ARCH PARTNERS TALK #21

チオビタ・ドリンクの大鵬薬品が、がん患者さんの就労を支援する教育サービス「アリルジュ」を手がける理由——大鵬薬品× WiL 三吉香留菜

大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、アメリカのシリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。連載21回目では、WiLの三吉香留菜氏が、大鵬薬品の森下真行氏を迎え、同社の新たな取り組みについて伺います。

TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koichi Tanoue

祖母の副作用を目の当たりにし、薬学の道へ

三吉 チオビタ・ドリンクで知られる大鵬薬品ですが、実は経口抗がん剤のリーディングカンパニーなんですよね。今年1月には、薬以外の新規事業として、がんの治療と仕事の両立に関する教育サービス「アリルジュ」をリリースしました。森下さんはその立ち上げにかかわったと伺っています。

森下真行|Masayuki Morishita 大鵬薬品工業株式会社 経営企画部 新規事業推進課 課長/薬剤師。2009年大鵬薬品工業株式会社入社。エリア学術職、抗がん剤プロモーション企画運営担当、抗がん剤マーケティングブランドマネジャー、社長室などを経て現職。2024年4月一橋大学大学院経営管理研究科修士課程入学。

森下 はい。私は大鵬薬品の経営企画部にて新規事業推進課のマネジャーをしています。実は三吉さんが在籍するWiLとはご縁がありまして、この2月まで「始動Next Innovator 2023」(以下「始動」)* の国内プログラムに参加していたんです。

* 経済産業省・JETROが主催、WiLが運営。国内プログラムやアメリカのシリコンバレープログラムで必要な知識・スキルを経験的に身につけて、1人では解決できない重要な課題の解決のため、共に刺激を受けながら、自ら挑戦=行動をし続けるイノベーターを育成する次世代イノベーター育成プログラム。

三吉 そうなんですね! 「始動」のプログラムは約半年にわたって週末にオンライン・オフラインの講義やセッションがありますから、この半年は忙しい日々だったのではないでしょうか。

森下 アリルジュのリリース準備と重なっていたこともあって、めちゃくちゃ忙しかったです(笑)。でもとてもいい経験でした。他の企業の方々と横のつながりもできました。参加をサポートしてくれた家族には感謝です。

三吉 そもそもどういった経緯でプログラムに応募したのですか?

森下 まさにARCHで知ったんです。森ビルの担当者から「『始動』のプログラムに参加してみませんか?」と案内を受けたのが応募期日の1週間前だったので、急いで自己PR動画などを制作し、ARCHに入居されている他企業のアルムナイ(プログラムの卒業生)から「人生変わるから」とのアドバイスもいただいて応募しました。

三吉 その短い準備期間で審査に通ったというのはすごいことです。

森下 ありがとうございます。

三吉 森下さんに新規事業について伺う前に、お仕事の歩みについて教えてください。大学と大学院で薬学を修め、新卒で大鵬薬品に入社されています。

森下 私は高校時代に闘病中の祖母の幻覚症状を目の当たりにし、それが薬の副作用であることを知りました。そこから「副作用の少ない薬を作りたい」というビジョンを持ち、薬学部に進学。祖母が大腸がんであったことから、経口抗がん剤のリーディングカンパニーである大鵬薬品に入社しました。入社から8年間は、医師の日常診療を学術的にサポートするエリア学術職として業務を行いました。具体的には、医療機関の医師やメディカルスタッフ(看護師、薬剤師など)に向け、自社製品の情報だけでなく、がん疾患全般に関する専門性の高い情報を提供する業務です。

三吉 ほかの製薬会社ではあまりないセクションなのですか?

