ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 07

The Spiral Thoughts #2

「螺旋の思考」2/2——対称性の破れ、持続というリズム

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木本圭子《イマジナリー・ナンバーズ》(部分)(2003)

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螺旋とリズムの関係とは? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第7回は、「渦巻き」や「螺旋」といった原理を手がかりに私たちを形づくってきた起源をめぐって。

 

text by Yukiko Shikata

自然に見られる黄金比

 

現在9月29日は、大型で非常に強い台風16号(ミンドゥル)が日本の南の海上を北に進んでいる。実際上陸するかどうかは見守るしかないが、台風の形状が巨大な螺旋であることにはいつも感動する。フィボナッチ数列が生み出す螺旋は黄金比に近い、と前回書いたが、動的な大気の現象も例外ではない。

 

自然の渦巻き状の配置図。フィボナッチ柄 Africa Studio / Shutterstock.com
 

自然の造形でフィボナッチ数列が明らかに見られるものに、ヒマワリの種や松かさ、オウムガイの殻などがある。ヒマワリを例にとると、最も多くの種を納められるこの配列が、子孫を残すために最適だという。生存のために自然に合理的な形態をとり、その背後に数学的な比率があること。そのことを知らなくても、私たちはヒマワリの種の並びに美と驚きを感じてしまう。

自然と数学、そして美がなだらかに共存している不思議さとともに、なぜこのような形態が生まれたのだろう、なぜ私たちはそこに美を感じるのだろう、と思う。世界の成り立ちや今に至るプロセスを思い、私たちの心や美意識がどのように形成されているのだろうとも。レイチェル・カーソンは、自然に触れて不思議だと感じる感覚を「センス・オブ・ワンダー」と述べたけれど(大好きな言葉の一つ)、世界には不思議が満ち溢れている。そしてその背後には何らかの規則が横たわっている。

螺旋はスケールを超えて、自然のさまざまな物や現象にあらわれる。世界はカオスと秩序の往還で成り立っていて、螺旋は後者の状態に当てはまるのだろう。考えてみると螺旋は、物質であってもそれが形成されるまでに時間を要するものであり、情報のフローの軌跡もしくはその時点での状態と見なすことができる。

貝殻とプログラミング:近藤テツの世界

 

アーティストでビジュアルコーディング言語Processing(今年が20周年)に黎明期から関わってきた近藤テツ(Tetsu Kondo)は、00年代前半から貝殻、とりわけ巻貝の絵を描き続けている。オウムガイの殻にはフィボナッチ数列が、イモガイにはセル・オートマトン(前回参照)の模様が見られる、そして巻貝は螺旋構造を持っている。近藤が本格的に貝殻の絵を描き始めたのは、プログラミングでフラクタル図形を描いたり、自然現象をシミュレーションしていた頃と重なっている。

 


2003年頃に描いたProcessingスケッチ(近藤テツ)

 
 

2003年頃に描いたProcessingスケッチ(近藤テツ)
 

もともと絵を描くのが好きで、コンピュータでも自分の手の動きやペン先の触感を表現できないかとひたすら実験していたという。とある寒くなりはじめた秋の日、コニーアイランドのビーチで貝殻を拾い、手のひらに乗せてまじまじ見ていると、同じ貝がこの世に2つとして存在していないとあらためて感じた。「その螺旋構造は完璧すぎるほど完璧で、すでにコード化されています。それからなぜか貝を描くようになりました」(近藤テツ「螺旋と貝についての考察」、2021年9月、筆者の依頼により執筆)。彼は貝殻の螺旋の美にコードを読み取ったのだった。彼の言う「コード」は、プログラミングコードであり、また自然に存在する規則でもあるだろう。

 

2005年の貝殻の絵(近藤テツ)
 

学生時代から哲学、民俗、宗教、文化に興味を持っていた近藤は、1999年にIT技術を学ぶため米大学院に留学、ニューヨーク大学・インタラクティブ・テレコミュニケーションズプログラム(ITP)でフィジカルコンピューティングを専攻しながら絵画や楽器の演奏(ディジュリドゥなど)とテクノロジーを掛け合わせた作品や楽器を作り始めた。客員研究員時代、ケイシー・リースらが少人数で開始したProcessingに出会い、新たな源流がほとばしるような衝撃を受けたという。「紙やペンを扱うように純粋でわかりやすい」このプログラミング言語の虜になり、リファレンスの日本語訳などを開始し、00年代半ばに帰国した。

近藤は予想もしなかったと言うが、その後のProcessingの世界的な普及は知られる通りである。本人はいたってマイペースで、日本の学生たちにプログラミングやメディアアートについて伝えることに専念している(現在は東京工芸大学や武蔵野美術大学などで教えている)。初期からの仲間として、今年20周年を迎えたProcessingのウェブサイトの移行をボランティアで終えたばかりである。

