LEARNING

連載感覚の遊び場

Sensory Playground: Game 1-3

My consciousness, your consciousness

ぼくの意識、あなたの意識——③ 作家・東田直樹氏インタビュー

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何かを想う時、わたしたちの頭の中には、その“何か”に紐づいた存在や匂い、音、情景、触り心地などの記憶が立ち現れます。それは、おなじ瞬間におなじ空間にいたとしても、ひとりひとりそれぞれに異なっています。

それでは実際、わたしは、日々の体験をどの感覚で受け取り、どんな風に感じているのでしょうか。この人は、あの人は、どんな世界を見ているのでしょう?

ここでは、さまざまな方と一緒に世界の見え方を探求し、自分以外の世界を感じられる場をつくりたいと思います。子どもがおままごとの中で、もうひとつの世界を立ち上げていくような気軽さと夢中さで、誰かの意識に飛び込んで遊ぶ、今まで知らなかった色彩をみつける、相手を重さで感じてみる——。

頭も身体もやわらかく、いつもとべつの方法で世界と交わる、ここ「感覚の遊び場」で、一緒に遊んでみませんか。
 

Playing by Natsumi Wada
Text by Kon Ito
Photo by Kazuki Takahashi
GRAPHIC BY MOMOKO NEGISHI

 

春。草木の芽吹くころ。あなたは近所のよく晴れた公園で、緑の葉を眺めています。さて、どんなふうに感じているでしょうか。爽やかな気分に包まれる人もいれば、うれしさが身体に充ち満ちてくる人、あまりの生命力に少し気後れしつつも、気分の高揚を抑えられない人もいることでしょう。とある少年は、こう語りました。

「緑はぎゅっと僕たちの心を抱きしめてくれます。目で見る緑は、草や木の命です。命の色が緑なのです」

当時13歳だった作家の東田直樹さんが、著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』に綴った言葉です。緑を見たときの思いを、「緑はいいよね」で済ませてしまうこともできるけれど、「いいよね」の意味合いや、程度はそれぞれ異なっている。そこに、わたしの、あなたの意識の世界が眠っているはずです。
 

連載「感覚の遊び場」意識回、最終回は東田さんにご協力いただき、個人がもつ意識の世界に迫ります。東田さんに「美しいと思うもの」という題でエッセイをご寄稿いただいた上で、インタビューとお散歩にお付き合いいただきました。東田さんの濃厚な世界に触れたあと、あなたの「いい」に思いを巡らせてみてください。

東田直樹|Naoki Higashida 
1992年千葉県生まれ。会話の出来ない重度の自閉症でありながら、パソコンおよび文字盤ポインティングにより、コミュニケーションが可能。13歳の時に執筆した『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール、角川文庫)で理解されにくかった自閉症の内面を平易な言葉で伝え、注目を浴びる。 同作は翻訳され、2013年に『The Reason I Jump』が刊行。現在30カ国以上で翻訳、世界的ベストセラーに。

『自閉症の僕が跳びはねる理由2』『ありがとうは僕の耳にこだまする』『あるがままに自閉症です』『跳びはねる思考』『自閉症の僕の七転び八起き』『自閉症のうた』など著書多数。新刊『絆創膏日記』が3月28日に刊行されたばかり。

ESSAY 「美しいと思うもの」 東田直樹

 

僕が美しいと思っているもののひとつに、回転するものがあげられます。ここ数年は、車のタイヤに見とれていることが多いです。動いている車のタイヤを見ていると、過ぎていく時間も、今いる場所のことも忘れ、自分がタイヤの渦の中に巻き込まれていくような錯覚に陥ります。すると、宇宙に放り出されたみたいに、体ごと浮いているような感覚に浸れるのです。その間は、美しさに酔うというより、自分も銀河の星のひとつになり、宇宙の彼方に流れていくような気分になります。

昔から回転するものには興味がありました。ミニカーも地面を走らせたり、動かしたりせず、ひっくり返してはタイヤをくるくる回していました。

台所では料理用のボールや鍋のふた、庭に出れば自転車のペダルなど、回転させられるものがあれば、手にとっては回して遊んでいました。いくら誘っても、僕が他の子どもが喜ぶようなおもちゃで遊ばないので、両親は心配したようです。

川や流水の流れから目が離せなくなったり、太陽や蛍光灯にかざした手の指の間から差し込む光の粒子を見て、自分の身体の細胞が溶け込むような感覚に陥ったり、砂場で手のひらからこぼれ落ちる砂の感触に、のめりこんだりすることもあります。僕には植物と同じような感性があるのかもしれません。



 

INTERVIEW ぼくの意識、あなたの意識

 

——東田さんのエッセイを読んでいると、自分にとって非常に心地よい世界のことを思い出します。「美しいもの」と「落ち着くもの」は、東田さんにとって別物ですか?

