ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 02

dialogue with audrey tang 2/2

オードリー・タンとの対話——11のキーワードで紐解くデジタル・テクノロジー・社会|後編

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新連載「エコゾフィック・フューチャー」は、キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探ってゆく試みです。第2回は、台北で行なった台湾のデジタル大臣 オードリー・タンとの対話の後編。ポストコロナの社会を見通すための様々な課題について彼女の考えをうかがいます。
 

dialogue between audrey tang & Yukiko Shikata
Translation & Editing by Kanoko Tamura
photo Courtery of C-Lab Taipei

4|バイオテクノロジーをめぐる判断

 
四方 現在の生命科学、とりわけバイオテクノロジーについてうかがいます。

2000年以降、合成生物学(組織、細胞、遺伝子といった生物の構成要素を部品と見なし、それらを組み合わせて生命機能を人工的に設計したり、人工の生物システムを構築する学問分野)がかなり発達したことで、バイオアートと呼ばれるものもたくさん作られるようになりました。台湾でもバイオアーティストは多くいると思いますし、世界中でバイオテクノロジーを用いた調査や研究が行われています。そこでお聞きしたいのですが、一つはこういった技術進歩についてどう思われるか。二つ目はそれがアートの世界で実験的に用いられることについてどう思いますか。

 

 

タン まず、CRISPR(クリスパー)やその他の遺伝子編集技術が登場してから、長いライフサイクルを経なくても遺伝子発現のプロセスを調査することが可能になりました。これはつまり、新型コロナウイルスに感染した人から実際のサンプルを手に入れる前にワクチン研究を始められるということなので、良い面がたくさんあります。

ウイルスの定義する文字列から研究を進めた結果、幸いなことに我々はトンネルの終わりに来ていると感じています。開発が加速したおかげで、ワクチンを打つことができるわけです。これ以上SARS 2.5やSARS 3.0サービスパックで修正が必要にならないといいですけれど。

その一方で、倫理的に疑わしい実験も可能になります。どんなテクノロジーもそうですが、二つの側面があります。しかしここで、アートにできてスペキュラティブ・デザイン(思考するきっかけを与え、「問い」を生み出し、いま私たちが生きている世界に別の可能性を示すデザインのこと)にあまりできないであろうことは、負の側面を示すということです。

サービスデザインやインタラクションデザインを行うとき、私たちは科学の良い面を強調し、害を最小限に抑えて問題を解決するためのデザインを生み出そうとします。しかし、時にアートは逆の方向からアプローチし、害を最大化してみせます。ディストピアがどのように見えるかを示すことで、人々の価値体系に影響を与え、効率性や民主主義、そのほか価値観の放置ゲームに捕らわれないようにしてくれるのです。これを負の自由と言いたいのですが、「ディストピアから抜け出たい」という主張は、「どんな実験にもオープンですよ」という主張より、はるかに強いものです。

四方 デジタルテクノロジーとバイオテクノロジーの関係についてはどうですか? そこには常に相互作用がありますし、デジタルデータとバイオデータを組み合わせて作品を作るアーティストもいますよね。

タン 例えば、タンパク質のフォールディング問題(各タンパク質が実際にどのような立体構造を持っているか、に関する研究)は、かつては生物学の問題でしたが、今ではAIの問題になっています。作業を短縮するAssistive Intelligence(補助的知能)がどんどん出てきていて、これまではアートに取り入れるにも非常にコスト効率の悪い方法であったこのような技術が、今では大学生でもいくつかのモデルを扱うことができるようになりました。

より高度なGPU(Graphics Processing Unit)やテンソル解析を必要とする開発を行うなら別ですが、これらのモデルをレゴブロックや、最近ではマインクラフトで遊ぶような感覚で取り入れることで、ものごとの見えない負の側面を探りやすくなると思います。「アートでディストピアを見すえる」と言えばいいでしょうか。私たちは今、様々なことをデジタル上でシミュレーションして、本当のバイオハザードを引き起こす前に、そうなる可能性をはっきりイメージすることができるのです。

四方 人間のからだをデータベースとみる考え方についてはどう思いますか?

タン すでにそうなっていますよね。

四方 そうですね、世界を理解する新しい視点だと思いますし、人間自体も芸術の要素や素材になっていくと考えることもできます。これについてはポジティブに捉えていますか?

