THROUGH THE EYES OF OTHERS

伊藤亜紗インタビュー 「見るとは何か」を問い直すソーシャル・ビューの試みとは? 

「街の活性化にアートの力を採り入れるとしたら、どんな提案をされますか?」——ベストセラー『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の著者で、 視覚障害者との対話を通して「見る」ことそのものを問い直す研究を続ける、東京工業大学の伊藤亜紗准教授に聞きました。

TEXT BY HILLSLIFE.jp

アート、それは「問い」を発すること

いきなりビッグ・クエスチョンですね(笑)。でもまず明確にしておきたいのは、私にとって重要なのは「カテゴリーとしてのアート」ではなく「アート的な発想」であるということ。大学の講義でもよく言っているんですが、例えばこのコップがアート作品かそうじゃないかはどうでもよくて、アートならではの発想の仕方が大事なんだと思います。

この記事に掲載した写真はすべて、「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」が、2015年10月3日(土)にスパイラル開館30周年記念展「スペクトラム——いまを見つめ未来を探す」を鑑賞した時の様子です。

この記事に掲載した写真はすべて、「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」が、10月3日(土)にスパイラル開館30周年記念展「スペクトラム——いまを見つめ未来を探す」を鑑賞した時の様子です。

では「アート的な発想」とは何か。それはデザインと比べると分かりやすくなります。デザインとは、スマホを作ってほしいとクライアントに言われたら、その要求に対してスマホとしての最適解をだすことです。つまりデザインは「答え」であると。一方、アートの仕事は「問い」を発することです。たとえば、視覚を一切使わないスマホにしてみようとか、液体形のスマホにしてみようとか(笑)、「こんなスマホもありなんじゃないか」と、別の可能性を提示して、当たり前だと思われていることに問いを投げかけるのがアートの発想です。

ところが日本では、アートは有り難いものなのか、あるいは難しすぎるのか、展覧会に行っても、解説文を読んで満足し、肝心の作品はちらっと見て通り過ぎていくだけ、なんていうことになりがちです。問いを楽しむという意味での鑑賞の経験がそこにはありません。

ソーシャルビューという試み

こうした「分かったつもり」をほぐす試みとして私が最近面白いなと思っているのは、目の見えない人、つまり視覚障害者の人を鑑賞の仲間に混ぜる、という方法です。私はこれを「ソーシャル・ビュー」と呼んでいます。

この鑑賞法では、見える人と見えない人が5〜8人のグループを作り、美術館内をツアーします。そして作品の見た目や印象についてみんなで話ながら、作品の解釈をみんなで作りあげていくんです。それまで、見えない人の鑑賞は「触ること」が基本でしたから、絵画を鑑賞することは難しかった。しかしこれは会話で見るわけですから画期的な方法です。

「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」では、障害の有無にかかわらず、多様な背景を持つ人が毎月1回都内近郊の美術館を中心に集まり、ことばを交わしながら一緒に美術を鑑賞するワークショップを行なっています。

「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」では、障害の有無にかかわらず、多様な背景を持つ人が毎月1回都内近郊の美術館を中心に集まり、ことばを交わしながら一緒に美術を鑑賞するワークショップを行なっています。

重要なのは、見えない人が加わると、その場のコミュニケーションが変わることです。たとえば色について話す場合、見える人だけだったら、「この色、グッとくるよね」とか言えば何となく伝わった気になってしまいます。でも見えない人がそこに加わると、それでは済まされなくなる。同じ紫でも「茄子」と言う人もいれば、「ラベンダー」と言う人もいるし、「ヤクザが好きそうな色」と言う人もいる。見えない人が入ってくることで、見える人の多様性が見えてくるんです。

まわりの人の言葉で世界がアップデートされていく

考えてみると、目の見えない人たちは日頃からそうやっていろいろな人たちが発する断片的な情報を総合しながら、徐々に頭の中に対象を作り上げているんですよね。それはとても柔らかくて柔軟なイメージで、言葉が追加されればどんどんアップデートされて形を変えていく。

ソーシャル・ビューでは、目の見える人も同じように、まわりの人の言葉を通して作品を見ることになります。他の人の思いがけない言葉に触れて作品を見直してみると、「あっ、確かに!」と本当にそのように見えてくることがあるんですよね。作品が作り替えられていくんです。みんなで共同作業的に目の前の作品を作り替えていくそのプロセスは、音楽のセッションやゲームのように、予想不可能なライブ感に満ちています。

そのことを踏まえて最初の質問に戻ると、ソーシャル・ビューのような試みを街の中で実践したら面白いのではないかと思います。人間が外界から得る情報の8〜9割は視覚に由来するそうですが、目の見えない人と一緒に歩いて、たとえば風で、たとえば匂いで、たとえば音で、街を見たとしたら、あなたが身を置く世界はきっとガラリと一変するはずです。


森ビル・森美術館ワークショップ「視覚のない国をデザインしよう」

視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ

profile

伊藤亜紗|ASA ITO
1979年東京都生まれ/東京工業大学リベラルアーツセンター准教授、同大学院社会理工学研究科准教授、美学者。現代アートおよび身体について研究するとともに、雑誌の編集や小説の執筆なども手がける。主な著作に『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、参加作品に小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》(国立近代美術館)などがある。