ART

連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 06

The Spiral Thoughts

「螺旋の思考」(1/2)——ミクロ/マクロ、生命そして宇宙のつながり

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宇宙が生まれて以来、変化し続けているこの世界を生み出してきた力とは何か。キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第6回は、「渦巻き」や「螺旋」といった原理を手がかりに私たちを形づくってきた起源をめぐって。
 

text by Yukiko Shikata

赤ちゃんの夏

 

今年の夏は、新型コロナ感染拡大による深刻な事態、しかしそのような中で決行された東京五輪がなんとも言えない後味を残した。そのような中、個人的には明るい話題として、何人もの知人に赤ちゃんが生まれたことが印象的だった。いずれもアーティストやアート関係者で、6月末から7月初旬にかけて3人、待たれている赤ちゃんが3人。彼らをはじめ、これから生まれる人たちが生きやすく、彼らが創造的な未来を開いていける土台づくりに少しでも関わりたいと思う。デジタル化を介して共創(共同創造)を推進するオードリー・タンが、「想像しましょう。私たちが良い祖先になることを」と言ったこと(フォーラム「想像力という<資本>」基調講演)に心から賛同しつつ。

出産が続くのは、コロナ禍のライフスタイルや価値観の変化によると思う。ここ1年半、リモートワークが増加し、ふと立ち止まり、仕事や生活、そして人生のあり方を見直す時間が増えた。植物を育てたり、パンを焼くなど、身近なところでささやかなことを始めた人も多い。それは生物の一部として、生命や生物の営みを感じたり、自然との触れ合いを慈しむことだと思う。人間中心主義的なまなざしから出て、新たな世界観や生き方を発見した人も多いだろう。

このような世界観のシフトは、日々の思考やアートの世界でもふつふつと起きていると感じる。ウイルスが猛威を振るう中、生きること、生き延びることに目を向けざるをえない時代において、未来に向けて必要なものを残しつつ、よりよいシステムや方法を発明する可能性が開けている。

「つわり」という言葉には、「芽が出る、変化の兆しが見え始める」という意味があるという。私たちも現在、一種の「つわり」の段階にいて、その中から新しい生命が育ち始めている。そのためにも、慎重に、時に大胆に動いていくことが求められている。

生命記憶をたどる

 

赤ちゃんは、小さいながら人間の形をとっている。それは受精卵が分裂を開始してから胎内にいる期間に、地球の生命進化という壮大な記憶を超高速でたどってきた結果である。三木成夫は、それを「生命記憶」と呼んでいる。

 

 

30億年もまえの“原初の生命体”の誕生した太古のむかしから、そのからだの中に次から次へ取り込まれ蓄えられながら蜿蜿(えんえん)と受け継がれてきたもの(三木成夫『胎児の世界』、1973)

三木が影響を受けたドイツの生物学者エルンスト・ヘッケルは、「個体発生は系統発生を繰り返す」と述べている。つまり人間は誰でも、魚類から両生類、爬虫類などを経て哺乳類となり、その上でヒトとして生まれてくる。原初の海ともいえる母親の胎内で起きる出来事は、あまりに壮大で、驚くべきメタモルフォーゼである。それも自ずと生起している……。

遺伝子情報を含むDNAは、コードつまり無機物である。卵子と精子に内包されたDNAから、両者の特質を持つ生命体が生まれてくること、この非生命から生命への飛躍の境界領域がとても気になる。

生命と非生命の間……人をはじめ動植物やさまざまな生命体、そして非生命。赤ちゃんの誕生から世界の起源を遡ると、やはり宇宙のことを考えざるをえない。

『胎児の世界』から、そこに環境や宇宙と通じる原理を想像してしまう。思うに、時間と空間、異なる次元はつながっている。宇宙から生命まで、世界にあるすべてのものは流れとして存在し、流れがもつリズムがそれを形態へと形成し、形態は空間を形成し、時間の中で変容し可視・不可視にかかわらず拡散していく。胎児も、DNA(無機物)が細胞の中で生命(有機物)へとつながり、まるで点から線、線から面そして立体へと襞を形成しながらなだらかに次元を増やしていく。隣接する次元は、なだらかにつながり入れ子状になり、常に流動している……。

人間の身体は、位相幾何学的にはドーナツ状になっている。ただ実際は、循環器系や神経系など、数えきれない経路が複雑にめぐらされている。そしてねじれや絡まり合い、反転から成っている(神経系の左右のねじれ、DNA、臍の緒……)。身体は内部が外部に、外部が内部にねじれつながっている……クラインの壺のように。螺旋やねじれは、環境や宇宙など世界の原理としてあまねく存在し、人間の身体もそれに沿って形成されている。