とてもピュアなタイプの人で、世間の喧騒から距離を置きながら、今はヴィパッサナー瞑想とともに静謐な世界に生きている。アナログの道具や手とともに思考を紡ぐ彼にとってのプログラミングは、独自の詩的な感性と共鳴しているのだろう。「螺旋と貝についての考察」の冒頭は、以下のように始まっている。

この地球、もしく宇宙にある大きな太古からの螺旋の流れの中に私たちは小さな螺旋を持って日常を送っています。人間が作り上げたシステムという螺旋もあります。最近はインターネット内にも螺旋が広がっています。人々がオフラインで奏でていた美しい詩や物語は、もうプログラミング言語に絡まって身動きが取れない状態になっているのではないかと感じます——近藤テツ「螺旋と貝についての考察」(2021年9月)

コンピュータは自然のシミュレーションや新たな造形を可能にした。しかし豊かな創造は、私たちが生きる実空間の手ざわりや重み、空気を伝わり共有される音や匂いや振動などフィジカルな感性を抜きに語れない。

貝を描きつづけることで近藤は、生命に潜む螺旋、いわば自然のアルゴリズムと身体や意識で共振する。それは終わらないセンス・オブ・ワンダーの体験であるだろう。

生命と非生命のあいだ

 

吉本隆明は「生命について」という講演(1994年12月4日)で、三木成夫による生命現象の基本要素に以下の2つを挙げている。一つは螺旋で、たとえばアサガオのつるの先の幹と葉の伸び方は左巻きの螺旋状、人間も出産の時、胎児が螺旋状に回りながら出てくるという(またへその緒も螺旋を形成している)。もう一つがリズムで、天体や人間の身体、人間だけでなく生体の成長のリズムと非常に関係があるという。

螺旋とリズムは、相互に関係しているように思われる。螺旋が形成される際には時間軸をともなうが、そこにリズムが関わるのではないか。むしろリズムによって螺旋が生まれるのではないか。たとえば心臓の鼓動は、平静な状態では規則的に感じられるが、毎回揺らぎがあり同じものは一度としてない。生命は生きていて、カオスの中に秩序が、秩序の中にカオスを潜ませながら循環している。心臓は血液を送り出し、その流れにも螺旋が存在しているだろう。

イアン・スチュアートの『自然界に隠された美しい数学』の螺旋に関する記述の中でもとりわけ興味深いのは、粘菌が移動する際に描く螺旋模様である。コロニーの集団が大きくなると小グループに分かれ、ゆっくり回転しながら移動する。やがて時間が経つと集団の密度が高くなり、螺旋の渦がきつく巻かれ、渦巻きが崩れ、分かれて流れる模様になるという。この軌跡はあたかも貝殻のような螺旋を成している。

 

イアン・スチュアート『自然界に隠された美しい数学』(原書2001年、河出文庫)より
 

生命は、たとえばWikipediaによれば、(1)外界と膜で仕切られている (2)代謝(物質やエネルギーの流れ)を行う (3)自分の複製を作る、の3つを満たすとされている。

福岡伸一は、『生物と無生物のあいだ』(2007)において、生化学者ルドルフ・シェーンハイマー(1898-1941)の「身体構成成分の動的な状態」(The dynamic state of body constituent)という言葉を紹介して、続けてシェーンハイマー(以下)を引用し「新しい生命観誕生の瞬間だった」と記している。

生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物質もともに変化してやまない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である——ルドルフ・シェーンハイマーの言葉(福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 / 2007)

福岡は、「生命とは動的平衡(ダイナミック・イクイプリアム)にある流れである」と述べ、「動的平衡」は、シェーンハイマーの「The dynamic state(生命の動的な状態)」という概念を自分で拡張したものとする。

シェーンハイマーに遡ること約130年、ゲーテは以下のように書いている。

分かれることも集ることも、変貌し特異化し、そして、現れ消えることも、固まり流れ、拡張し集中するのも、すべて生ける統一体の基本特性である——ゲーテ「自然科学への警句」(フォン・ベルタランフィ『生命』原書1949)第2章冒頭の引用より

生物学者の今西錦司は、『生物の世界』において以下のように書いている。

すなわち相異に着眼するならば人間、動物、植物、無生物というごときものはそれぞれ異なったものであろう。しかしまたその共通点に着眼したならば、人間、動物、植物、無生物はすべてこれこの世界の構成要素であり、同じ存立原理によってこの世界に存在するものであるということができる——今西錦司『生物の世界』(1941)

今西の言うとおり、螺旋とリズムは生命に限らないのではと思われる。気象や宇宙の星雲などマクロから素粒子などミクロのスケールまで、世界を動かし形成しているのではないかと。それはまた、コンピュータ内のカオス的な系の変化をとらえたアトラクターにまで至る。