タン それがポジティブかネガティブかは、次世代への可能性を守れるか阻止してしまうかにかかっています。次世代の可能性を阻むのであれば、それはつまり「持続不可能」ということ。持続不可能なイノベーションを行えば、局所最適化のように自分たちを狭い方に追い詰めてしまう危険性があります。そしてもちろん、多様性・包摂性の欠如に苦しむことになるでしょう。しかし一方で、技術が補助的な方向にシフトすれば、次の世代のための可能性が広がるかもしれません。だから、私は良い・悪いとは言いません。持続可能か不可能かで判断したいと思います。

5|人新世とエコゾフィー

 

四方 「人新世」(ジンシンセイ。地質年代区分のうち、最も新しい時代である「完新世(1万1700万年前〜現代)」から、人類による地球環境への影響が顕著になった近年だけを切り離そうと提案されている新区分名)についてはどう思いますか?

タンさんはSDGsなどについても言及されていますが、これは人間だけの問題ではなく地球環境全体の問題として考えるべきものであり、人間中心主義から脱しなければならないということですね。同時に、人間のからだ自体も、微生物の集まり、コミュニティなわけですから、そういう見方もできると思います。

タン 人新世とは、私たちがホモ・サピエンスという種であるだけではなく、もっと大きなものの一部であるとする考え方です。持続可能性に取り組んでいる人たちは、7世代先まで守るのだと言っています。7世代先までを射程にいれて考えると、経済的なリターン、環境的なリターン、社会的なリターンが、遠い地平線上で一つに集約していきます。数カ月先のことしか考えない視野の狭さは、「次の世代からちょっと拝借してしまえば、すぐに金持ちになれる!」といった経済的リターンを優先した思考につながりがちです。が、そうではなくて、外的な要素もすべて自分のこととして考えられれば、環境的な部分、社会的な部分、そして経済的な部分は地平線上で集約していくと思います。

四方 まさにそうですね。1989年にフェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』の中で「Ecosophy」(エコロジー+フィロソフィー)と言っていたことを思い出しました。三つのエコロジーは自然・社会・精神のエコロジーのことを指していましたから、タンさんのお話はガタリの提唱したことに通じるものがあるなと思います。私も心から共感します。

タン [日本語で]ありがとうございます。

四方 でもそれをどう実現していくかは難しい。タンさんはまさに今それを台湾で実行していらっしゃいますよね。これからはそういった考えをより広めていく必要があると思います。様々なものを包括的に考えることによりサイクルが回っていくわけなので、自然環境や私たちの精神・意識を整えていくのと同時に、デジタルテクノロジーも同じサイクルの中で考えていく必要があると思うのですが、それについてはどうですか?

タン 今回の「Forking Piragene」の中でg0v(ガバメント・ゼロ)によって展開された新しいプロジェクト《IDystopia》が探求したシナリオの一つは、実はそのことを題材にしていると思います。

基本的には「人間開発指数(Human Development Index / 各国の人々の生活の質や発展度合いを示す指標)」を二酸化炭素排出量の測定に変更するというもので、二酸化炭素排出量の計算を目的に個人の行動の追跡を正当化するオンラインゲームです。なぜなら、「次世代という口座から、欲しいものばかりを引き落としすぎたりしてはいない」ということを証明できないと、人間開発の意味がないからです。

しかしもちろんこの前提は、二酸化炭素排出量の追跡や取引を通じて、国家による監視を正当化するための主張にもなり得ます。「社会信用システム」(中国政府が推し進める、全国民の社会的信用をスコア化してランク付けを行い、ランクに応じてメリットやデメリットの付与を行うシステム)とは関係なく、単に環境信用を測る偏差値のようなものにすぎないと言えてしまうからです。ただしここでの本当の問題は、社会信用システムと同じく、信用を追跡すること自体ではありません。「誰が」追跡するのかが問題なのです。

地方の信用組合や生活協同組合が追跡するのであれば、追跡で把握されることはあなたの一票につながり、生協の意思決定に参加することを意味します。例えば台湾の「Homemakers Union」は、循環型経済やアップサイクル(本来であれば捨てられるはずの廃棄物に、デザインやアイデアといった新たな付加価値を持たせることで、別の新しい製品にアップグレードして生まれ変わらせること)に力を入れていて、プラスチック製のストローなどの廃棄物を包装材に利用しています——彼らの活動が認められ、つい数時間前に賞を受賞したところです——。この場合は、組合に自ら加入するから良いのです。しかも自由に参加できるし、やめてもいい。

