What does LIVING mean to you?

Q:ジャン=ジョルジュさんにとっての「リビングルーム」とは?—— MY LIVING is #2

ライフスタイルの多様化とともに、私たちの居住スタイルもいま大きく変わりつつあります。そこでこの連載では、「住まい」「暮らし方」「生き方」を表す〈リビング〉をめぐって、各界の最前線で活躍する方々にお話を伺います。第2回に登場いただくのは、オーナーシェフのジャン=ジョルジュ・ヴァンゲリスティンさん。六本木けやき坂の東京店をはじめ、世界中で美食家たちを魅了し続ける彼をニューヨークに訪ねました。

photo by Nicholas Calcott
text by Mika Yoshida & David G. Imber
edit by Kazumi Yamamoto

午前11時30分。レストラン《ジャン=ジョルジュ》のオープンキッチンは、明るい開放感と程よい緊張感に満たされている。「レストランの一日が幕を開ける寸前。最も好きな時間です」と語るのは、オーナーシェフのジャン=ジョルジュ・ヴァンゲリスティンだ。

世界の美食家を長年にわたり魅了し続けるヴァンゲリスティンにとって、このキッチンこそが「私のリビング」。15分後にはキッチンから見渡せるダイニングルームにランチ客が次々と姿を現し、25卓ものテーブルはみるみる満席に。料理人たちの手さばきや、注文を取り、皿を運ぶサーバーの身のこなし。スタッフ達が織りなす動きを、彼は「バレエ」と形容する。なるほど、細長いダイニングの一番奥に広がるキッチンはまるで舞台のようだ。

セントラルパーク西に佇むこの《ジャン=ジョルジュ》は1997年に開業。出発点であると同時に、世界に39軒ものレストランを展開するヴァンゲリスティン帝国の中枢でもある。「39軒の料理は全てここのキッチンで編み出されます」

アメリカ屈指のフレンチシェフは子どもの頃から料理好きだったのだろうか?

「料理はもっぱら母や祖母の仕事でした。私の家は祖父母や叔父家族も一つ屋根の下に暮らす大所帯で、私は四人兄弟の長男。昼食や夕食のたびに16人もの家族がテーブルを囲むのは壮観でした」

大家族がもっとも頻繁に顔を合わせる場所がキッチン。家そして家族のまさしく中心だったと回想する。「水を飲んだりヨーグルトを食べたり、とみな1日に数回、多い時は10回くらいキッチンに向かったものです」

滋養豊かで量もたっぷり、そんな家庭料理で育った少年がレストランの魅力に目覚めたのは16才の時のこと。「誕生日祝いで両親に連れて行かれた、アルザスで唯一のミシュランの星付きレストラン。生まれて初めての高級ダイニングに感激しました。料理の味といい、ウェイター達の“バレエ”といい、あらゆる要素に魅了されましたね」

父親の計らいで店の見習いとなり、初めてプロのキッチンに入る。「皿洗いかと思っていたら、パティシエの修業でした。製菓は厳密な数値を扱う、科学に近い分野。料理人として育つにあたり幸運なスタートでした」

あれから46年。東洋の要素を巧みに取り入れたフュージョン料理という前人未踏の分野を拓いたパイオニアは、世界の絶賛を浴び続けてきた。《ジャン=ジョルジュ》はじめ全体の9割がオープンキッチンなのには理由が?

「日本の炉端焼きなど、東洋のお店に学びました。オープンキッチンの透明性は素晴らしい。お客様はこちらの全てをお見通しなので、気が抜けません。私たちもお客様の様子が逐一わかりますから、直接得たフィードバックが料理やサービスの改善につながります。何より、料理を召し上がっているお客様を眺めるのは、私にとってこの上ない喜びなのです」

あなたにとってリビングとは? と尋ねると「ホームであり、人生そのもの」との即答が。ステージであり、新たな料理を生み出す創造の場である《ジャン=ジョルジュ》のキッチンこそ、「私がどこよりも長く時間を過ごす場所なのです」とニッコリ微笑んだ。

Q: ジャン=ジョルジュさんにとってのリビングとは?
A: 「ホームであり、人生そのもの」

ジャン=ジョルジュ・ヴァンゲリスティン
1957年仏アルザス生まれ。16才で《オーベルジュ・ド・リル》にて修業。仏トップシェフの元を経て、1980年代にはタイなどアジアで活躍。1985年から米国在住。ミシュランの星を13年獲得し続ける《ジャン=ジョルジュ》はじめ世界が憧れる美食のデスティネーションはNYだけでも17店。東京・六本木けやき坂に《ジャン・ジョルジュ トウキョウ》

あたらしい発想と暮らす東京


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