生々流転する世界

 

前回「私たちの体は超新星爆発の星くずでできている」(村山斉)という言葉を紹介したが、私たちを含む地球の素材は宇宙から来たもので、このような世界へ至った経緯は、エネルギーの流動、つまり情報のフローに因っている。生命や非生命、物や現象、精神も含め、現存するものは、過去から未来へと連なっていくプロセスの只中にある。宇宙のビッグバンから派生して、すべての物や現象が生成・流動・変異してきた、その中に私たちも含まれる。あらゆる物や現象が、何らかのエネルギーの流動や絡まり合いのプロセスとして現れ、分散し、新たなものを派生させていく。そのような世界観から、いくつか引用してみたい。
 
 
パンタレイ(panta rhei / 万物は流転する)——ヘラクレイトス(紀元前500年前後)

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし——鴨長明『方丈記』(1212) 
  
どの物体もそれに接触しているものから影響を受け、そのものに起こるすべてのことを何らかの仕方で感知するばかりでなく、自分に直接接触している物体を介してこの物体に接触している別の物体のことを感じるのである。その結果、このようなつながり合いはどんな遠いところにも及んでいくことになる——ライプニッツ『モナドロジー』(1718)

        
われわれは、絶えず流れてゆく川からなる川の中の 渦巻きに他ならない。われわれは持続的に存在する物ではなく、自己持続的に存在するパターンである——ノーバート・ウィーナー『人間機械論』(1950)

 
 
ギリシャの自然哲学者、鎌倉時代の随筆家、18世紀ドイツの哲学・数学者、そして20世紀の数学者(サイバネティクスの提唱者として知られる)……時代や場所、分野を超えて、流動性に基づいた世界観を見ることができる。

世界をたえず流動する時間と空間として捉えていくこと、それはカオスから秩序が、そしてカオスへ戻り往還しつづけていく動的な世界観である。あらゆる事物も現象もプロセスの一部であり、固定した物に見えてもマクロな時間スケールの中では動き、同時に今もまさにミクロな時間の中で微細に振動し変化している。生身の人間の知覚や各時代の科学・技術の粋を駆使しても感知し得ない世界である。

宇宙が生まれて以来、変化し続けているこの世界、その中から生まれた人間、人間が培ってきた思考、科学・技術、そしてアート……。人間が生み出したものについては別の機会に検討することにして、ここでは、この世界を生み出してきた力について考えてみたい。

素粒子物理学では、自然界には物質間で4つの力が働いているという。「強い力」、(「電弱力」としての)「電磁気力」と「弱い力」、そして「重力」である。肉眼で見ることはできないけれど、ミクロ、マクロのスケールを超えて、これらの力が世界の現象や存在を形成している。

それでは、物質を形成する力や非物質を含め、諸要素が変化の中で形を成したり物化したり分散していく力はどうだろう。たとえば地球に限っても、物理・化学的な反応が常に起き、連鎖していて、そのプロセスで森羅万象の生々流転——気象や地殻の変動、海流や動植物の移動、生物のホメオスターシス(呼吸や循環、消化、体温保持など恒常的に保つシステム)が起きている。人為的な活動を除くと、自然は循環することで全体でサステナブルなシステムとなっている。

自然現象としての渦巻き、螺旋

 

物質間に4つの力が働き、すべての現象や物質化にそれを起こし循環させる力があるとすると、その力の流れはどのようなものなのだろうか。ここに「渦巻き」「螺旋」という原理を導入してみたい。

情報が均質化したところには、現象も物も発生しない。つまり異なる情報が存在すると、それらの境界の歪みから新たな動きや流れが生まれる。それは直線ではなく(自然界に直線は存在しない)曲線となり、その延長として渦巻きや螺旋が生まれていく。そしてあらゆる形態も物質も、情報の流動の軌跡や痕跡と見なすことができるのではないだろうか。

 

ロマネスコ(カリフラワーの一種) Simon Bratt / Shutterstock.com
 

星雲、大気の流動(雲、台風、竜巻、煙……)、渦潮、ゼンマイや巻貝、人間のつむじなど動植物の形態やパターン、DNAの二重螺旋……。自然界には、ミクロやマクロのスケールを超えて渦巻きや螺旋のパターンが至るところに見られる。またフラクタル(自己相似形、入れ子)構造を多く見ることができる。フラクタルは、たとえば地形(リアス式海岸など)や植物の葉、人間(血管の分岐や腸の内壁など)で、以前から知られていたものの、1967年にマンデルブロが幾何学でこの概念を提示して以来、1980年代にコンピュータ・シミュレーションによって研究が進んだ。

