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連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 16

Whales & People

クジラをめぐって——彼らの眼が語るもの

Photo by Nico Faramaz/Shutterstock.com

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クジラはなぜ、世界観を異にする人々の政治、経済、歴史、文化、環境などを背景にした戦いの最前線となってきたのか? キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第16回は、クジラと人の関わりの中に新たな叡智や自然観を紡ごうとするアーティストたちの試みを見つめる。

text by Yukiko Shikata

クジラ——見えない全体、断片としての物質、そして情報

鯨、クジラ、くじら……この言葉から、あなたは何を連想するだろうか? ホエールウォッチング、海に生きる哺乳類、知性があるとされる生物、鯨肉、捕鯨や鯨食をめぐる海外からのバッシング、メルヴィルの『白鯨』、童話『ピノキオ』、それともクリスチャン・ラッセンの絵……?

Photo by Tomas Kotouc/Shutterstock.com

 

クジラといえば、威容とともに大きな存在感を放つ印象がある。とはいえ私たちのほとんどは、実物のクジラの全身をじっくり見る機会がない。ホエールウォッチングでも、一瞬、それも一部を見るのがせいぜいだろう。水族館にはイルカ(4m以下のサイズのクジラ)はいるけれど、大きなクジラを見ることはない。クジラたちは、人間の支配を超えた存在として、まさに今も海洋を移動しつづけている。クジラと直接接触できるのは捕鯨船や調査船の類で、観光船や客船からは運がよければ見かける程度であるだろう。

人間にとってクジラは、日常を超えた世界にいる一種ヴァーチャルな存在と言ってもいい。巨大すぎてその存在も生態も把握しにくく、だからこそ想像力が喚起されて数多くの伝説や物語、イメージが生み出されてきた。

普段ヴァーチャルなクジラだが、捕獲されるとその物質性が際立ってくる。実際に見たことはないけれど、人間の身体スケールを軽々と凌駕するクジラの解体は、肉や内臓、血や油などの量や重さ、臭いを含め生々しさに満ちている。クジラは、見えにくく私たち人間の手が届かないイメージと、具体的な有機体としての両極端な面を持っている。

クジラの実物が私たちの前にあらわれる時は、常に断片としてである。物として接する機会があるのは、鯨肉や博物館での化石などだろう。情報としては環境、科学、政治や経済などさまざまな側面があるが、これらは複雑かつ繊細に絡まり合っている。いつどこで誰がどのようなスタンスで、そしてどのメディアを介したかでも見解が異なり、対話が成立しにくいこともしばしばある。

クジラをめぐっては、とりわけ今世紀に入って以降、異なる価値観がぶつかる一種戦場のような様相さえ呈している。当のクジラにとってはうかがい知れぬ世界だが、彼らがこうむる影響は小さくない。ここで今一度立ち止まり、クジラの目線から世界や人間について想像していくことはできないだろうか。その上で、立場の違いを超えて、クジラやその生息を可能にしている環境も含めた地球規模の時間・空間スケールから世界を見ていくことはできないだろうか。

是恒さくらの「ありふれたくじら」

クジラのことが頭の片隅から離れなくなったのは、6年前、是恒さくらのリトルプレス「ありふれたくじら」(2016-)に出会ったことによる。アラスカ大学で先住民の手仕事を学んだ是恒は、東北芸術工科大学の修士課程の時にリトルプレスを開始、クジラと共に暮らしてきた国内外の土地に赴き、人々の話を聞き、そこからテキストを綴り、刺繍を製作するという手間をかけた作業を経て、自ら本(リトルプレス)として編んできた*1。本のために制作された作品やテキストは、並行して展覧会で発表されている。

タイトルの「ありふれたくじら(オーディナリー・ホエールズ)」は、ノルウェーの人類学者アルネ・カランが、約半世紀前から欧米で始まった現象を位置づけた言葉「スーパー・ホエール」*2 を起点に、そのオルターナティブとして是恒が命名したものである。カランは、環境保護や動物保護活動家がしばしばクジラについて「この世で世界最大の脳を持つ」「社会的で、友好的」「歌う」などと単一種のように語ることに対して、それは実際には存在しない、擬人化された「スーパー・ホエール」であると述べた。カランはまた、活動家が「スーパー・ホエール」を象徴動物とする人々を善人と見なし、そうでない人々を低く評価したり、捕鯨者を悪と見なすことで世界の二分化を生み出しているとする*3。実際00年代以降、和歌山県太地町で撮影されたドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ 』(ルイ・シホヨス監督、2009)に顕著なように、活動家側からの告発的な撮影が賛美両論を巻き起こしてきた。


『ザ・コーヴ』トレイラー

 