しかし国が同じことをすると、脱退はできません。脱退できないということは、fork(分岐)する方法もないということ。そして分かれる道がないと、それは権威的知能を追求するものになります。ですから、社会セクターが主導するのか、〈人―官―民〉の連携なのか、それとも〈民―官―人〉の連携なのかなど、誰が指揮をとるのかで物事が左右される。同じ言葉ですが、順番が非常に重要なのです。

6|交換様式Xという自由

 
四方 タンさんが使われている「Internet of Being(人間のためのインターネット)」という言葉にも興味があります。このbeingという言葉はイリヤ・エリック・リーも使っていましたし、ハイデガーの「存在」という考え方とも重なります。物ベースの考え方(Internet of things)ではない、ということですが、現実的には、人も物として考えられるケースも多いと思います。物ではなく存在として考えるべきだという考え方は、日本の柄谷行人(哲学者。タンは柄谷の著書『トランスクリティーク——カントとマルクス』や『世界史の構造』から大きな影響を受けたと発言している)の思想とも通じると思うのですが、いかがですか。

タン 柄谷行人の思想は、彼が「交換様式X」と呼ぶものを基本としています。これはクリエイティブ・コモンズのようなもので、誰もが利用でき、見返りを求めないものです。つまり自由に共有され、自由に持ち去られる。この自由はとても大切です。

例えば、私はインタビューを受けるとき、いつも映像をクリエイティブ・コモンズに公開するようお願いしているのですが、日本のDos Monosというバンドが私のインタビューをサンプリングして、ラップの曲を作ったんです。
 

Dos Monos ‘Civil Rap Song ft. Audrey Tang’

 
まさにアートでしょう。「シェアする」と言っても、知っている人同士の関係性においてのみ共有したり、お金の集まる市場のみを対象にしていたなら、Dos Monosはリミックスを作れなかったでしょう。私は彼らと知り合いではないし、彼らも「Shutterstock」でインタビューを購入するつもりはないでしょうから。

つまりこれは、自発性の話です。「交換様式X」とは、自発性を可能にすること、アートを可能にすることなのです。そしてそれは、オリジナルの制作者が気づかなかった物事の負の側面を見せる方法でもあるのです。これが「交換様式X」が普遍的と呼ばれる理由でもあります。「交換様式X」とは、それを通して誰もが全体像を把握するための一つの視点にすぎないのです。

四方 これは人間だけでなく自然界の存在にも言えることですよね。

タン そして次の7世代についても言えることです。彼らはまだ投票権を持たないけれど、彼らが投票できるようにしていくべきです。

四方 7世代と言わず8世代目、9世代目にも続いていきそうですね。

7|楽観的であること

 
四方 アートの可能性についてはどう思いますか。

タン そうですね、これまでアートが悪い面を取り上げるのだと強調しすぎたかもしれません。ネガティブなことだけではなく、オルタナティブを提案するのがアートですよね。それは必ずしもネガティブな提案とは限りません。

四方 そうですね、アートは美しさも重要ですから。

タン そう、美しいオルタナティブ(代案)を提案することもできますね。

四方 WIREDのインタビューで「optimistic」(楽観的)だと称されていましたが、それについてはどう思いますか?

タン ええ、私はいつでも「hopelessly optimistic」(絶望的に楽観的)ですよ。これも「コモンズ」のせいなんです。まだクリエイティブ・コモンズとは呼ばれていませんでしたが、1996年に15歳で中学校を中退したころ、私がオンラインで最初に本を読んだのは「プロジェクト・グーテンベルク」のサイトでした。96年当時、プロジェクト・グーテンベルクには第一次世界大戦前の古典しかありませんでした。第一次世界大戦中またはそれ以後に書かれたものは、まだ著作権が残っていたからです。また、私の家はお金持ちではなかったので、それらの書物にアクセスするためのお金もありません。そんなわけで戦前の書物しか読まなかったので、絶望的に楽観的になってしまいました。

