自由でクリエイティブな発想から多くのアートプロジェクトを企画し、ポジティブな変化を生み出しているNPO法人スローレーベルの栗栖良依さん。その活動と、そこにある思いを伺いました。
text by Mayumi Yawataya
photo by Hiroaki Sugita
edit by Mari Matsubara
──アーティストと障がいのある人々が共に行うモノづくりやフェスティバルなど、「SLOW LABEL」が展開するプロジェクトは実に多彩ですね。共通するコンセプトを教えてください。
栗栖 「スロー」が重要なキーワードなんです。生産性や効率が重視されるファストな世の中だと、作り出されるものは画一的になりがちで、高速なエスカレーターみたいなものに乗れない人はマイノリティとして排除される社会にもなってしまいます。でも実は、乗りそびれている人のほうが多数派で、エスカレーターに乗っている人も息苦しかったりする。もう少し、社会全体の歩みをゆっくりすることで、いろんな背景をもつ一人ひとりの顔が見えてきて、それぞれに活躍できる居場所を見つけられる社会を作れるのではと考えています。
──アートの力を活用するのは、なぜですか?
栗栖 一緒に活動しているのは、モノづくりを行うクラフト系の人やビジュアルアートの専門家、フードデザイナー、パフォーマーなど、創造性と想像力を強みとするさまざまな分野のアーティストで、マイノリティと言われる人とも対等な目線でコミュニケーションを取れる人たちです。アーティストはそもそも「こうあるべき」という世の中の常識に囚われないことを美徳としますが、障がい者に対して「なんでそんなにぶっ飛んでるんだ!」と、ジェラシーと同時にリスペクトの目をもつんですね。そんなアーティストと活動することで、社会にある“壁”を乗り越えていけるのではないか。それがアートの力を社会のなかで活用する意義だと感じています。
──アートとマイノリティをつなぐ活動を始めたきっかけは、なんだったのでしょう。
栗栖 もともとはオリンピックの開会式の演出をしたいという夢があり、美術大学ではアートマネージメントやキュレーティングを専攻しました。多くの市民が参加する開会式の演出に共感していたので、仕組みのデザインが必要だなと、社会と芸術をつなぐ勉強を志したんです。また、平和活動にも興味があり、自分の得意なことでならアートやパフォーミングアーツを手段にできるのではとも考えました。そこで、平和の祭典の開会式を見て「これかも!」と。そこから手探りで道を開拓してきたんですが、骨肉腫という病気になったことは最大の転機でした。治療に1年専念し、復帰後に声をかけてもらったのが、障がい者とアーティストによるモノづくりのディレクターの仕事だったんです。2014年からは「ヨコハマ・パラトリエンナーレ」を企画することになり、障がい者とのパフォーマンスをやってみようと、サーカスの要素を取り入れ始めました。
──それが、2020年の東京オリンピック・パラリンピック大会の式典演出にもつながるんですね。
栗栖 サーカスは「スポーツ×アート」であり、年齢、性別、国籍、障がいの有無などを超えて、調和のメッセージを発信するセレモニーに相応しいものなんです。また障がいのあるパフォーマーにとっては、演劇、ダンス、音楽、美術、アクロバットといろんな要素が混ざり合っているので、自分ができることでショーでの役割を作れます。私たちは今、ひとりでも多く障がいのある人が関われるようにと、パフォーマンスを支える「アクセスコーディネーター」「アカンパニスト」という専門人材を育て、「SLOW CIRCUS PROJECT」というプロジェクトも始動しました。海外では、貧困などの社会課題の解決や人道支援にも、サーカスが活用されているんですよ。
──活動を通してどんな社会を目指していますか?
栗栖 障がいのある人も、ない人も、自分らしく生きられる社会ということを最近は考えています。まずは自分を好きになって、周りの目を気にせず自分らしく生きられることで、相手を認め、相手の好きを認められるようになるのかなと思っています。
※初出=プリント版 2020年1月1日号
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