是恒は、アーティストとして、クジラとともに生きてきた地域に根づく文化や信仰を丁寧にフィールドワークし、本や作品を制作する。世界を特定の目線から分断して断罪しようとする暴力や不寛容から距離を置き、むしろクジラという存在やクジラと一体化した自然・文化的な生態系を保ってきた人々から見た世界—根源的な人とクジラの関係—をポエティックな作品としてきた。

 

『ありふれたくじら Vol.6:シネコック・インディアン・ネーション、ロングアイランド』(2020)のための刺繍

 
『ありふれたくじら Vol.6:シネコック・インディアン・ネーション、ロングアイランド』(2020)

 

是恒は、言葉(テキスト/text)と織物(テキスタイル/textile)の語源が、ラテン語の「texere」(織る動作を示す)であることを念頭に、布を縫い合わせ、刺繍を施していく。それによって彼女は、くじらを「ありふれた」ものとして世界に向けて織り直そうとする。「世界にちらばり時に諍いの元となる鯨にまつわる物語を集め、そのイメージを作り直すこともできるのではないか」と彼女が述べる作業は、静謐かつ強靭な想像力と批評性に満ちている。

是恒は、数年間東北(山形、仙台)に、1年間北海道(札幌、苫小牧)に住みながら、東北や北海道各地の鯨にまつわる信仰や風習に出会っていった。苫小牧に住んでいた2021年8月には、浜に打ち上げられた子クジラと奇跡的ともいえる遭遇をする。苫小牧ではまた、市の美術博物館にある約2.5mのクジラの顎骨に出会い、その影の輪郭を紙に写し取り、対にして一葉の小舟と見なすことから作品を制作、この館をはじめ複数の場所で異なるインスタレーションへと展開している。

 

苫小牧から白老へ向かう海岸に漂着した子クジラ(2021年8月) 撮影:是恒さくら

 
苫小牧市美術博物館にて所蔵の顎骨の輪郭を写し取る是恒さくら

 

鯨は舟
舟は鯨
 
そうして、私は一艘の舟を縫い合わせる。水平線の向こう、まだ知らない海辺へと案内してくれる、一艘の舟。一頭の鯨を。

(2021年12月 苫小牧にて 是恒さくら)

是恒は昨秋より1年間、ノルウェーでクジラを軸にしたリサーチや展示を精力的に行っている。ノルウェーは、漁師による捕鯨の歴史を持ち、19世紀半ばに捕鯨砲と動力式捕鯨船による「ノルウェー式捕鯨」が生み出され、カランが拠点とした国でもある。是恒がアラスカや日本で培ってきた経験やまなざしが、現地の自然、研究者や地域の人々との出会いによって新たな展開を遂げようとしている。

クジラのコミュニケーションとインフラサウンド

大きなクジラだが、広大な海の中では小さな存在でしかない。その海の中で、同種のクジラは遠隔的にコミュニケーションをとっている。今回クジラについて取り上げたいと思った直接のきっかけは、一年前の夏にイタリアに向かう機内で映画『The Loneliest Whale: The Search for 52』*4 を見たことによる。クジラは、魚類にはない発生器官を持ち、超音波(10Hzから39Hzの低周波)を出すことで遠隔的なコミュニケーションやエコーロケーションを行っているが、1989年に太平洋で観測されたクジラの個体は、52Hzという高い周波数の声を持つために、他のクジラとコミュニケーションを取れず「世界でもっとも孤独な鯨」と呼ばれている。そのクジラを探すドキュメンタリーである。


『The Loneliest Whale: The Searcher 52』トレイラー

 

映画では、監督やスタッフが科学者とともに52Hzのクジラを探すプロセスを追っていくが、広大な海洋を考えると見つけられる確率は途方もなく低い。どの個体ともコミュニケーションできない孤高のクジラは、科学的な探究心とロマンティックな想像力を掻き立ててやまないのだろう。

クジラが遠距離でコミュニケーションできるのは、深海にある「サウンドチャンネル」を介してだという。サウンドチャンネルは、水圧や水温の関係で音の伝わる速度が最も遅い層で、それによって音を遠くまで届けることができる*5。ザトウクジラ3頭で、地球一周のコミュニケーションができるとされるが、その壮大なスケールには圧倒される。そしてそのような層を発見し利用しているクジラの知覚世界には驚きを禁じえない。

私たちは現在日常的に、高速WiFiを介して地球規模のコミュニケーションを行なっている。しかしこの状況は近年のことに過ぎず、それも海中に長々と敷設された膨大な物量の通信ケーブルによって可能になっている。マルコーニが大西洋横断無線通信に成功したのは1901年で、その後発達した無線技術や電信電話をはじめ、遠隔コミュニケーション技術が存在するのも120年余りのことに過ぎない。

