特集虎ノ門ヒルズ ステーションタワー

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クリストフ・インゲンホーフェンが語る、緑が育み、世界へと拡張する家族の暮らし——「スーパーグリーン」建築家に会いに行く Vol.2

虎ノ門ヒルズ ビジネスタワー/レジデンシャルタワーの外装を設計した建築家、クリストフ・インゲンホーフェン。その自邸はデュッセルドルフの中心から少し離れた郊外にある。「クリストフ・インゲンホーフェンの美学」第2回目では、緑に囲まれたガラスの邸宅を訪れ、住まいや家族そして少年時代の話を本人に語ってもらった。

PHOTO BY DANIEL SCHUMANN
TEXT BY MIKA YOSHIDA
INTERVIEW BY DAVID G. IMBER
EDIT BY KAZUMI YAMAMOTO
illustration by Adrian Johnson

 
菜の花畑がどこまでも続く風景を抜け、生い茂る木々に包み込まれる門をくぐると、目の前に広がるのはさらに別のグリーンワールドだ。手入れの行き届いた青い芝生に、背の高い樹木。家庭菜園では野菜やハーブが活き活きと育ち、りんごやチェリーなどの果樹には蝶が舞う。そしてたくさんのクマバチが、黄色い花粉をたっぷり蓄えたままブンブン飛び交っている。

自ら設計した自邸とガーデン

インゲンホーフェンの自邸。大きなガラス窓に、細いコラム。浮き上がるかのような軽やかさはインゲンホーフェン建築の特長だ。

——このガーデンもご自宅も、貴方自身で設計されたのですね。

 かのチャールズ・イームズは生前こんな言葉を残しています:「私と妻レイにとって、自由時間は仕事と同じくらい真剣勝負」。私もまさに同様です。この家は18年前に建てました。ガーデンの世話をする時もついデザイナーの目で見てしまう。手には必ず剪定バサミを握り、あちこち直して回るんです。子供達には「せっかくのガーデンなのに、そうやってあら探しばかりしていて何が楽しいの?」といつも言われるんですが、人によって楽しさの定義はまちまち。私にとってはここを直し、あそこを直しという作業こそが何よりも楽しいのです。

——邸宅にはインゲンホーフェンの建築の特長がすべて盛り込まれています。自然と人工物とのミックス、サステイナブルな素材。日がな一日、東から西に太陽の光が移ろい続ける巨大なガラス窓。雨水をガーデンに利用するシステムも「スーパーグリーン」建築です。スリムな柱が合理的でオープンなデザインを支えており、2フロアごと宙にふわっと浮かび上がるような軽やかさが、たまらなく心地良いです。

 この家は私にとってのいわば「試し刷り」です。実際の住み心地を身をもって確かめました。自分で設計した建築に住んで苦労する場合もありますが、私は真反対。この家での暮らしを目いっぱい楽しんでいます。

グリーン建築家のリアルな日常

木の細いコラムが支える自邸。どこか木造の家を思わせる雰囲気に。

——広い家に今日はお一人ですね。

 この家で三男二女を育て上げました。上は今35才で、一番下が21才。昔は毎日それは賑やかなものでしたが、今はみな独立してドイツ各地やヨーロッパ、アメリカとバラバラに住んでいます。ですから現在この家は私の住まいであり、デュッセルドルフに誰か帰省する際の宿であり、家族が休暇で集うホリディ・ハウスでもあります。たとえば明日は次女がこの家に泊まり、週末には息子の一人がやって来る。来週は一家全員ヴェネツィアで合流し、そのあと長女だけここに来て1週間滞在する。このように常に誰か入れ替わり立ち替わりする家なのです。1人の時もあれば2、3人、多いと12人もの人間がこの家にいますね。

彫刻作品のような円い生け垣。内側は家庭菜園だ。生け垣が野生動物の食害を防ぐ。

家庭菜園では様々なハーブや野菜が育つ。

花々が咲き乱れるガーデン。たえず鳥の声があたりに響く。

——貴方の典型的な一日を教えて下さい。

 今日を例にとりましょう。スイスのサンモリッツで朝4:30起床。ドイツのフライブルグまで飛行機で飛ぶ予定でしたが、問題発生で急遽レンタカーを借り、5時間ほど運転してたどり着きました。現地で市庁舎や行政施設に関する打ち合わせを済ませ、フライブルグの空港からデュッセルドルフに飛び、ハーバーで建設中の〈ピア・ワン〉でミーティング。そして自宅に戻り、今こうしてインタビューに答えています(笑)

明日はシュトゥットガルトへ移動し、現在建設中の〈シュトゥットガルト中央駅〉の現場チェックや会議の予定です。夜はデュッセルドルフに戻って次女とコンサートへ繰り出します。本来は毎朝、サンモリッツのジム・インストラクターとオンラインでワークアウトするのですが、今日は休んでしまいました。

巣立った子供達が賑やかに出入りする、「実家」

インゲンホーフェン氏。ガーデンには鹿やキツネ、コウモリなどの動物が多数現れるという。アナグマの一家が地面に大きな穴を掘ったりも。

——自宅を設計する際、何を念頭に置きましたか?

