CITY OF AMORPHOUS 7

410円時代(後の世は言うだろう)——連載:菊地成孔「次の東京オリンピックが来てしまう前に」⑦

「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せ始めた東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第7回!

TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA

第7回:410円時代(後の世は言うだろう)

タクシーに1日何回乗りますか? 僕は平均で10回である。音楽家であると同時に自分の事務所の代表取締役なので、まあ、事務所のワゴン車(あまりに汎用車なので、言ってしまっても構わない。前はエルグランドに乗っていたのだが、こないだアルファードに変えた。ある日、TBSで収録があって、いつものように地下駐車場に車を停めたら、一台残らず、見渡す限り全部アルファードだったので、思わず笑った。トヨタのショーケースのようだ。国民の皆さん、日本ではあらゆるタレントさんがアルファードに乗っています)があり、マネージャー(であり、取締役。会社は二人でやっている)が運転するから、現場の行き帰りはタクシー要らずなのだが、プライヴェートで乗りまくるので、トートバックの領収書入れのポケットは、タクシーの領収書でいつでもパンパンである。

要するにアウトドア派でも、かといってインドア派でもなく、移動性の街遊び派=アウト・トゥー・インドア派、とか言うしかない。その日の仕事が終わったら、バーからトラットリアから次のバー、もしくはファミレスへ。日によってはシネコンのレイトとか、友達の深夜のライブが割り込んだりする。意味もなく首都高を飛ばしたり楽勝だね。SNSとゲームをやらない日本人は時間が余って仕方がない。この時間が夜遊び文化的に有効な黄金なのか、時代に遅れている事を負債のように刻々と計上している情報貧者度カウンターなのか、いまひとつ分かっていない。

そもそも運転免許は持っていないし、電車は1998年以来、路線がわからないので乗れない。と、これは典型的な鶏と卵の逆転で、夜中に狭い街中をちょいちょい移動しながら(とはいえ徒歩圏内は無理)、飯を食ったり酒を飲んだり映画を見たり散歩したりしたかったら、東京では免許は取らない方が良いし(=車は買わない方が良い)、電車に乗れない方が良い。

こうした暮らしは大体2004年に歌舞伎町に越して来た辺りから始まっているので、13年越しになるが、とにかくタクシーが僕の自家用車であり、愛車である。

副業でラジオのパーソナリティをやっている。もう7年近くやっていると、かなりの頻度で「あのう、ラジオ番組やってますよねえ?」といった声のかけられ方をする。未だにラジオは、孤独な人々とタクシー運転手のものなのかも知れない(いきなり凄く脱線するけど、懐かしいなあ、ワンセグ時代の到来時に、運転手たちは絶対に一瞬、「ラジオ流しっぱなし」から「テレビつけっぱなし」にシフトしようとしていたよね。あんなんさすがに無理だったわけだが、人間はテクノロジーを前にそのぐらいの無茶をするのである)。

「気づかれてないと思って、好き放題に振舞って、降り際に<キクチさんですよね、いつも聴いてます>と言われるのが一番心臓に悪いからやめてください(テレビタレントさんはこのドキドキはない。面が割れてるから)」的な、よくある話をしようというのではない。恐怖の時代である「410円時代」について、誰も声高に分析しないのは何故だろうか(されまくっているかも知れない。ネットで)?

世事に疎い、というか、社会派的な脳がない僕は、最初は単純に喜んでいた。「俺のための料金改訂じゃん」ぐらいに思っていたのだ。だって、新宿三丁目のバーで飲んで、代々木上原の和食に行って、一度御苑前の事務所に戻って、楽器を取ってから二丁目のバーに行って酔い覚ましに一杯やって、初台の貸しスタジオで練習をし、事務所に戻って、それから自宅(近所)に戻る。ずっと「基本料金が半額にならねえかなあ」と言っていたのである。

そして、タクシーに月額いくら払っているか、一度も計算したことがないし、これからもしないと思うので、「ぐっと減った」のか「大して変わりない」のか「恐るべき事に、むしろ増えたのか」は、一生わからないし、別にどれだって良い。10倍になっていたり、10分の1になっていたりしたら、さすがにちょっと驚かないでもないが。

それよりも、これは明らかに「410円時代」という、ある時代の産物であると信じたいのだが(ちょっと面白いから)、タクシー運転手の質が下がったと僕は思う。

昔から悪い運転手やダメな運転手はいたよ。とか、いや、すげえ頑張ってるしっかりした運転手さんのが増えた気がするけど。という反論が予測される。前者に対しては「あんま乗ってないでしょう? 今」、後者に対しては「目立つようになったんだよ。平均値が下がったから」という再反論を用意しているが、それよりもこれはどうだろうか?

