2012年に創設され、ノーベル賞に次ぐ賞金でも知られる〈ウルフソン・エコノミック・プライズ〉。毎回テーマが設定されアイディアを公募する形式の経済学賞だ。コロナ禍の2021年のテーマは「新しい病院のあり方」。数あるエントリーのなか、エイブ・ロジャース・デザインによる提案が受賞した。昨年末に亡くなった建築家リチャード・ロジャースを父に持つエイブに、ロンドンのスタジオで話を聞いた。
TEXT BY MEGUMI YAMASHITA
edit by Kazumi Yamamoto
——今回受賞されたのは、患者だけでなくすべての人が癒され、コミュニティをも再生する病院の提案です。医療施設のデザインの重要性を考えるきっかけからお聞かせください。
ロジャース ガン患者のサポート施設〈マギーズ・センター〉のデザインを手掛けたことがきっかけです。〈マギーズ・センター〉とは、デザインや建築のパワーで患者や家族の癒しを手助けしようとイギリスで創設された慈善事業で、ザハ・ハディッドやトーマス・ヘザウィック、父のリチャード・ロジャースもデザインを手がけています。私も2019年にロンドン郊外にオープンした施設のデザインを手がけました。完成まで7年ぐらいかかったプロジェクトでしたので、内外観のデザインだけでなく、どうやったらみんなが元気になる施設にできるか、深く考える機会になりました。今回の病院案はその延長線上にあるものです。
デザインは第3のケアラーである
——病院のデザインは一般的に無味乾燥で、それ自体にストレスを付加する要素があるということですね。
ロジャース その通りです。それはデザインの重要性が理解されていないからなんです。デザインには医療スタッフ、家族に次ぐ「第3のケアラー(介護者、支援者)」と言えるパワーがあります。デザインに投資することは、長い目で見れば大きな経費節約になるのです。患者だけでなく患者の家族から医療スタッフまで、デザインによる恩恵を受けることになります。入院期間が短くなったり、医療ミスの防止にも通じます。この病院案はスタッフや家族の心身もケアする場であり、さらに地域全体を元気にし、経済活動も含め、街の再生の中心になるような場にできないものかと考えたものです。
——受賞した案には各分野の専門家から患者さんまでの意見が盛り込まれているとか。
ロジャース はい、医師、看護士、患者、各分野の専門家など約50人に話を聞き取りました。若い頃はファッションとかアート関係に興味がありましたが、今は医療関係者と話す方がワクワクしますね。どうやったら彼らの声を反映した施設にできるだろうかと。コロナ禍ということもあり、半年ほどほぼ巣ごもって考え続けました。ある意味、コロナ禍がなかったらこのアイディアは生まれなかったかもしれません。
全ての人のウェルフェアを考える
——受賞した病院構想を具体的にお聞かせください。
ロジャース 第一に掲げているのは、「ヒューマン・センタード(人間中心)」であることです。殺風景で消毒の匂いが充満したストレスフルな環境ではなく、緑が豊かでアットホームに感じるスケール感やインテリアを考えました。患者のプライバシーを尊重する一方で、コミュニティの一員と感じられる開放的な雰囲気も重要です。患者だけでなく、スタッフのウェルフェアをサポートする部屋も各階にあります。ジェンダー、人種、障害のあるなしなどにかからわず、敷居が高く感じられない施設であることも重要です。
——患者以外も利用できる地域のコミュニティーセンターのようなイメージでしょうか?
ロジャース そうですね。第二にあげているのは「コミュニティにフォーカスする」こと。地域の人の声をデザインに反映させ、それにそって各種のアクティビティを患者以外にも提供したり、健康相談やメンタルケアなどに気軽に立ち寄れる場を目指します。一階のエントランス部はフードマーケットなどが立つパブリックプラザで、カフェやジムがあります。4階部分にあるテラスガーデンもパブリックスペースになります。図書館もあります。
自然につながることの癒し効果
——全体的に建物が植物に覆われているようなデザインですね。
ロジャース 第三にあげているのが、人は本能的に自然とのつながりを求めるという「バイオフィリア」という概念で、すべての人がグリーンスペースにアクセスできるデザインになっています。屋上階には菜園があり、野菜を育てるなど「庭いじり」もできます。ガーデンはメンテナンス費がかかるものですが、患者も含め、地域の人がボランティア的にメンテナンスに参加すれば、経費削減にもつながるでしょう。育てた野菜は院内で食べることができますし。プリマス病院の調査では、ガーデンへのアクセスがあったコロナ患者は30%回復が早いという調査結果が出ています。それだけ自然との触れ合いは人のウェルフェアにとって重要なのです。
——ガーデンのデザインには六本木ヒルズのルーフガーデンも手掛けているダン・ピアソンが参加しています。
ロジャース はい。彼も「ガーデンは健康な人にも癒しの効果があるが、具合の悪い時はその何倍も効果を感じるもの」と言っています。季節だけでなく北側と南側では適する植物が異なることなど、彼の豊富な知識とパッションは建物をデザインする上でとても参考になりました。
——建物のタワーの部分の形も花形になっていますね。
ロジャース 下の4フロアはスクエア型ですが、8フロアあるタワーの6階より上は中央を吹き抜いた花形です。ガラス張りの部分を増やし、自然光を最大限に取り入れることができ、また花弁の間の部分にもところどころポケットガーデンを配置しました。また、南側は主に病室にあて、北側は外来患者の診察室に、5階中央の窓のない部分は手術室に当てるなど、自然光や景観を考慮に入れてレイアウトを考えました。長い廊下はなく、中央からほぼ全てを見渡すことができます。屋上フロアは花弁の部分がそれぞれ菜園になっています。そのほか、スタッフのためのバーやミーティングルームもあります。地下階はないなど、建設コストと環境インパクトの削減も考えたデザインです。