美しいという感性は、落ち着くという心の状態とリンクするとは限らないと思います。美しいものを見て、泣く人もいます。胸がどきどきする人もいるでしょう。

僕は、美しいものを見ると、すぐに目をそらしてしまいます。なぜなら、感動し過ぎて、心が揺り動かされるからです。涙が浮かんでくることもあります。ひと目見ただけなのに、一瞬でめまいを起こしてしまうかのような感覚を抱くせいで、美しいと思うものを長く見続けることができないのです。

 

 

——お散歩中、東田さんが足をとめて、じっと見ていらした自動ドアや、エレベーターの開閉ドアの魅力ってなんでしょうか。

僕はピタッと合うものに惹かれます。自動ドアやエレベーターの開閉ドアは、時間という概念を僕に教えてくれているような気がするのです。時間は常に流れていて、決して止めることはできないのに、機械的に扉が閉まる瞬間は、時間が一瞬止まったような錯覚に陥ります。止められない時が止まった。まるで、歴史的瞬間を目にした目撃者のように僕の心は踊ります。

たとえば、アスリートが肉体の限界まで全力を出し切ったとき、あるいは歌手が声の限りに熱唱したとき、自分が生きていることを実感すると言っているのを聞いたことがあります。その体験が、どれほどすごいことなのか、多くの人も容易に想像できるのではないでしょうか。自動ドアやエレベーターの開閉ドアが閉まるときの気持ちよさは、なかなか共感してもらえませんが、これが僕にとって、自分が今、生きていると思えるひと時なのです。その人でなければわからない感覚というものがあるのでしょう。

 

 

——東田さんにとって、「言葉に残す」という行為はどんな感覚ですか?

僕の頭の中には、たくさんの単語が入っています。日常の会話やニュース、ドラマや映画、そして辞典や本などで得た言葉です。何かを表現しようと思ったとき、僕は単語をパズルのピースにみたて、パズルをつくるときみたいに文章を組み立てます。僕の思いにぴったり合う言葉が見つかれば、ひとつの絵が完成したように、無駄のないきれいな文章を綴ることができます。言葉は、頭の中の引き出しの中から自分で取り出すときと、言葉の方からやってきてくれるときがあります。

 

 

——取材中、東田さんがおっしゃっていた「猫走る」「米仕込む」などの言葉のリズム感に惹かれました。リズムや音、言葉の口当たりについて、もしこだわりがあれば、お聞きしたいです。

こだわりの言葉というものは、どうしてその言葉なのかは、僕にもうまく説明できません。おそらく、その言葉でなくてもいいのです。けれど、こだわりの言葉は、「これを言って」と言葉の方から催促するように、僕の口から飛び出します。言葉のリズムは、どちらかというと、自分で後から付けているような気がしています。リズムがある方が言いやすいので、こだわりの言葉を口にしたあと、無意識のうちに僕がリズムをつけているのではないでしょうか。

 

 

——英語の朗読もお聞かせいただきました。英語を朗読するのはお好きですか。 

僕は、英語を朗読するのが好きというより、英語が好きなのです。英語には、日本語のようなあいまいさが少ないこと、シンプルでリズムが心地いいところが気に入っています。だからといって、英単語や英文を、十分に理解しているわけではありません。僕が英語を聞いている様子は、子どもが、大人同士の会話をふんふんと聞いている状況に似ているのではないでしょうか。内容を十分把握できていなくても、自分も話がわかっているみたいな気分でいます。

——幼い頃、好きだった遊びはありますか?