四方 「hopelessly optimistic」っていい言葉ですね! 先週ベルリンのグループに誘われてオンラインでトークをしたとき、わたしも楽観的だと言われて。自分のことを楽観的だと思っていなかったんですけど、世界が深刻な状況であるからこそ、前向きではありたいなと思いました。楽観的の前になにか副詞が必要だとは思っていたので「hopelessly」はいいですね。

タン 「hopefully optimistic」(願わくば楽観的)もいいんじゃないですか。

四方 いいかもしれません。

8|正気を保つ方法

 
四方 次は、この世の中でどうやって正気を保つかということについてお伺いしたいです。シュー・リー・チェンさんからの問いでもありますが。同時に「hopeless」(絶望的)な未来へのビジョンもあれば教えてください。

タン コロナ禍で正気を保つ秘訣は、毎晩8時間寝ることです。

四方 いいですね! 悪夢は見ないの?

タン 見ます! それでも悪い夢も含めて8時間寝ることが大切です。スマホやタッチスクリーンの中毒になる前にね。寝る前に携帯をいじると、睡眠時間が文字通り10%減ってしまうし、悪循環に陥ります。睡眠時間が少ないほど、寝る直前にそういった典型的な行動を続けてしまいがちです。そうなると、さらに悲観的になってしまい、二極化した世界への道が待っているのです。私が「end-high social media」(高揚SNS)と呼んでいるものが人々に与えている惨事の多くは、依存によってもたらされています。それは寝る直前と起床直後に効果を発揮するので、自分だけのために使えるはずの8時間を圧縮してしまう。だから私は、それに抵抗しています。

四方 本当に8時間確保できているんですか?

タン はい! やり方はシンプルです。タッチスクリーンを使わないことです。

9|つなぐ/つながる

 
四方 台湾元総統の李登輝についても聞いていいですか? 彼は1988~90年に総統代行を、90~2000年まで総統を務めましたが、2020年の夏に逝去されたということで、彼を偲んで何かコメントがあればお願いします。

タン 「持続可能性」を生涯というくくりで考えるなら、自分がログインしたときの世界と比較して、世界をより良い場所にしてログアウトできるか、ということだと思います。人生というセッションをそのような持続可能性の文脈で評価して良いのであれば、李登輝大統領もイリヤも、自分が生まれついた世界を、自らの行動を通じてより良い世界にして残していったのは間違いないと思います。

四方 李と友人関係にあった日本の経済学者に宇沢弘文(1928〜2014年)という人がいまして、彼は「社会的共通資本」という考えを残しています。これは非常に大事な考え方で、タンさんの考えにも呼応する部分があるのではないかと思っています。「社会的共通資本」は自然だけでなく、教育、医療、交通、水道、電気といった社会的インフラについて言及しており、今やそのインフラにブロードバンドが含まれるわけですね。

タン その通りです。コロナの流行でそれが明確になりました。人権としてのブロードバンドがなければ、迅速な対応が見込めないので、例えば薬局や、後にコンビニで、マスクの平等配布に協力してもらうことはできなかったと思います。また、台湾ではロックダウンはしませんでしたが、ロックダウンをするなら、ブロードバンドへのアクセスがあれば耐えられます。ブロードバンドがないロックダウンは侵害です。そこには通信する権利だけでなく、学習する権利、健康である権利なども含まれるからです。ですので今回コロナの流行が台湾に対して、世界に対して何よりも示したことは、ブロードバンドが今世紀の人々に与えられるべき人権である、ということだと思います。

 

 

四方 そうですね。タンさんはすでに世界的に著名ですから、

タン 単にポピュラーなだけかも(笑)

四方 本当だったらもっと世界中を駆け回っているところなんでしょうけれど、今はオンラインでいろいろされていますね。でもこれからの未来はどうなると思いますか? 台湾はすごくうまくいっていますよね、みんなマスクもあまりしなくていい状態ですし……。

タン 2メートルの間隔が空けられる場合は、マスクをしなくていいことになっています。今の私たちもそうですね。Shibainu(柴犬)が3匹分です。

四方 日本ではまだまだなので驚きました。台湾では握手も、ハグだって可能なんですから。

タン プライド・パレードもできましたよ。[虹色のマスクを見せながら]海外の私の友人たちも、「プライド」の部分には驚かないけど「パレード」が可能だったことを非常に驚いていました(笑)

四方 情報テクノロジーは世界中をつなぐものなので、タンさんの手にかかれば世界を変えることすら可能なように思えるのですが、それは野心的すぎるでしょうか?

