人間が自然を征服し、循環できないものを生み出し地球を汚染してしまった頂点としての20世紀に、われわれはいかに向き合うことができるか——。キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第5回は、人間を相対化して地球や大地との関係を更新していくアーティストたちのまなざしをめぐって。
text by Yukiko Shikata
連載エコゾフィック・フューチャー
Ecosophic Future 05
text by Yukiko Shikata
かねてから疑問に思うことがある。土地を所有しているとして、どこまでも地中へと掘り下げると、(到底不可能だけれど)地殻、そしてマントル、ひいては核にまで至ってしまう。どこまで所有可能なのか? 人為的に境界が設定された地表と地球の中心部という日常とはほど遠い世界との途方もない落差。しかし両者はつながっている。私たちは普段、時間や空間的なスケールを人間目線で捉えがちだけれど、実際は自身の存在も日常も宇宙史や地球史とつながっているとつくづく思う。
地表を掘った場合、どこまでが所有を認められるのか? 検索すると「地中40mまで」とある。根拠は「大深度地下の公共的使用に関する特別措置法」とのことだけど、この法は「公共事業」が前提で、それも「適用されるのは東京都、大阪府など全11都府県のみ。それ以外の地域では無制限」「あくまで常識的な使用の範囲が求められる」とある。もちろん国内のみの適用。開発の中で、行き当たりばったりに策定された感が否めない。
人間が地中深くまで大規模に掘り進めたのは、近代の機械化による資源開発以降で、現在は技術の進歩によって相当深部までの掘削が可能になっている。そうなると、人間と地球との関係という、地質学、人類学そして倫理や哲学の問題系に入ってくる。
素粒子物理学者の村山斉(ひとし)は、「私たちの体は超新星爆発の星くずでできている」と述べている(『宇宙は何でできているのか——素粒子物理学で解く宇宙の謎』幻冬舎新書、2010)。まさに私たちの身体、そして地球にあるあらゆるものは、宇宙に由来している。そして地層や土、水、大気、動植物や微生物……いずれもがそもそもコモンズとして生態系を成している。しかし人間は、地表に国をはじめさまざまな境界を策定し分割してしまっている。
「ローリング・サンダーやスー族のメディスンマンもよく言っていたのが『国家というのは、大地の上に敷かれた絨毯だ』ということ。絨毯をまくりあげると、その下には手つかずの自然が残っていて、死んでいったバッファローたちが姿を現すと」(北山耕平インタビュー「地球の上で生きるとは」『スペクテイター』vol.17「日本放浪旅〜Vagabonding in Japan」、2007)。
先史以来人間は、自然を畏敬しながら、狩猟や採集の恵みを分かち合ってきた。近代以降も先住民の人々は世界各地でそのような生活を送っていたが(日本ではアイヌの人々)、ことごとく国家に組み込まれてしまった。この国では、狩猟・漁労・採集主体の縄文時代頃まで人々は所有の概念をほぼ持たなかったとされ、弥生時代の農耕とともに所有概念が生じたとされる。
かなり前になるけれど、米国の企業が月の土地を販売していて違和感を抱いたことがある。遡れば、米国が1945年硫黄島、1969年月面着陸後に星条旗を立てたこと、またそれ以前の大航海時代の西欧諸国による植民地支配のことが頭をよぎる。
札幌を拠点とするアーティストの進藤冬華は、自身が生まれ育ち暮らす北海道がどういう場所なのかを問いながらリサーチを重ね作品を制作している。それは常に、彼女の何気ない日常からふと疑問として立ち上がり、北海道の歴史や成り立ちや人々の生活へとつながっていく。明治時代に日本に組み込まれ、全国から開拓のために人々が渡った北の大地・北海道。土地を与えられた人々は家を建て、厳しい自然の中で生きてきた。政府は当初、近代の諸システムを導入するため多くの御雇い外国人を欧米から招聘、同時にアイヌの人々に日本の制度を強制していった。
進藤は、個展「移住の子」(モエレ沼公園、2019)において、彼女が米国でのリサーチも含め数年取り組んできた北海道開拓顧問ホーレス・ケプロン(1804-1885)を軸に、本人の日記を通して約150年前の北海道や日本、米国に向き合いながら、今を生きる自らの生活を通して複数の作品を発表した。
