CREATIVE PROCESS #8

写真家・石川直樹がコロナ禍で見つけた未知。 ——連載「CREATIVE PROCESS」第8回

クリエイティブディレクターの馬場鑑平が、クリエイターの創作の秘密に迫る連載「CREATIVE PROCESS」。第8回のゲストは写真家の石川直樹。エベレストからポリネシアの島々まで、世界を飛び回り続けてきた写真家は、海外へ行くことが困難になったコロナ禍で何と対峙していたのか。石川の活動の起点となった『Pole to Pole 2000』から最新作の『MOMENTUM』まで、すべての軸となっている“未知への好奇心”について話を聞いた。

Direction by Kampei Baba
photo by Koichi Tanoue
Text by Yuka Uchida

22歳で体験した「Pole to Pole 2000」とは何だったのか?

馬場 今回、石川さんに登場いただいた理由は、僕が最近になって、石川さんの著書『この地球を受け継ぐ者へ』を読んだからなんです。

石川 ありがとうございます。2001年に出した、最初の著書ですね。

馬場 石川さんからすると「今、なぜ?」と思いますよね。実は今、宇宙関連のコンテンツを作っていて、今の時代、宇宙から地球という星を眺めることにどんな意味を与えられるのか、ずっと考えてたんです。そんなときに石川さんのこの本のタイトルを思い出して、手に取ってみた。この本は、石川さんが参加した「Pole to Pole 2000」の記録ですよね。

石川 そうです。世界中から選抜された8人の若者が、北極から南極まで人力だけで旅をするプロジェクトです。

石川さん初の著書『この地球を受け継ぐ者へ』(ちくま文庫)。北極から南極までを人力踏破した11カ月の記録。

馬場 さまざまな国籍の若者たちが、地球を自らの足で歩きながら、地続きで文化を知っていく。2022年から振り返っても、ものすごく壮大なプロジェクトですよね。こういったことをしている人たちって、僕は他に知らないです。

石川 僕が知る限り、こうしたプロジェクトは後にも先にもないですね。「Pole to Pole」自体は、この一年のみで終わってしまいました。

馬場 石川さんの多岐にわたる活動の、出発点がこのプロジェクトだというのもユニークですよね。この時の経験が、その後の活動にどう影響を与えているのか聞いてみたかったんです。

石川 「Pole to Pole 2000」(以下、P2P)は、2000年4月5日に北磁極をスタートして、2001年の元旦、つまり21世紀の幕開けを南極点で迎える、という行程でした。このプロジェクト以前は、自分ひとりでインドやネパールなどを旅していたものの、グループで旅をするのは初めて。そして、その後もここまでの人数で長期間、旅をしたことはありません。その点でも、強く印象に残っています。期間はおよそ11カ月。その間、プライベートな時間はほとんどなく、常に仲間と一緒。文字通り寝食を共にして、一年弱を過ごしました。ただ地球を半周するだけではなくて、各地の学校でプレゼンテーションをしたり、ボランティアに参加したり、現地の人々とコミュニケーションも図る。環境問題、社会問題、政治、宗教……。そのときの世界が置かれたあらゆる状況を身をもって感じる不思議な一年でしたね。

石川直樹|Naoki Ishikawa 1977年東京生まれ。写真家。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。2008年『NEW DIMENSION』(赤々舎)『POLAR』(リトルモア)により日本写真協会賞新人賞、講談社出版文化賞。2011年『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。2020年『EVEREST』(CCCメディアハウス)、『まれびと』(小学館)により写真協会賞作家賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。コロナ禍の渋谷と人のいなかくなった街で繁殖するネズミの世界を写した『STREETS ARE MINE』(大和書房)や、香川県の屋外飛び込み台で飛び込み練習をする青少年を写した『MOMENTUM』(青土社)など、近年の活動にも注目が集まる。

馬場 今の石川さんに大きく影響を与えている経験もありますか?