生命と非生命の境界は、1980年代のコンピュータが可能にしたシミュレーション以降、容易には定義できなくなっている。1987年には、クリストファー・ラングトンがコンピュータ内の生命のシミュレーションを「人工生命」と名づけている。ウイルスなど、非生命ではあるが生命的な振る舞いもする存在をはじめ、気象の流れや河川の移動や地殻変動など、生命ではないものの長期的な視点も踏まえると動的で生きていると解釈したくなるようなものもある。そうなると地球や宇宙までも広義の生命と見なすこともできるため、慎重にする必要があるが、科学・技術のあり方自体も含めて問い直していく時期であるように思われる。

木本圭子:見えない情報を可視化すること

 

木本圭子の《イマジナリー・ナンバーズ》(2003)は、自然に見られるような曲線や螺旋がコンピュータ上で描かれた作品である。美しい造形は、作者が描いたのではなく非線形力学系のシンプルな数式の演算による。

 

木本圭子《イマジナリー・ナンバーズ》(2003)
 

木本圭子《イマジナリー・ナンバーズ》(2003)
 

多摩美術大学でテキスタイルを学んだ木本は、80年代前半に登場したアップル・マッキントッシュに出会い、自分の表現を消そうと試行錯誤の中でプログラミングを独学した。作品の生成をコンピュータに委ねたが、実際出てきた映像に出会った時は非常に驚いたという。

「ロジックで出てきたものなのに、ロジックで理解することできなくて。面白いとは直感したけれど、理由がわからなくて戸惑った」(木本圭子、2021年9月10日オンラインにて)。その後木本の活動は、非線形科学やメディアアートの分野で注目されていく。

2008-2009年の長期展示でキュレーションした木本圭子の《多義の森》(NTT ICC)では、《イマジナリー・ナンバーズ》の静止画、動画での展示とともに、リアルタイム演算で生成する映像の実験を行なった。《イマジナリー・ナンバーズ》の数式を同時に多数走らせ相互に結合させたシステムで、生命体のようにリアルタイムでたえず変化する中、個々の振動からは予測できず全体で初めて発現する複雑な様相があらわれた。初期値やパラメーターを変えながら何度も行った中、多様な形態やリズムの中に、自然に潜むような多様性が見い出せた。 

 

木本圭子「結合振動子,または反応拡散系を用いた作品実験」 (2008-2009)「オープン・スペース2008」、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
 

木本はここ数年、生成した映像を異なるきめや質感の和紙にプリントアウトし、日本画の岩絵の具で繊細になぞる作品を作っていた。3年前には海辺の近くに住み始め、刻々と変わる自然と感応しながら現在は墨絵に没頭しているという。

「弓道で的を見ず空気の流れを見るように、描いている時、形ではなく墨の濃淡とにじみだけを見ていると、空気が立ち上がってくる」(木本圭子、2021年9月10日)。対象ではなく、見えない空気や関係性から自ずと世界が創出されうるという視点、それは《イマジナリー・ナンバーズ》から一貫している。

木本は常に、自分に必要なメディアや素材を使ってじっくりと作品に取り組んできた。アナログの素材感を踏まえた上で、パソコン黎明期から30年ほどコンピュータが、その後岩絵の具を経て墨絵がある。メディアアーティストというイメージで語られがちだが、道具や技術の違いにかかわらず、作品そのものに彼女の本質が結実している。

池上高志に聞く:螺旋、そして対称性について

 

螺旋や渦巻きを人工的に生成させる方法に「テイラー・クエット・フロー」がある。19世紀末のフランス人科学者M・クエットの実験を20世紀前半に英国の応用数学者J・I。テイラーが発展させたもので、二重の円筒の間に液体を閉じ込めて、内側の壁面を回転させ速度を上げると円周方向に沿って渦が生まれて波打ち始め、やがて乱れ始める。この流れの断面を見てみると、時計回りと反時計回りの螺旋が交互に層をなしているのがわかる。

複雑系科学者の池上高志とアーティストの渋谷慶一郎がこの装置を使って水のパターンをリアルタイムで音に変えた試みが《Description Instability 記述不安定性》(2005)である。視覚化のためにアルミの粉を水に混ぜ、パターンの変化をCCDカメラで撮影、各画像を音の大きさとして進化アルゴリズムを経由して変化させる。この作品では、パターンが二次元的にキャプチャーされ、「ホワイトノイズではない構造のあるノイズ」(渋谷)が生み出された。

 

池上高志+渋谷慶一郎《Description Instability 記述不安定性》(2005)NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
 

池上+渋谷は2006年の《filmachine》、《Mind Time Machine (MTM) 》(2010)以降、最近は《Scary Beautty》(ロボット工学者の石黒浩によるアンドロイドAlterとのオペラ)などとコラボレーションを継続しているが、そこでは身体と意識、記憶のループ・システムや人間とアンドロイドの身体性や意識の相互転移的な問題系へと発展している。池上は現在、《MTM》の新しいヴァージョンを準備しているという。

