BEHIND THE VINTAGE FURNITURE

本当に価値あるヴィンテージ家具との出会い方——GALLERY – SIGN オーナーに聞く

日本でもトップクラスのアートギャラリーがひしめく六本木に、この界隈でも珍しいデザイン専門のギャラリーがあります。2019年にピラミデビルの4階にオープンした〈GALLERY – SIGN TOKYO〉。主に扱うのは、ジャン・プルーヴェやピエール・ジャンヌレをはじめとするフランス系のミッドセンチュリーや、日本のモダニズムから生まれたヴィンテージ家具。オーナーの溝口至亮さんは、そんな希少価値の高いアイテムの背景を独自にリサーチし、豊かなストーリーとともにデザインの魅力を伝えています。

INTERVIEW & TEXT BY TAKAHIRO TSUCHIDA
EDIT BY AKANE MAEKAWA
ALL PHOTOS : YOSHIYUKI MIZOGUCHI
©ARCHIVES GALLERY - SIGN

——溝口さんが〈GALLERY – SIGN〉を始めた経緯を教えてください。もともとはヴィンテージ家具を扱うショップで経験を積んでいたのですよね。

溝口 ヴィンテージ家具店で働いていたのは2000年代初めで、アメリカのチャールズ&レイ・イームズによるミッドセンチュリーの家具が再評価され、目黒通りを中心にいろいろな人が集まっていた時期です。やがてアメリカンモダンが飽和状態になり、北欧の家具や小物を扱う店が出てきたり、時代の流れが変わった感覚がありました。私が2004年に独立した時は、ヴィンテージ家具はどちらかというと下火で、そのぶん好きなことを表現しやすかったかもしれません。

GALLERY – SIGN TOKYOが2021年に開催した「ジャン・プルーヴェ」展より。職人的技巧にすぐれたプルーヴェの才能は巨匠ル・コルビュジエからも高く認められた。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©Archives GALLERY – SIGN

——そのオープン当初から、ギャラリーとしてヴィンテージ家具を扱っていたのですか?

溝口 最初はギャラリーではなく単に〈SIGN〉という名前で、2005年に恵比寿でスタートしました。当時、フランスのミッドセンチュリーの家具はヨーロッパやニューヨークですでに評価が進んでいましたが、日本では今ほど知名度もなく、なかなかセールスにつながりませんでした。そのため家具だけでなく世界中のグッドデザインをミックスして取り扱っていました。ただギャラリーとしてフランスのデザイナーと日本との関わりという視点で作品を紹介したいとは考えていて、2007年に恵比寿で別のスペースを借りてジャン・プルーヴェとシャルロット・ペリアンの家具展を開催し、それ以降もふたりの企画展を不定期で開催していました。

GALLERY – SIGN HIROSHIMA の展示風景。手前は戦後の日本を代表するデザイナー、柳宗理のバタフライ・スツール。ベンチはシャルロット・ペリアン、階段はル・コルビュジエの作品。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——いつから〈GALLERY – SIGN〉という名前になったのでしょうか?

溝口 2015年、広島に〈GALLERY – SIGN HIROSHIMA〉をオープンした時です。それ以前も海外とのやり取りで先方からギャラリーと呼ばれることが多かったので、グローバルにやりやすいと考えました。2012年に書籍『ジャン・プルーヴェ 20世紀デザインの巨人 JEAN PROUVÉ CONCEPTEUR-CONSTRUCTEUR』(CCCメディアハウス刊)を出版できたのも大きかったと思います。その頃から自分たちで独自に歴史や文化的側面を掘り下げて、日本人デザイナーの作品を海外の美術館やギャラリーに紹介していくことに力を入れるようになりました。

コロナ禍において始めた、ギャラリー前の通路からガラス越しに展示を観るウィンドウギャラリーの様子。昨年の「“NIPPON” 日本 – 協同と総合の方法 –」展は、丹下健三、剣持勇、勅使河原蒼風らの作品を展示した。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——そして2019年には〈GALLERY – SIGN TOKYO〉を六本木にオープンさせました。

溝口 この建物(ピラミデビル)に複数のアートギャラリーが入るタイミングで、デザイン分野のギャラリーがないので出店してほしいというお話をいただきました。現在は企画展を中心に、限られたスペースの中でできる限り史実に基づいた会場構成を行い、1点1点の家具と空間の関係性を伝える展示を心がけています。ホワイトキューブを主とするアート展示とは違った展示方法のため、企画展の度に周囲のギャラリーのオーナーさんが立ち寄って家具に興味を持ってくださり、私たちとはまた別の視点で家具のお話をしていただくことも多くあります。様々な方々と交流ができることは、このビルの大きな魅力のひとつです。

「“日本” − 協同と総合の方法 −」展では、丹下健三が設計した旧草月会館の2階広間の小上がりを再現。スツールはペリアン、照明はイサム・ノグチによるもの。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——こうしたヴィンテージ家具専門のギャラリーは、どんな方が作品を求めることが多いのでしょうか?