クジラのコミュニケーションについての興味は、1998年に江渡浩一郎のメディアアート作品「SoundCreatures」をキュレーションしたことに由来する(アートラボ第8回企画展、Co-produced withキヤノン・アートラボ)。江渡がこの作品の起点としたのが、「クジラの歌」*7 だった。ザトウクジラやシロナガスクジラの亜種が、遠方の同種と行うコミュニケーションで反復される低周波数の音は「歌」と見なされているが、年とともに次第に変化していくという。

ある民族の集団で創り出す歌謡には、中心がなく誰かが歌い始め、次に加わる人がその人に合わせるという形で大きくなっていき、誰かが加わることもできるし抜けることもできる、そうして歌謡は明確な起承転結がなくとも、見事に歌い繋がれていく。こうしたコミュニケーションの方法を現代のデジタル情報ネットワークを使って、作り出すことは可能だろうか(江渡浩一郎、1997)

コミュニケーションのプロセスで起きる微細なずれが連鎖的に影響していくこの現象に江渡は興味を抱き、インターネットを接続したインタラクティブなインスタレーションを実現した。会場には数メートル四方のフィールドが設定され、その内部でスピーカーやセンサーを搭載した十数台前後のロボット(SoundCreatures)がシンプルな音階を発しながら動いている。ロボットは、衝突を回避するなど最低限のルールを持って自律的に動いているが、互いに近づくと音が交換されることで、次第に会場全体の音が変容しつづけ、一種のダイナミックな音の生態系を形成していく。

 

江渡浩一郎「SoundCreatures」(1998)Co-produced with Canon ARTLAB

 

ロボットが出す音階は、会場内のインターフェイスもしくはインターネットを介して誰でも作成することができる。加えて来場者は、SoundCreaturesがその下を通過すると特定の音の変化(音色、ピッチなど)にさらされる「感染ゾーン」を設定することもできた(本作は、後にインターネットのみのバージョンへも発展)。このようにシンプルな個体がボトムアップで動き、偶発的に関係しながら生成、展開される環境は、人工的でありながら、自然に発生しているダイナミックな生態系のシミュレーションともいえる。

少し脱線するが、クジラのコミュニケーションと同様に興味を引かれるものに、「インフラサウンド(超低周波音)」がある。地球上のさまざまな場所で自然の活動から発せられる、人間の可聴域外の重低音(20Hz以下)のことで、気象や火山活動の諸現象(風音や海鳴り、雷鳴、噴火音……)などがある。インフラサウンドを作品として取り入れているのが、大城真である。彼は自然だけでなく、住宅地など人工的環境や、自然と人工が混じり合った環境において音を録音し、20Hz以下の周波数のみを抽出して微細な水の波形へと変換する。

 

大城真「波の採集」(2023)、「エナジー・イン・ルーラル」展第二期(2023)、国際芸術センター青森(ACAC) 撮影:後藤 圭孝 提供:青森公立大学 国際芸術センター青森

 

私がキュレーターの一人として関わった「エナジー・イン・ルーラル展*6 で新作として公開された「波の採集」では、海岸や港、遺跡の見える場所など青森県内を訪れて録音した音から8カ所分のインフラサウンドを抽出して、それぞれの水槽で波形に変換、来場者は微細に変化し続ける水面を通して波動を感じることができた。

つねに存在しながらも人間が知覚できないものが可視化されること。大城は、作品を通して通常自明とされている世界や世界把握の外へと私たちを連れ出してくれる。それによって私たちは、自らの身体や知覚の限界や可能性に気づくとともに、人間という枠組み以外に存在する世界の多層性に向き合うことになるだろう。

クジラ——1960年代以降から現在

知性を持つ生物としてのイルカやクジラへの世界的な注目は、1960年代から1970年代にかけて科学者として、そして(幻覚剤や電気的刺激を介した)知覚や意識変容の探求者としてカリスマ的存在となったジョン・C・リリーによって牽引された。リリーの活動は、1980年代末から1990年代に新たに登場したシンクロエナジャイザーなどの知覚刺激装置やVRとともに再び注目を集め、かつて開発したアイソレーション・タンクの最新型がリリースされたり、1988年にアイサーチ・オーストラリアの呼びかけで始まった「国際イルカ・クジラ会議」のキーパーソンとなっていく。

