CITY OF AMORPHOUS 2

パリに学べ。なんてもう言えない——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」②

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第2回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

第2回:パリに学べ。なんてもう言えない

「観光食堂」という言葉を知っている人々は、50代後半の、しかも一部の人々だろう。僕の記憶が確かなら、1970年代から発生し、玉村豊男氏あたりが1980年代あたりから効果的に使うことで、いわゆるグルメを自認する人々の間で定着した言葉である。

今は「1億2千万総グルメ評論家」と言っても差し支えはない時代で、それを言ったらグルメだけでなく、剣より強いペンより更に強いSNSを握りしめて、ありとあらゆる人々が、ありとあらゆる事柄に一家言もつ評論家かコメンテーターばかりの国である。「国民が全員批評家になった時、その国が求めるのは巨大な権力、リヴァイアサンである」とホッブスは言ったが(ウソ。ぜんぜんそんなこと言ってないが)、まあそれは兎も角、誰でも食事へのウンチクを垂れる時代となった現在なのに、いや、だからこそ、か、「観光食堂」は死語だろう。とはいえ使用例を挙げれば推測ぐらいつくんじゃない?

++<使用例>++
グルメ会社員A「こないだレアールの例のビストロに行ったら、もうさあ」

グルメ会社員B「あのビストロもすっかり観光食堂になっちまったってわけだな」

グルメ会社員C「いやあ、ノートルダムから見渡す限り『5カ国語メニューあります』の看板ばっかりでさあ。鴨のコンフィが隣の店と全く同じ味なのよ。驚いた」

グルメ会社員D「ふっ。あの辺りは60年代から観光食堂しかないよ」
++++++++++++

懐かしいぜー!懐かしいよー!良く聞いたよこの会話ー!

っと失礼、ノスタルジーはついつい人を興奮させるもの。とはいえなんとなく「観光客相手の料理店=大味で粗雑な店」といったイメージが浮かんできたでしょ?(「ぼったくり」とか、逆に「ホスピタリティが高い」とか想像した人もいるかもしれないけれども)

そう、それで正解なのだが、もう少し詳しくいうとこうなる。

++<定義>++
A)第二次世界大戦後のアジア圏の国々は、海外渡航法によって、一般人の海外旅行が様々な形で制限され、やがてそれは経済的な復興によって、どんどん自由化されて行った。北東アジアに於いて、その尖兵が我が国だったことは言うまでもないだろう。

パンアメリカン航空が提供会社に名を連ねたテレビ番組「兼高かおる世界の旅」によって啓蒙され、ジャルパックや農協旅行など、パックツアーという商品が飛ぶように売れ、我が国の第一産業の従事者の方々や、会社の研修旅行の方々は「眼鏡をかけ、首からカメラを下げて、同じ背格好と顔をした無個性な集団。風光明媚な場所で、風景を見ずに写真を撮り続ける。英語は喋れず、常に曖昧に笑っている」といった嘲笑的なイメージを欧米人に持たれるに至る(因みに大韓民国で、一般人の海外旅行が自由化されたのは89年)。

主にパリやローマといった欧州の観光都市で、主に欧州料理の店、つまり、カフェからビストロからレストランまで、あらゆる料理店は、ある時から降ってわいたように市内を闊歩する彼等への対応策を練らなければならなかった。

そこで「土地の者が来る店と店の間に、知らぬそぶりで、特に美味くはないが(というか、まあ、不味いが)、有名なメニューは揃えてあり、外国語メニューが置いてある(さすがにパリのガルソン達が必死に日本語を勉強する。ということはなかったので)、観光会社とつるんだ店が点在するようになり、何も知らない観光客達はその店に詰め込まれる。これが「観光食堂」。

B)老舗のビストロやトラットリアが観光ガイドに載るようになると、観光客が押し寄せ、いわゆる「客筋が荒れた」格好になった。大雑把な下準備で適当に作っても彼らは大喜びで写真を撮り、チップを払わずに(あるいは、過剰に払って)帰って行く。フランやリラしか使えなかった店にカードやトラヴェラーズ・チェックが定着し、店の水準はどんどん落ちてしまい、看板には下手くそな手書きの「日本円メニューあります」。いたずらに忙しくなって、有能でアティテュードの高いシェフやガルソンは辞めてしまい、求人広告が。腕の悪い職人が、あの老舗に求人があるといって着任。水はどんどん低きに流れ、劣化は食い止められない。これが「観光食堂」。
++++++++++++

まあ厳密には(B)は「観光食堂化」というのが正しいのだろうが、いずれにせよ周到な二枚舌、もしくは堕落である。文化差別でも、ましてや宗教差別でも、さらに言えば地区差別でも絶対ないのだが、日本でこんなキリスト教徒みたいな意地の悪いことや絵に描いたような退廃が可能なのは京都だけだろう。京都はすでに、日本人同士でこれをやっている可能性が最も高い観光都市であろう(少なくとも函館よりは)。

現在の東京は、学ばなければならない事態に対し、学びを怠っているのではない。気がつけば、というのが最適であろう、学ぼうにも教師がいないのである。パリの残虐さ、イギリスの慇懃無礼さ、イタリアの陽気さ、どころではない、中華人民共和国の大陸的な鷹揚さすらない、清潔で優しくて気の弱い我々は、これからやってくる「観光立国」という大仰な言葉があながち大仰でもない状況に対して、何と、完全な全方位外交のスーパーホスピタリティで臨もうとしているのである。すごいよ今、中韓国語の学ばれ方つったら。学び足りなくて、中韓国語が話せる人から順に雇用がある。ユニクロの銀座旗艦店なんか絶対そうだ。フランス語と中国語しか聞こえてこないからシノワズリである。

どんなにネットが荒れようと、列にはちゃんと並び、和を尊び、恥を知り、客人をしっかりもてなす。なんたるジャパンクール。しかし、それだけなのであれば、やがてはパンクするし、淘汰の果てに、ホスピタリティなんか気にしないアキバとゴールデン街だけが客も店もリラックスした外人天国になるだろう(既に新宿では、そうなりつつある)。

現在の東京は甘い地獄なのだ。どういう意味で? ミシュランの星大盤振る舞いは、奴らの二枚舌や下心では決してない。東京は「まずいものが食えない地獄」という、結構な地獄になってしまった。喉が渇いている漂流者のようなものだ。一面が水なのだが、しょっぱいので飲みたい放題、でもなおさら喉が乾く。

大陸からのお客様たちや半島からのお客様たちのことを考えなくとも、この地獄は真綿で首を絞められるようにエグい。我々は、どんなに作りたくとも、構造的に観光食堂が作れない地域に生息する美食性の動物なのである。

これからは、タイムマシンに乗りさえすれば、手を伸ばしただけで手に入る、食えたもんじゃない蕎麦屋や、看板だけ立派で、味がよく分からない割烹や、食品か工業製品かわからないようなコンビニのフードやドリンクを必死に探し出し、それが宝石となるだろう。お約束のコード進行で泣かす、サビの前に敢えて入れる、ちょっと退屈な数小節が黄金となるだろう。微妙に整合性を欠いたまま萌えさせボロ泣きさせる脚本が(「○○○は」のことじゃないよ。ウソ、ことだよ)その年を代表する作品を駆動させるだろう。微妙に読みづらく、微妙に長いエッセイが、日本エッセイスト協会賞のノミニーとなるだろう。私のそれのように(諧謔です諧謔)。 
 
連載「次の東京オリンピックが来てしまう前に」

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。