ストリートでも美術館でもギャラリーでも。彼はメッセージを発信して、快適な空間を作り上げて、カッコいい作品を見せてくれる。ユーモラスだけれども挑発的。とても大胆だけれどもきわめて繊細。全部が即興のようだが高い完成度をもつ。彼の作品にどっぷり浸れるチャンスだ。
TEXT BY Yoshio Suzuki PHOTO BY Maiko Miyagawa
View of Barry McGee's exhibition "Potato Sack Body" at Perrotin Tokyo, 2020.
©Barry McGee; Courtesy of the artist, Perrotin, and Ratio 3, San Francisco
バリー・マッギー。ストリートアートと現代美術の領域を自由に行き来し、現在最も人気のあるコンテンポラリーアーティストだ。
念のため、彼についてさらっておくと、1966年サンフランシスコ生まれ。84年からTWISTのタグネームでグラフィティの制作を開始した。91年サンフランシスコ・アート・インスティテュートより絵画・版画の学士号(美術)を取得し、これまでに世界中の美術館や諸機関において個展を開催している。ボストン現代美術館、ワタリウム美術館(東京)などにて個展。2001年ヴェネツィア・ビエンナーレで展示。また、作品はニューヨーク近代美術館、サンフランシスコ近代美術館、バークレー・アート・ミュージアム&パシフィック・フィルム・アーカイブ(カリフォルニア州)、ウォーカー・アート・センター(ミネソタ州ミネアポリス)、ニュー・アート・ギャラリー(イギリス、ウォルソール)、プラダ財団(イタリア、ヴェネツィア)のパブリック・コレクションに収蔵されている。
2017年、宮城県石巻市で開催されたリボーンアート・フェスティバル2017にも参加していたことは記憶に新しい。
経歴にあるとおり、アートスクールでペインティングや版画を学んではいるけれど、それ以前、10代の頃からストリートで活動をしていた。グラフィティアーティスト? そうだ。しかし、彼を紹介した文章の中には、graffiti artistというより、street gangなんて言い方をしているものもある。ギャング?!
TWIST名義でゲリラ的なペイントやタギング(個人や集団のマークとされるものを描くこと)でもよく知られている。
グラフィティアート一般の話として聞いてほしい。これは特にバリーのことを語っているわけではない。グラフィティアーティストの中にはジャケットの内側にポケットを縫い付けてスプレー缶を隠し持って、ストリートの壁や地下鉄のボディに描くこともある。あるいはたとえば、バス停などの広告看板のケースの鍵をなぜか持っていて、その鍵を開けて、広告ポスターに上書きし、再び鍵を締めておく。そうやって描いたものを人の目に触れさせようとすることもある。
こういった違法とされる行為をしてまで街の人々に自分たちのメッセージを伝えようとする活動があったのだ。ときに、アーティストたちは描いては追いかけられ、逃げる。追いかけられる、捕まるということも。
しかし、そんなアーティストの作品の中でも、カッコいいものがあったら、美術館やギャラリーが放っておくことはない。アメリカの有名美術館や世界的なアートの祭典ヴェネツィア・ビエンナーレでも展示されるようになって、今やグラフィティアートは現代美術の一分野として、がっちり食い込んだ。彼らの作品を抜きに現代は語れないし、アートビジネス、ファッションやグッズの経済効果も多大なものがある。
というわけで、ペロタン東京ではバリー・マッギーの東京での初の個展となる「Potato Sack Boy(ポテト・サック・ボディ)」が開催されている。
マルチパネル・ペインティングや額装作品、絵付けされた陶器や絵を描かれたボトルという大きなものと小さなもの、美術品的なものと身近なもの、どちらにしても、カッコいいだろ、ともかく見てよと言ってる感じだ。さらに、リサイクルされたオブジェを使ったり、複数の写真やドローイングを組み合わせたアッサンブラージュに彼の多才さが見える。そしてこういう気持ちのいい空間を提案してくれているのだ。
ところで、彼の描くモデルたちは決まって皆、哀愁というか悲観というか、そんな表情をしている。それはどうしてなんだろう。それについてこれまでのインタビューではこんなことを言っている。幸せそうな人だと、自分やその絵を見る人を寂しい気持ちにさせるから、とか、アメリカのストリートは絶望してるからさ、と。
アメリカへ、ものを言う気持ちがある。これには、かつてサーファー友だちとフォルクスワーゲンのバスを駆って、中米を1年間旅した経験がもとになっているとあるインタビューで答えている。パナマ、エルサルバトル、ニカラグア、コスタリカ。その旅の中で、アメリカが中米に対して行っている政策に失望を持ってしまったからだということだった。
しかし、彼の作品にあるのはこの時代に対する失望とか諦念というものではない。これまで住んだ土地や周囲の人々、愛する家族らからインスピレーションを得て、表現すること。続いていく日々や人生との終ることのない対話、彼が身を置くその空間を快適なものにしようという努力や茶目っ気。そういった気概に溢れている。サイトスペシフィックなインスタレーションを前にしたとき、観客たちは少し幸せな気分になっているのだ。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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