石川 スペイン語など、旅する上で必要な最低限の語学が身についたり、ヨットやスキー、自転車のスキルも、ここで学びました。参加メンバーは出発の1カ月前にカナダに集合して、旅の基礎となる知識をみっちりと学んだんです。サバイバル技術や極地での身の振る舞い方、ヨガやストレッチも学んだし、怪我をした時の応急処置なども教えてもらいました。体のこと、精神のこと、あらゆる基本を吸収した。ここで習得したことは、その後の旅に確かに活きています。あとは、旅の最中に行ったセッション。例えば、仲間のいいところや、悪いところを言い合うんですよ。相手の嫌いなところを面と向かって伝える機会なんてほぼないわけですが、それをあえてペアになって言い合う。自分の弱いところが見えてきたり、逆に強い部分がわかったり。旅を通して、人との適切な距離の取り方も学びましたね。

馬場 P2Pに参加している時点で、すでに写真家を目指していたんですか?

石川 いや、明確には決めていませんでした。この先、どうやって旅を続けて生きていこう?とぼんやり考えていたので、写真家だけでなく、ジャーナリストやライターという選択もありました。でも、P2Pの旅で撮った写真を森山大道さんに見てもらったことがきっかけで、写真の面白さに目覚めていったんです。

見る人によって“面白い写真”は変わる

馬場 森山大道さんはどんなリアクションだったんですか?

石川 「これもいい、そういうのもいい」と、一枚一枚写真を見て、コメントしてくれたんです。僕が失敗だと思っていた写真にも言及してくれた。時を同じくして、大手新聞社の写真部の人にも写真を見てもらったんですが、そちらは「石川くん、こんな写真は紙面じゃ使えないよ」という感じで、けんもほろろでした。写真は、人によってこんなに見方が違うんだ、と驚いて、そして写真が好きになったんです。

馬場鑑平|Kampei Baba 1976年大分県生まれ。株式会社バスキュール エクスペリエンスディレクター。広告、アトラクションイベント、教育、アートなど、さまざまな領域のインタラクティブコンテンツの企画・開発に携わる。「HILLS LIFE DAILY」のアートディレクターも務める。

馬場 その体験が、写真家を目指すきっかけになるんですね。

石川 森山さんに会って、自分と違う写真の見方を学び、写真って面白いし、写真家ってすごいなあ、と率直に思えた。例えばこの写真集『Pole to Pole』の表紙もそう。これはレンズ付きフィルムの「写ルンです」で撮った北極の風景です。わからないと思いますが、ここにシロクマが写っているんです。

馬場 このぼやっとしたのがシロクマなんですね。全く気づいていませんでした。

写真集『Pole to Pole』の表紙を指差す石川。ぼんやりと写る白い影がシロクマだという。

石川 分からないですよね(笑)。この時は、前からシロクマが近寄ってきて、動けなくなった。写真を撮りたいけど、いつもの一眼レフカメラは後ろのソリにあって。余計な動きはシロクマの前で禁物だし、荷物を解いて取り出す余裕はないって時に、たまたま懐のポケットに「写ルンです」があり、それで撮りました。でも、帰国して近所の写真屋に現像を頼んだら、店の人が失敗して、変な色に転んでしまったんです。

馬場 確かに、言われてみれば……。

石川 現実の色とはかけ離れているし、僕は完全に失敗だと思っていたんです。でも、森山さんは「これは面白いね」と。それでこの写真を表紙にしました。

馬場 森山さんはどのあたりを「面白い」と思ったのでしょうか?