その中の一つに、《大地》というタイトルの映像作品がある。開拓にまつわるさまざまな活動(ガーデニング、川を作るなど)を自宅の庭で行った実写アニメーションで、廃材を組んで作った「大地」や「土地」という文字が現れるが、一時的な構造体として組まれ解体されるプロセスが、明治期の開拓小屋のメタファーともなっている。進藤は「開拓される土地のジオラマを作るような活動」と語っているが、明治の北海道の開拓や所有の営みを、塀で囲われた個人の土地(と同時に北海道の大地の一部)において想像的にシミュレーションする作業といえる。コモンズとしての大地が国家に組み込まれ、移住した人々が所有することで「北海道」が形成された歴史を、進藤は飄飄としたユーモアと批評性でたどってみせる。
産業革命以降、人間が自然をモノとして対象化するスピードが加速した。何十億年もかけて形成された地層が資源として大量に採掘、消費される中、大規模な土地や水、大気の汚染が引き起こされ、現在は地球温暖化による気候変動が激化している。「人新世」という、人間が引き起こした取り返しのつかない地層年代が加えられた今世紀、宇宙史や地球史スケールで過去や未来を含めて現在を見つめること、自身の延長としてそれを捉えることが私たちに求められている。
放射性物質は消滅するまでに10万年もかかるという。46億年の地球史にとっては一瞬だけれど、人類にとって10万年は、現在発見されている最古の洞窟壁画(約4万年前)の2.5倍という想像を絶する長さといえる。
マイケル・マドセンがフィンランドのオンカロを描いたドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』(原題『Into Eternity』、2010)では、そのような問題が扱われている。原発から高レベル放射性廃棄物を埋蔵する最終処分場で、フィンランド語で「洞窟」を意味するオンカロは、危険物を地中深く埋め、日常圏外へ押しやることで、未来に負債を先送りする施設である。世界で初めて最終処分場に取り掛かったことは英断といえるけれど、同時に人間のスケールを超えた時間の彼方の存在とのコミュニケーションという深淵に直面することになった。
6月11日に福島県大熊町の中間貯蔵施設(福島第一原子力発電所爆発による汚染土を県内各地で除染したものを集めて分別し30年間貯蔵する施設で、双葉町との2カ所。その後は県外に永久貯蔵される予定だが、場所は決定していない)を見学したが、広大な敷地にクレーンで汚染土という負の遺産が埋め立てられている光景は、あまりに虚しく悲しいものだった。遺跡の発掘現場のようにも見え、「逆遺跡」という言葉がよぎったほどである。また以前見学した東京都の中央防波堤(最終ゴミ処分場)に堆積するゴミと土を交互に積んだ地層を思い出した。土壌貯蔵施設には限界があり、放射線濃度が低めの汚染土を再生土壌として利用促進を始めているというが、その決定も含め、社会で広く議論される必要があると思う。
考古学の発掘や調査で行われた地層の断面を見ると、まさにアーカイブだと実感する。地中に行くほど過去へと遡り、堆積しているさまざまな層からは、各時代の地殻や気候変動、そして災害(これは人間目線の言い方で、実際自然に「災害」はない)の痕跡が見出され、岩石や鉱物、動植物の化石などは情報の宝庫である。また火山灰や永久凍土というタイムカプセルに封じ込められていた動植物や人工物は、当時のままの姿で現れもする(地球温暖化で永久凍土が緩みロシア極東部のサハ共和国で発見されたマンモスからは、DNAに加え、血液が取り出され解凍されているという)。
「人新世」の現在、人間によって排出された化学や放射性物質などが、人為的に集約され、新たな地層として積み上げられたり地中深くに埋蔵されるしかないことを、どう考えればよいのだろうか。
仏の哲学者で人類学者のブルーノ・ラトゥールは、地球温暖化を含む現在の状況を「新気候体制」と呼び、既存のローカルからグローバルへ向かうベクトルではない新たな方向(新しい時間の矢)へ向かうための政治的アクター(新しい政治的作用を及ぼしうる存在)として「テレストリアル(Terrestrial)」、つまり「大地に根ざすあらゆる地上の存在、およびその総体としての地球」(ラトゥール)を提唱している。それは人間と非人間によるアクターズネットワークが稼働する可能性の地平といえるだろう(『地球に降り立つ——新機構体制を生き抜くための政治』新評論、2019)。ラトゥールをはじめ、現在人文・自然科学を横断する形で、人間を相対化して地球や大地との関係を更新していくまなざしが、地球規模で共有されつつある。
