ART

特集エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 04

JOSEPH BEUYS, LOUWRIEN WIJERS AND ON OUR FUTURE

社会彫刻、精神彫刻、エコゾフィー|ヨーゼフ・ボイス生誕100年、ラウリン・ウェイヤース、そして私たちの未来

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1984年6月1日、西武美術館でのヨーゼフ・ボイス展オープニング・レセプションにて。左から、ヨーゼフ・ボイス、筆者、ラウリン・ウェイヤース

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社会のなかに機能する芸術の概念を生み出し、1960年代以降のアートシーンに多大な影響を与えたヨーゼフ・ボイス。2021年5月に生誕100年を迎えた彼の精神が、パンデミックの時代を生きる私たちに問いかけているものとは? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第4回。
 

text by Yukiko Shikata

環境プロジェクト《7000本のオーク》

 

ヨーゼフ・ボイス《7000本のオーク》1982-87年 BEUYS JOSEPH +1986 7000 Eichen, 1982-87 © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2551

 

時は1987年6月12日、場所は西ドイツのカッセル。5年毎に開催される国際的な現代美術展ドクメンタ8の初日、フリデリチアヌム美術館前の広場に7000本目のオークが植えられた。西ドイツのアーティスト、ヨーゼフ・ボイス(1921-1986)の植林を推進するアートプロジェクト《7000本のオーク》の最後の1本で、5年前に本人がこの広場に1本目を植え、前回のドクメンタ7(1982)で始まった壮大な計画がついに完成した。前年に亡くなったボイスの代わりに植林したのは、息子のヴェンツェルである。

《7000本のオーク》は、オークと玄武岩各1本を購入毎に各地に植えていくもので、環境保護に加えて、人々の参加や経済の活性化という面ももっている。しかし果たしてこれがアートと言えるのか……!? そのような議論が、現代美術の中心地においてさえ巻き起こったという。社会に働きかけ人々が関わっていく「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」など、多様なアートプロジェクトが行われ、エコロジー意識も進んだ現在なら理解されても、ボイスのビジョンは当時あまりに先を行っていた。

ボイスは、「人は誰もが芸術家である」「拡張された芸術概念」「社会彫刻」などの言葉を通して、各人が日々創造力を発揮でき、それによって社会全体が創造的に変容していくことをめざしていた。《7000本のオーク》は、ボイスが社会に向けて行なった数々のプロジェクトの中でも大規模で、晩年の人生を投じたものである。

ボイスは「(社会彫刻という)理念は、21世紀という環境が重視される時代においてようやく実を結ぶだろう」と述べていた。環境破壊が深刻化し、「人新世」に入ったとされる現代において、私たちはこの言葉を身をもってかみしめている。

ボイスとその芸術

 

帽子にフィッシャーマンズベスト、ジーンズという出で立ちやその言動から、カリスマ的存在であったボイス。生誕100年を迎える今年、彼の先見性や業績を再評価する催しがドイツを筆頭に、日本を含め世界各地で開催されている。ドイツではボイスはスター的にも扱われ、若い世代をも魅了しているという。

ボイスはどのようなアーティストで、またどのようにカリスマ的存在になったのか。ざっと遡ってみたい。

ボイスは、1921年オランダ国境近くの町クレーフェで生まれた。そこはカトリックやケルト文化の飛び地で、13世紀にはチンギス・ハンが到達した地でもあり、幼少期からアジアに親しみを感じていたという。第二次世界大戦中、通信士として乗っていた戦闘機がクリミア半島で墜落、瀕死のボイスをタタール人が脂肪やフェルトでくるんでくれて命を取り留めたというエピソードはあまりに有名である。ボイスは、「ユーラシア(ヨーロッパ+アジア)」という東西を結びつけるビジョンを提唱していたが、その根底にはアジア系遊牧民との原体験がある。

ボイスの作品や活動を見ていくと、背景に周縁的な要素が散りばめられていることに気づく。ケルトや北欧神話、神秘学、生物学、宗教学など、ドイツの源流としてはゲーテ、シラー、ノヴァーリス、シュレーゲル、人智学者のルドルフ・シュタイナーなど、いずれも近代化の背後にある文化や思想、自然科学である。

ボイスは、1960年代より、脂肪やフェルト、蜂蜜、銅、石など、環境に応じて変化する素材を主に、ドローイング、彫刻、マルチプル、インスタレーションなど多様な作品を制作した。そして自ら「アクション」と呼ぶ、芸術・社会・政治の枠組みを超えるパフォーマンスや討論を精力的に展開した。60年代末にボイスは、アートの概念を教育、社会、政治、経済、環境へと拡張し、1980年代には美術館での展示を控え、《7000本のオーク》に代表される「社会彫刻」の実践を本格化していった。

 

ヨーゼフ・ボイス《民主主義は愉快だ》1973年 ※1969年5月6日、デュッセルドルフ美術学校でのボイスのクラス(20番教室)に警官隊が侵入 BEUYS JOSEPH +1986 Democracy Is Merry (Demokratie ist lustig), 1973 MoMA, The National Museum of Art, Osaka © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2551