クジラの歌は、1950年代の冷戦時に米国がソ連の潜水艦を追跡するために水中マイクを駆使する過程で検出され、68年に波形として印刷された際に反復的なパターンが見出されたという。1970年代初頭にクジラの歌のレコードがリリースされたことも手伝って、自然保護運動が活発化していく。60年代にはまた、「人間の言葉がわかる」イルカのフリッパーが活躍する米国のTV番組「フリッパー(邦題:わんぱくフリッパー)」が人気を博する。水族館ではイルカショーが開始され、現在も続いているが、70年代には動物保護の観点から批判が生まれ、野生のクジラやイルカのウォッチングの流れが次第に大きくなっていった。

イルカを捕獲、調教してフリッパー・ブームを引き起こしたリチャード・オバリーは、罪悪感からイルカ解放運動家に転じて「ドルフィン・プロジェクト」を設立、追い込み漁の抗議のために和歌山県太地町もたびたび訪れ、映画『ザ・コーヴ』(ルイ・シホヨス監督、2009)では中心人物として出演している。

『ザ・コーヴ』は、隠し撮りによって太地町でのイルカの追い込み漁で血に染まる小さな入り江を映し出し—激化する保護活動や隠し撮りへの批判も多いが—世界中にショックを与えるとともに、日本の捕鯨への風当たりを強めた。太地町の人々の怒りや不信感を煽ったことは、言うまでもない。とともに捕鯨を「野蛮」として批判する欧米の価値観と、日本が保持してきた鯨や捕鯨文化が相入れることの難しさが露わになった*8

『ザ・コーヴ』のアカデミー賞受賞やTV番組『クジラ戦争』のエミー賞受賞で高まる日本批判を念頭に、その後『ビハインド・ザ・コーヴ 捕鯨問題の謎に迫る』(八木景子監督、2015)や『おクジラさま ふたつの正義の物語』(佐々木芽生監督、2016)が制作されている(オバリーはこれらの作品にも登場している)。


『ビハインド・ザ・コーヴ 捕鯨問題の謎に迫る』トレイラー

 


『おクジラさま ふたつの正義の物語』トレイラー

 

後者によると、太地町の町長は、すでに1960年代末に観光・娯楽産業の振興のために米国の水族館を視察し、イルカの曲芸などを取り入れた施設を開設している。しかし米国は、すでに自然環境・動物保護へと舵を切り(1972年に海洋哺乳動物保護法が可決)、1971年にはグリーンピースが設立されるなど、「クジラを救え!」を標語に捕鯨国への圧力が欧米やオーストラリアを中心に高まっていった。「スーパー・ホエール」の登場である。

日本やアジアの鯨文化

人間は、歴史的にクジラを生存のためにありがたく享受してきた。海に乗り出し、巨大な生物との生死をかけた戦いによって獲得する命。その命をいただくことで、クジラに感謝をささげてきた。

日本では、縄文時代の遺跡から鯨骨が発見されている。特定の並べ方をしていたことから、食料や道具の材料としてだけでなく信仰対象でもあったと推察されている。クジラは、捕鯨に加えて漂着する場合もあったが(寄り鯨)、いずれにおいてもすべての部位を無駄にせず活用し、鯨肉は共同体の隅々にまで分配されていた。

太地町は、江戸時代初期に古式捕鯨を発祥した歴史的にも重要な地である。1606年に和田忠兵衛頼元が太地浦を基地として、突き捕り法による捕鯨を開始、1670年代には専門の捕鯨集団「鯨組」が誕生した。その後登場した網取式技法は、各地に積極的に伝えられた。資本の論理から秘密を通したヨーロッパと異なり、鯨組は、一種の有機的な共同体やネットワークを地域を超えて形成していた。太地では、クジラは「鯨一頭 七浦を潤す」といわれ、人々がともに生きるための重要な糧として感謝と畏敬の対象としてあった。

森田勝昭の『鯨と捕鯨の文化史』によれば、相互扶助の観点からクジラを共有物とする考え方は、浜でクジラを解剖する時、直接鯨組と関係のない近くの人々も肉を切り取り持ち帰ることのできる(容認される)習慣「カンダラ」にもあらわれているという。立場を超えて皆で祝い、クジラをともに喜びとともにいただく寛容な祝祭の場が、そこには開かれていた*9

 

『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版会、1994)

 

また日本では、クジラが豊漁の神「エビス神」と見なされることが多かった。ニシンやイワシを追い込んで豊漁をもたらしてくれること、そしてクジラ自体が人々に大量の肉や資源となるからで、ご神体として祀られてきた。生存のための捕鯨、クジラの享受、そしてクジラを神と見なす文化は、長崎県和田浦、山口県長門、宮城県三陸、北海道をはじめ、日本各地で根づいてきた。クジラとともに人々は生き、感謝の念とともに各地で供養碑が建てられた。