7月3日に熱海で起きた大規模土石流と傾斜にある住宅地の被災……心配しながらも、私は翌日、知人の鈴木昭男と宮北裕美のパフォーマンスを見に熱海に行こうとしていた。当日朝、大変な被害だとわかって行くのを断念した。彼らに連絡すると、その日のパフォーマンスは中止となり、会場のホテル(ニューアカオ)も被災者受け入れを始めたとのことだった。前日パフォーマンスに来てくれた方の家が被災したという。もともと地盤が不安定で、川の上流部の崩落地点になされた規制を超えた盛り土が被害を拡大したとされている。
地滑りや土砂崩れが頻繁に起きるのは新潟県だが、地盤的には「フォッサマグナ」のエリアにある。熱海もフォッサマグナのエリアにあることを思い出し、7月2日に共同ホストを務めるe講(オンライントーク)「フォッサマグナと諏訪・八ヶ岳山麓」(主催:次の一万年クラブ)にゲスト出演いただいた竹之内耕氏(新潟県糸魚川市立フォッサマグナミュージアム館長)にメールをしたら、以下のお返事をいただいた。
「熱海の土石流は痛ましい限りです。隆起している日本列島の山間地は土石流の多発エリアです。私たち地質屋の感覚では、普段の河川の清流は仮の姿で、数十年~数百年に一度の割合で、土砂と水が一体となって流れる姿こそ、河川の本当の姿と思っています。大地が削られていく(地形が形づくられていく)まさに瞬間です。この自然現象が生活圏と交差すると災害になってしまいます。(略)新潟県は、地すべり面積日本一、石油・天然ガス生産日本一ですが、これもすべてフォッサマグナが原因です」
フォッサマグナは「大地溝帯」という意味で、ドイツの地質学者H・E・ナウマンによって1885年に発見された。約2000万年前、日本列島は中央部分が東北日本と西南日本に真っ二つに折れて大陸から分離、その間にあった海面下6000mの大地溝帯に砂や泥などが堆積し、下から南北の火山列がマグマを吹き上げて八ヶ岳、富士山などを形成したという。現在そのエリアは、西縁が糸魚川-静岡構造線(糸魚川と静岡を結ぶ)、東縁は新発田-小出構造線(新潟県内)および柏崎-千葉構造線(新潟と千葉を結ぶ)とされていて(東縁には異説も)、ナウマンが規定した甲府盆地や八ヶ岳を含む幅より東西に格段に広がっている。そして東京も、フォッサマグナの上にある。
このことを実感したのは、アーティスト、アバロス村野敦子と出会ってからである。4年ほど前、東京造形大学でフォッサマグナについて授業をした後、知人の写真家が参加しているグループ展に行き、奇しくも村野の「フォッサマグナ」をテーマとした展示に出会う。以後対話を続け、一緒に糸魚川にフォッサマグナを訪れてもいる。村野はフォッサマグナのリサーチを「他の人には見えなかったものが、なぜナウマンには見えたのだろう」という問いから2015年頃に開始、頻繁に現地に通う中、日々生活をする東京において「私はフォッサマグナの上で生活している」という実感に至ったという。そのような中から結実した写真集(「Drifting across the sea, Searching for a place to belong. Finding a new home, And calling it their own. Just like the Fossa Magna, Years gone by, Layer by layer, Unseen, but to be known.」、2019)と個展「Fossa Magna−彼らの露頭と堆積」(POST、2020)は、壮大なフォッサマグナの地層に、村野が夫のカルロと営む日々の記録が「生きた地層」(村野)として交差するものとなった。そして私の中では、数百万年前にフィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に衝突したフォッサマグナの歴史と、フィリピン出身のカルロと村野の関係がそこにオーバーラップする。さらに今回土石流を起こした熱海が、伊豆半島の付け根に位置するフォッサマグナのエリアであることを思う。
フォッサマグナの糸魚川-静岡構造線の南端に位置する静岡市出身の齋藤彰英は、構造線に沿って形成された海と山をつなぐ塩の道をリサーチし、写真やテキストによる作品を発表してきた。ここ2、3年、著者が主宰する、東京の水の可能性をリサーチし、アートで活性化を試みるオープン・ウォーター実行委員会のメンバーとしてともにフィールドワークを重ねてきた。2019年のフィールドワークでは、等々力渓谷の剥き出しの地層(関東ローム層や東京礫層など)を視察後、多摩川へと歩き、その年秋の台風の生々しい傷跡(氾濫した多摩川が運んだ土砂が40cmも堆積した「新しい地層」)を目の当たりにしたことが忘れられない。齋藤の新作展「東京礫層|Tokyo Gravel」(8月25日-9月5日@iwao gallery 主催:オープン・ウォーター実行委員会)では、会場のある台東区蔵前も含む都心部一帯の土地と現在おびただしい高層ビルが林立する風景が、かつて東を流れていた多摩川が山間部から押し流してきた小石による古い「礫層」により可能になったことを踏まえ、大都市・東京を普段意識化されない地層という側面から静謐に可視化する。