この世界で生成する螺旋について池上に聞くと、まず「キラリティ(3次元の図形や物体、現象が、その鏡像と重ね合わす事ができない性質、カイラリティとも呼ばれる)」という言葉とともに、 黒田玲子の『生命世界の非対称性』(中公新書、1992)を紹介された。地球上の動物は、外見上おおむね左右対称だが、アミノ酸や核酸など分子レベルではバランスが大幅に崩れていて、それが生命の起源や宇宙の非対称などの問題を解く鍵も握る、と本のカバーに書かれている。

同書やいくつかの文献に目を通す中で、世界にある対称性の問題が見えてくる。貝の螺旋は圧倒的に右巻きで、人間にも右利きが多い。DNAの螺旋構造は右回りである。地球上の生体細胞の中心には、すべて核酸の右巻きの螺旋があるという。宇宙空間的な意味では、私たちの宇宙の全ての原子は、弱い右回りだとも。台風は北半球では反時計回り、南半球では時計回りの螺旋になっていて、高気圧はその逆となる。対称性とは、左右に限らず安定的状況を意味していて、それが外れることが「対称性の破れ」とされる。

あらためてオンラインで話をうかがうと(2021年9月15日)、池上は、螺旋は究極的には対称性の破れに至り、自発的な対称性の破れ、対称性がどう破れるかが物理のコアの部分だという。対称性は外から破れる場合と内からがある。生物は左右対称的だが、貝殻は右か左に分かれ、黒田が細胞が4つに分裂した段階ですでに対称性が破れていることを実験で証明したという。アミノ酸は、右型(D型)と左型(L型)の鏡写になった構造の型があり、地球上の生命はほとんどが左型である。

池上からは、「質量の起源」もカイラル(キラル)対称性の話であると聞く。QCD(量子色力学)で、カイラル対称性が自発的に破れて、ハドロンに大きい質量を与える。このことは、南部陽一郎がノーベル物理学賞をとった自発的対称性の破れと関係する、と。

螺旋を見ていると、左右という世界の非対称性に突き当たり、そもそも宇宙が非対称になったことに思いをはせる……存在の深淵は、ふだん見かける形態や現象に潜んでいる。
 

「持続がリズムを持つ、もしくは持続というリズム」

 

世界は非対称であり、自然に見られるあらゆるものは、シンプルなルールにのっとりながらも実際の環境に応じて時間的な持続の中で形成され、一つとして同じものはない。流れが形を作り、現象や物として顕現する。そこでは螺旋という動的なプロセスが稼働している……。

「螺旋とリズムは、相互に関係しているように思われる」と前述したが、たとえば黄金律が時間軸へと展開する際、それが広がりループするリズムとなって螺旋を生み出しているのではないか。同時に螺旋はリズムによって生みだされ、これら二つは相互に循環しているのではないか。
 
宇宙の始原から、私たちが想像できないほどの時間や空間スケールで起きている作用は、人間を含む動植物の生成変化にまで至っている。その背後には、一種のプログラムが見出せる。

ループするリズムは、物理的な空間の中で差異を取り込みながら稼働しつづける。ミクロやマクロスケールで起きる螺旋は、絡まり合うことで新たな螺旋へと発展したり、減衰しながら新たな螺旋へとつながっていく(そして私たちもその只中にいる)。ドイツの哲学者ルートウィヒ・クラーゲスはかつて「拍子は反復し、リズムは更新する」と述べたが、世界で生起している螺旋も反復ではなく、更新なのではないだろうか。
 
螺旋とリズムについてはまだまだ考えていくことになるけれど、最後に一つ引用をしておきたい。フランスの哲学者ベルクソンの時間論の重要な概念「持続」とリズムについて合田正人(哲学)が熱を帯びながら読み上げたくだりである。

「リズム(rythme)」は反復を含まず「途切れることなく無際限に」続いていく。(略)「rythme de la durée」というベルクソンの言い回しは、「持続がリズムを持つ」というよりも、いや、そのような意味に解されると同時に「持続というリズム」とも解すべきではないか。ベルクソンにあって、rythmeは持続という質的多様体もしくは動くもの(mouvant)の「総体」が纏う可変的なフォルムないしスキームである——合田正人「美と徳の流氷–「ベルクソンにおけるリズム」拾遺-」、2021年3月19日、日仏哲学会2021年度春季大会プレ企画「ベルクソン「試論」セミナー」、オンライン

持続がリズムを持つ、もしくは持続というリズム……螺旋はそのようなプロセスから生み出され、時間の経過によってまたほどけ、次の螺旋へと派生していく、可視/不可視を超えた世界そのものなのかもしれない。

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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