 家族同士、互いの様子がよく見える家を目指しました。現在ゲストルームになっている個室は5、6室ありますが、その中で人が閉じこもるようには作っていません。一人になりたい時は小さな部屋で自分だけの時間を過ごせるけれども、ドアを開ければ一家団欒へと入り込む、そんな家です。私はリビングで仕事をすることも多いのですよ。周りで子供達が騒いだり、大人がバタバタと行き来する中で(笑)。私自身、兄弟姉妹が多かったため騒々しいのはまったく平気なんです。

ゲストルームのほかには、2階にある私の個室、あとは大きなキッチンと広いリビング。一人でいても充足感を覚えますし、一方、小さな子供達を連れて家族が集まれば、それはそれは賑やかな家になるんですよ。

広々としたリビングに置かれた赤いソファもインゲンホーフェンのデザインだ。

——家族といえば、インゲンホーフェン事務所では貴方の兄弟姉妹3人も勤務されていますね。

 家族、そして家族の絆は私にとって常にかけがえのない存在でした。ましてや今の時代においては尚更です。お互いを守らないといけませんから。

天井からは吊り下げ型の薪ストーブ。奥にはミース・ファン・デル・ローエがデザインしたスツールが見える。

——ご両親についてお聞かせ下さい。

 母は料理が得意で、夫を立てるタイプの良妻賢母でした。建築家だった父の事務所に私が出入りし始めたのは1969年、8才頃のことです。次第に弟子として建築の基本を身につけていきました。今ならパソコンで簡単にやり直しできますが、当時は図面の線1本書くのもほぼ一度きりの真剣勝負。仕事の厳しさを現場で学びました。今思えば、たった10才の子どもを周りの大人たちが対等に扱い、意見に耳を傾けてくれたのはありがたい事です。

見通しが良く、どこまでもオープンな家。隠れた部分というのがなかなか見当たらない。

——勉強好きな少年だったのですね。

 いや、宿題もせずにテニス三昧で(笑)。スポーツは得意で、ランニングはこの頃控えていますが、昔から水泳やクロスカントリー、スキーにセイリングと色々やりました。

デュッセルドルフの思い出

© Stadtarchiv Düsseldorf 曲線が特徴的な〈シャウシュピールハウス〉劇場(右)。1960年代後半の写真。

——少年時代のデュッセルドルフはどんな街でしたか?

 ライン河左岸に位置するノイスという都市で私は育ちました。土地が安かったノイスに、両親が対岸のデュッセルドルフから移り住んだのです。家も、父が木で建てました。この私が育った実家はなんと木造の家なんですよ、意外でしょう?

さて、当時のデュッセルドルフはファッショナブルで華やかな都市でした。たとえば南米のお金持ちがスペインのマドリードに出張で訪れ、タクシーをデュッセルドルフまで丸々5日間も飛ばしてやってきては、そのまま2週間も滞在して買い物三昧した挙げ句またマドリードに戻る、という話も珍しくありませんでした。それほど、デュッセルドルフはファッションを始めとする買い物のメッカだったのです。

ノイスの少年の目にデュッセルドルフは大都市に映りましたね。両親に連れられ、この憧れの街をよく訪れたものです。中でもかけがえのない思い出となっているのが〈シャウシュピール ・ハウス〉。10才の頃からこの劇場でさまざまな公演や舞台を鑑賞し、多くの時間を過ごしたものです。

——その思い出の劇場をまさか後年、ご自分が改築を任されることになるとは。運命的ですね。

現在の〈シャウシュピール・ハウス〉。インゲンホーフェンが改装を手がけ、2020年に完成。個人的な思い入れの強いプロジェクトだ。

文学と音楽、映画をこよなく愛する建築家

自宅の書棚には文芸書がズラリ。建築やデザインの本がびっしり詰まったオフィスのライブラリーとは対照的だ。

——このご自宅にはオフィス同様、本がたくさん並んでいます。アートや建築の本はもちろんですが、文芸書の数が膨大ですね。

 少年時代、まず夢中になったのが文学でした。好きな作家はオーストリアの現代作家ペーター・ハントケ、アメリカのポール・オースターやジョン・アップダイク、マーク・トウェインにコーマック・マッカーシー。アメリカ文学が一番好きですね。