溝口 最近は本当に幅広い方がいらっしゃいますが、いちばん多いのはクリエイターの方です。特にオープン当初から洋服デザイナーの方が多かったですね。これはパリの同業のギャラリストと話をするといつも驚かれますが、ヨーロッパでは美術館、銀行、デパートなどの顧客が大半で、役員室や応接室のために購入される方が殆どだそうです。もっと現代アートに近い感覚なのでしょうか。パリのギャラリーで家具を買うクリエイターは日本からのお客さんが一番多いと伺っています。

今年開催したウィンドウギャラリーの「Isamu Noguchi」展より。直径2mのAKARIは1985年製の貴重なもの。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

ピエール・ジャンヌレによる「シザーチェア」。彼はル・コルビュジエの従兄弟で、巨匠の右腕として多くの建築プロジェクトに携わった。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——GALLERY – SIGNは、ル・コルビュジエやシャルロット・ペリアンと協働した建築家のピエール・ジャンヌレが、インドのチャンディーガル都市計画の一環でデザインした家具も早くから紹介してきました。彼の仕事はどう位置づけていますか?

溝口 お店のオープン時に、特に紹介したかったのがジャンヌレの家具でした。20年前に前職で訪れた西海岸で「シザーチェア」という代表作に出会ったのがきっかけです。彼について調べていくうちにインドでの仕事に出会い、2006年ごろから政府公認で放出された家具の輸入を開始しました。

最近はチャンディーガルの家具ばかりに関心がそそがれていますが、私たちはそれ以上に彼と日本の接点に注目しています。1950年代初めにル・コルビュジエの建築事務所にいた吉阪隆正は、チャンディーガルの都市計画が始まった当初、プロジェクトに参加した唯一の日本人でした。建築家の丹下健三が50年代後半にインドを訪れた際、現地の建築家でル・コルビュジエの事務所で共働したバルクリシュナ・ドーシを吉阪が紹介しており、その出会いが旧草月会館(1958年)や旧戸塚カントリークラブ(1961年)など60年代前後における丹下建築に大きな影響を与えたことが見受けられます。そして丹下にインド行きを勧めたのは、ジャンヌレとも親しかった彫刻家のイサム・ノグチ。他にも、シャルロット・ペリアンから影響を受けた日本とインドの手仕事による家具づくりの関係性や、ル・コルビュジエが訪印前に経由地として初来日した時の動向など、両国のさまざまな繋がりをとても興味深く考察しています。

ル・コルビュジエは1950年からインドのチャンディーガルの都市計画を手がけ、チーフアーキテクトにピエール・ジャンヌレを任命。その建築のために彼らが手がけた家具は、ヴィンテージ市場で人気が高い。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

インド初代首相のジャワハルラール・ネルーのため、1956年にル・コルビュジエがデザインしたデスク。前川國男が1947年に日本でデザインしたものによく似ているという。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

GALLERY – SIGNが所有する膨大な資料の一部。今年7月には新たにArchives GALLERY – SIGNを設立し、資料中心の展覧会も開催予定。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——同じようなヴィンテージ家具を扱うとしても、ギャラリーと家具店ではどんなところが異なると思いますか。

溝口 柳宗理先生の「デザイン考」を改めて拝読し、時代の先見性と社会変革へのメッセージを痛感しています。SNSで簡単に情報が入る時代だからこそ、過去のさまざまな文献に照らし合わせて、当時のリアルな声や疑問に対して答え合わせすることが重要です。その答案用紙を展示会という形で見てもらうのがギャラリーとしての役目だと思っています。

フランスのモダンデザインは、日本のモダンデザインや近代建築とも深く繋がっています。ル・コルビュジエに師事した前川國男、坂倉準三、吉阪隆正らが時代を切り開き、第二次世界大戦前後のシャルロット・ペリアンの来日から多大なる影響を受けた剣持勇や松村勝男らは日本の地域性を取り入れた家具を多く発表して、戦後復興とともにモダニズム期に突入します。これらのことからわかるように、日本のデザイン史のルーツにフランスからの大きな影響があることは明白です。同時に彼らの周囲にはさまざまな人間模様に関する逸話が隠れているので、そのあたりを今後はさらに紐解いていく予定です。

1956年に個人邸向けにデザインしたものを原型として、丹下が設計した香川県庁舎に収められた剣持勇による安楽椅子。天童木工製。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

1930年代にパリでル・コルビュジエに師事した坂倉準三による安楽椅子。札幌のホテルのロビーのために、硬質発泡樹脂を初めて用いて1964年にデザインされた。通称「メガネ椅子」。天童木工製。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

柳宗理が1954年にデザインした「エレファント・スツール」。柳は、1940年代に工芸指導のため来日したペリアンと知り合って以来、長く交流を続けた。 Yoshiyuki MIzoguchi / ©️Archives GALLERY – SIGN

——ギャラリーで最初から扱ってきたフランスのミッドセンチュリーのデザインが、日本のモダニズムの建築やデザインを掘り下げることと地続きだというのは、とてもおもしろいですね。

溝口 パリのギャラリストは、プルーヴェやペリアンが存命だった70年代後半から、本人と直接やりとりして家具のリサーチをしていました。現在、彼らがつくり出しているムーブメントは、何十年もの時間とコストをかけているのです。私たちは彼らと同様に、作品の蒐集とともに50年代に活躍したデザイナーや建築家の関係者の方々から直接お話を伺うことを日々行っています。ちょうどいま、ある日本の建築家とアーカイブをテーマにした企画展を開催予定で、目下調査の真っ最中ですので、私たちらしい展覧会ができればと思っています。

 

溝口至亮|Yoshiyuki Mizoguchi
1978年、広島生まれ。大学卒業後、都内のヴィンテージ家具店勤務を経て、2005年に〈GALLERY – SIGN〉を設立。フランスをはじめとする国々の希少価値の高いヴィンテージ家具を扱う。現在、東京と広島でギャラリーを運営。