——自然の生態系の中に病院も組み込ませるといった印象を受けました。
ロジャース それが理想ですが、全てを自然任せにはできません。照明や音響の効果で1日のリズムを整えることも提案しています。具体的には朝は鳥の鳴き声を流したり、照明を徐々にあげていくとかですね。これらは現在のテクノロジーを使えば簡単にできることで、コストも掛かりません。サウンドアーティストのニック・クームは日本でも街のサウンドスケイプを収録していますが、彼もこの案のコラボレーターのひとりです。病院にいながら森や海の音が聞こえたら、気持ちも安らぐと思いませんか? また、患者の睡眠やスタッフの仮眠の質を上げる工夫にも頭を絞りました。
——薬や手術だけが病気を治すわけではないということですね。
ロジャース 五感のすべてを通して癒す環境を整えるべきだと思います。病院はモノトーンのインテリアがほとんどですが、カラフルな色も取り入れたり。薬品の匂いよりアロマセラピー効果のある香りがした方がいいでしょう? 食事には特に注意を払いたいところです。触感も同様です。〈マギーズ・センター〉でもドアハンドルなど手に直接触れる部分は、木を用いるなど温かいデザインを心掛けました。医療スタッフのユニフォームも「白衣」である必要はありません。素敵なユニフォームならスタッフも患者も気分が上がりますよ。
フレキシブルな可動式のインテリア
——インテリアとしてのそのほかの工夫を教えてください。
ロジャース 「フレキシブルに使えるスペース」が第四のビジョンです。それは多目的に使えるスペースということだけでなく、将来、用途を簡単に変更ができるように壁などはフィックスしておらず、可動式が基本です。これだと各種のアクティビティに適用できます。患者だけでなく、スタッフもこうした活動に参加することで、ウェルフェアが向上するでしょう。今後、医療技術の進化などで、スペースの使い方が変化する可能性もありますし。
——イギリスではほとんどの病院が国民医療制度による公営ですよね?
ロジャース 誰でも無料で医療が受けられる国民医療制度はイギリスが誇るべきものですが、慢性的な運営資金不足に陥っています。おそらく日本の病院と比べると、施設はかなりベーシックだと思います。だからこそ「第3のケアラー」としてデザインのパワーで援護したいのです。それは患者の回復を促し、医療ミスを減らし、スタッフの心身の健康にも貢献します。つまり長い目で見れば「節約」につながり、コミュニティ全体の幸福度も上がるはずです。これはリゾートホテル型医療施設のような裕福層のための病院案ではありません。公共のものでもデザインの力によって改善できることを示したいのです。
——この案は実現しそうですか?
ロジャース 政府関係者にプレゼンテーションしましたが、道のりは長いかもしれません。が、今回の受賞が実現への第一歩になればと思います。日本の関係者にもぜひ見ていただきたいです。現在、ロンドンの3つの病院で、乳がん病棟の待合室や、小児科、産科のデザインの依頼は受けています。
父、リチャード・ロジャースの影響
——大きなパブリックスペースを設け、モデュラー式で付け替えできるというアイディアも、父上であるリチャード・ロジャースの作品に通じるものがあります。
ロジャース そうですね。彼の思想やアイディアは、自分のDNAに組み込まれてしまっているようで。昨年12月に亡くなるまで、父とも今回の案について何度か意見を交わし合いました。「窓からグリーンを望む環境に暮らすことは人権の一つだ」とよく言っていましたが、病院でこそそのことを実現するべきだと思います。
——お父さまのDNAといえば、お二人ともディスレクシア(難読症)であること公表されています。
ロジャース ディスレクシアは兄弟の中でも自分だけが引き継いでおり、父からのギフトだと思っています。父は絵も描けないディスレクシアでしたが、建築家として膨大なレガシーを残しました。特にクリエイティブな人にディスレクシアはとても多いのです。それは発達“障害”ではなく、ギフト(才能)であるという意識を広める活動もしています。『Amazing Dyslexics』という本にもポール・スミスらと並んでフィーチャーされました。
——この病院案もディスレクシアならではの視点が生きているように思います。
ロジャース まさにそうだと思います。現代の病院は人が生まれる場であり、また死ぬ場でもあります。かつては教会が地域の中心にあり、住人の心のケアを提供してきました。社会が多様化するなか、病院が担う役割も当然変わります。テクノロジーや医療技術の進歩だけではなく、多くの人の異なる視点を生かした「デザイン」の貢献度は非常に重要なのです。
エイブ・ロジャース|Ab Rogers
1968年生まれ。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート卒。2004年にエイブ・ロジャース・デザイン創設。コム・デ・ギャルソン・パリ店など、ショップデザインや展示デザインを多く手掛ける。2019年にオープンした〈マギーズ・センター〉を機に医療関係のデザイン方向へ。2021年、Wolfson Economics Prize 受賞
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