石川 偶然性ですよね。現像ミスという、意図しない偶然が入り込んで、化学反応によってネガフィルムが変色した。そこが面白い、と。写真、特にフィルムで撮った写真というのは、カメラを通じた光学的な原理が反映されたものです。乳剤が塗布されたフィルム上に像が浮かび上がるのもそう。予想のつかない変化の末に色が転んでしまったという事実は、極めて写真的です。

意図せず生まれた偶然性が、写真を面白くすることもある。この視点が、石川が写真にのめり込むきっかけのひとつとなる。

石川 見る人はいつも被写体に反応するんです。例えばこれなら、北極の風景に注目する。でも、これは“北極そのもの”ではなく、その風景を写した“印刷物”でしかない。ただの紙です。ある小説家が「小説なんて紙の上のシミにすぎない」というようなことを言いましたが、写真も同じ。写真の本質を煮詰めていくと、そういうことになる。

馬場 現実に肉薄していくだけが写真の使命とは限らない、と。

石川 そうですね。事実に肉薄していくのは、ドキュメンタリー写真の王道です。一方で、メディアとしての写真の特性や、意図しない化学反応、機械の目ということを追求していくと写真の特性が逆にあぶりだされていくこともある。僕はどちらにも興味があって、現実に肉薄していくときもあれば、写真というメディア自体に関しても面白みを感じています。

写真と旅は分かち難く結びついている

馬場 石川さんは写真を撮るだけでなく、文章も執筆しますよね。旅と写真とテキストは、それぞれ、どういう関係にあるのでしょうか?

石川 未知の世界を身体で知覚したいという欲求と、見たものを写真に記録したいという欲求は、同時に湧いてくるものですね。行ったら、撮りたい。記憶ってすぐに薄れてしまうから。それに、旅と写真は、どちらが先とかじゃなく、もともと分かち難く結びついています。例えば、探検家のアーネスト・シャクルトンは南極遠征の隊に写真家を同行させました。写真機がない時代に旅をしたダーウィンは、写真家の代わりに画家を連れて行って、さまざまなものを記録させた。旅することと記録することは、昔からくっついて離れないものでしょう。

馬場 なるほど。どちらが先という考え方が、そもそもそぐわない、と。

石川 そう思います。僕は学生時代から常にカメラを携えて旅をしていて、この二十年近く、カメラを持たずに旅をしようとは思うことは一度もなかった。写真が撮れなければ、旅に出るつもりもない。そこが登山家とは違うところではないでしょうか。登山家は1gでも荷物を軽くして、例えば未踏のルートへと向かいます。そんなとき、複数のカメラやフィルムを持っていくわけがないですから。

馬場 では、書きたいという欲求はどの時点で湧いてくるんですか?

石川 書きたいという欲求は、僕の場合はさほどないのかもしれないです。書くことは、写真だけでは伝わらない情報や気持ちや感情を残す、という感覚なんですが、書くことより、撮りたいという思いのほうが圧倒的に強い。写真は、国籍や年齢を問わず世界中の人に何かが伝わりますから。ただし、日記だけはまた違う意味があると感じています。情報としての価値もさることながら、ただ毎日書き残すことに意味があるように思っていて。誰かに伝えるためではなく、ただの記録として書き記す。ヒマラヤ遠征などでは、なるべくどうでもいいことまで日記に書きつけるようにしています。

馬場 石川さんにとって写真やテキストは自己表現なのでしょうか?

石川 写真は、表現かそれとも記録か、という議論は何十年も前からあって、明確な答えは出ていません。でも僕自身は、自己表現と言い切れるものではないと思っています。

馬場 そうなんですか。

石川 例えば、絵を描くことは表現だと思うんです。でも、写真は機械が作り出した像にすぎない。撮る人がファインダーを見ながら四角く切り取っているとはいえ、レンズを通した光学的な反応である、という事実はどうやっても拭い去れない。だとしたら、究極的には表現ではなくて、記録に寄っていると考えます。写真にとっては、記録性の方が第一義的にあるんじゃないか、と僕は思うんです。

別のレイヤーに潜り込んだ先に、未知の世界が広がる

馬場 最新作『MOMENTUM』は、香川の高松で飛び込み競技の練習に励む少年、少女を撮ったシリーズですね。実は正直にお伝えすると、石川さんがどんな思いでこのシリーズを撮ったのかまだよく掴めていないんです。

Naoki Ishikawa “MOMENTUM”, 2021/2022 C-print 90 x 73 cm ©Naoki Ishikawa Courtesy of the artist and Taka Ishii Gallery

馬場 飛び込み競技という被写体も意外でしたし、これまで拝見してきた極地への旅や、世界の民俗学や人類学といったテーマと何か違う空気を感じてしまって。このシリーズが生まれたきっかけは何だったんですか?

