120年以上の歴史をもち、船舶海洋から車両、航空宇宙などさまざまな領域で事業を展開してきた川崎重工。なかでも歴史の長い航空宇宙の領域では新たなビジネスの創出に力を入れている。現在は新規事業開発の一環としてヘリコプターを活用した移動サービスの提供も始まっており、槍ヶ岳をフィールドにした実証のための準備や調整が進んでいるという。 ヘリコプターはしばしば富裕層向けの乗りものと思われがちだが、さにあらず。果たしてこれからの空の移動は、どのように私たちの生活を変えていくのだろうか。川崎重工の航空宇宙システムカンパニー 新事業戦略統括部の堀井知弘は、乗りものそれ自体ではなくこれまでにない体験やストーリーが必要なのだと説く。
TEXT BY Shunta Ishigami
PHOTO BY Kaori Nishida
ヘリコプターで社会課題を解決
──近年、川崎重工は輸送用機器の製造だけでなく、新規事業の開発にも取り組んでいると伺いました。なかでも現在は槍ヶ岳で新たなプロジェクトが始まろうとしているそうですね。
堀井 もともと槍ヶ岳で物資の運搬や怪我人・病人の搬送のために運航していたヘリコプターを活用し、東京から槍ヶ岳(3,180m/長野県と岐阜県の境界にある、日本で5番目に高い山)まで1時間半で行ける日帰りのツアープランを計画していました。それだけだと単にお金持ちの道楽のように思われてしまうかもしれませんが、私たちはこのツアープランを通して、同時に社会課題も解決したいと思っているんです。
山小屋にとって、ヘリコプターをチャーターする料金が高くて満足に物資を運べないことは積年の課題でした。現在はわずか2社だけが運航している状況で、その2社についても十分に利益が出ているとは言えない事業環境において、今後もビジネスを成り立たせていくことが難しくなりつつあったのです。
解決方法を模索するなかで、富裕層のなかには寄付や社会貢献に高い関心をもっている方がたくさんいらっしゃることを知りました。単に山頂付近の山小屋までヘリコプターで行くだけではなく、例えば寄付金をセットにして物資の運搬にも役立てることで、多くの方に興味をもっていただけるのではないかと考えました。
──新たな山の楽しみ方を提案しているとも言えそうですね。
堀井 体力や技術の問題で山に登りたくても登れない方はいらっしゃいますし、お金を支払ってくださる方も見つかると思っています。だからといって、回数を増やしていくと地元や山小屋の方々、一般の登山客のストレスになってしまう可能性もある。どういう枠組みであれば実現可能か、まずは登山シーズンのピークを避けた時期に、実証実験を行っていく予定です。
今回の取り組みによって多くの物資を運べるようになると、結果的に各山小屋がそれぞれの個性を発揮していくことも可能になると思います。槍ヶ岳の実証実験がうまくいけば、尾瀬国立公園などほかの地域でも同様のサービスを展開していきたいですね。
──槍ヶ岳や尾瀬など、国立公園でサービスを展開するうえでは法的な規制なども多そうですね。
堀井 航空法の観点から見るとそこまでハードルは高くないのですが、国立公園の規制計画の場合は特別保護地区から普通地域までカテゴライズされている上に、個々の立木の扱いに関しては、農林水産省の下部機関である森林管理署の手続が必要であったりと、複数の省庁に関係する法的なレイヤーを全て成立させなければならないなど、運航許可の仕組みはとても複雑でした。しかも単に私たちが「ヘリコプターを飛ばしたい」と言うだけでは民間の商取引の話にしかなりません。
官民連携を行える仕組みを探すなかで、川崎重工は環境省と国立公園オフィシャルパートナーシップを締結しました。もっとも、パートナーシップを締結すればどこででもヘリコプターを飛ばせるというわけではなく、地場の保護官事務所や管理官事務所の方々へ説明する必要もありますし、調整しなければいけないことがたくさん出てきます。
社内外で発生した地道な調整と交渉
──実現にあたっては、かなり難しい調整や交渉が行われたんじゃないでしょうか。
堀井 近年はヘリコプターの運航会社も人員不足に陥っていますし、日々のビジネスに加えて新たなチャレンジを行っていくことは簡単ではありません。そのためサービスに取り組む過程では、なるべく相手に負担がかからないよう配慮してきました。
私たちがやりたいことに対し一方的に協力してもらおうとするより、あらかじめ利用者を探したり申請作業の準備を行ったり、相手の負担をできるだけ軽くすることで前向きに話を聞いていただけたのだと思っています。
──交渉の過程で印象に残っていることはありますか?
堀井 大きなポイントは2つありました。ひとつは、ヘリコプターの運航会社との交渉です。ルールづくりから最初の契約まで1年半かかったのですが、やはりこれまでにないスキームに参加しようとすると先方の社内で議論が起きますし、なかなか社内稟議が通らないことも多い。
とくにヘリコプターの場合は、機体の整備や運航の効率を考えた結果、年間飛行時間が300時間程度となる機体が多いのが事実です。それ以上飛ばすとかえって整備や運航のコストが高くついてしまうケースもあり、運航会社の観点では、何がリスクかさえよくわからない話なので、慎重になるのは当然です。
自由にヘリコプターを飛ばすとなると、従来の保険では対応できないことも増えてくる。一般的には空港やヘリポート施設は、施設側が対象の保険に加入します。空港ならともかく、ゴルフ場やレストランの駐車場で離着陸したいからといって、彼らに航空機のアクシデントを対象とした保険加入を強制し、費用を支払わせるわけにはいきません。運航会社からしても、私たちから言われてさまざまな場所に行けばその分リスクが増えますから。そうしたことを踏まえて、現在は新しい保険をつくるために大手保険会社様と検討も進めています。
——かなり地道な交渉を繰り返されてきたわけですね。
堀井 社外だけでなく、社内でも交渉は多かったですね。今回の槍ヶ岳に限らず、サービス提供のためには、旅行業の資格が必要になるんです。私たちのサービス形態ですと、少なくとも受注型企画旅行と呼ばれる第3種旅行業の資格をとらなければならず、会社としては定款も変えなければいけない。そして、そのためには株主総会が必要となると。
結局、100%子会社において、親会社の重役を対象とした臨時株主総会を行い、子会社の中に新たな部署をつくって解決したのですが、やはり経験のないことをしようとすると慎重な意見もありますし、繰り返し説明し続けなくてはならない。でも、新規事業を立ち上げるってそういうことだとも思います。アイデアを出すだけならいいけれど、社内のコモンセンスに合致しない話題を事業化するとなるとさまざまな問題に突き当たるものですから。そうやって社内を走り回りながら、2024年4月には募集型企画旅行を行うことができる第2種旅行業の資格も取得することができました。
新たな「乗りもの」ではなく新たな「体験」
──社会課題を解決するプロジェクトとして、他にはどんな取り組みがありますか?
