J-P DELHOMME IN TOKYO

油彩でとらえたポートレートの「存在と不在」——ジャン=フィリップ・デローム「visage(s)」(〜11/5@ペロタン東京)

雑誌や広告のイラストレーションで30年以上活躍し続ける人気アーティスト、ジャン=フィリップ・デロームはここ10数年、油彩作品に専念している。新作の肖像画を中心とする個展を〈ペロタン東京〉で開催中の本人に話を聞きながら、会場を巡った。

PHOTO BY JUNPEI KATO
INTERVIEW & TEXT BY MARI MATSUBARA
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO

〈ペロタン東京〉での展示風景。

塗り分けられた壁の色は、デローム氏のアトリエにあるバック紙の色と同じ。

自分だけのために始めた油彩

濃紺、空色、オークルに塗り分けられたギャラリーの壁面に展示される顔、顔、顔。単色に塗りつぶされた背景に、ラフな服装の女性たちがリラックスしてただ立ち、あるいは座り、こちらを見返していたり、あらぬ方向に視線を泳がせていたり。ディテールを描きこまない分、その人自身の瞬間的な魅力を捉えたような、写真的なスピードも感じさせるポートレートだ。何より、作家の描く喜びがどの作品からも伝わってくる。

「イラストレーションの仕事をしながらも、個人的にはずっと油彩を描いてはいました。2009年から1年間、ニューヨークに家族と共に住んだことがきっかけで、そのままブルックリンにアトリエを借り続けることにし、パリと行ったり来たりしながら仕事をするようになりました。ニューヨークのアトリエにいる時、自分のためだけに風景や静物や、アトリエにやって来る人の肖像画を油彩で描くようになったんです。ニューヨークはいつも何か新しい試みやステージへと導いてくれる街です」

1985年から広告や雑誌のイラストレーションの仕事を始めたデローム。それが油彩へと軸足を移すことになったのはなぜなのだろう?

「僕が仕事を始めた80年代は、油彩というのはそれほど持てはやされる存在ではなく、当時は雑誌など印刷媒体での仕事の方に興味がありました。写真家のようなワークスタイルに憧れてね。つまりポートフォリオを抱えてロンドンやニューヨークや日本を飛び回り、撮影をする彼らのスタイルが魅力的に思えた。油彩ではそうはいかないでしょう? だからグアッシュ(水彩絵具の一種)などで描いたデッサンを持ち歩いて世界中を飛び回りたいと思いました。そういうわけで30年以上やってきましたが、雑誌や広告のための仕事では当然、クライアントの要求に忠実にならざるを得ません。ディテールを描きこんだり、コメントを付け加えたりしないといけなかったり。ニューヨークにアトリエを構えたことをきっかけに、腰を落ち着けて、自分のためだけの『絵画』に力を注ごうと決意しました。出歩く必要がないので油彩で描こうと。油絵のテクスチャーが好きなんです」

《Camille》2023 Oil on canvas

《Sofia》2023 Oil on canvas

《Gemma reading Black Mountain poems》2023 Oil on canvas

約3時間のセッションで描き終わる肖像画

今回、日本で発表するのは肖像画がほとんどだ。

「パリのアトリエを訪ねてきた知人や友人を描きました。彼女たちはモデルだったり、オンライン書店をやっていたり、デザイナーだったり。男性も描きますが、女性を描くことの方が多いかな。タイトルを『visage(s)』(ヴィザージュ=顔、表情)としたのは、距離を近づけたいから。全身を描くと対象が少し遠のくでしょう? モデルにはできるだけ特別な格好はせずに、普段の服装で、自然なポーズでいてもらいます。描く時間はだいたい3時間ほどで、モデルが帰った後に筆を入れることは決してありません。彼女たちがそこにいた時間をとらえたいから。後から付け足すと、なんだかわざとらしい感じになってしまう。その時だけの、描く側と描かれる側の関係性を大事にしたいのです。同じモデルで何点も描くこともあります。初めて描いた時と、2回目、3回目では絵が変わってきます。互いの信頼感が増しているので」

アトリエでの作画風景。Photo by Jean-Philippe Delhomme

油絵では絵の具を何度も塗り重ねるのが定石だが。

「僕の油彩はそれとは正反対ですね。絵の具の層は一層しかありません。油彩であっても水彩やグアッシュと同じ描き方をしています。生き生きとしたマチエール(絵肌)や筆のムーブメントが大事で、描く対象の本質だけを捉えたいのです」

「モデルが僕の方を見ている時でも、内面では何を考えているのか、誰にもわかりません。まったく別のことを考えているようでもあり、ただ物思いに耽っているようでもあり。肖像画はその人の『存在』を表現しながらも、心ここにあらずといった『不在』を描いているようにも思えて、それが面白いなぁと感じます」

モデルには特別な要求はせず、普段着で、自然体でいるように伝えるという。

背景を黒に近い濃淡色にしたのは、何か理由があるのだろうか?

