「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第6回!
TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA
第6回:メルカリって(汗)
年の離れた妻がやっていなかったら、メルカリのことなんて一生知らなかったと断言できる。厳密には「メルカリってなんだ?」と、死ぬまで思っていたに違いない。公定歩合やオフサイドと同じだ。言葉の意味が全くわからない。
2004年に、歌舞伎町に住みだした頃だ。僕は突如として「レディスを身につける」事に目覚めた。女装のことじゃない。サイズの話だ。ブラウスとか、ジャージとか、レディスのLを身につけるのである。
今では結構当たり前の事になっている(逆もありますよね)。僕は身長が167㎝、足の大きさが24.5㎝で、いわゆる短躯コンプレックスなのだが、何がすごいって手首である。僕は、知り合いの女性で、小学生より年長である限り、僕より手首が細い女性と出会ったことがない。
当時、今より体重も10㎏近く少なかったが、人間、手首の太さはそう簡単に変わらない。日本は治安が良いが、仕事で海外に行き、飲み屋で喧嘩に巻き込まれたらもうおしまいだ。映画なんかを見ると喧嘩はいきなり顔面を殴りつけたりするが、あれは擬闘であって、実際の喧嘩は、胸ぐらや肩を掴むところから始まる。手首もよく掴まれる部首である。
ドイツで、2メートルぐらいあるバーのバウンサーと仲良くなって、「なあ? 俺の手首、お前だったら片手で握り潰せるだろ?」と言って実際に掴ませたら、「片手もいらない。ひねって良いんだったら、親指と人差し指の二本で俺はお前の手首の骨を砕ける」と言われた。はははははははは。乾杯(ビールで)。
それによってまあ、護身術というか、基本的には自分の親指だが、フォークや割り箸や、時にはだんごの串までを使って、人の目や耳、鼻の穴に細長いものを差し込む技術を発達させざるを得なかったのだが、それは兎も角、そういう具合で、僕はロレックスだのオメガだのミューラーだのは一生諦めている、というか、そもそもつける気がしない(今何付けてるかって? タイム・ウィル・テルのプラスティックとゴムのやつですよ。真っ白がヒップホップぽくて良いのですよ)。
その時にクリスチャン・ディオールのレディスの腕時計を買った。今はなき、紀伊國屋書店の裏の貴金属専門質屋で一目惚れしたのだ。
正式な商品名は「ディオール66」という。質屋の若い女性店員は「これは、66年のフランス映画に出てくる、有名なハーレーダヴィッドソンのチェーンを模したデザインなんです」と言った。
上京したばかりの店員さんの丸暗記だからしょうがないが、僕はそれが、仏英合作の『あの胸にもう一度』の事で、一時期はある種のフェティッシュのアイコンだった、マリアンヌ・フェイスフルがバイク(ハーレーだけではない)に乗りまくるために、裸の上に直接着るレザーのジャンプスーツ(このフェティッシュは、『エイリアン』第1作のシガニー・ウィーバーやら、『キル・ビル』のユマ・サーマンやらに継承されている)が有名な、バイクエロ映画で、1968年の映画だから数字が微妙に合わないんだが、まあ2年ぐらいの誤差なんてどうでも良い、この時のマリアンヌ・フェイスフルが、一説によればルパン三世の峰不二子の……と、話が全然進まない。
重症の一目惚れをした僕は、確か4万円で購入した。レディスなのに、さらにチェーンを二つ分外して、ジャストフィットした時の官能は忘れられない。そしてもし防水だったら風呂の中でも、寝るときでも付けっぱなし、といった勢いで、身に付けに付けまくり、3カ月で紛失した。重症の一目惚れの結果としては、妥当なものだ。フロイドで言えば、強迫である。思い当たる節もない。部屋中探してもどこにもない、神隠しのように忽然と消えた。
