニミズム**事務局長、2021年9月3日 e講第四回「自然信仰と世界観 – ミシャグジに触れながら」)、「太古の精霊の流れを汲むカミであり、信州諏訪地域の縄文時代中期にその起源をたどることができる精霊」(藤森寛行/スワニミズム多摩事務所「ミシャグジ探偵が行く」、『スワニミズム』第1-5号参照)とされる。明治時代まで神長官という存在が秘技として伝えてきたもので、長い歴史の中では、ヤマト王権によって体系化された神社信仰や仏教が流入してきた際など、時代時代にそれらを受け入れながらもその根底を失わずに息づいてきたという。広義の民間信仰としてのミシャグジは、名前や形態を変えながら、「富士眉月弧文化圏」に広がっている(東京都練馬区の石神井(しゃくじい)もミシャグジが由来とされる)。

これら文化の中心地であり発信地であった諏訪・八ヶ岳地域は、縄文やミシャグジに代表される明治時代以降の近代化で否定されてしまった日本古来の自然を基盤とした精神世界が今も受け継がれている、と思う(と同時のこの地域は、近代以降、紡績や精密機器など欧米の技術をいち早く取り入れて産業振興をしてきた側面ももつ。このことについては、もう少し考えていきたい)。

*西端が糸静線、東端は複数の説がある。新潟県柏崎—千葉市、新潟県上越—銚子、北部では新潟県新発田—小出を結ぶラインも提案されている。
**スワニミズム:諏訪における史学、信仰思想、芸能芸術、考古学、民俗学などを研究する地域の研究者およびそのネットワーク。「スワ+アニミズム」の合体語。研究誌『スワニミズム』第5号が2021年9月に刊行された。

私と諏訪・八ヶ岳地域

私と諏訪・八ヶ岳地域との関わりは、数年前に遡る。もともとは、10年前の東日本大震災とそれに続く津波、そして東京電力福島第一原発事故が契機となっている。とりわけ福島第一原発での未曾有の人災について、それを引き起こした日本はどのように近代を輸入し受容してきたのだろうかという視点から、日本の近代史とともに明治時代以降に排除されてきたさまざまなものを検討し始めた。と同時に日本の成り立ちを、地質や気象、水、動植物や人や物の移動といった「情報フロー」の側面から検討し、環境要素がそこに生きる人々の精神性や文化を育んできたことを実感しながらキュレーションを行なってきた。

「日本人とは?」については、太古から大陸や太平洋などから移動してきた人々のデッドエンドとして、ハイブリッドな多様性が根底にあるのではと思う。そのような中、日本における先住民として縄文やアイヌなど、狩猟採集を主体にした人々や文化に注目してきた。また縄文遺跡が東日本に多いことから、かつて東北日本と西南日本を分断していたフォッサマグナについても調べていった。フォッサマグナについては、本連載5回目で紹介した齋藤彰英やアバロス村野敦子が取り組んでいて、彼らと一緒に糸魚川や八ヶ岳を訪れてもいた。

2019年の夏から秋に、松本春崇と角田良江が茅野や諏訪を中心に東京を含めた複数地点で、地域の人々とともに家を十字に縛るアートプロジェクト「旅する家縛りプロジェクト 縄の聖地・信州へ」を敢行、その枠で夏に茅野で開催されたシンポジウムに参加したことが、諏訪・八ヶ岳地域に深く分け入る契機となった。それまで調べていたフォッサマグナ、縄文、個人的には螺旋(本連載の前回と前々回のテーマ)に加え、この地域に根づく複層的な信仰や精神文化を知り、それを受け継ぐ多くの人々と出会うことができた。

昨年秋、コロナ禍において新野と頻繁に対話を始めたのは、それぞれ諏訪・八ヶ岳地域に関わっていたことと、ヨーゼフ・ボイスに影響を受けていることにある。もともとボイスからアートに入り自分ながらにその理念の延長を念頭に活動する中、1990年代初頭には当時登場したメディアアートに可能性を感じ、現場に関わってきた。そしてコロナ禍以降、ボイスに向き合う中、自分がメディアアートを通して培ってきた「情報のフロー」というアプローチが、ボイスの「エネルギーの流動」の系譜にあることをあらためて実感し、ボイスの現在におけるアップデート可能性を新野と話し合ってきた。その結果、彼は今年からボイスの社会彫刻から展開した「公共創造」を提唱、私は「人間と非人間のためのエコゾフィーと平和」をテーマに掲げている。そしてボイス生誕100年の今年の初頭、未来を見据えていくための創造的な対話の場を開くフォーラムを構想、それが11月6日に実現する。

