大企業の事業改革や新規事業創出をミッションとして虎ノ門ヒルズにて始動したインキュベーションセンター「ARCH(アーチ)」。企画運営は虎ノ門ヒルズエリアにおいてグローバルビジネスセンターの形成を目指す森ビルが行い、米国シリコンバレーを本拠地とするWiLがベンチャーキャピタルの知見をもって参画している。WiLの小松原威氏に、ARCH設立の背景や、大企業が抱える課題、今後ARCHが果たしていく役割などについて聞いた。
TEXT BY Kazuko Takahashi
PHOTO BY Koutarou Washizaki
自前主義からオープンイノベーションへ
——WiLで多くのビジネスを見つめてきた小松原さんに、日本企業が抱える課題についてまず伺いたいです。
小松原 これまで日本の大企業の多くは、自社で研究・開発した製品やサービスを提供する自前主義にこだわってきました。クローズドイノベーションとも呼ばれますが、こうしたビジネスモデルではグローバル市場における競争や、多様化する消費者ニーズへの対応が難しくなっています。そこで注目され始めたのが、外部の優れた技術やアイデアを導入するオープンイノベーションです。
——確かに近年、オープンイノベーションというワードをよく耳にするようになりました。
小松原 シリコンバレーではオープンイノベーションが進んでいて、大企業、スタートアップ、大学、政府がゆるやかにつながり、特性を補完し合いながら新しいアイデアや技術を生み出しています。スタートアップの成長を見込んだ協業、出資、M&Aも活発です。グーグルにおけるユーチューブやアンドロイド、フェイスブックにおけるインスタグラムなど、M&Aによって急成長を遂げた新規事業も無数にあります。こうした流れを受け、日本でも産学連携や他企業とのコラボレーションが1つのトレンドとなり、自前主義からの脱却が叫ばれるようになりました。
——WiLはベンチャー企業に投資をするだけでなく、共に新しい会社を立ち上げたり、企業の共同研究所の役割を担ったりと、ベンチャーキャピタル(以下、VC)としてはめずらしい活動も行っていますね。
小松原 WiLは2013年の設立以来、日本の大企業とアメリカのスタートアップ、日本のスタートアップをつなぎ、互いに胸襟を開いた関係になれるように、投資だけでなく人的交流も促しています。そのコンセプトに共感してくれたのが森ビルで、人的交流をリアルに実現する場でもあるARCHが誕生しました。WiLの活動でもイベントなどを通じて企業間のコミュニケーションの場を設けてきましたが、ARCHの誕生によって日常的にそれができるようになりました。
——現在72社がARCHに入居しています。
小松原 ARCHの開業に際してはWilのファンドに出資いただいているリミテッド・パートナー企業(以下、LP)にも入居を呼びかけたところ、各社活動趣旨に賛同し、手を挙げてくださいました。入居企業にはLP企業もそうじゃない企業もいますが、共有できる新たな場ができたことで、各社の新規事業への取り組みがさらに加速するのではないかと期待しています。
——ただ、グーグルやアップルといったアメリカの大企業と日本の大企業とではカルチャーが違うのでは。実際、オープンイノベーションのやり方がかなり違う印象です。シリコンバレーで起こったことが日本でも起こるでしょうか。
小松原 日本は大企業のポテンシャルが高いゆえにこのようなやり方ができるのです。アメリカではVCからスタートアップへの投資がさかんで、優秀な人ほど大企業に就職したがらず、起業やスタートアップへの就職を選ぶ傾向にあります。グーグルもアップルも元はスタートアップで、VCから莫大な投資を受け、優秀な人材を集めていました。
一方日本は、優れた人材の大半が大企業を志向します。つまり大企業にリソースが集中しています。ただ、生かし切れていないリソースも大企業に多く存在していると考えています。その潜在的な可能性を呼び起こせるかどうかがイノベーションのカギを握っているのです。
本当のライバルは異業種からやって来る
——大企業が生かし切れていないリソースを呼び起こすような試みとは?