「410円時代の前の時代と比べて<すみません、新人なので(或いは『ここら辺、あんま詳しくないんで』)道がわからないので、教えてもらえますか?>という発言をするとき、彼らの罪悪感のようなものが低下している」

どうすかどうすか? 少なくとも僕の経験則では間違いない。1日10回平均乗っているユーザーのいう事だ、というのが、論理的な決定打にならないのは解っているけれども、一応言っておく。

新宿通り沿いで拾って「このまま新宿通りまっすぐで、伊勢丹まで行ってください」と言って「え? し、新宿通り……」「あ、新宿通りわからない?」「……はい……すみません」「ここ、今、走っているとこ」「はい」「これを伊勢丹まで、このまま真っ直ぐです」「え? い、い、伊勢……」といった、落語の与太郎のような人は、確かに昔から一定数いて、変わりがないように見えるし、ろくすっぽ返事もしないか、ものすごい小さな声でしか返事しないか、あらゆる異様な態度をとる運転手の増加は、410円時代の産物というより、コミュニュケーション障害時代の産物とする方が正しいだろう。コミュ障どころではない、重症のヒステリー発作や人格障害者ではないかという運転手の増加も、410円時代というよりは、現代病としての、国際的な人格障害時代の産物、と言うべきだ絶対。現代のペストとでも言うべき、こうした病理の蔓延は、そこかしこに見出せるだろう。

しかし、ほかの職種になくて、タクシー運転手にだけある、テクニカルタームみたいなものがある。それが「私、新人なんで、道わからないんで教えてください」と「私、ここら辺あんまり来ないんで道わからないんですけど良いですか?」である事は言うまでもない。

しかし、いかにコミュ障蔓延時代であろうとも、スタジオで音楽を作っていて、ヴァイオリン奏者が必要になったので、電話でスタジオミュージシャンのヴァイオリン奏者を呼んだら、スタジオに入るなり「私、新人なんで(以下略)」「私、普段、ピアノばっかり弾いて(以下略)」という事は絶対にない。デパートのサングラス屋の販売員に(大きく以下略)。

「いやあ、そんな運転手昔からいたよお」とか「いや、ナビ積んでるでしょ? 今は、住所言えばいいだけじゃん」というお方、あなたはタクシーに乗らない人だ。現場には現場でしかわからない、叩き上げの経験則があるのである。しかも私は、90年代から世界中をツアーで回り、世界中のタクシーに乗って、日本のタクシーが、ロンドン市内のそれとまでは言わないものの、かなりの水準にあることを痛感してきたのである。

410円時代になってから、彼らがこの台詞を吐くときの罪悪感の平均値は、著しく下がっている。これは間違いない。平然と言うようになった。今、この台詞を言う時、本当に申し訳ない、恥ずかしながら、と頭を掻きながら(実際に掻くかどうかの話ではない)眉間にしわを寄せるタクシー運転手なんて、今、いないのではないか? ついでに言うと、410円で降車する際、領収書を出さない態で黙っている運転手も増えた。なんだろうか? タクシーでこまめに移動するような暮らしなのに、410円ぽっち、領収書なんか欲しがる奴は貧乏性だとでもいう感じ? それはないよね? 逆よねそれ。ああ、納得いかない。

因果律は全くわからない。基本料金が410円になると、彼らは実入りが減るのだろうか? それでイライラしている、あるいはしらけてしまっている、あるいは410という数に、魔法の何かがあるのか(430円になったら途端に元に戻ったりして)? 私は基本的に、外交的には、とするが、鳩派である。しかし、月に1~2回は「車載カメラがあるからって、なんでもねえぞあんなもん。すでにここまで写ってる分でお前は無職だ」という台詞を吐いているし(あ、「車載カメラ搭載の時代」の産物? 今更?)、デジタルカメラで運転手のIDカードをこれ見よがしに撮影し、エコーカードを、ババ抜きの時のように、大きな身振りで抜いて見せたりもしている。こんなこと、一回もしたことないよ、730円時代は。

しかしである。驚くべきことに、私は現状を憂いているのではない。日本人は、来るべきオリンピックに向けて、あらゆる国家からやってくる観光客への上級対応を行うとしながら、心ではそうしたいそうしたい、と無心に願いながら、どうしてもくじけてしまうという時間を過ごしている。自分との闘いとはこれの事だ。ある意味日本は、「観光客に対して頑張ったりくじけたりを繰り返す時代」なのだと言えよう。僕が外国人観光客と間違われやすい。という話ではない。くじけてしまった心が、人をぞんざいさに導いてしまうなんて事は、当たり前の事ではないだろうか

つまりこういうことだ、単純に言って、日本にはもっともっと移民が必要である。コンビニや居酒屋で、もう慣れてきたはずだ。ニューヨークやパリのように、イミグランツのタクシードライヴァーが当たり前になれば、顧客と運転手とのコミュニュケーションの形は根底から変わる(水準の上下ではなく)。そして、有能な運転手の有能さが際立つのである(「日本人は優秀」と言ってるのではないぞ念のため)。複合的な「410円時代」には、あくまで僕好みの、ではあるが、解決、どころか、反転、逆転の兆しが見えているのだ。良いじゃん、しばらくくじけていようぜ。


連載「次の東京オリンピックが来てしまう前に」

profile

菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。