東京大学文学部のフランス語フランス文学研究室で教鞭をとり、数々の翻訳や映画評論、そしてエッセイを手がける野崎歓さん。フランスでの留学経験もある野崎さんと、日本人が旅をする意味について考えます。賢人たちの行動例から、週末小旅行のアイデアを学ぶシリーズ第12弾!
TEXT BY SHINYA YASHIRO
PHOTO BY KAN NOZAKI
——フランス文学の研究と翻訳の活動をメインにされている野崎さんは、よくフランスに滞在されているのかなと想像します。実際はいかがでしょう?
野崎 2017年の夏、2年ぶりにフランスへ出張しました。ただ、それも1週間だけです。大学に勤めはじめて、30年くらいになりますが、大学教員の「旅」は大きく変わってしまいましたね。ぼくが働き出した当時は「最後のアナーキー時代」といってもいいくらい自由で……。夏の長期休暇となれば、授業が終った翌日にはフランスに旅立っていましたから。
いまは休暇の間に、オープンキャンパスや大学院入試があるので、ドカンと旅行に行くのは難しくなってしまっています。正直なところ、旅人としては足枷をされてしまっているようなところがあるんです。
——逆に、30年前にどんな旅をされていたのかが気になります。
野崎 結局のところ、ぼくみたいな人間にとっては本と映画ですね。とにかく昔は休みになったら、本屋と映画館に行きたかった。だから、パリに夜到着する飛行機に乗り、着いたらその足でサンジェルマンデプレにある「La Hune(ラ・ユヌ)」という書店に行ったものです。深夜までやっている、スノッブでカッコいい本屋さんで、あらゆるジャンルの新刊に囲まれる……。それは至福の瞬間でした。
ただ、いまはフランスの本も映画も、インターネットで買えるようになってしまいました。書評が出たら検索して買う、というような情報ベースでの検索が増えてしまい、実物のなかに埋もれるような感覚がなくなったんです。映画にしても、どうしても映画館で見ておかないといけないような感覚にとらわれることが少なくなってしまいました。
——では、いま野崎さんが旅に出る理由は何なのでしょう。
野崎 人と会うことですね。パリに行きはじめてから35年くらいになります。だから、友人が元気かどうかを確かめることは大きなモチベーションです。それと、パリの街並みのなかで交わされるフランス語会話を楽しむこと。そんな一番始原的な意味でのコミュニケーションを求めているということなんでしょうね。去年の旅も、かつて教わっていたジャン=クロード先生の誘いを受けて、パリから列車で3時間ちょっとのヴィシーという町にある彼の別荘に行きました。1週間の旅のなかで、2泊しただけなのですが……。
1日目
12:30
パリのリヨン駅から電車に乗りヴィシーへ出発する。
16:30
ヴィシーに到着。駅まで迎えに来てくれたジャン=クロード先生のクルマに乗って、彼の別荘へ。
18:00
別荘から市内のオペラ座などで開催されている夏の音楽フェスティヴァルを観る。帰り道、暗闇で先生がクルマを飛ばして怖かった。
21:00
別荘に戻り、美食家として本も出している先生の手料理を食べる。
22:00
就寝。
2日目
10:00
先生とともに、現地の名所を回る。ミシュランガイドにも載っていないレストランや、ロマネスク建築の寺院へ。
15:00
先生が、昔から野菜を買っている農場に行く。「日本人はいまだにパリ信仰を持ってるの? あそこはフランスの一番悪いところなのに!」という言葉が忘れられない。
18:00
別荘に戻り、夕食。その後、就寝。夏なのに寒く、先生が暖炉を焚いてくれる。
3日目
09:00
起床し朝食を食べ、そのままヴィシー駅へ向いパリに戻る。
——そもそも、ヴィシーというのは、どんな場所なんですか?
野崎 先生に言わせると、「フランスで最も由緒の正しい町」だそうです。ブルボネ地方といって、16世紀からフランスを支配したブルボン王朝の源流となった人たちが住んでいた地域にあるんですよ。歴史に詳しい人なら、第二次世界大戦でフランスが侵攻されてパリが占拠されたとき、ナチスの傀儡政権が樹立された町として、知っているかもしれません。
温泉が出るので保養地としても知られていて、非常に美しい19世紀的な町並みが拡がっています。高い建物があまりないので、のびのびと呼吸ができる素敵な町でした。
——パリとは違った雰囲気なのでしょうか。
野崎 パラレルワールドといってもいいくらい違いました。ぼくがもっているフランスのイメージは、パリが中心に固まってしまっていたんでしょう。ブルボネなんて、田舎だろうと。しかしちょっと道を入れば、そこにはルネサンスからヴィシー政権に至るまでの当地の歴史を見ることができる。先生の誘いを忙しいからと何度も断っていたので、日本にいても知ることができないものを見せられて、反省しました。
もし本にヴィシーという町が登場したとき、温泉や臨時政権のイメージをもちながらテキストを追うだけの体験と、実際に自分で体験した瀟洒な町の雰囲気を想像しながらの読書体験は大きく違います。自戒も込めていえば、人間は自分がわかっていることのなかに全てを閉じ込めがちです。本当はそこからこぼれ落ちたものを、絶えず追求していくべきなんでしょう。その方がおもしろいですから。
——固定観念を壊すための旅……。それは楽しそうですね。
野崎 旅そのものだって、固定概念になりうるかもしれません。実は東日本大震災のころから、東京に生きることは「日々是旅」なのではないかという感覚をずっともっていました。あの時「帰宅難民」といわれた人達を見て、東京に住んでいる人は毎日すごい量と質の移動をしていることに改めて気づき、われわれは毎日旅をしているのではないのかと思いだしたわけです。
「月日は百代の過客」ですね。全てが旅の過程にあるという松尾芭蕉の言葉に象徴される、日本人固有のメンタリティが、震災で明らかになった。ただ、それをぼくが気づくように至ったのはパリにいたことがあるからだろう、とも思います。
情緒のなかに旅があるような日本的な感覚は、木で出来た壊れやすい建築のなかから生まれるはずで、それは無くなることが想定されていない石造りの建築でできたヨーロッパに正面からぶつからなければ、気づくことはできなかったのです。
根本的に、旅というのは自分のなかに主体性が求められるものなのかもしれません。本当の意味で、自分と体験を関係づけていくことが必要なのでしょうね。
野崎歓|Kan Nozaki
1959年、新潟県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。19世紀フランスのロマン主義詩人、ジェラール・ド・ネルヴァルを専門としてフランス文学の研究を行う。そのかたわら、19世紀から近現代のフランス語圏作家の翻訳、各国の映画評論や、エッセイ執筆を続ける。2001年にはフランスの映画監督を扱った『ジャン・ルノワール 越境する映画』(青土社)でサントリー学芸賞、2006年には子育てエッセイ『赤ちゃん教育』(青土社)で講談社エッセイ賞、2011年にはネルヴァルの『東方紀行』を論じた『異邦の香り』(講談社)で読売文学賞を受賞。最新の単著は『夢の共有 文学と翻訳と映画のはざまで』(岩波書店)。著者近影撮影:今村拓馬
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