その上で、鉄や石、硝子が多用された東京の風景も、人々も、この原稿を書いているパソコンも、そもそもすべて土に由来する成分からできているのだとあらためて思う(これは東京に限らないけれど)。
漢文学者の白川静は、日本語の「つち」が土一般をさすのではなく、地中に潜む霊的なものの呼び名だったと述べている。土といえばまた、「人は土から生まれ、土に還る」という言い方があるが、実際人類は、水や土から生まれた動植物の摂取によって生まれ、生き、歴史の長い期間において、死ぬと土葬や風葬によって自然の中に還っていくものだった。土は、微生物や動植物、ミネラルの宝庫であり、そこからさまざまななものを育み生み出す豊穣な母体で人間もその一部であり、そこに日本人は霊性を感じたのではないか(それをことごとく否定していったのは、明治以降だろう)。
そもそも「人間(human)」の語源は、「腐食土:(humus)」や「堆肥(compost)」であるという。近代は、人間を自然や土から切り離したが、それは人間を自然の循環から疎外することになった。現在哲学や人類学において、ダナ・ハラウェイ、ティム・インゴルド、エドゥワルド・コーンやアナ・チンを始めとする多くの学者が、人間と人間以外(動植物、微生物、石や森……)などとのハイブリッド化や共生について語っていることと、人新世とはシンクロしている。また地質学においても「文化地質学」という領域横断的な分野が出てきているという。
アーティストの三原聡一郎は、「3.11」以降、「空白のプロジェクト」と題したシリーズをエフェメラルなメディア(音、泡、放射線、微生物、苔、気流、土、電子、水……)を介して展開、並行して日々取り組んでいるのがコンポストである。近年は、アーティストとしての滞在先で地域の人々の協力を得たプロジェクトへと発展、今年からは、本人が生涯継続するというコンポストのプロジェクト「土をつくる」を開始した。自動で回転することで空気を取り込む自作のコンポストを自宅に設置、その状況をライブで24時間365日配信するこのプロジェクトは、自宅の食材をコンポストと分け合い、微生物とのコラボレーションでできた堆肥を使うことによる生命の循環、そして自分たちの延長としての食物連鎖のミクロな実践である。日々コンポストと「対話」することで、自身とコンポストのただならぬ関係(親密さやつながり)とともに、生と死、人間と土、人間と微生物など生物学や哲学をまたぐ多様な思考が発酵し続けている。
ダナ・ハラウェイが、「我々はみなコンポストなのであって、ポスト-ヒューマンであるわけではない」(ダナ・ハラウェイ「人新世、資本新世、植民新世、クトゥルー新世 類縁関係をつくる」(2015、高橋さきの訳、「現代思想」、特集「人新世」、2017年12月号)と述べたことを思い出す。
三原は、死んだらコンポストに入れて欲しい、と言っている。先月中間貯蔵施設に彼と松谷容作(美学)とで向かう路上、死後どうして欲しいかという話題で盛り上がったが、多様な埋葬文化が注目されながらも、死後の身体をコンポストとして活用することの法的ハードルや、「個人」で行うことに関して地域社会の理解を得ることがまだ難しい、との結論に。その直後、米国で「コンポスト(堆肥)葬」が3州で認可され、サービスが開始されていることを知る(三原は、「面白いけれど、お金払ってまでしたくないなと。個人的に地に還る方法を探していて、いまのところ土葬が近いなと思ってます」とのこと)。
コンポスト葬を知った時、2005年に「オープン・ネイチャー|情報としての自然が開くもの」展(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])でキュレーションした作品の一つ、福原志保+ゲオアグ・トレメル(現:BCL)の《バイオプレゼンス 2055》(2005)を思い出した。人のDNAを木に植え付けて「生きた記念碑」とするサービスをアートとして提案することで、生命観、倫理観を広く社会に問いかけるもので、インスタレーションの一部として棺おけサイズのガラスケース内部に土を盛り、人型に蒔いた種が会期中に育って形が浮き出てきた時の心のざわめきが蘇った。