堀井 たとえば福井県では17の全市町にひとつずつ場外離着陸場を設置し、交通の便を改善し観光客を誘致する準備を進めていますし、三重県では熊野や伊勢志摩といった観光地にヘリコプターを導入することで周遊性を高めようとしています。
2023年からは簡単な手続きで空の移動を手配できるサービス「Z-Leg™(ゼータレグ)」が始動しました。これはタクシーの配車サービスのようなもので、ヘリコプターによる移動はもちろん、前後のハイヤーも含めてワンストップで空の移動を体験できるものです。昨年9月に鈴鹿サーキットで「FIA F1世界選手権シリーズ 日本グランプリレース」が行われた際には、ヘリコプターとハイヤーを使った会場までの送迎サービスを観戦者の方々に利用していただきました。
私たちは、各地の地域活性や産業振興のためにヘリコプターを活用できないか、さまざまなかたちで検討を進めているんです。まずはコンテンツを考えることから始めたいと思っています。
──つまり、ヘリコプターという移動手段を提供するというより、観光なども含めた新たな体験を提示しようとされているんですね。
堀井 単に「珍しい乗りものに乗れます」というだけでは通用しないと思っているんです。川崎重工では、2018年の冬頃に新しい事業のアイデアを考える会が立ち上がりました。各部署から人を集めて最初はアイデアを出したり議論したり、半年間くらいはずっと喋りつづけていたように思います。話すだけでは一見無駄に思われるかもしれませんが、むしろ半年間かけて交流が深まり正直に意見を交わせる環境をつくれたのがよかったと感じます。
私自身はもともとエンジニアですし、新規事業を立ち上げた経験があるわけでもないので、最初は文字通り手探りでした。とくにエンジニアは常に100点満点を出さないといけないと考えがちなので、最初は完璧な状態のアウトプットを生み出そうと躍起になっていました。命を預ける飛行機が95点の出来だったら誰も乗りたくないですからね。でも、新規事業は違う。いろいろな方に話を聞きながら修正を重ねていけばいいんだと思えたことは大きかったですね。
──そんな中から、今回のヘリコプターのプロジェクトが立ち上がった、と。
堀井 最初からヘリコプターありきで考えていたわけではなく、さまざまなアイデアがありました。たとえば近年はフライトシミュレーターのようなゲームが非常に発展している一方で、航空業界ではパイロット不足が叫ばれているので、ゲームと人材教育を組み合わせるようなアイデアも検討が進んでいましたね。
誰もが空を飛べる時代に向かって
──今後、ヘリコプターを活用したサービスが増えていくと、移動のあり方も変わりそうです。
堀井 ただし、空の移動が普及するにはまだまだ課題が多いことも事実です。たとえば、騒音や風の問題ですね。ヘリコプターが着陸する際は大きな音と風が発生するので、地元の方々にご迷惑をおかけしてしまう場面があります。法的な観点から見ても、ヘリコプターの場合は有視界飛行が義務づけられているので悪天候の日は運航が制限されてしまいます。
これは空飛ぶクルマが直面する問題でもあります。カテゴリー上、空飛ぶクルマはヘリコプターと同じ回転翼機に当てはまるので、将来的な普及を考えると法制度も変わっていくのかもしれません。
──空飛ぶクルマの実現に期待している人も多そうです。
堀井 ヘリコプターに関わる方のなかには否定的な人もいますが、私自身は大歓迎です。もちろんいまの技術レベルだけを見れば難しいことも多いかもしれませんが、将来的にはこれまでにないバッテリーやエネルギーシステムが実現するかもしれませんし、その可能性を「今」否定しなくてもいいと思うんです。
ただ、仮に空飛ぶクルマが実現したとしても、すべてのクルマが飛ぶわけではありませんよね。どれだけ電気自動車が進化しても巨大なトラックを走らせるなら電気自動車は非効率的かもしれないように、目的に応じた選択肢が増えていくことになるのだと思っています。
電気自動車やジェット機、ガソリン車などさまざまなモビリティが混在する世界になっていくのでしょうし、それらをよりパーソナルに使えるような時代が来ると思っています。そのためにはデジタル技術や通信技術を柔軟に使っていく必要もあるでしょう。
ヘリコプターや空飛ぶクルマは空中を移動できるから面白いわけではなくて、どんな課題を解決するためにどう役立てるかが重要です。スーパーカーがプロダクトとしての格好良さや性能だけに価値があるのではなく、F1のようなスポーツ産業を生み出して多くの収益を生み出してもいるように、これからは工業製品の使い方とストーリーのつくり方が問われていくことになるんじゃないでしょうか。
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