森下 現在は海外由来の「メディカル・アフェアーズ」「メディカル・サイエンス・リエゾン」という職業名で製薬各社が採用していますが、私が就職活動をした十数年前にはこうした学術職の採用枠を設けている製薬会社は大鵬薬品以外にほとんどありませんでした。

三吉 医師たちにとって多忙な医療活動と並行しての情報のアップデートは負担が大きく、そこをサポートしてくれる学術職の存在は心強いはず。御社はその先駆けなのですね。

森下 エリア学術職の業務においては、自社抗がん剤の副作用対策の確立にも携わることができました。

三吉 ご家族が苦しまれた副作用について。

森下 そうです。また、入社3年目に祖父が喉頭がんを患い、その手術後に自社抗がん剤での治療を受けました。声帯を摘出したので声が出ない祖父は、「手の黒ずみが気になる、何とかならないのか」と筆談で私に訴えてきました。しかし副作用である黒ずみなどの皮膚障害は予防や対処方法が確立しておらず、私は何も返答できませんでした。このとき、なぜ抗がん剤を提供している会社で働いているのかという原点を見つめ直し、副作用対策を確立したいという思いに至ったのです。

セルフケアの中で副作用を抑えるという概念を確立

三吉 副作用対策の確立というのは、具体的にどのようなことですか?

森下 抗がん剤の副作用は、祖父に現れたような皮膚障害をはじめ、下痢、口内炎など人によってさまざまです。そこで、著名な医師の専門性の高いコメントや社内データをもとに、「こういう重篤な副作用が出たときは、自らの判断で服用を止めていい」といった指針となるフローチャートを医療関係者と共に作成し、患者さんにも伝わりやすいように整えました。発熱や副作用が出たときの対処方法についてはそれまでも医療現場へ案内を行っていましたが、もう一歩踏み込んで、セルフケアの中で副作用を抑えるという経口抗がん剤ならではの概念を確立したのです。

三吉 そうやって自分で判断できる範囲を示してもらえると、患者さんはとても励まされると思います。看護する家族にとってもありがたいことではないでしょうか。

森下 おっしゃる通りで、患者さんもご家族も「抗がん剤を服用し続けないとがんが大きくなるのでは」という怖さがあると思うんです。ただ、重篤な副作用につながる手前で服用を止めた方がいい場合があるので、自己判断をサポートできるように努めました。その後、本社学術部の抗がん剤プロモーション企画運営担当に異動となりました。

三吉 新しい部署での業務内容は?

森下 副作用対策を普及させるために、抗がん剤を処方する全国の医師やメディカルスタッフに向けた冊子の発行や、ウェビナーやオンサイトセミナー(講演会)の企画運営に注力しました。こうした活動をしていく中で、プロモーションの方法や頻度をマネジメントしたいと考えるようになり、マーケティング責任者であるブランドマネジャーを志願しました。幸いにも、祖父母が服用した弊社の代名詞的な抗がん剤のマーケティングブランドマネジャーを担当することになりました。

三吉 マーケティングの業務はいかがでしたか?

森下 副作用対策の普及を中心軸としたマーケティング活動は、祖父母が苦しんだことから、生き甲斐でした。その最中、叔母の大腸がんによる他界を経験しました。のちに叔母が、がん検診を受けていなかったことを知り、がん検診の重要性を再認識しました。抗がん剤でがんを完治させることは現在の技術でも難しいため、がん検診などの抗がん剤以外の方法で、がん患者さんやご家族に貢献したいという新たなビジョンを持つようになりました。

三吉 まさに新規事業につながるビジョンですね。ちなみに現職以前は社長室もご経験されたとか。

森下 社長室では、小林将之社長の経営を肌で学びながら、新規事業検討や事業再編などを担当しました。また、異動と同じタイミングで、骨髄移植のドナー候補となりました。ある種の血液がんは抗がん剤で完治させることができず、骨髄移植が唯一の完治させる手段であると知っていたため、迷わずドナーとして骨髄提供を行いました。その病棟にて、がんの治療と仕事の両立(がん就労)に対して、患者さんが課題や不安を感じていることを目の当たりにしました。新規事業としてがん就労もテーマの一つであったことから、事業計画やサービスのプロトタイプを作成するとともに、顧客インタビューを通じて課題の抽出やソリューション検証を実施。小林社長をはじめ役員の理解を得て、新規事業の立ち上げを認めていただきました。