日本だけでなく、インドネシアやバスク地方やノルウェー、デンマーク、またアラスカの漁師や先住民の人々などもクジラとともに生きてきた。400年にわたって捕鯨で生きるインドネシアのラマレラ村を描いた映画『くじらびと』(石川梵監督、2021)では、鯨漁が聖なるものと見なされている。目が描かれた手作りの捕鯨舟(テナ)は「生きている」ものとして、クジラを発見し漁師とともに漁を行う存在である。


『くじらびと』トレイラー

 

映画『鯨神』(監督:田中徳二、1959)では、明治初期の長崎県和田浦を舞台に、家族を含む多くの漁師を殺した「鯨神」と呼ばれる巨大なクジラに復讐する物語である。仕留めたものの自身も深い傷を負った主人公が、ラストシーンで「鯨神は俺だ、俺は鯨神だ……」とつぶやきながら息をひきとるシーンが印象的である。ここではクジラと人間が、想像的に究極の関係を結びうる世界が描かれている。


『鯨神』トレイラー

 

森田は、鯨文化といえば、食文化や美術や文芸、鯨を素材にした道具などを思い浮かべるかもしれないが、と前置きしつつ、「鯨文化とは、鯨と人間をともに文化的存在と捉える世界観であるとも言えるのではないだろうか」と述べている*10

クジラと人〜歴史から〜

このような鯨観は、欧米の近代以降の捕鯨とは全く別のものだった。19世紀には近代捕鯨システムが開発され、米国やロシアなどの国々が、狩猟道具や捕獲後のクジラを解体して保存までする巨大な捕鯨船を建造する。そこではクジラは「オイルタンク(海に浮かぶ油の樽)」として乱獲され、油の採取後は海に廃棄されていた。それは日本や世界各地の漁村で受け継がれてきた鯨文化とは異なる、クジラをモノと見なす視点といえる。米国は太平洋に多くの捕鯨船を送り出し、補鯨基地を確保していったが、日本周辺は「ジャパン・グラウンド」と呼ばれるクジラの回遊地で、ペリーが浦賀を訪れたのも捕鯨のためだった。

ペリー到着の2年前に発表された小説『白鯨』(1951)では、メルヴィルがそのようなクジラ像とは異なる、エイハブ船長の復讐のための悪魔であり、妄想の対象としての白いマッコウクジラ「モービィ・ディック」が描かれている。「鯨学」をはじめ、海洋や気象、船舶、生物などの知識が盛り込まれた雑多で壮大な長編は、全体を把握しにくいその様相自体がクジラを彷彿させるかのようである。映画『鯨神』の原作は、宇能鴻一郎による小説で、『白鯨』を念頭に書かれているが、両者ともに復讐がテーマであるものの、クジラと人間の関係は大きく異なっている。

『白鯨』や、10代でアザラシ漁船に乗り組むなど破天荒な生涯を送った小説家ジャック・ロンドンを描いた『馬に乗った水夫』(アーヴィング・ストーン、1968)などからは、世界各地から多様な人種、年齢、階層の者が捕鯨船に集まった様子がうかがえる。死と隣り合わせの長い航海は、ゴールドラッシュと同様に、金儲けや生きるために集まった人々で溢れていた。そして鉱山と同様に、捕鯨も資源採掘という近代的なミッションを担っていた。

日本は、独自の鯨文化や捕鯨方法を持ちながらも、開国後には近代捕鯨の導入によって、異なる世界観と機械化による変容にさらされてきた。1930年代には南氷洋捕鯨に進出したが、戦略物質としての鯨油を得るための国策によるものだった。戦後になり、1951年にIWC(国際捕鯨委員会)に加入、深刻な食糧難の中でマッカーサーが捕鯨を許可したことで南氷洋に船団を送り出せ、高度成長時代には鯨肉が日本人の重要なタンパク源となったという*11

環境や動物保護の世界的な潮流と鯨資源の減少を受けて、1982年にIWCが商業捕鯨モラトリウム(一時停止措置)を開始した後、日本は商業捕鯨から調査捕鯨に切り替えていた。今世紀に入ると、捕鯨や鯨食を野蛮、非文明的と批判する側と、伝統や固有の文化として継続する側(日本)の対立が前面に出始める。『ザ・コーヴ』に見られるように、環境保護・動物保護活動の動きが過激化する中、対立は並行線をたどっている。日本はIWCを2019年に脱退し、捕鯨を再開しているが、日本人の多くは、古来からの鯨文化の保持に同意しつつも、鯨食に馴染みのない生活を送っている。そのような現在から、捕鯨文化の歴史や意味を知り、世界に向けて伝えていくことがますます重要になっている。