フォーラムに至るまで

11月6日のフォーラム「精神というエネルギー|石・水・森・人」は、ヨーゼフ・ボイス生誕100年、そして「対話と創造の森」の誕生を記念するもので、「光の対話場」を会場に現地の自然の中からライブ配信される(後日アーカイブを公開予定)。この地域の地層や自然、文化、精神性を地元を拠点とする研究者や専門家に加え、アーティストの山川冬樹を招聘し、トークに加えて光の対話場に呼応するパフォーマンスを日没にかけて実施する。

 

 

このフォーラム開催を最初の目標として、春以降、新野とともに諏訪・八ヶ岳地域のさまざまな場所を巡り、地域の方々にお話をうかがう機会を持つことができた。そこでの体験は、かけがえのないものとして現在も私の中で発酵しつづけている。

ここで伝えておきたいのは、ボイスとこの地との創造的な関連づけが、春先に新野と対話する中で、自ずと浮上し始めたことである。ボイスはエネルギーの流動を提唱したが、とりわけ熱エネルギーによる変容を重視していた。「社会彫刻」においても同様である。そして対話と創造の森はまさに、火山熱に由来するエネルギーが物質化したともいえる地で、光の対話場も同様である。熱エネルギーという側面からボイスとこの地が結びつき、熱を自然から人間へと至る不可視のエネルギーと捉えることで、フォーラムの基軸が育っていった。

フォーラムに至る序走として、6月から10月にわたって企画を担当し、新野と共同ホストとなって諏訪・八ヶ岳の土地や精神性を各分野の専門家を招いて検討するオンライントークe講を計5回開催した。フォーラムは、e講に出演いただいた3人の方々にアーティストの山川冬樹を新たに迎えて光の対話場で開催される。
 
※当日のフォーラムとパフォーマンスの全アーカイブはこちらより!
 
このフォーラムは、自分の中では6月に録画配信として公開されたフォーラム「想像力という〈資本〉―来るべき社会とアートの役割―」(京都府域展開アートフェスティバル「ALTERNATIVE KYOTO – もうひとつの京都−」キックオフ・イベント、11/7まで配信中)に次ぐものとして位置づけている。「想像力という〈資本〉」では、ボイスを起点にオードリー・タンらの基調講演とアート、科学、人類学、経済、医療が交差する対話を生み出したが、「精神というエネルギー|石・水・森・人」では、諏訪・八ヶ岳地域特有の自然や人のエネルギーを広義の「精神」と見なし、その起源に寄り添いつつ、未来の地球や人類、そして人類以外の存在へ向けた思考と実践に向けた契機となればと願っている。

異なるものの絡まり〜磐座と木、そして《7000本のオーク》

秋晴れとなった10月23、24日の諏訪・八ヶ岳訪問は、「光の対話場」の完成を見届けるとともに、山川冬樹の初めての視察となった。11月6日のフォーラムでのトークやパフォーマンスのための現場や周辺の確認に加えて、諏訪大社上社前宮や神長官守矢資料館、足を伸ばして霧ヶ峰・八島湿原内にある旧御射山神社にスワニミズムのメンバーの方々に案内いただき、アーティストとともに貴重な体験をすることができた。

 

霧ケ峰高原八島湿原の中の磐座 Photo: 四方幸子
 

 

奥霧ヶ峰旧御射山神社 Photo: 四方幸子
 

ここでは光の対話場を体験した後、巡った対話と創造の森とその周辺について記しておく。光の対話場から数十メートル下の川まで、道もない急な傾斜の対話と創造の森(熊笹、落ち葉、木々、そして磐座)をアーティストを含め数人で下った。長年人が立ち入らない場所で、足元がおぼつかない中、下る途中で次々と磐座に遭遇した……!