働き続けたい社員を支援する「アリルジュ」

三吉 今回の対談に際し、がん対策に関する国の方針を著した「がん対策推進基本計画」に目を通したのですが、確かにがん就労の課題について紙面が割かれていました。がんの診断を受けた方の3〜4割が依願退職、もしくは解雇という形で職場を離れざるを得なくなっている事実も初めて知りました。

森下 昨年7月の内閣府の世論調査では、がんの治療や検査により仕事に影響が及ぶことになった場合、半数以上が「働き続けることは難しい」と考えていると回答しました。日本においては、がんの治療と仕事の両立がまだまだ難しいのが現状です。

三吉 がん患者というと高齢者のイメージが強いですが、実際には現役世代もいるわけですよね。

森下 特に女性は乳がんや子宮頸がんの罹患者数が30代から高まります。男性は50代後半になると女性よりもがんに罹患する方が多くなり、胃がんや肺がんなどのがん患者さんが急速に増えます。女性の活躍推進や定年延長という流れの中で、社員でがんに罹患する方の数はさらに増えていくことが予想されます。

三吉 そうした流れを受け、大鵬薬品はアリルジュというサービスをスタートさせしました。その内容について教えてください。

森下 アリルジュは、がんの治療と仕事の両立に関する企業向けの教育サービスです。がん患者さんが働きづらいと感じるのは、がんになっても働き続けられるという理解が職場全体で不足しているからで、それはヒアリング調査でも明らかです。現在は文部科学省が定める学習指導要領に基づき、小学校高学年、中学校と高校で「がん教育」が推進されていますが、私の世代はそうした教育を受けておらず、三吉さんの世代もそうですよね。

三吉 ええ、学校では習いませんでした。今はカリキュラムに入っているんですね。

森下 はい。ですが、今まさに働いている世代はがん教育を受けていません。がんをはじめとした病気の治療と仕事の両立には、患者さん本人や人事担当者だけでなく、上司や同僚といった職場メンバーの理解や支援が求められます。大鵬薬品がこれまで行ってきた支援内容をもとに設計したアリルジュを活用していただくことで、患者さんの周囲の方がどのようにサポートすると良いかを学ぶことができます。

三吉 患者さん本人や周囲の方にとって必要なポイントをそれぞれシーンごとに動画で解説し、すべきことのチェックリストもあわせて提供していますね。教育コンテンツではありますが、YouTubeやTikTokの視聴に慣れている今の人々にとって非常に取っ付きやすいコンテンツになっていると思います。

森下 ありがとうございます。例えば「実は乳がんになってしまいました」と突然部下から言われたときに、どんな対応をすればいいのか。動画で見ればよりイメージしやすいかと思います。

三吉 サービスの設計にあたって工夫したことや、悩んだことはありますか?

森下 がんの治療と仕事の両立支援において、私たちが当たり前だと思っていることが他社では当たり前でないことがあります。そこの乖離を認識してコンテンツを作る必要があり、悩みましたし今も課題です。顧客の方々のご意見を伺いながら標準化していきたいと考えています。また、現在準備中ですが、がんの治療や両立支援に関する質問に、チャット形式でAIが回答する機能を備えていきます。

三吉 内部で作り込んでからリリースするのではなく、顧客の反応を見ながら改善していくというのは新規事業として望ましい道筋だと思います。なお、アリルジュはNTTデータが展開する「ヘルスデータバンク」* を導入している企業とその社員向けに販売を開始されました。オプションという形での販売になりますか?