 

セル・オートマトン Zita / Shutterstock.com
 

それに並行して1970年代以降、コンピュータ内で生命的なものをシミュレーションする「セル・オートマトン」(格子状のセルと単純な規則による離散的計算モデル)が注目され、1980年代以降研究が進展してきた。そこではそれぞれの分子や単体がシンプルなルールを持ち、ボトムアップ的に稼働することで複雑なパターンが生み出され、ダイナミックに変動していく。

これらはいわゆる「複雑系科学」と呼ばれ、ミクロやマクロのスケールや素材を横断してこの世界で現象が生起するシステムを研究する領域横断的アプローチとして、気象や生命、結晶や乱流、そして交通渋滞や株価変動などにも応用されている。複雑系科学で分析されているような動きやふるまいが、宇宙の始まりから延々と、今に至るまで空間と時間のつながりの中で稼働している……世界をそのように捉えてみる。こうしている私たちも変動している。自律的なものと環境的な要因が絡まり合って、私たちの意識や行為が一瞬一瞬生み出され、それが環境へと物理・情報的に派生し、それが新たな世界の生成要因となっている。

情報のフローそして螺旋

 


高嶺格《海へ》(新バージョン、2005)+ロバート・スミッソン《スパイラル・ジェッティ(螺旋状の突堤)》(1970)「オープン・ネイチャー|情報としての自然が開くもの」展(2005) NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] Photo:木奥恵三 Courtesy of ICC
 

出産直前を撮影した作品をかつて展示したことがある(「オープン・ネイチャー|情報としての自然が開くもの」展、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、2005)。高嶺格の《海へ…》(2005)で、映っているのは女性の顔である。放心状態で、見えないエネルギーやリズムに支配されているかのような女性は、高嶺の奥さんで、第一子出産直前の表情が捉えられている。高嶺は、そこに「未来永劫の野生と完全に一致している」姿を見たという。受精卵が胎内で生命進化の歴史を経て、ついに外へと「出力」される前の境界領域……生々しく、一種の畏怖感さえ覚える。

この作品の隣に同じサイズで展示したのが、ロバート・スミッソンの《スパイラル・ジェッティ(螺旋状の突堤)》(1970)である。米国ユタ州のミネラル分が濃いグレート・ソルトレイクにアーティスト自ら石による螺旋状の突堤を造成、水位や気象、季節に応じて螺旋内外の各所で起きる変化(濃度、色、結晶化……)は、ミクロなレベルだけでなく、自ら操縦するヘリコプターからのマクロな俯瞰が想定されている(映像では、ヘリの音やプロペラの旋回で起きる風の水面や生態系への影響も作品の一部として組み込まれている)。

螺旋を中心へ向かうことは、私たちの起源へと戻ることだ(ロバート・スミッソン)

スミッソンは、自然環境の中に、自然に見られる螺旋の形態を人工的に差し込むことで新たな生態系を創出させた。幼少時に自然史博物館に魅了されていた彼は、自身のプロジェクトを地球史的な壮大な時間スケールで自然や社会に投げかけた。本人は早世してしまったが、《スパイラル・ジェッティ》は今も現地に存在している。

展覧会ではこれら2作を並べることで、ミクロ/マクロ、身体内/環境にかかわらず、たえず生起する情報のフロー(入出力や流動と結節)のプロセスを「自然」という側面から提示した。それは同時に、対立するとされがちな無機物と有機物、生命と非生命の境界をつなげる試みとしてもあった。

古来から人々は、渦巻きや螺旋のパターンを重視してきた。縄文、ケルトやアイヌなど、世界各地で見られるが、いずれも世界の根源的な流れやシステムとして感知し文様とすることで、自然への畏敬や祈りをあらわしてきた。それは直線的・進歩史観的な時間(クロノス)ではなく、自然のリズムに沿って循環し、反復する時間性(カイロス)に基づいている。

例えば波は、天体の運行や引力、海流や風(いずれも方向や強さ、温度や成分)、地形、地殻変動など複数の要因によって起きる。反復するけれど、一つとして同じものはなく、移動することで相互に干渉し、新たな波を生み出していく。