それも苔むした磐座からあたかも木が出ているような状況をいくつも見かけた。この上にある阿弥陀岳(八ヶ岳の一部)は、古阿弥陀岳火山といい、かつて富士山より高かったという。約20万年前に山体崩落が起き、現在の姿になったというが、この地の地形もその名残りであり、磐座もその時落ちてきたものかもしれない。火山性の磐座に微生物や苔、土などが付着し、石と木がつながり共存している……そこからボイスの《7000本のオーク》でオークと玄武岩が一対になっていたことを想起する。ボイスは木を生、石を死の象徴と述べたことがあるが、マグマが凝固し物質化した玄武岩を死として片付けない解釈もしていた。石や岩も、時の経過とともに多様な生命が付着し分割や結合を続けていく。それを成長や増殖と見なすなら、木と石も複数の生命を包摂しながら共存する関係にあるといえるだろう。

 

「対話と創造の森」の磐座 Photo: 四方幸子
 

やっとの思いで川まで降り、勢いよく流れる清流を目の前に見る。崖と川の間には美濃戸口の登山道があり、人や車に出会う。対話と創造の森は、数十メートル高い崖の上の別荘地にあり、そこへ至る道はない。ダイアローグプレイスは、光の対話場へのアプローチを私たちが降りてきた急斜面に階段として作るという。それはつまり、光の対話場を媒介にこれまで全く接点のなかった登山道と別荘地が初めて結ばれることを意味する! 急な傾斜の森の中、階段を踏みしめる時、めざす上方に光の対話場のR状の縁が見える。それをめざして登り、到達した時に円形に広がる光の対話場が、人々を歓迎してくれることだろう。

話を戻すと、下の渓流の傍には崖がそそり立ち、そこには大きな穴や横に切り立った亀裂がいくつも開き、暗闇を見せている。その手前には、木が茂り蔦が下がっている。あまりにも特異な光景に感動していると、山川はすでにそこに至って亀裂の中に横たわり、聴覚を研ぎ澄ませていた。「崖自体が一つの磐座とも言え、対話と創造の森はまさにその上にある」。新野の言葉が鮮やかに残っている。

 

「対話と創造の森」の崖下を歩く山川冬樹 Photo: 四方幸子
 

八ヶ岳の清流は諏訪湖へと流れ込み、諏訪湖から天竜川を経由してはるばる太平洋へ流れていく。そして八ヶ岳の分水嶺の向こうでは、水が日本海へと流れていく……。諏訪は、日本海と太平洋をつなぐ蝶番ともいえる。かつてはフォッサマグナの地形に沿って、日本海側と太平洋側の両方から諏訪に至る塩の道が作られた。フォッサマグナはまた、東北日本と西南日本とをつなぐ蝶番でもある。そして私としては、ヨーゼフ・ボイスが生涯かけて追求した「ユーラシア(ヨーロッパ+アジア)」、つまりユーラシア大陸(陸の)文化圏と、日本が地勢的にもつ太平洋を介した海の文化圏とをつなぐ蝶番とも見なしている。

70年代初頭に諏訪を訪れ、ミシャグチ神を調べた郷土史家 今井野菊にお世話になった3人の若者の一人、北村皆雄の言葉より。

「北村さん、あなたが何で諏訪をやるんですか」

四十数年前、今井(野菊)さんの突然の問いかけに何の返事もできなかったが、「諏訪を掘ってたらアジアの水脈につながりました」と、今なら素直に報告できるような気がする」(北村皆雄「今井野菊さんと」、古部族研究会 編『日本原初考 古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』(人間社文庫、2017)

自分にとっては、ボイスのユーラシアと自分の太平洋というアジアの水脈がつながる気がしている。

追記
諏訪・八ヶ岳に関わり始めてから不思議な出会いが続いていることを、最後に。「諏訪づいている」と自分では呼んでいるけれど、以前知り会った人が移住していたり、知人や最近知り合った人が出身だったりと、諏訪・八ヶ岳に縁のある人たちと相互に絡まり出し、エネルギーの奔流を感じている。まさに今、このタイミングで起きつつあることを大切にして、未来の創造への一歩となればと願っている。

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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