タン そのことを考えるには今は良いタイミングだと思います。なぜなら、新型コロナウイルスは史上初めて、南極の一部の危険性の少ない地域にいる人々、そして国際宇宙ステーションを除いて、世界中の誰もが共通の緊急性を持つという事態をもたらしたからです。以前にも地球規模の問題はありましたが、例えば、ブロードバンドやインターネット、SNSをあまり使っていない人々が、インフォデミック(噂やデマも含む情報の氾濫)に憂慮することはあまりありません。

土地が広く、気候変動の影響が少ない場所では、環境保護は次の世代の仕事です。それを気にしているのは若い人たちだけです。しかし、日本や台湾のような島は気候変動の影響にすぐに直面しますから、世代を問わず誰もが気候変動や災害に関心を持っています。何が言いたいかというと、気候変動やインフォデミックは不均等な脅威だということです。

しかし、パンデミックは誰にでも同じ緊急性を持って迫って来たので、いま私たちはインターネットを通じて、そしてインターネットガバナンスが二極化を作り上げる状況のなかで、一つの共通の緊急事態に対応しようとしたという経験を得たところです。私たちはこの新鮮な記憶をうまく使って、法や体系やアルゴリズムを整え、来るべきSARS3.0に備えなければいけません。来年か10年後かはわかりませんが、必ずやってきますから。

台湾では2003年にSARS1.0を経験したので、2004年にはCECC(中央感染症指揮センター)の準備を開始し、SARS2.0に備えました。今回はそれを世界全体で一緒にやっていかなければなりません。そしてこの経験から学んだことをきちんとモノにして、緊急性が不均等なもの、例えばインフォデミックや気候変動などに応用していくべきだと考えます。私たちはパンデミックを一緒に解決することに成功しているのですから。

10|十年後の未来

 
四方 十年後の未来はどうなっていると思いますか。

タン SDGsのゴールが達成されているはずです。今の目標は2030年までのものですから、結果を分析して次の10年に向けた計画を立てている頃でしょうね。持続可能性目標の新しい世代がやってきます。どんなことになるのか、楽しみです。その議論のテーブルに台湾も着いていれば理想ですが、そうでなくても審判でいようとは思います。

四方 台湾の周辺地域に関してはどう思っていますか。東アジアの国々は距離も近いし、歴史や思想、そして多くの知識を共有していると思うのですが、そういったことはどのくらいあなたに影響を与えていますか。どのくらい未来に活かせると思いますか。

タン 若い頃は、日本は未来にいると思っていました。まあ時差的にも本当に1時間進んでいるんですけど……(笑)

四方 私からしてみれば日本は20年遅れています。

タン じゃあ20年マイナス1時間ということで(笑)

時差の話はさておき、共通している哲学は多くあると思いますし、私たちはそもそも何百万年も同じ岩の一部であり続けているのです。レナード・コーエン(カナダのシンガーソングライター、詩人、小説家)の詩を紹介すると、「万事には裂け目がある。だからこそ、そこに光が差し込むのだ」(「Anthem(聖なる歌)」)と言っています。まあ私たちの岩には文字通り裂け目があって、つい数日前もその裂け目が動く地震があったわけですが……。あのときは隔離中でした?

四方 そうなんです。6階にいたから結構揺れて怖かったです。石垣島や沖縄も近いのでかなり揺れたみたいですね。

タン やっぱり私たちは運命共同体なんですよ。

11|水のメタファー

 
四方 それについても話したいと思っていたんです。実は私は水のネットワークについてもリサーチしていて。「花綵列島」(かさい/はなづな れっとう。花飾りのように連なる島々)という言葉がありますが、東アジア・東南アジアの列島がどうつながっているかもそこには含まれているんです。そして「King of Piracy」は海に関連していますしね。