「パリのアトリエの壁は真っ白で、いつもは白い背景で肖像画を描いているのですが、日本での個展が決まってから、気分を変えて黒やダークな色にしようと思いつき、写真家が使うロールのバック紙を買ってきて、その前にモデルを立たせました。17世紀オランダ絵画に見られる黒い背景の古典的な肖像画へのリスペクトもあります。その人の人格を引き立たせるようなダークな色です。バック紙はほかに濃紺や空色やオークルも買いました。その3色と全く同じ色で今回ギャラリーの壁面を塗ったんです。会場を移動すると、ある場所ではこの3つの色面がコンポジションをなすように見えるでしょう? ピカソの《ギター》など、キュビズムのコラージュのようではないですか?」

そんな話をする時のデロームは嬉しそうだ。今、彼のアトリエはパリ・モンパルナスの、カルティエ現代美術財団のすぐ近くにあるアパルトマンで、シモーヌ・ド・ボーヴォワールやリー・ミラーが住んでいたこともある歴史的建造物だ。カルティエ財団の目の前のアパルトマンにはかつてピカソが住み、そこで名作《ギター》は生まれた。時代を超えてアーティストが集まる界隈なのだ。ところで、好きな画家は誰ですか?

「マネは好きです。マネの《女とオウム》の黒い背景も今回の作品の黒に反映されていると思います。それからデイヴィッド・ホックニーには大きな影響を受けました。学生時代にホックニーの個展をパリのギャラリーで見た時、衝撃を受けました。それまでの絵画教育ではさまざまなルールや制約があったけれど、そんなものは関係なく、好きなものを自由に描けばいいのだと気づきました。テーブルの上の雑多なもの、電話、数枚の写真、どんなものでも画題になりうるのです。僕自身も、アトリエで何を描こうかモチーフを探しているときに、取るに足らないと思っていたものが、時間が経って光が変わると途端に『あ、綺麗だ!』と感じて思わず筆を取ります。東京都現代美術館のホックニー展に行ったかって? もちろん! おととい行ってきました。アレックス・カッツ、ジャン・デュビュッフェも好きです」

「若い知人がMy Bloody ValentineのTシャツを着ていて、面白いなと思って。後日同じTシャツを着てアトリエに来てもらい、描きました」

目の前の人やものの本質をシンプルに描く

「うんと若い頃は、社会に対して何かメッセージ性のある作品を描きたい気持ちがありました。笑いを入れたり、風刺を効かせたりしてね。雑誌での仕事もたいてい社会へ何かを伝えたり、主張するためのものです。しかしここ10年ぐらいは、特別なコメントを託さずにただ現実をありのままに描くことに興味が向いてきました。花、本、人物、アトリエに差し込む日の光……そういうものの本質的でシンプルな美しさにとても惹かれます。『社会』よりもまず先に『人』や『ライフ』があってほしいから。現代社会はそうもいかず、まず社会があって、その次に個人がいる、という感じでしょう?」

ギャラリーに併設された〈ペロタン東京・ブックストア〉では、詩集『Studio Poems』(Perrotin刊)と画集『Paintings』(RVB Books刊)を販売。こちらにも油彩作品の展示がある。

展覧会の開催に合わせて、自作の詩とインクのドローイングを組み合わせた初の詩集『Studio Poems』(英語/仏語)も発表された。

「時々、絵のことやアートのこと、日常のちょっとした出来事について詩を書いていたんです。数行の短い詩は日本の俳句とちょっと似ています。ドローイングは中国の墨と和紙、日本の筆で描きました。僕が尊敬するアーティストを描いたのもあります。たとえばアンリ・カルティエ=ブレッソンがパリのアレジア通りを歩くジャコメッティの姿を撮影した写真があるのですが、それを模写したり。イヴ・クラインが柔道をしている姿も描きました。彼は1950年代に東京にやって来て講道館で柔道を習ったんですよ。実は私もずっと前から柔道をやっていて、以前雑誌『Casa BRUTUS』の企画で、講道館で柔道着を着て、先生と組ませてもらったことがあるんだ! 柔道は人生について、真実について、大事なことを教えてくれるのです。肖像画を描く際にも、描くモデルがアグレッシブなのか、緊張しているのか、リラックスしているのか、そういうことを推しはかるのに柔道の経験が役立ちました」

イヴ・クラインが柔道をする姿を描いたドローイング。

詩集にサインするデローム氏。

ジャン=フィリップ・デローム「visage(s)」

View of the exhibition “visage(s)” at Perrotin Tokyo. Photo by Keizo Kioku. Courtesy of the artist and Perottin.
 
ジャン=フィリップ・デローム|Jean-Philippe Delhomme  1959年フランス生まれ。国立高等装飾美術学校卒業後、1985年から印刷メディアでのイラストレーションの仕事を始める。90年代初頭のバーニーズニューヨーク広告キャンペーンなどで一躍有名に。2017年の個展で初めて油彩作品を発表。最近の主な展覧会にオルセー美術館(パリ)、パシフィック・デザイン・センター(LA)など。
 
会期=開催中〜11月5日(日) ※会期が延長されました!
会場=ペロタン東京(六本木 ピラミデビル 1F)
開廊時間=11:00〜19:00
休廊日=日・月・祝日 ※11月3日と5日は開廊
 
同時開催
ジャン=フィリップ・デローム「THE STUDIO」
会期=開催中〜9月15日(金)
会場=伊勢丹新宿店 本館2階 イセタン ザ・スペース