 

彼の活動は、当時の芸術概念や社会通念では理解されにくく、しばしばスキャンダルを巻き起こした。それは半ば確信犯的な「挑発」であり、彼ならではのユーモアとパッションから発していた。

ボイスが活動した時代は、東西対立(ドイツも東西に分かれていた)、そして西側では資本主義が拡張する中で、二元論的な世界観が支配的となっていた。そして彼は、そのような世界観を「流動性」(物質そして非物質的な熱やエネルギー)とそれにより起きる「変容」によって循環させようとした。ボイスの作品には、「生と死」「物質と精神」「熱と冷」「カオスと結晶」「直観と理性」など、一見対立するようなものが見られるが、両者は実は情報フローの異なるかたちといえる。そしてそれは、必然的に「芸術と社会」の相互循環へと発展していった。

ヨーゼフ・ボイスと私

 

そもそも私が現在このような仕事をしているのは、1982年にボイスを知ったことによる。1982年にヨーゼフ・ボイス関係の雑誌を手伝い始め、オランダ人のライター、ラウリン・ウェイヤースとコンタクト、彼女の記事を和訳している。1984年にボイスが個展(西武美術館)で来日した際は、実際に会っている。1986年にはボイスのリサーチで渡独、出発前月にボイスは亡くなってしまったが、現地デュッセルドルフでインゴ・ギュンターやナムジュン・パイクなど多くの関係者と交流した。以来、「ボイスの現在形」を社会や科学技術との関係から問いながらアートの可能性を探索してきた。

ボイスをあらためて意識したのは1年前、パンデミックをめぐる状況が、表面化していた社会の諸問題を後がないほど押し上げてきた時期である。コロナウイルスは私たちに、人間が知覚できないものの存在との関係の見直しを促した。そしてポスト「人新世」に向かって、人間中心主義から抜け出て動植物や鉱物をはじめ、地球や地球外の存在と共存していく方向が、よりリアルなものに見えてきた。

 

ヨーゼフ・ボイス《コヨーテ—私はアメリカが好き、アメリカも私が好き》1974年

 
ボイスは、近代によって人間が自由を獲得した上で、次の世界へ進むことを構想していた。私たちは現在、近代のシステムの一部がデジタルによって変換・拡張されていく時期にいる。未来の新たな可能性は、近代と人類が古来から育んできた叡智を融合することから始まる気がする。ボイスは、近代の危機をいち早く感知し、人間以外の存在(動植物や自然全般)とのコミュニケーションを促し、遊牧民やシャーマン、仏教などを念頭に「ユーラシア」をめざしていた。ボイスが現在、再評価され受容され始めたのは、彼が提起していた問題が、地球全体の生存に関わるほど深刻化したことが広く実感されるからだろう。

今年から、未来に向けたボイスの再解釈・派生(Forking Joseph Beuys)を開始した。自分としては、ボイスの「社会彫刻」と本連載「Ecosophic Future」の由来となったガタリの「エコゾフィー」との共振を感じており、その意味でここにもボイスが息づいている。

ボイスとダライ・ラマ、そしてウォーホル

 

1978年、オランダのアーネムで行われた「Behaviour Workshop Festival」でのパフォーマンスの合間に——ヨーゼフ・ボイスとラウリン・ウェイヤース Photo: Cathrien van Ommen

 

1968年からボイスを何度もインタビューし、同時に親しい友人でもあったウェイヤースは、今年80歳を迎えた。私が以前和訳した彼女の記事「よりよい世界をめざして」には、ボイスに加えて彼女がアンディ・ウォーホルやダライ・ラマに行なったインタビューが含まれており、一見異なる世界にいるカリスマ的存在がつながっていることに驚いた覚えがある。

1978年ボイスがウェイヤースにインタビューを受けた後、「ウォーホルにも同じ質問をしてみたら」と提案、それを受けて彼女は1980年にウォーホルと面会する。ウォーホルは彼女に「ダライ・ラマに会うといい」と伝え、今度は1981年インドのダーラムサラでダライ・ラマと会った。ボイスの活動について話すと、「そのドイツのアーティストと同じ考えだ、兄弟のように感じる」と言ったという。そのことをボイスに伝えると、「ユーラシア」を推進するためにダライ・ラマと「恒常的な協力(Permanent Co-operation)」を結びたいと願い、ウェイヤースは二人の出会いを調整することになった。

 

1982年のラウリン・ウェイヤース。ボイスとの対面に向けて、ダライ・ラマと3度目の面会を果たす。 Photo: Jan-Paul Kool

 

1982年10月27日、西ドイツのボンでボイスとダライ・ラマの対面が実現した。 Photo Courtesy of Louwrien Wijers

 

ボイスはダライ・ラマに《7000本のオーク》での協働を打診、ドクメンタ7が開幕した1982年6月にカッセルに招待したが実現せず、同年10月27日に二人の一度限りの面会が、西ドイツのボンで実現した。1986年1月ボイスの訃報を聞いたダライ・ラマは、目に涙を見せたという。そして翌年7本のオークを購入している。

