ART

特集STARS展:現代美術のスターたち—日本から世界へ

Interview

Lee Ufan

ものともの、ものと人、ものと空間。 アートは暮らしの中にも存在する——李禹煥@森美術館「STARS展」

「STARS 展」での李禹煥の展示風景。敷き詰められた小石の上を歩き、いろんな角度から鑑賞できる。

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「STARS 展」での李禹煥の展示風景。敷き詰められた小石の上を歩き、いろんな角度から鑑賞できる。

Installation view: STARS: Six Contemporary Artists from Japan to the World, Mori Art Museum, Tokyo, 2020 Photo: Takayama Kozo

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石や鉄の棒やガラス、抽象ペインティングで構成された李禹煥の展示空間に足を踏み入れた瞬間、非日常の空気に包まれます。李が呈示するアートとは何なのか? その秘密を解く鍵を探すため、李の自宅兼アトリエで話を聞きました。

photo by Manami Takahashi (Atelier)
edit & text by Mari Matsubara

1960年代末から70年代に日本の美術界に起こった「もの派」の中心人物としてムーブメントを牽引した李禹煥。石や紙や木、鉄などの素材をほとんど未加工のまま配置して空間を構成する手法は、その後も一貫して変わらない。ものとものが置かれた間には、対峙や衝突や融和が現れたり、外部空間との出会いが(あるいは拒絶が)生まれたりする。その関係性こそをアートとして呈示しているのが李の作品だ。

李はしばしば「関係項」という言葉を作品タイトルに使っているが、「STARS展」でも、石やガラス、鉄棒、抽象ペインティングなどの相互の関係性、またそれを観る私たちとの関係性、空間とものとの関係性を表しているようだ。関係性がアートであるとは、一体どういうことだろう? そもそもアートってなんだろう? そんな素朴な疑問を抱きながら、李さんのご自宅兼アトリエを訪問してお話を伺った。

李禹煥|Lee Ufan  
1936年韓国慶尚南道生まれ。56年に来日。大学で哲学を学んだのちアーティスト活動を開始、「もの派」の中心人物として脚光を浴びる。2011年NYグッゲンハイム美術館、2014年ヴェルサイユ宮殿での個展など、世界的に活躍。2010年、直島に安藤忠雄との協働で「李禹煥美術館」が開館した。現在パリと日本を拠点に活動。

李さんの暮らしの中に存在するアートとは?

──アートとは、李さんにとってどんなものなのでしょう?

 アートとは、芸術とは、と大上段に構えなくても、実は身の回りに転がっているものではないかと思います。僕にとってアートは、非日常性を喚起することです。ヨーゼフ・ボイスが言った「人間はみな芸術家である」という言葉は誤解を招きやすいから、僕はあまり賛成できないけれど、いい意味で捉えれば、人間はみな気づかぬうちに自分の生活の中で芸術をやっている、とも言えます。

 

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1/3ハンカチ|暮らしの中のアート① 「ハンカチは何枚も持っていて、たいてい自分で買います。無地や格子柄が多いです。少し色があったほうがいいですね。真っ白は汚れが目立つから持ちません。他人に任せず、自分で洗います。綺麗なハンカチをいつも持っている人は、いい人のように見えます」
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2/3靴|暮らしの中のアート③ ずらりと並んだ李の革靴。「代わりばんこに履いて、30~40年ぐらい経った靴もあります。それぞれ10年以上は履き続けているはず。イギリスの靴が多いかな。無骨で特に格好いい靴ではないけれど履きやすい。中敷きをしょっちゅう替えて大事に履きます」
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3/3茶碗|暮らしの中のアート② アトリエの隣にある茶室に李朝家具を置き、その上に18世紀初頭の伊羅保茶碗を。白壁に直接描いた絵が床の間の代わり。「韓国の昔の家のように油紙を床に敷きました。ここであぐらをかいて、お茶を飲んでぼーっとしたり、お客様に茶を点てたりします」

──具体的にはどういうことでしょうか? 李さんのこのアトリエやご自宅にもアートは存在しますか?

 たとえばこの靴。僕は旅行をよくします。人生そのものが旅だとも言える。だから靴はなくてはならない存在で、何足も持って交代で大事に履きます。靴磨きも絶対に自分でします。晴れた日にまとめてたくさんの靴を磨きますが、こうやって見ていると、自分が生きてきた時間が蓄積しているようで、愛おしい気持ちがこみ上げます。そういうことが芸術の持つ喚起力ではないかと思うのです。ゴッホの最初期の作品に靴を描いた静物画がありますが、ボロボロの紐靴に労働の激しさや苦しさ、悲しみ、うっすらとこもっている闇が感じられます。ゴッホは靴を描いているのではなく、その悲しみを描いている。僕もそういう影響を受けていると思います。靴にまとわりついた空気が記憶や感情を呼び起こすさまがアートなのです。

──他にも暮らしの中のアートはありますか?

 たとえばこの高麗茶碗も。僕は仕事をする前に緑茶を飲みますし、旅先にも抹茶茶碗を持って行きます。パリにいたら、パッとカフェに行って1杯コーヒーを飲んで、すぐ仕事に戻ったりします。僕の日常にとってお茶を飲むという行為はとても大事なこと。お茶の時間は、日常と非日常の間に揺れる自分の心を遊ばせてくれるものです。そして気持ちを切り替えたり、新鮮にしてくれるもの。そういう意味で、お茶の時間や茶碗にも非日常への喚起力があると思うのです。

もう一つ、ハンカチにも同様の感慨を持ちます。ハンカチはふだんは用がないですね。洗った手を拭く時だけ登場する。でも機能だけがあるのではなく、ハンカチは独特のエスプリというかノスタルジックなものを孕んでいるように思います。学生の頃、ボロボロのハンカチで汗を拭いていたら、隣にいた女子学生がそれをふいに取り上げて、洗ってくれました。また、旅先でホテルに泊まった時、自分で洗ったハンカチを干しておいたら、ルームサービス係がアイロンをかけておいてくれたり。ハンカチって、いろんな思い出があるじゃないですか? 薄くてヒラヒラとした一枚の布の周りに、なんとも形状しがたい些細な気分が漂っています。

こう考えると、生活の中にアートを飾るのではなくて、アートは生活の中にあるものなのでしょう。ものがアートなのではなくて、そこから何かを喚起させる力がアートなのだ。そんなふうに思いながら、僕は作品を作っています。

 

● 森美術館館長 片岡真実 の POINT OF VIEW

「1969年の《関係項》を再制作。ロープをかけた岩を6人で持ち上げ、厚さ2センチのガラスの上に一気に落とす。その瞬間にエネルギーが炸裂しました。相対する素材のぶつかり合いや『出会い』。キャンバスに描かれた点や線にも見られるこのエネルギーがすべての始まりです」
 
※初出=『HILLS LIFE』プリント版 2020年10月1日号

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