——レコードコレクションも気になります。棚に並ぶドアーズや70年代パンク、ボブ・ディランやレッド・ツェッペリンのアナログが目にとまりました。

 デヴィッド・ボウイやローリング・ストーンズはじめ、1960年代から90年代の音楽はすべて聴きまくりました。最新のバンド情報については子供達が先生です。ちなみにうちの子供達、特に娘2人に教わることは音楽に限らず多いですね。やはり今どきの世代なので、地球環境への意識が非常に高い。食べ物や廃棄、モノの包装ひとつ取っても驚くほど厳密な物差しを持っています。「パパがいつも乗る飛行機が、どれだけ環境に悪影響を及ぼしているのか真剣に考えてみて」などと私に手厳しいのですよ(笑)

——グリーン建築の代名詞であるインゲンホーフェンさんが、娘さん達にダメ出しされるのも微笑ましいです。お子さん達の職業は?

 息子は3人ともビジネスの世界へ進みました。2人の娘はファッションデザイナーと女優です。

——以前のインタビューでは、貴方がお父さまの事務所で経験を積んだのちにアーヘン工科大学やデュッセルドルフ美術アカデミーで建築を専攻された話を伺いました。十代から建築家まっしぐらの人生だったのですね。

 実は、映画作りにも興味がありました。

——そうでしたか!

 建築の次に好きなのが映画で、長年1日に必ず1、2本、多い時では3本も観に行ったものです。だからといって映画監督を目指した訳ではありませんが、映画作りそのものに興味がありました。映画に関してはその道のプロではないし、なろうとも思いません。しかし「極めて詳しい」アマチュアファンでありたいと常日頃思っています。

写真という世界に魅了されて

蔵書の一部。パティ・スミスのビジュアルブック『A Book of Days』も。

——オフタイムには映画鑑賞や読書、音楽のほかにどんな事を?

 スイスのエンガディン地方に別荘があります。エンガディンで20年ばかり家を借りていたのですが、土地を買う機会があり、家族のための家を自分で建てました。家の世話や地元の人達とのやりとり、そして往復の移動だけでもかなりの時間を費やしますね。

エントランスそばの壁にはデュッセルドルフ在住、ディーター・ブルームの作品《Wild I》(1998)が。マルボロの広告になった写真だ。ブルームはマルボロのキャンペーンに起用された唯一のドイツ人写真家である。

また、近年情熱を注いでいるのが写真のコレクションです。建築とは別の世界でありながらアートである写真は、自分にうまくバランスを取らせてくれます。長年アートをコレクションしてきましたが、写真への興味が高まったのは建築家として自然な流れでしょう。手始めはコンテンポラリーな写真作品でしたが、特にこだわりません。

自邸とプールが夜の闇に輝く。インゲンホーフェン氏は水泳も得意だ。

私は今も昔も、政治的なテーマに強い関心をもつ人間です。自分が生きてきた時代に起きた世界的出来事を捉えた有名な写真が2点あります。1枚は1968年のチェコ事件(ソ連によるチェコスロヴァキアへの軍事侵攻 )で撮影された、戦車に市民が立ち向かう写真。もう1枚は同じく1968年の有名な『サイゴンでの処刑』です。子ども時代にTVで見て衝撃を受けた光景でした。私はこのどちらも所有しています。ロバート・キャパがスペイン内戦で撮影した写真もコレクションしていますが、かといってキャパばかり100点も集める訳ではありません。これぞと決めたものだけを集めます。

スイスからあちこち飛び回ってきた長い一日の後とは思えないほど、快活でエネルギッシュな語りが深夜まで続いた。

写真をたくさん見るようになると、年々自分の目が利いてくるのを実感します。10年前よりも今の方が見方も研ぎすまされ、作家や作品への理解も深まっているのです。にもかかわらず一番最初に買った写真作品こそが最も良かったりするのです。変わるものもあれば変わらないものもある。何事も奥深いです。

シリーズ「クリストフ・インゲンホーフェン」Vo.3では、少年時代の思い出〈シャウシュピールハウス〉劇場の改築プロジェクト、そして劇場に向かい合う、世界最大のグリーンファサードを誇る〈クー・ボーゲン II〉をご紹介します。

profile

クリストフ・インゲンホーフェン|Christoph Ingenhoven
1960年ドイツ・デュッセルドルフ生まれ。アーヘン工科大学卒業後、ハンス・ホラインに師事。1985年よりインゲンホーフェン・アソシエイツを率いる。早くからエコロジカルでサステイナブルなデザインに注力しており、国際的な賞も多数受賞している。代表作に「シュトゥットガルト中央駅」(ドイツ)「1 Bligh」(オーストラリア)「マリーナ・ワン」(シンガポール)など。