哀れで情熱的な僕は、彼女を探し求めた。同じ質屋から始まり、質流れの雑誌を読みあさり、東京中、全国各地の質屋、ディオールの路面店、新宿二丁目のバーのママ、手を尽くせる場所は全部あったったが、2~3年見つからなかった。僕は驚くべきことに、ディオールの日本オフィスに電話までかけた。
とうとう僕は諦めた。SNSはなかったし、Amazonも確かなかった。ヤフオクぐらいあったかも知れないが、やり方がわからなかった。僕はミクシィの段階から乗り遅れたまま、現在は様々な理由から、アンチSNS、アンチAmazonの立場を標榜している。大きなハートと検索力を持てば、どんな探し物だって簡単に見つかる時代なのだろう。
代役のメゾンは多岐に及んだ。シャネル、グッチ、フォリフォリ、彼女たちは全員、最初の女性を思い出させるだけの拷問具になった。
そして拷問さえも終わって生活に最悪の安らぎが戻ったある日、僕と同じくアンチSNSだった妻が、やたらとスマホをいじり始めたので、何をやっているかと聞くと、メル(以下、察しがつくだろうから省略)。
「ディオール66っていう、バイクのチェーンの格好した腕時計なんだけど」「そんなの一発で出てくるわよ」「まさかあ(笑)」
一発で出てきた。しかも、何個も何個も。なんだそれメルカリって、なんの略だか知らないけど、「メチルホスホン酸カリウム」だろうか、「メールで借りる」の意味だろうか?「フィンランド語で<個人商店>」とかなんとか?っていうか、検索すればいいのだ。しないけれども。いずれにしたっておっそろしいな。じゃあ、じゃあさ、あのね、これもむっかーしのモデルで、今してる人見たことないんだけど、ドルチェ&ガッバーナの、文字盤がピンクの、周りにスワロフスキのついた……「これじゃない?」「そうだ!うわー! 何個も何個も!!」
もう一度言うが、僕はSNSに先駆ける、巨大掲示板やミクシィから乗り遅れていて「自分の公式ウェブサイト」にしがみついているうちに時代に完全に乗り遅れた遅刻者だ。メルカリのメディアとしての勘所なんて分かるわけがない。初めてアフリカに行ったポーランド人のようなものだろう。この例えには意味はないが。メルカリって、そもそもどこにあるの? ノルウエーですと言われても台湾ですと言われても、福島ですと言われても納得するしかない。
僕は、13年前に恋い焦がれたのだ。そして手に入れたのだ。そしてすぐに失ったのだ。そして寝食も忘れて探しまくったのだ。そして、とうとう諦めたのだ。分かるかねSNS社会に住むルーディ。このむせかえるようなロマンティシズムが。間違い電話や、たずね人や、猫探しのイラストが電柱に貼ってあったのだ、犬は電柱に尿をかけた。そもそも電柱だ。電柱が社会構造に組み込まれていたのだ。
ロマンもプライドもカシャリと砕ける音がした。僕は購入ボタンを押せずにいた。もし、万が一押してしまい、無事に届いた暁には、「コメント」はこの連載のURLを貼り付けることにする。
もう一生会えない、追憶の中にだけ生きる筈だった、失われた恋人が、ぞろぞろスマホの画面の中に出てくるという手酷さ、それを買わずにはいられない自分、買って嬉しいかどうかすら予想できない自分。僕は「メルカリって盗品は売れないよね」と妻に言い「え? まさかあなた、これを、自分が盗まれたものだとでも?」と、引かれるしかなかった。そして、猛然と襲ってくる「そ、そしたら俺の部屋にあるあれとこれとこれが売れる筈だ。山ほどあんぞそんなもん」という劫火のような欲望に対し、消防士のような必死の消火活動を続けているままである。それはきっと、ディオール66が再びこの細すぎる手首に巻かれた時に、どちらかに転ぶだろう。購入ボタンは、まだ押せていない。
連載「次の東京オリンピックが来てしまう前に」
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。
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