クジラの現在と未来

中沢新一は、太地五郎『熊野太地浦捕鯨乃話』についての解説において、太地式古式捕鯨を創始した和田一族の先祖が海民の武士団であったと指摘している。中沢は、クジラと格闘する捕鯨は、体系の内奥に戦争機械が組み込まれている、それは海民の文化伝統の中で形成されたことと関係し、その上で、捕鯨が戦争機械の部分と陸で解体処理される捕鯨マニファクチュア体系、つまり非農業的(前者)と農業的(後者)の二重構造を持つと述べている。そして末尾で、太地式古式捕鯨に現在日本が必要とするものづくり産業の根本を見い出し、そこに立ち返ることが日本の未来の文化再生に重要な意義を持つとしている*12

 

太地五郎作、中沢新一解説『日本の古式捕鯨』(講談社学術文庫、2021)

 

森田勝昭は、日本においては「汎人間主義的自然観」、つまり鯨を文化的存在として位置づける状況から、近代化の中で人間中心主義的世界観への移行が起きたと述べている。そこでは伝統的な自然観や生命倫理を捨て続けてきたという。ただ同時に森田は、そのような中で汎人間主義的自然観も生き残っていたとも述べている。近代化に邁進しても、それまでに生まれ受け継がれてきた土壌の上に築かれる以上、もともとの自然観は絶えず息づいているのだろう*13

これはクジラに限らず、日本の近代化がはらんでいる問題であり、可能性でもあるように思われる。日本は近代を表層的に受容してきたが、その土壌は近代とは全く別の自然観に基づいていた。そのことによって、近代を発明した欧米にはないキマイラ的な文化を生み出したと同時に、近代の本質を理解しえないことから問題や事故を生み出した(福島第一原発の事故もその一つではないだろうか)。

クジラは、世界観を異にする人々の政治、経済、歴史、文化、環境などを背景にした戦いの最前線となっている(クジラの眼から見たら、どう映るのだろう)。森田の「汎人間主義的自然観」を、日本で培われたアニミズム的な世界観に通じるものと私なりに解釈すれば、近代の受容によって問題を経験した現在、私たちは近代以前の叡智の現代における可能性を検討し、21世紀の科学・技術と連結させながら、新たな叡智や自然観を紡いでいく段階にあるだろう。

もっと遡るなら、それ以前の基層として「日本」を海流でつながった海洋ネットワークのノードとして見ていくまなざしも大切だろう。日本は、西〜北太平洋に南から北まで連なる群島の一部としての島々であり、多方向からの人やモノの流れを享受しながらハイブリッドで精緻な文化を形成してきた。それは矛盾を顧みず雑多なものを共存させる、西欧の論理が通用しない世界である。

考えてみれば、そのようにして生まれてきた日本という場は、これまでの歴史において、近代システムだけでなく、多種多様な異質の文化や技術、宗教を受け入れながら独自の世界を形成してきた。その根底にあるのは、構築や省察、俯瞰的思考を持たないままに、その都度異物や災害などの困難をやりくりしながら取り込んでしまう土壌であるだろう。

そのような土壌では、人間/自然、支配/非支配、加害/被害……などの対立項が成立しにくく、潜在している問題や可能性を掘り下げることが難しい。しかし現代を生きる私たちなりに、近代化で得た方法を駆使して、当事者としてこれらを批評的に見極めていくことができないだろうか。

複数の視点に立ちつづけること。動的に変容する世界に加え、自身の視点(複数)も常に変容の中にあることを踏まえながら、世界の生成に関わりつづけること。日本で近代以前に培われてきた世界観や方法は、近代が行き詰まり混迷する世界において、新たなまなざしを投じることができるように思われる。日本の土壌がどのように形成されたかを含め、クジラを含む現代の問題を丁寧に解きほぐし、発信していくこと。それは日本、そして世界の未来にとって意味のあることだろう。

クジラから見る、クジラが語る

クジラは、地球の歴史の中で現れ、悠久の時間を海洋の中で過ごしてきた。生まれ、呼吸し、プランクトンや魚を食べながら海を回遊し、同類と遠隔コミュニケーションをする。寿命は種類によって異なり、28年から200年もの幅があるという。死んだ後は、亡骸に集まった多様な生物たちが「鯨骨生物群集」を形成し、次の生命へと連鎖していく。大小島真木が、海洋探査船タラ号の乗船中に遭遇した白い鯨の亡骸(Ecosophic Future 15「極限環境へ 拡張するアートのミッション」)は、その後深海へ下って鯨骨生物群集として大判振る舞いをしたことだろう。

クジラは海の環境から生まれ、そこに生息する生命を食べて育ち、死ぬことによって生物たちや海にその養分を戻す、サステナブルな循環の中にある。しかし近年において、地球温暖化により激化する気候変動、水質の汚染、加えてクジラが大きく依存する聴覚の妨害(船舶や原油採掘の騒音、軍事ソナーなど)など、深刻な問題は数え切れない。