石川 高松へは毎月、写真のワークショップの講師として通っていたんです。もう7年近くになりますかね。そのスタッフの一人が子どもの水泳教室に関わっていて、飛込競技に興味はありませんか?と声をかけてくれたんです。通常だとワークショップが終わったら東京に帰ったりして、高松に長く滞在することはほとんどなかったのですが、コロナ禍で時間ができたこともあって、ちょっと見に行ってみようか、となりました。

馬場 偶然、そのプールに行くことになったんですね。

石川 飛び込みという競技は、オリンピックなんかで見かけますが、飛んでから着水するまで、僅か1.8秒前後しかない。どんなに目を凝らしても、見てはいるけれど、彼らが瞬間瞬間どんな身振りをしているのかまでは認識できない。見ているのに、見えていない。けれど、カメラなら、その動きを捉えることができます。カメラを通してしか見られない瞬間、それが面白いと思ったんですよね。

馬場 先ほどの話に戻ると、現実に肉薄していくことを目指した写真ではなく、写真というメディアの特性を掘り下げたシリーズなのですね。2021年は新作として、渋谷のネズミを撮った『STREETS ARE MINE』も発表されていますが、これは“現実の面白さを伝える写真”ですか?

コロナ禍の渋谷と人のいなかくなった街で繁殖するネズミの世界を写した『STREETS ARE MINE』 ©︎Naoki Ishikawa “STREETS ARE MINE”, 2021

石川 『STREETS ARE MINE』に関しては、両方かもしれないですね。コロナ禍の渋谷の移り変わりや変化と同時に、闇夜のネズミの動きを「写ルンです」で撮影しました。渋谷の移り変わりは、高解像度の中判デジタルカメラで撮り、夜のネズミの動きは「写ルンです」で撮った。現実に迫るのはもちろんですが、写真的な実験も兼ねています。

馬場 コロナ禍でなければ、これらの新作は生まれていなかったですか?

石川 生まれていなかったでしょうね。海外に行けないという状況になって、自分の身近な場所を見つめなおすしかなかった。「身近な場所にこそ未知の風景があるのではないか」と以前から考えていましたが、それを自分の中で具現化できたのは、この状況だったからだと思います。

©︎Naoki Ishikawa “STREETS ARE MINE”, 2021

馬場 そうか、石川さんにとっては、渋谷のネズミも、高松の飛び込み競技も、未知の対象なんですね。

石川 僕の中では、見たことのない世界。未知のものに出会って、それを撮っている感覚です。

馬場 つまり、日常における未知が一気に広がったんですね。

石川 そういうことになりますかね。僕らが見ている世界はひとつしかないのだけれど、見る角度を変えれば、無数の異なる世界が現れる。犬が見ている世界、ネズミが見ている世界、老人が見ている世界、赤ちゃんが見ている世界。それらはポイントがすべて違う。ネズミの持つ距離感や時間の感覚と人間のそれとは異なっている。例えば、ラスコーの壁画を最初に見つけたのは、学者でも研究者でもなく、子どもなんですよね。子どもが遊んでいて、ここに変な穴があるから潜ってみよう、と進んでいった先に、何千年も眠っていた壁画があった。その子どもは、大人が見ているのとは異なるレイヤーに入り込むことができた。現実はひとつしかないけれど、視点を変われば別の世界が立ち上がる。そうした未知との出会いは、身近な世界にこそ隠されているんじゃないかと思っています。