小さい頃好きだった遊びは、並べることです。横一列に並んだものを見ると、僕は安心しました。そこに物語やルールは存在しません。並べることに意味があるからです。手にしたものを真っ直ぐにならべる。僕にとって世界は、いつも混とんとしていました。身近にあるおもちゃである、積み木やミニカーを横一列に並べることが、僕のわかるものであり、きちんとできる遊びだったのだと思います。

 

 

——この連載の第1回「意識ってなに?」の中で、哲学研究者の稲垣諭先生が「意識はトビウオのようにぴょんっと現れる」と話していました。東田さんは「意識」をどんなふうにお考えですか。

意識というのは、自分でコントロールすることはできないと思います。意識と無意識は、「ある」や「ない」と同列に考えられているのかもしれませんが、僕は、そうではないような気がしています。僕は、見ることと聞くことを同時に行うのが苦手です。その時々で、どちらを優先して使うか、その多くは、僕ではなく脳が決定しているのではないかと思っています。

考えている時だけは、自分の意志でやっているような感じがしていますが、何を考えるのかを僕が決めているだけで、思考という作業は、脳が勝手にしているように思うことがあります。思考していた答えが、ふってくるように、わかることがあるからです。執筆をしているときも、書くべきものは決まっていて、僕が言葉に置き換えているだけという印象です。脳が僕に生きていることを実感させてくれる手段、それが僕の考える意識の表れです。

 

編集後記

猫と縄張り争いをしたり、砂場で砂埃を楽しんだり、自動ドアに見とれたり……。お散歩中(スピード感としては、お散歩というより冒険のようでした)、つぎつぎと何かに惹きつけられる東田さん。その理由やお気持ちを伺う中で、東田さんの世界との向き合い方に、魅力を感じてやみませんでした。

気になったものに、すぐに駆け寄って、じっと眺める時間の例えようもない豊かさ。理由をうまく説明できなくても、ぐっと心が惹きつけられること。眺めたり、触れたり、聴き込むうちに、心がざわめいたり、満たされたり、咲き乱れたり、飛ぶような心地になること。わたしたち、ひとりひとりの中にコントロール不能な意識の世界があり、今、この瞬間もたくさんの世界が並行で続いているということが、とても尊く思えます。なかなか、意識できない自分の意識に、思いを馳せた1日でした。

 

Playing Game 003

「わたしの“意識”にふれてみる」

車のタイヤの回転、自動ドアの閉まる瞬間……世界には、誰かにとってのときめきやよろこび、快感があふれています。今日、街を歩く中で、あなたの意識は何に向きましたか。その手にあるカメラで、パシャリと残してみましょう。ビルとビルの間の空、コンクリートの継ぎ目、怪しい路地、張り紙の誤字……。友人と街に出て、それぞれ撮った写真を見返してみたら、どんなふうにちがっているでしょうか。そこに、あなたのかけがえのない“意識”が残っているかもしれません。

連載Sensory Playground|感覚の遊び場

世界の捉え方を知り、広げる、感覚の遊び場。人はどんなことを感じ、どう世界を立ち上げているのでしょうか。じぶんのことをより知ったり、じぶん以外の感覚に驚いたり。様々な人へのインタビューや制作を通して、つくりながら、遊びながら、その人の世界に飛び込んでみる連載企画です。

Playing
和田夏実|Natsumi Wada

インタープリター / クリエーティブリサーチャー。1993年生まれ。ろう者の両親のもと、手話を第一言語として育つ。視覚身体言語の研究、様々な身体性の方々との協働から感覚がもつメディアの可能性について模索している。2016年手話通訳士資格取得。

Writing
伊藤紺|Kon Ito

ライター / コピーライター / 歌人。1993年生まれ。2014年よりライター活動、2016年より作家活動を開始。同年独立。2019年歌集『肌に流れる透明な気持ち』を刊行。

Photo
高橋一生|kazuki takahashi

映像監督/写真家。1993年生まれ。武蔵野美術大学卒業。触覚に訴えかけるような、きめ細やかな表現を得意とし、アーティストのMusic Videoやアートワーク、化粧品ブランドやリゾートホテルなどの映像、写真も手がける。

Graphic
根岸桃子|Momoko Negishi

グラフィックデザイナー / アートディレクター。1996年生まれ。東京都出身。2018年多摩美術大学卒業。グラフィック、パッケージなどのデザイン、プロジェクトの企画を手掛ける。

NEXTSensory Playground: Game 2-1

The image that grows within me

わたしの中で育つ「イメージ」① ——朝の宝箱