ここで2つの引用を。
石倉敏明(人類学者)「地層も、土や泥を5億年かけて堆積した生き物の死骸と考えると、生物が鉱物や泥になって地層をつくったり、反対に地層から生き物が生まれたりという循環が見えてくる。ビオス(生命)とジオス(地球)のレベルは互いに連動していて、その上で初めて人類は生きられる」(藤浩志×石倉敏明「ヒューマンスケールを超える資源と物語」、「美術手帖」2020年6月号「新しいエコロジー」より)。
「毎日毎日、私は、遠い昔から今この瞬間までのあいだに生まれて生きて死んで朽ち果てていった無数のものたちの死骸と共に生きている。いろんなものたちの死骸が混ざって分解されて、その残りカスが積み重なったもの、それが土。私がいつも《わたし》だと思い込んでいるものはそんな死骸たちのうちの一つでしかなくて、そのことを思うと生きる力がこんこんと湧いてくる」(よしのももこ「《わたし》は土に還れるか?ー離れ小島でメンドリと暮らす」、『スペクテイター』vol.47「土のがっこう」、2020)
土地、土、大地、コンポスト……。上述のアーティストや引用はいずれも、人間と人間以外の様々な存在とともに循環するプロセスとして、世界を捉えるまなざしに拠っている。それは人間が自然を征服し、循環できないものを生み出し地球を汚染してしまった頂点としての20世紀に向き合うことから始まるだろう。
未来への希望も込めて、キュレーターを務めた現在開催中の展覧会、上村洋一 + エレナ・トゥタッチコワ「Land and Beyond|大地の声をたどる」展(7/21-8/29@POLA MUSEUM ANNEX)を最後に紹介したい。それぞれの思いで知床と向き合ってきた上村とトゥタッチコワの最新の歩みを、ひとつの空間において交差させる初の試みで、このために3人で知床の現地滞在を含めた対話も行なった成果でもある。
上村は、流氷にフォーカスを当て、フィールドレコーディングを基軸にしたサウンド、平面、インスタレーションや写真を展示、トゥタッチコワは、2014年から同地に何度も通う中で、自然と地域の人々との関係に分け入りながら、とりわけ「歩く」というプロセスの中から生まれた写真や映像、ドローイングやテキストを展示する。
タイトルの「Land」は、知床の土地や大地、そして冬の間に現れる流氷という「仮の大地」(上村)を意味している。知床は、北海道東部(道東)に突き出た長い半島で、「地の果て」というイメージを持つ人も多い。知床という名は、アイヌ語の「シリ・エトク(大地の突端)」に由来していて、「果て」というニュアンスとは違っている。
この地は、東京から見れば最果てに見える。しかし歴史的には決して果てではなかった。かつてオホーツク海を介してユーラシア大陸やサハリン、千島列島に至るまでオホーツク文化やトビニタイ文化が栄え、人々や物が移動していた。アイヌの人々も住んでいた。知床は、海を介したネットワークの重要なノードの一つだった。
流氷(年々減少しているという)もまた、大陸のアムール川を源にオホーツク海で形成され、遥々知床に漂着し、養分を溶かして豊かな海をもたらす存在である。いずれもここにたどり着き、しばらく留まりいつかは消えていく……流氷が、人とも重なって見えてくる気さえする。さまざまな情報の流れが、ミクロ・マクロの時間や空間の中で、時には形を成しながら変化しつづけている。実は、固く安定していると思われる大地も、地球史的スパンにおいては同様であるだろう。
タイトルの「Beyond」は、固定的な大地の概念を、想像的に越えていく可能性としてある。「今ここ」だけではない、過去や未来につらなる時間や、空間的に延長されうる地や存在へと。二人のアーティストが、知床の大地に寄り添い、その声をたどろうとする行為は、大地と海、歩行と思考、自然と人工、知覚できるものとできないものの間(あわい)へと向けられている。
未来は、私たちの想像と実践の延長にある。
四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA
キュレーティングおよび批評。京都府出身。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報の流れ」から、アート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com
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