あらためて、世界のすべてが悠久の時間や空間の中でつながっている、と思う。自分の一挙一動が、自分の見えたり気づく範囲だけでなく、多様なかたちで現在から未来の世界に影響を及ぼしていく。世界をさまざまな情報のフローとそれらの関係性と見てみると、人間もその一部でありながら、同時にそのフローに意識的に関与しうる唯一の存在であることをかみしめる。

海は現在、環境、政治、経済、文化などの側面で覇権争いの場となっている。それらはいずれも、国家や企業など大規模な組織の関与によるもので、国境を超えた(超えて生きていた)存在—先住民や海民、難民など—をはじめ一般市民はその外に置かれている。そして人間以外は、それ以上に無意識的な存在となっている。地球規模の環境危機の時代には、これら除外されてきた存在をプレイヤーとして取り込み、ボトムアップの生態系へと移行することが重要となるだろう。領土化や所有などの分断に基づくシステムから、さまざまな存在が関係するコモンズ(共有地、共有財、共同創造)というオープン・システムへ。それは鯨文化で言えば、得たものを皆で分け合うことであり、「カンダラ」的な祝祭空間を愛でることであるだろう。

人間は歴史的に大地から所有や征服を開始し、海も国に沿って分割されてきた。海や水、フローから見る視点は、そのような人間による自然の支配や所有を逸脱する世界である。それはまた、とりわけ近代において抑圧されてきた存在—女性、非西洋人、障害者、難民、非人間など—が持っている可能性を創造的な循環へと開いていくだろう。

今年の8月3日付で、ペルーで発見された推定体重が最大300トンを超えるクジラの一種の化石が、地球史上で最も重い動物だった可能性があるとする記事が公開された*14同日付のニューヨークタイムズによれば、3900万年ほど前に浅い海で緩慢に浮遊していたとある。

 

By Alberto Gennari Courtesy of Springer Nature Japan

 

2021年8月27日のBBC NEWS JAPANの記事「4本足の新種クジラの化石、エジプトで発見」には、フィオミケトゥス・アヌビスと名付けられた個体が推定体重約600キロ、体長約3メートルで水陸両方で生息していたと書かれている*15。同記事には、「約5000万年前に南アジアで、最初のクジラ類が進化したと考えられている」とあり、現代のクジラの祖先が、約1000万年前に陸にいたシカに似た哺乳類から進化したとも書かれている。進化の過程で海から出て哺乳類になりながら、再び海に戻り、クジラとして生きている。他の生物には見られない、稀に見る進化の中で、聴覚を発達させていったのだろう。

聴覚と比較して、クジラの視覚は弱いとされる。実際躯体のサイズに比べ眼は小さく、生存のための環境把握において大きな位置を占めるとは思えない。クジラには魚類と違って瞼(まぶた)があるが、その眼はクジラにとってどのような機能を持つのだろう。クジラがその眼を通して見る世界は、どのようなものなのだろうか。

是恒さくらは、アラスカ州の先住民イヌピアットの村、ポイント・ホープで鯨猟師から聞いた体験談を本に綴っている。

「海中から2頭の鯨が現れて、頭を突き出し俺たちの方を見ていた。(略)目はこちらを見ていた。結局銛を打つことはできなかったよ。すごい体験だったな」。ポイント・ホープの鯨猟は、鯨と視線を交わすほど近い距離でおこなわれる。(是恒さくら『ありふれたくじら』Vol.2:ポイント・ホープ より)

その話を念頭に2017年に製作されたペーパーウェイト「Ordinary Whale’s eye / ありふれたくじらの眼」は、宮城県の牡鹿半島の丸い小石を青く染めた同半島の鹿革でくるんだもので、クジラの眼のような小さな穴が開いている。「獲るものと獲られるものの視線が交わる瞬間を思いながら」(是恒)との言葉は、ペーパーウェイトを手にする者に、クジラと眼を合わせた特別な瞬間を想起させてくれるだろう。

是恒が2021年の8月に苫小牧の浜辺で子クジラに出会ったと前述したが、その眼が強く印象に残ったと彼女は述べ、刺繍にも起こしている。クジラは漂着した前日はまだ生きていたとのことだが、死ぬ前にその子が見ていたのは空だったのだろうか。

 

海岸に漂着した子クジラの眼(2021年8月) 撮影:是恒さくら

 

