CITY OF AMORPHOUS 4

土用の丑の日(ベタな)——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」④

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第4回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

第4回:土用の丑の日(ベタな)

鰻が大好きで、真冬でも喰うし、コンビニ(コンビニ食はいまや全くジャンク扱いできないけど、というか、もう東京に本当にまずい、本当のジャンクフードなんてないけど)の1000円ぐらいのから、ミシュラン星付の1万円(うな重にだけ固定)まで、どれでもみんな好きだ。「これが好き」という時、証明の方法としては「一番安いのから一番高いのまで、みんな好き」かどうか?が、有効な一つとして挙げられると思う。すき家のうな牛とか最高であるし、竹葉亭 銀座店の白焼きも完璧だ。

僕は焼肉がさほど好きでない、和牛A-5信仰みたいのが全くなく、最高級店だと1皿持たない。和牛というのはシンプルにいって、とても不味い肉だ。江戸時代、マグロのトロは捨てられていて、赤身が最上とされた、という話を聞くだに、サシが蜘蛛の巣のようにびっしり美しく入ったミスジとか、脂っこすぎて捨てるべきだと本当に思う。

焼肉というのは料理の中でもオモチャに近いと思う。牛角とか安安とかが一番美味い。この歳になると、ほとんどのことがどうでもよくなって「こんな奴嫌い」とかいうきめ細かい元気もなくなるが、「高級焼肉店にベンツで乗り付けて、弟子を山ほど連れてロマネコンティ抜いてふんぞり返ってるバカ」は、もう本当に、掛け値なしに笑うほど嫌いだ。あんな下品でバカな奴らは地球上探しても、高級焼肉店にしかいない。いっそ清々しい。書いているうちに大好きになってきた。

avexが自社アーティストだけでやるa-nationというフェスがあって、テレビとかで観ながら「こいつらほど高級焼肉が似合う人類はいない。絶対に高級焼肉ビル借り切ってるに違いない。んで出番が終わった順にそっちに移動するのだ。そんで、最後の浜崎あゆみが終わるまでサラダとスープだけで、浜崎さんが終わって、全員が揃ったら乾杯があってカルビが食えるに違いない、要するにa-nationじゃなくて牛(ぎゅう)-nationでしょ。焼肉が最高の好物である人々。わははははは」とか言って、同じ業界でも一生縁はないということを担保に、安心して嘲笑している。僕はメディアではジェントルメンであることを心がけているが、プライヴェートの口の悪さは自分でも寒気がするほどだ。

鰻に戻る。僕の実家は千葉県の銚子市という漁港街だ。昔は鰯、今は金目鯛が有名だが、実は銚子市は太平洋と利根川がぶつかり合う地点で、長らく天然鰻の聖地だった。上物は東京の料亭や鰻屋に卸すが、小さかったり、傷物だったりする、商品にならないやつが大量に川から上がる。これを、銚子の女たちはバケツ買いして、自宅でインチキな蒲焼にして食べるのである。

僕がエッセイストとして、もう少々腕があったら、この風景の記憶だけで、かなりの一編が書けるはずだ。彼女たちは、利根川から上がる川魚や沢ガニの、魚市場というには小規模すぎる、賭場みたいなスペースに出向き、両手に持ったバケツに、傷物の鰻を詰め込めるだけ詰め込んで計り買いし(相当安かった筈だ。因みに僕が覚えている、最も安いシーフードはイルカで、角切り肉の価格は一舟40円だった)、汗びっしょりのまま、満面の笑顔で各々の自宅に帰ると、ソウルフードとしての鰻を捌きに入った。

なんだかもう、縄文人の、手製の道具みたいなワイルドな奴で、目打ちをし、腹を開く。別のビニール製の青いバケツに肝はみんな入れてしまう。あらゆる家の軒先で行われる、この工程自体が、原始人の村落のようだ。料理人になるべく5歳から仕込まれていた僕は当然手伝った。あの時の原始的な包丁さえあれば、今でも鰻は裂けると思う。

肝は大釜にぶっ込んで生姜と醤油でどんどん炊いてしまう。銚子は千葉県だと野田と並ぶ醤油の町でもあり、醤油を味わうために食事をしているぐらい醤油が好きな人々でいっぱいだ(僕も未だにそうだ)、うな肝の佃煮だの、そもそも鰻のタレだのはもう最高である。蒸す工程は面倒なので割愛される、ので白焼きはなかったが、醤油とわさびで食ったらさぞかしうまかったろう。蒲焼は炊きたてのご飯とともにバクバク何匹も食った。立ったままだ。

僕の鰻の原風景はこういうものなので、後に野田岩さんだの尾花さんだの、神田川さんだの、竹葉亭さんだの八沢川さんだのに行っても、贅沢をしているという気分には全くならない。丁度、焼肉が好きな奴が焼肉屋にいるのと同じ気分ではないだろうかと思っている。

さて、ここまでが前置きだ。今回のテーマは山椒についてだ。

「鰻に山椒」は、ストリート鰻出身の僕からすると、かなりエレガントなものだった。昭和の粉山椒というものは、昭和の七味唐辛子と同じで、おしなべて腰が抜けており、なんとなく、爽やかな香りがするだけのものだったから、まあまあ、味に大した影響はないし、うな重の蓋を開けて、瓢箪型の入れ物からささっと振りかけるのは、なんというか、大人の嗜みというか、一種の儀式というか、そういうものだった。