馬場 なるほど。石川さんがなぜ『MOMENTUM』を撮ったのか、今はすごく理解できます。

新作『MOMENTUM』が生まれるまで

馬場 「MOMENTUM」の制作過程を詳しく教えてください。

石川 高松には昨夏の3カ月、通算8回通いました。蛇腹でレンズが固定されたプラウベル・マキナという古いフィルムカメラを使っているので、1回の飛び込みに1回しかシャッターが押せません。なので、練習の間中、ひたすら撮影していました。

馬場 1回に1シャッターですか。待っている時間が長そうですね。

石川 そんなことはないですよ、彼らはポンポン飛ぶんです。結構、体に負担がかかると思うんだけど、本当に次々と飛び込みます。

馬場 どういった位置関係で撮っているんですか?

石川 「コンクリートドラゴン」と呼ばれる飛び込み台に登らせてもらい、高い位置からも低い位置からも撮影しました。真上からできる限り体を突き出して、カメラごと落ちるんじゃないかみたいな姿勢のときも(笑)。逆に、上から飛ぶ子を下から覗き込んで撮ったり、プールにボートを出して水上から撮ったりもしましたね。飛び込んだ瞬間の水中の様子を撮りたくて、潜りながら水中カメラで撮ったりもしています。
 

MOMENTUM 撮影スケジュール

 
2021
7/3 午前 ——香川県立総合水泳プールにて初の撮影
7/14 午後——2回目の撮影
8/6 午後——3回目の撮影。ボートを初使用。虹が出た
8/7 午前——4回目の撮影。ボート2回目
9/13 夕方~夜——5回目の撮影。初めての夜間照明下での撮影
9/22 夕方~夜——6回目の撮影。2回目の夜間照明下での撮影
9/24日 夕方~夜——7回目の撮影。3回目の夜間照明下での撮影
9/25日 午前——8回目、最後の撮影/シュノーケルを使用して水中撮影/ラストということで、アクロバットの飛び込みあり

馬場 何枚くらい撮るものなんですか?

石川 1本のフィルムで撮れる枚数は10枚です。それを100本くらいですかね。正確な数は忘れちゃいました。デジタルカメラなら何万枚と撮れますから、とにかく撮影枚数としては少ないほうでしょう。カメラ2台にフィルムをセットして、それぞれ10枚撮ったら、フィルムを入れ替える。アナログな作業です。

馬場 撮影が終わって東京に戻ったら、その都度、現像するんですか?

石川 はい。都度、現像して、ベタ焼き(コンタクトシート)を作って、その中から選びます。なにしろ1.8秒ですから、ピント合わせも大変でしたよ。

肉眼では動きが捉えられないので、「シャッターを押すタイミングは感覚」と石川。

馬場 セレクトも難しいですよね。肉眼では見えていないものを選ぶわけですから。

石川 撮っている時とセレクトしている時とで、二度楽しいんですよね。撮影していた時は必死に目を凝らして見ていたのにほぼ何も見えていなくて、現像してみたら想像もしていなかったものが写っている。面白いなぁ、と。

馬場 「MOMENTUM」とは、慣性や勢いといった「物理的な動き」を示す言葉だそうですね。このテーマは撮影を始めた当初からあったんですか?

石川 最初からテーマがあったわけではないですね。最初は飛び込みをしているのをじっと見ていて、「自分は見ているけれど、本当に見えているんだろうか?」と考えたり、自分が知覚していなかったものが写っていて面白いなと感じたり。そうした繰り返しの中からタイトルが生まれました。

水中ではフィルムカメラが使えないので防水のデジタルカメラを使用。「サイアノタイプ(青写真)」という古典技法でプリントされている。

馬場 おぼろげに見えてきたテーマがあるとして、そのシリーズを続行する決め手となるのは何なのでしょうか?