タン Piracyを漢字で書くと「海賊」ですから海という字が入りますね。

四方 水のメタファーは非常に重要で、インターネットやデジタルデータ、人の流れなど流動的なものに通じるところがあります。

タン 地震の揺れも一緒に感じますしね。

四方 プレートがつながっているから、そういった感覚は共有できますよね。

タン 台湾や日本では、地震だけでなく台風の脅威にもつねに晒されているので、自然に対する人文科学の勝利という考えは持っていません。地震や台風に敵うわけがありませんから。しかしその一方で、私たちにはしなやかな回復力があります。台湾で地震が起きたときも、日本で津波が起きたときも、お互い助け合うのは、実際に体感するからです。その瞬間の被害を体験しなくても、ほんの数日前に同じようなことが起こっていたりしますから。これが運命共同体ということです。

四方 実はここ最近の150年だけが少し変わっていて、ヨーロッパからの近代化の波がありましたが、その前の私たちはもっと自由に、海を越えた人の行き来や文化の交流があったはずですよね。その頃に戻れればいいと思います。

タン そうですね。異文化を知ることでお互いを認め合うことができるわけですから。

四方 ありがとうございます。今日いただいたタンさんの言葉をきちんと日本に伝えるミッションを得たように思います。私の英語が稚拙で申し訳なかったんですけれど……。

タン 私のNihongo(日本語)よりずっとお上手ですから大丈夫ですよ。

四方 じゃあ次は日本語でトークしますか?

タン そうですね! Assistive Intelligence(補助的知能)があれば何でも可能です。

詩の朗読——オードリー・タン

 
四方 もし良ければ、いつもされているように詩の朗読をいただいて終わりにできればと思うのですが。

タン 喜んで。「Internet of being」の話が出ましたね。ですので、ここでは私のジョブディスクリプション(職務記述書)を読もうと思います。これが技術官僚を純粋に称賛するテクノクラシー文化ではなく、他者の中に自分を見出し共生を志すトランスカルチャー主義の方向性を示していると思うからです。日本ではいまだに私のことを「IT大臣」と呼ぶ人がいます。でも、ITは機械をつなぐだけだといつも説明しています。デジタルは人と人をつなぎます。デジタルはITをベースにしていますが、ITと同じではありません。ですから、私のジョブディスクリプションは、デジタルとITは同じではないということを具体的に説明するためのもので、このようになっています。

 

 

When we see “internet of things”, let’s make it an internet of beings.
When we see “virtual reality”, let’s make it a shared reality.
When we see “machine learning”, let’s make it collaborative learning.
When we see “user experience”, let’s make it about human experience.
When we hear “the singularity maybe near”, let us remember: the plurality is here.

 
「モノのインターネット」を見たら、「人のインターネット」に変えていこう
「仮想現実」を見たら、「共有現実」に変えていこう
「機械学習」を見たら、「協力学習」に変えていこう
「ユーザー経験」を見たら、「人間経験」に変えていこう
「シンギュラリティ(特異点)は近い」と聞いたら、どうぞ思い出して、プルーラリティ(複数性)はもうここにあること

ありがとうございました。

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 

Guest
オードリー・タン|AUDREY TANG

台湾デジタル担当政務委員(閣僚)。1981年台湾台北市生まれ。幼い頃からコンピュータに興味を示し、12歳でPerlを学び始める。15歳で中学校を中退、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。19歳のとき、シリコンバレーでソフトウエア会社を起業する。2005年、プログラミング言語「Perl6(現Raku)」開発への貢献で世界から注目。同年、トランスジェンダーであることを公表し、女性への性別移行を開始する(現在は「無性別」)。2014年、米アップルでデジタル顧問に就任、Siriなど高レベルの人工知能プロジェクトに加わる。2016年10月より、蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣、無任所閣僚の政務委員(デジタル担当)に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。2019年、アメリカの外交専門誌「フォーリン・ポリシー」のグローバル思想家100人に選出。2020年新型コロナウイルス禍においてマスク在庫管理システムを構築、台湾での感染拡大防止に大きな貢献を果たす。著書に『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)。※掲載したプロフィールは同著書より引用
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com
 
Translation & Editing
田村かのこ|KANOKO TAMURA

アートトランスレーター。アート専門の翻訳・通訳者の活動団体「Art Translators Collective」を主宰し、表現者に寄り添う翻訳の提供と新たな価値創造を試みる。札幌国際芸術祭2020ではコミュニケーションデザインディレクターとして、展覧会と観客をつなぐメディエーションを実践。非常勤講師を務める東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻では、アーティストのための英語とコミュニケーションの授業を担当している。NPO法人芸術公社所属。

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