なので僕は、子供の頃から、店で食べるときは何も考えずにうな重にささっとかけて食っていた。そのうち、かけない方がいっそ旨い、と思い立ち、それから何十年か、山椒は使わない派だった。

先日、歩いていたら「あ、明日、土用の丑の日」と突如気がついて、丁度伊勢丹の前にいたので、伊勢丹の中の宮川さんに伺った。伊勢丹の7階イートパラダイスは、売り場が閉まっても営業している。8時過ぎに、本店が閉まってから入って行く伊勢丹は風情があって良い。

腹がペコペコだったので、中入れ丼を頼んだ。中入れ丼について詳細に書くだけでも、そこそこの食エッセイになるだろうが、とにかくうな丼のでかいやつだ。

54歳になったばかりだったので、と言うのも変だが、とにかくその時はそう思って、何十年か振りで、こう、典雅に山椒をふってみた。昭和の、腰の抜けた山椒しか連想できなかったので、結構大量にかけた。

と、これが驚いた。腰が抜けるほど。

名店である宮川さんのうな丼が、中華料理にしか思えないのである。

理由は書くまでもないだろう。我々は、いつの間にか、長らく「あまり正体のわからない、うな重の時にだけ出てくる、グリーンの粉」であった山椒に関して、主に中華料理によって、体験し、学び、すっかり強烈でキャラクターの明確な調味料として消費していたのである。麻婆豆腐や担々麺は言うまでもなく、かなりの高級宴席中華でも、山椒はやれソースに、やれ広東式炙り焼きの下味にと大活躍なのである。

鰻食いは、中華料理である田鰻のぶつ切り煮込みや(山椒が山ほど入っている)、フランス料理のマトロート・ダンギーユ(鰻のブルギニオン=ブルゴーニュ風赤ワイン煮込み。で、基本的にはココット料理というか、スチューである)も愛している。

にしてもである、山椒の意味が昭和と逆転することで、江戸前のうな重(伊勢丹店の中居さんは全員和服だ)が、中華料理にしか思えないというのは結構なカルチャーショックである。スウェーデン人コスプレイヤーが物凄く美しい、とか、そういう感じだろうか(全然違うと思う)。途中で冷たいウーロン茶を飲んだら(この「ウーロン茶」が、割烹での下戸の救世主として登場した日だって、僕は覚えている。それまで下戸の人々は、夏場、三ツ矢サイダーやコーラで懐石を食っていたのだ)、舌全体が、ビリビリに痺れているのである。うおー!!

頭を働かせたら、キリがないだろう。伊勢丹に来る大陸からのお客様のこと、和食がほかの料理になって行くメタモルフォーゼや、幼少期からの走馬灯のような記憶。世界一食べ物が旨くなってしまった東京にも、不味いものや意味不明のものが沢山あった、昭和という時代。20世紀。山椒の歴史。「しびれる」という感覚が独立するような、何かの爛熟期。

しかし、僕の思考は完全に停止してしまった。「うな重が中華料理に思える」という、かなりのトゥイストは、僕を、ちょっとどうかと思うぐらいに興奮させた。日本という静かで優しくて小さい国の、ささやかで美しい記憶など、踏みにじってどんどん進んで行く、大陸の英雄にでもなった気分で、僕は、うおーうおーと言いながら、大量の山椒を鰻丼にふりかけ、大いに発奮した。うな重ではなくうな丼だったのも功を奏したのだろう。「複雑な思い」など、何もなかったということだ。

江戸情緒の粋で金儲けができると思っている官公庁に僕は賛成だ。それはかなり悪どい、ワイルドなやり方だからで、本当の粋人からは馬鹿にされている。しかし、いや、だからこそ、僕は粋人たちに、今こそ、舌がしびれる山椒をたっぷりかけた、このうな丼を食わせたい。「どうすかお師匠はん。中国料理みたいでげしょう」とかなんとか言いながら。それは、銚子の女たちが、炎天下に二つのバケツを足元に並べ、汗と鰻の血にまみれて、のたうちまわる鰻を、残虐というに吝かでない表情で笑いながら、どんどん捌いていた記憶としっかり結ばれていた。

我々の人生は、短い。とても短いのだ。僕は両親から、人としての教育をちゃんと受けていないので、ストリートで全てを学んだ。我々はワイルドでなければならない。短い人生を、大胆に楽しみ尽くさないといけないのである。しかし、街には育ちが良く、自制することによって生きてることの意味を見失っている人々でいっぱいだ。いま、物語があるとすれば、ワイルドな者が、自制の強い者を救うことだけしかない。僕はさらに山椒をふりかけ、結構な大きさの丼を空中に持ち上げてかっこんだ。僕の左腕にはヒンドゥー教の神鳥である、ガルーダの刺青が大きく入っている。僕は自分の刺青に「ほら! お前も食え!」と言いながら、目をぎらつかせて笑った。そこには、あらゆるアジアの歴史がデタラメに再編されている。
 
連載「次の東京オリンピックが来てしまう前に」

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。