6月末になんとサーフィンを、福島・楢葉町でサーファーの友人に誘われ初体験した!(ずっとやってみたかったけれど、一生その機会はないと思っていた)。サーフボードに立つまでに至らず、遠浅の海でボード上でバランスをとりながら波に乗るのに精一杯だったが、それぞれの波の方向や高さ、強さが違う中で前後左右のバランスをとること、そのための呼吸や立つタイミングが大事だと実感した。不確定な流れを感知し、それと共振しつつバランスをとること。ヨガに似ている、そして人生にも似ていると直観した。

上に引用したウィーナーが提唱した「サイバネティクス」は、ギリシャ語で「舵を取る」という意味からの造語で、天体や気象や波の状況を繊細に感知して舵を取る、という生存のために最重要な狩猟採集的な世界に由来する。サーフィンは、さまざまな機器やシステムに補完された私たちが失いがちな直観を取り戻すことの大切さを教えてくれる。

螺旋〜次元をつなぎ循環へ

 

空間というのは、何もないのではなくて、さまざまな情報(成分、流れ、気圧、湿度、電磁波……)が充満している。そこでは異なる流れが関係し、時には合流し分岐しながら強度を変えて移動している。螺旋の動きは、台風や竜巻ほど大規模でなくても至る所で起きている。自分の呼吸やふとした動作でも空気が動き、周囲のものに影響を与えていく。

自然界に見られる動きや現象は、太古から現在、現在から未来へと、時間と空間を超えてつながって見えてくる。たとえば縄文人のため息さえも、今の気象に関係しているのではと。科学・技術は、人工的な風や動きを生み出してきたけれど(20世紀なら飛行機やロケットなど)、そういったものも含めてうねりはつながっていて、未来の気象や環境に影響していく。蝶の微細な羽ばたきが、遠方に台風を招くというカオス理論のたとえのように、ミクロとマクロのスケールを超えてあらゆるものがつながっているように感じる。

渦潮は、異なる位相の流れ(温度、濃度、速度、方向など)が出会い、絡まり合って生まれるけれど、その渦が同時に動きを派生させていく。受動態であるとともに、能動態であること。それはそれ以外の様々な現象(物質化したものも含めて)においても言えるのではないだろうか。

螺旋はまた、動的に延長されることで、異なる次元をつなぐように思われる。1次元から2次元、2次元から3次元、そして……。次元をつなぐこと、つまり反復による持続的な運動のプロセスが、境界領域を突破しうること。

たとえばメビウスの輪を3次元にすると、クラインの壺のようになる。表と裏が反転してつながり循環しているイメージは、次元では時間軸へと展開したり、4次元以上へと想像的につながっていく。そこでは均質的な時間や空間は存在しない。

考えてみれば、近代において時間や空間が直線性を基盤に均質化されてしまったことが、人類の歴史において非常に特殊なバイアス(矯正具的な意味で)だったともいえるのではないだろうか。もちろんこのバイアスによって、近代科学・技術は飛躍的な発展を遂げたし、私たちはその恩恵を享受している。その良さを保ちつつ、ここ約300年で失われた循環的な時間や空間との関係を取り戻すこと。それは私たち人間を自然の一部として再発見することであり、人間と人間以外の存在(生命、非生命を含めて)との親密性を取り戻すことでもある。

 

ロバート・デイヴィス+ウスマン・ハック《Evolving Sonic Environment》「コネクティング・ワールド」展(2006) NTTインターコミュニケーション・センター[ICC] 写真:木奥恵三 Courtesy of ICC
 

連綿と循環する時間と空間、情報の入出力が相互に起こり、一つの生態系を形成すること……たとえばカエルの合唱やホタルの点滅の同期など、自然に見られる創発的な現象をメディアアートで実験的に試みるプロジェクトの一つに、ロバート・デイヴィス+ウスマン・ハックの《Evolving Sound Environment (ESE)》(2006)がある。

サイバネティクスの研究者ゴードン・パスクらに触発された作品で、自律的に高周波によって「対話」を行う音響デバイスによって、シンプルなニューロン・ネットワークのような生態系を創り出すものである。暗い空間に天井から吊り下がったいくつものアナログデバイスには、それぞれマイクとスピーカーが搭載されていて、入出力を繰り返す中で、ボトムアップで音の生態系を浮上させる。体験者が入ると、その存在と動きによって生態系の安定性が破られるが、次第に修復され、新たな生態系へと移行していく。

 