運命の糸に引かれたようにウェイヤースは、ボイスからウォーホル、そしてダライ・ラマへとつなげられ、ダライ・ラマとボイスをつなぎ、20世紀を代表する3人の円環が生まれた。米国の大量消費社会の申し子のように見えるウォーホル、世界的に活動するチベットの高僧、そして「社会彫刻」を掲げるボイスは、それぞれ異なるアングルからよりよい未来を志向していたといえる。

ウェイヤースの「精神彫刻」:アート・科学・精神・経済をつないで

 

パネル・ミーティング「Art meets Science and Spirituality in a changing Economy」1990年9月10〜14日@アムステルダム市立美術館 / 初日のパネル I: 左より)スタニスラフ・メンシコフ(経済)、ロバート・ラウシェンバーグ(アート)、ブライアン・レッドヘッド/司会、デヴィッド・ボーム(科学)、ダライ・ラマ14世(精神)Photo: Ton Hendriks “Courtesy of Foundation ASSET”

 

1990年9月にウェイヤースは、彼女が「精神彫刻(メンタル・スカルプチュア)」と位置づける5日間のシンポジウム「アート・ミーツ・サイエンス・アンド・スピリチュアリティ・イン・ア・チェンジング・エコノミー(AmSSE)」(アムステルダム市立美術館)を中心になって実現する。アート(ジョン・ケージ、ロバート・ラウシェンバーグ、ローレンス・ウェイナー、マリナ・アブラモヴィッチら)、科学(デイヴィッド・ボーム、イリヤ・プリゴジン、フリッチョフ・カプラ、フランシスコ・ヴァレラら)ではカオス理論の最前線が、宗教(ダライ・ラマら)、経済(スタニスラフ・メンシコフら)とそうそうたる面々が集い、来たるべきホリスティックな世界の可能性について話し合った。AmSSEは、ボイスに加え、アーティストのロベール・フィリウ(1926-1987 / シンポの発案者の一人で、ボイスとダライ・ラマとの面会に尽力)に捧げられている。
 

ラウリン・ウェイヤース(2021年3月30日撮影) photo: Egon Hanfstingl

 

ウェイヤースは2012年、オランダのフリースラント(ボイスの曽祖父が住んでいた地)に移住、自身の活動を「精神彫刻」と呼びながら、作品制作や執筆を行っている。彼女の活動の根幹には、ボイスの精神、そしてAmSSEにも登壇した経済学者メンシコフの「思いやりのある経済(Compassionate Economy)」がある。2011年以降は、エゴン・ハンフシュティングルと食に関わるプロジェクトを長年のマクロビオティックの実践から展開、2018年には、ボイスに関わった様々な人々による100日にわたる対話プロジェクト「100 Day Beuys」を開催した。

いつも笑顔をたやさないウェイヤースは、「メディエーター(媒介者)」として人々をつなぎ、創造力を喚起しつづけてきた。彼女がボイスをデュッセルドルフに訪れる度、その場のドイツ的なシリアスな空気感が瞬時に変わったという。そんな彼女に、私はボイスとともに大きな影響を受けている。世界が大きな転換期に入った昨年からは、オンラインで折に触れ対話を続けている。

ボイスの「社会彫刻」は、物質と非物質を超えてエネルギーが循環する流動的世界観に依っていた。ウェイヤースの「精神彫刻」は、人間に限らない多様な存在における精神の流動性を促すものである。そして私の「エコゾフィー」は、その世界観と共振しながら、情報のフローをデジタルを介して未来へ拡張することなのだ、とあらためて実感している。

人が誰でも創造的に生きられ、社会の様々な非対称性がほぐされていき、地球環境(おのずと地球外も含まれる)がサステナブルに循環していく世界——。そのためには、唐突に思えるかもしれないが、何よりも「愛」が求められると思う。私たちが、生きてここにいることだけでも、広義の愛の賜物である。その素晴らしさを感じつつ、他者や様々な存在に愛というエネルギーを注いでいくこと。そこから私たちの新しい未来が始まる。

 

ヨーゼフ・ボイス《カプリ・バッテリー》1985年 国立国際美術館 撮影:福永一夫 BEUYS JOSEPH +1986 Capri-Batterie, 1985 The National Museum of Art, Osaka © VG BILD-KUNST, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2551

 

「創造力の最高の産物は、意志から発する愛です」と述べているボイスは、1985年ナポリにおいて、遺作のひとつとなった《カプリ・バッテリー》(1985)を発表した。レモンと電球をつなぎ微弱なエネルギーが流れるこのささやかな作品からは、未来への大きな愛と希望が私たちに放たれているように思う。
 
編集協力:古木淑子

 

四方幸子さんが企画協力とモデレーションを担当する公開フォーラム「想像力という〈資本〉—来るべき社会とアートの役割」(5/22(土)@京都文化博物館+オンライン)は、オンラインのみに変更され、6月に配信される予定です。基調講演は、連載1回目と2回目に登場したオードリー・タンさんと、今回の記事で紹介したラウリン・ウェイヤースさんです!

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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