石川 「これは見たことがない」という感覚でしょうか。写真の歴史は浅いんです。百数十年しかないので、遡ろうと思えば短時間でおさらいができる。なので、遡って見て誰も撮っていないと思ったら、やる。過去に誰かが撮っていたらやらないです。飛び込みの写真は、バウハウスの写真家アーロン・シスキンドが、ミシガン湖で飛んでいる人々を撮ったモノクロの作品があるんですが、今回はカラーで、全く別のものが撮れると確信した。だから、撮り続けたんですよね。

Naoki Ishikawa “MOMENTUM”, 2021/2022 C-print 149 x 120 cm © Naoki Ishikawa Courtesy of the artist and Taka Ishii Gallery

馬場 自分が面白いと思うことと、過去を参照した時に誰もやっていないこと。この2つが重要なんですね。プロジェクトを終えるのはどんなタイミングなんですか?

石川 撮った写真が溜まっちゃって、セレクトで落としても落としても、減らないような量になってしまった時ですかね。これ以上撮っている人は誰もいない、自分しかここに到達していない、と思えたら終わりにします。

馬場 『MOMENTUM』は夏の3カ月間という期限がありましたが、渋谷を撮った『STREETS ARE MINE』は、それこそいつまでも撮っていられそうな気がします。どうやって終わりにしたんですか?

石川 確かに渋谷は、今でも撮り続けられるといえば、撮り続けられますよね。でも、今回は東京オリンピックの閉会式を区切りにしています。東京オリンピックは2020年の開催が延期されて、2021年開催になった。それでも街には「TOKYO 2020」というポスターやフラッグが残っていて、すごく異様な状況でした。加えて、1年延期されたことでオリンピックに向けて盛り上がっていた街に、梯子を外されたような虚しさやから騒ぎの余韻みたいなものが漂っていて、なんだこれ、と。そうした空気に一度ピリオドを打つのは閉会式かなと思ったんです。それで区切りにしました。

馬場 セレクトに費やす日数はどのくらいなんですか?

石川 ある程度撮れたと思ったら、1日、2日で集中して選ぶことが多いですね。

馬場 ずらっと並べるんですか?

石川 写ルンですの写真は、キャビネサイズ(2Lサイズ)くらいの小さなプリントの束から選びます。中判のフィルムカメラだと六つ切りに焼いた写真をある程度の枚数作り、そこから選びます。自分だけで選ぶと撮影時の思い入れの強い写真などを選んでしまいがちなので、自分で粗く選んだあとは、信頼のできる第三者にも見てもらうんです。例えば、ヒマラヤの写真だと、死にそうになりながらカメラを取り出して、ようやく撮った一枚とかを選びたくなってしまう。でも、そんなことは見る人には関係ないですよね。思い入れを容赦なく切り捨てていくために、尊敬する写真家や編集者、デザイナーに見てもらいながら最終セレクトをします。

馬場 自分の気持ちを伝えたい、とかじゃないってことですよね。

石川 「気持ちを伝える」ではないですね。10年後、50年後、100年後の人が見た時に、アーカイブとしてきちんと機能するだろうかってことが重要で。けれど、自分の心情とか自分の視点とかは、どうしたって入り込んでしまいます。切り捨てようとしても入ってしまう。だから、あえてグイグイ入れなくていい。

馬場 石川さんは若い頃から、人の意見に耳を傾けたり、そこからの発見を楽しめる性格だったんですか? 

石川 P2Pの好き嫌いセッションでは、「ナオキは自分の意見を出さないよね」とよく言われました(笑)。みんなが討論をしていても、ひとり傍観しているようなところがあって、最後に「あなたはどう思ってるの?」と聞かれるタイプ。昔から我を出すタイプではない。旅でも「郷に入っては郷に従え」が基本です。異文化の地に行って、部外者の僕が自分の意見を押し付けたら、中には入っていけませんから。

馬場 でも、決して自分がないわけではないですよね。

石川 常に変幻自在でどんな色にも変化できるけれど、折れない軸はある、というか。写真においても、自我を消して向こうの世界を見せようとしているのに、自然と自分が滲み出てしまうのが面白いですね。