三原聡一郎+斉田一樹《moids ∞》(2008)「空白より感得する」展(2018/10/13-11/11) 京都・瑞雲庵
 

日本では、同じ年に三原聡一郎+斉田一樹+むぎばやしひろこが自律分散協調システムを用いたサウンドインスタレーション《moids ver.1》を発表、《ESE》と異なり、オープンな環境で不確定的な音の創発を浮上させている。

本作の最終バージョン、三原聡一郎+斉田一樹《moids ∞》は、天井から数百個のデバイスやケーブルが吊られた空間で2018年に展示された。デバイスは、無限大の形を折りたたんだ球状のワイヤーフレームに基板が付いたもので、相互の音の干渉に加え、環境音や人々の声を拾いながら連鎖的に反応が変化する。デバイスからは、ニューロンの発火を思わせるスパークが微細な音とともに発せられる。空間に入ると、宇宙の始原から生起しつづける現象へと接続されるようにさえ感じられる。

さまざまな情報が入出力によって連鎖的に多様な現象を引き起こしていく場。メディアアートは、世界で常に起きている不可視の現象を新旧のメディアを駆使して切り取って、別の形で可視化・可聴化する側面をもっている(と私は思う)。そのことによって、作品体験後に、世界の見え方が変容し、日常の中での想像力が喚起されていく。

螺旋〜自然のシステムと絵画

 

村山悟郎個展「ダイナミックな支持体 -Support Dynamics」*1段階目 2021/6/22-7/18 西武渋谷店B館8F オルタナティブスペース Photo: 四方幸子
 

螺旋という運動が絵画に刻印された作品を今夏発表したのは、村山悟郎である。マトゥラーナとヴァレラが提唱した生命における自己制作的で自己決定的なシステム「オートポイエーシス」(1973)についての思考と実践を展開する村山が、個展「ダイナミックな支持体 -Support Dynamics」において提示したのは、一対のように並ぶ絵画とドローイングの、それらのスケールが次第に拡張し、5つの段階として展開された軌跡としての作品群である。

絵画は矩形の額に収まっているけれど、中心にある小さな正方形から分割された複数の小さなキャンバスが、左巻き螺旋状に配置され、それらの上に描かれた絵画も、中心の起点から左回りに外へと旋回している。それを追っていると、螺旋状の動きを感じてめまいを覚える。作品はいずれも、自然界に見られる黄金比を基盤にサイズが設定されていて、螺旋状にキャンバスが配置され。描画も螺旋状に展開していく。

ドローイングは、黄金比により螺旋状に展開するプログラムといえ、絵画は村山が身体を介して物質化する作業といえる(とはいえ「プログラム」にも手描きの味わいがある)。描画は、タッチがキャンバスを超えて螺旋を形成するように、それぞれ上下を設定して行っているという。その集積が絵画全体で、流れるような螺旋を形成している。

自然界に見られるフィボナッチ数列の隣同士の数の比をとると、黄金比に近づくという。フィボナッチ数列が生み出す螺旋は、世界で最も美しい螺旋とされている。そしてフィボナッチ数列は、フラクタルにも抱合されている。村山は、自然に見られる螺旋というシステムと黄金比を許容する矩形の絵画とを連結し、螺旋的な身体の運動やそこから生じる差異を作品へと生成させる。

 

村山悟郎個展「ダイナミックな支持体 -Support Dynamics」*5段階目 2021/6/22-7/18 西武渋谷店B館8F オルタナティブスペース Photo: Goro Murayama
 

小さな絵画からより大きい絵画の5段階はつながっていて、壁や額で隔てられてはいるものの、その間に螺旋を想像することができる。最大の絵画は、その次段階を含め延々と大きくなる螺旋と絵画を、最小の絵画は、それに至る螺旋の限りないプロセスを見えなくなるサイズまで想像させる。そうなると、ミクロからマクロの螺旋状の動きが、背後に展開されていて、展覧会ではその中の一部、つまり人間の身体や空間のスケール、人間が知覚可能なスケールのみが物質化・可視化されているという解釈さえできるだろう。

螺旋といえば、村山が、一つ前の個展(2020年12月-2021年2月@TSCA)において、織物絵画の新作として新型コロナウイルスのタンパク質の螺旋構造にならって、3次元へと作品を展開したことも付記しておきたい。(→後半へ続く)

 

連載Ecosophic Future|エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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The Spiral Thoughts #2

「螺旋の思考」2/2——対称性の破れ、持続というリズム