映画『くじらびと』では、冒頭で「鯨は魚の中で唯一目を瞑(つぶ)る」とあった。クジラを突くとき、頭を、特に目を見てはいけないと漁師が語るくだりがあり、ラストシーンは、クジラの眼のアップで始まる。その眼はゆらめいて見え(生きているからか、波が映っているからなのか)、はかなげな美しさをたたえている。次第にズームダウンされることで全身が映し出され、浜辺に縄でつながれた状態であることがわかり、上空から浜辺全体の俯瞰シーンに至ったところで映画が終わる。

 

クジラの眼、『くじらびと』(監督:石川梵、2021)

 

『くじらびと』(監督:石川梵、2021)

 

このクジラを捕獲した舟には眼が描かれており、乗船するくじらびとは「舟がクジラを見つける」と言う。船大工を筆頭に人々が祈りを込めて造った捕鯨舟は、彼らの身体や眼の延長であり、神聖な存在である。

クジラの生死の境界をたゆたうかのような眼。それを撮るカメラの眼、からの映像を見る私たちの眼……クジラの眼は、何を語りかけているのだろうか。

 
*1 リトルプレスは、網地島/鮎川浜、牡鹿半島〜太地浦、網走、唐和半島、海外は米国のポイント・ホープ(アラスカ)、シネコック・インディアン・ネーション(ロングアイランド)の6冊が発行されている。「ほとんどの種の鯨は季節のうつろいとともに北の海から南の海まで回遊する。途上にはたくさんの国々があり、それぞれに異なる文化がある。ゆえに人が鯨を見る目もさまざまだ。ある土地では鯨をとらえて食べる。ある土地では鯨を人の祖先とみなし、けして殺さない。それぞれの土地で、それぞれの言葉で鯨は語られ、違う物語が紡がれる。そしてその違いは時に諍いを生む。諍いとは、例えるなら一枚の布の上にできた破れ目やほころびのようなものかもしれない」(是恒さくら(「ありふれたくじら」について)。
*2 「スーパー・ホエール−環境保護運動における作り話とシンボルの利用」(HNA(ハイ・ノース・アライアンス)発行 “11 Essays on Whales and Man”(1994年9 月)所収の記事からの訳。 20-Apr-2002)。原題:“Super Whale: The Use of Myths and Symbols in Environmentalism”) カランはまた、「異なる鯨種の特徴を混ぜ合わせ、鯨の知能や社会的良心に関する神話を加えて」、商業製品としての「スーパー・ホエール」(小説、絵画、写真、映画、ホエール・ウォッチング・ツアー…)が生み出されているとしている。
*3 ibid.
*4 Wikipedia「52ヘルツの鯨
*5 サウンドチャンネルは、1940年代以降に米国海軍が音波伝搬の研究をする中で発見されたもので、その利用はここ70年ほどにすぎない。
*6「エナジー・イン・ルーラル」展(キュレーター:レアンドロ・ピサノ、四方幸子、村上綾(ACAC))、2023年7月から9月まで国際芸術センター青森にて2期に分けて開催)。
*7 Wikipedia「クジラの歌
*8 太地町は、前述した『ザ・コーヴ』の舞台となり(それに対して八木景子監督が『ビハインド・ザ・コーヴ』(2015)』、翌年に佐々木監督が『おクジラさま』を発表)、全世界で注目を集めたが。両方作品にはクジラについてのリサーチを押し出す町づくりを語る町長の言葉も含まれている。森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(1994)においても、太地町が捕鯨存続と鯨文化継承のために、積極的な活動を展開し、その一つとして国際的規模の鯨研究センター構想が紹介されている。
*9 森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版会、1994)
*10 ibid.
*11 八木監督が『ビハインド・ザ・コーヴ』を制作した個人的な起点に、給食の鯨の竜田揚げを挙げているが、私にとっても懐かしい。八木監督の最新作『鯨のレストラン』(2023)が9月2日より公開。
*12 太地五郎作、中沢新一解説『日本の古式捕鯨』(講談社学術文庫、2021)。太地五郎作『熊野太地浦捕鯨乃話』(1982)を底本とし、中沢とサイモン・ワーンのテキストを追加して2021年に刊行。
*13 森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版会、1994)
*14 「地球史上最も重い可能性 体重300トン超クジラの一種の化石発見」2023年8月3日(最初の発表は、2023年8月2日「Nature Journal」)
*15 「4本足の新種クジラの化石、エジプトで発見」(BBC NEWS JAPAN、2021年8月27日)

 
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連載Ecosophic Future
エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
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四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学・國學院大学非常勤講師。対話と創造の森(茅野、および東京神田サテライト)アーティスティックディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報のフロー」というアプローチからアート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)、「STUDY:大阪関西国際芸術祭」2022, 2023キュレーターなど。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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森羅万象の只中で——コミュニケーション、知性、ネットワーク