* 「企業の健康経営を支援するシステム」と「個人の生涯健康管理を支援するシステム」がセットになったクラウド型健康管理システム。2002年から運用を開始し、約3000社(団体)、400万人の健康管理に利用されている。

森下 その通りです。

三吉 新規事業は収益モデルの構築がうまくいかないケースが多々あります。御社の場合はそこをちゃんと構築し、すべて自前で完結するのではなく、他社と連携しながら普及させていくビジネスモデルにしたところがすばらしいと思います。

森下 NTTデータのサービスとのシナジーを生むことで、がんになっても働き続けられることへの理解を日本社会全体に広げていきたいと考えています。

失敗を恐れず、失敗から学べ

graphic recording by Karuna Miyoshi

三吉 アリルジュというサービス名の由来についてもぜひ聞かせてください。

森下 「あなたに寄り添うコンシェルジュ」から「あ、り、ルジュ」の文字を抜き出した造語です。私たち大鵬薬品がこれから提供していきたい価値を「アリルジュ」の5文字に込めました。

三吉 他に聞いたことがない響きでありながら、覚えやすい名前ですよね。ちなみに新規事業推進課のチームは何人で動いているのですか?

森下 現在は10人です。治療と仕事の両立支援を第一線で行っていた人、デジタルに強い人、コンテンツ制作が得意な人など、それぞれ専門性を持った人たちがプロジェクトに応じてアジャイルに動いています。

三吉 新規事業開発のお悩みでとても多いのが「主軸事業から異端視されてつらい」というお悩みです。御社の新規事業について、他社が参考にできることが多くあるように思うのですが、どのような体制で取り組んでいるのでしょう?

森下 小林社長をはじめ経営幹部と新規事業推進メンバーのコミュニケーションが円滑な体制であること。新規事業のテーマが、がんに関する社会課題の解決にフォーカスされていること。この2つが弊社の大きな特徴ではないかと思います。新規事業の思想を全社で共有するため、事業内容を説明するオンライン・オフラインのワークショップの開催や、社内ポータルサイトでの情報発信も定期的に行っています。

三吉 大事なことですよね。新規事業への憧れの醸成にもつながると思います。ところで、森下さんはこの4月から一橋大学大学院経営管理研究科に通われているそうですが、それはどのような思いから?

森下 経営的な目線で新規事業をマネジメントしたいのですが、自分には足りないところがまだまだありますので、現業と並行しながら学んでいきたいと思っています。

三吉 抗がん剤という人の命に直結する薬を扱いますから、「失敗できない文化」を持った業態でもあると思うのです。森下さんが挑戦し続けられるのはなぜでしょう。

森下 もちろん薬の製造販売に関する業務の多くは失敗できない領域です。一方で、薬では解決できない社会課題がたくさんあり、その解決に向けてできることもたくさんあると思っています。「始動Next Innovator 2023」で学んだことも糧にしながらチャレンジを続けていきたいです。そういう意味では、新規事業を立ち上げるときに小林社長から送られた「失敗を恐れず、失敗から学べ」というエールが心の支えになっています。

 

profile

三吉香留菜|Karuna Miyoshi
東京大学法学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーにて戦略コンサルティング業務に従事。中期経営計画・M&A戦略策定/DD、ポートフォリオ変革支援など全社戦略の策定・伴走を行う。2022年にWiLへ参画し、東京オフィスLP Relation担当Directorとして大企業の変革・イノベーション創出支援を行う。グラフィック化スキルを活かし、大企業向けワークショップのビジュアライズも担当。

ARCHは、世界で初めて、大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとする組織に特化して構想されたインキュベーションセンターです。豊富なリソースやネットワークを持つ大企業ならではの可能性と課題にフォーカスし、ハードとソフトの両面から、事業創出をサポート。国際新都心・グローバルビジネスセンターとして開発が進む虎ノ門ヒルズから、様々な産業分野の多様なプレーヤーが交差する架け橋として、日本ならではのイノベーション創出モデルを提案します。場所 東京都港区虎ノ門1-17-1 虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー4階