六本木で同時開催されていた石川の個展『まれびと』。2019年に写真集として発表した、日本各地の来訪神を撮り続けたシリーズ。

石川 「まれびと」とは、正式にはお彼岸の時期や年越しの時期にやってくる来訪神のことで、折口信夫という民俗学者が生み出した言葉です。別世界からやってくる異質な他者であり、異形の神さまですね。まれびとは、さまざまな変化をもたらす。いいこともするし、わるいこともする。両義的な存在です。それがまれびとの本質ですが、旅人にも通ずる部分があるかもしれません。

次なる旅先、宇宙への好奇心

石川 馬場さんの仕事について伺いたいです。最初に宇宙の話が出ていましたが、どんなことをやっているんですか?

馬場 僕の仕事ですか? 「KIBO宇宙放送局」といって、宇宙と地上をリアルタイムに双方向でつなぐ世界唯一の番組スタジオを、国際宇宙ステーション(ISS)に開設したんです。こういったことができるようになったのは、近年ISSという施設が民間にも開放されつつあるから。宇宙ならではのエンターテインメントに、誰でもチャレンジできる時代がやってきているんです。

石川 馬場さんが企画したことがISSで実現できるということですか?

馬場 そうですね。なんでも自由にできるということではないですが、例えば去年からはじめたんですが、年明けの瞬間をみんなで宇宙で祝い、その後に訪れる宇宙の初日の出を撮影して、その映像をTwitterでライブ配信しています。

石川 宇宙の日の出? それってどういうことでしょう。日の出は水平線から上がってきた太陽のことを指しますよね。

 

KIBO宇宙放送局の番組ダイジェスト。宇宙の初日の出の様子は1:17から。現在もアーカイブ配信が公開されている。

馬場 そうなんです。宇宙でも、日の出は地球の水平線の向こうから昇ってきます。宇宙における初日の出は、確かに定義が難しいんですけど、僕らは「日本が年を越して、ISSが最初に遭遇する日の出」と定義しました。ISSは90分で地球を一周しているんで、年越しの後、結構すぐに日の出が訪れます。

石川 90分!? むちゃくちゃ速い。

馬場 はい、秒速7.7kmです。

石川 すごい。その中に人間がいて大丈夫なんですか?

馬場 大丈夫なんですよ。すごいですよね。ちなみに、ISSが回っているのは地上400kmの高さなんですが、日本上空を通過するときは、動いている様子を肉眼でも見えます。

石川 流れ星みたいな感じですか?

馬場 そうですね。流れ星よりは大分ゆっくりで、5分くらいかけて西の空から東へ移動していく感じです。最初にISSの光の点を探すのが大変ですけど、一度見つけたらずっと追うことができますよ。僕らの運営している「#きぼうを見よう」で、ISSが日本上空をいつ通過するのか情報提供しているので、ぜひ利用してください。ISSを自分の目で見ると、宇宙と自分が、驚くほど近い関係でつながってるんだな、と感じられますよ。

馬場の進める宇宙のプロジェクトに、次々と質問をする石川。

石川 ぼくは本当に宇宙に行きたいです。宇宙飛行士になりたくて。

馬場 そうなんですか! やっぱりそれは、写真が撮りたくて、ですか?

石川 地球上には地理的な空白はほとんどなくなっていますよね。宇宙に行けば、まだまだ無限の未知に出会うことができる。そして、写真を撮りたい。結構、本気で考えているんですけれど。

馬場 本当にあらゆることに興味があるんですね、石川さんは。僕の仕事にまで興味を持ってもらって。熱量に圧倒されます。

石川 興味ないものはあまりないですよ(笑)。興味がないと決めつけてシャットダウンしてしまうと、その先が広がらなくなってしまうから。生きている間に宇宙に行ける日が来るのを願っています。