小松原 日本は自前主義が長く続いてきましたから、自分の業界に精通した人はたくさんいます。しかし書店や物販店の競合相手がアマゾンに様変わりしたように、今や本当のライバルは異業種からやって来ます。だからこそ外の世界とつながること、リソースを隠さずオープンにすること、異業種から助言をもらうこと、他企業と組むことなどが重要で、その架け橋となるのがARCHです。
——ARCHとコワーキングスペースとの違いについても教えてください。
小松原 ARCHの価値は、新規事業を促す上での共通言語や知見をシェアできることです。例えば「ユーザー目線」という言葉がよく使われますが、何をもってユーザー目線なのか。その認識が企業によってバラバラな状態ではアイデアの交換も協業もうまく運びません。ですから、ARCHでは、まず業界や企業の壁を超える共通言語を持ち、深く相互理解できる土壌を作ったうえで、人と企業のコミュニケーションを支援するイベントや人材育成プログラムを展開しています。また、ブライダル情報誌「ゼクシィ」の生みの親である渡瀬ひろみ氏や、リクルートでウエブサービスの事業開発を手がけた大塚悦時氏など、大企業で新規事業を成功させた方々がチーフインキュベーションオフィサー(CIO)としてトレーニングやメンタリングを行っています。
——小松原さんも現場のサポートに入るのですか?
小松原 もちろん私も他のWiLのメンバーもサポートに入ります。WiLはスタートアップの事業計画を年間何百件と見ているいわば目利き集団。シリコンバレーを始め世界の動向に通じており、新規事業創出においてテーマ設定やビジネスモデルについてのアドバイスや、既存事業の一部を切り出してスタートアップとして独立させる「カーブアウト」型のジョイントベンチャーを一緒になって設立するなど、企業それぞれに合った切り口で提案を行っています。
——ARCHの会員に伝えたいことは?
小松原 会員の皆さんによくお話しするのは、「GIVE」から始めてくださいということ。他社との交流機会の場があると、とかく「何か新しい情報はないか」「事業のエンジンになるアイデアを得たい」と「TAKE」にばかりに意識が向きがちです。そうではなく、まずはGIVE・GIVE・GIVE。自分たちの情報を提供し、プレゼンし、それからTAKEを模索する。そうすると賛同者や仲間を集めやすくなります。
ちなみに私がシリコンバレーにいた時は、カフェでVCの社員をつかまえて相談する学生や、隣のテーブルについた初対面の人に新規事業をアピールし始める若い起業家、乗客に「アイデアを聞いてほしい」と持ちかけるウーバーの運転手などを日常的に目にしました。カルチャーの違いは大きいですが、慣れさえすればARCHでも生まれうる光景だと思っています。コワークスペースやカフェなど、あちこちで突撃プレゼンやディスカッションが盛り上がってくれることを期待しています。
新規事業は10年後、20年後のビジネスを左右する
——経営者の意識改革も必要ではないでしょうか。
小松原 もちろんです。新規事業の担当者はともすると社内で異端児扱いされ、糸の切れた凧のような扱いをされる。そうした状況が生まれてしまうのは経営者の責任です。新規事業の創出は会社の生命線であり、10年後、20年後のビジネスを左右します。利き手である既存事業の維持・拡充と同時に、もう片方の手で新しい領域を模索する「両利きの経営」がこれからの時代は必須です。
また、オープンイノベーションと「ベンダーに丸投げ」を混同している業界が意外と多いのですが、明確に違います。外部の開発スタッフを「下請け」として扱い、自社に呼びつけて業務を丸投げするような構図はオープンイノベーションではありません。ARCHに来れば、外部の人間と対等の立場で共創するワクワク感、これこそが真のオープンイノベーションというものを味わっていただけると思います。
——小松原さんは日本のビジネス環境も欧米のビジネス環境も経験されていますね。
小松原 私は日本のメーカー、ドイツのソフトウェア会社、シリコンバレーのラボを経て現在WiLに参画しています。ですから日本企業の良さがわかるし、思い入れもあります。そのあと移ったドイツの会社は、アメリカの破壊的イノベーションに負けまいとシリコンバレーに“出島”を作って事業を磨き、現在はドイツの時価総額ナンバーワン企業となっています。ドイツも日本と同じモノづくりの国なので、共感すること、学ぶことが多くありました。そのように日本と欧米を行き来している視点で日本の大企業のお役に立てればと思っています。
VCファンドの運用期間は10年間あるため、LP企業とは長いおつき合いとなります。ですから半分身内のような感覚で相談してくださっていますし、私もそのつもりでおつき合いさせていただいています。一方で常に客観的な視点を持ち、何にもとらわれない異邦人であり続けたいと思っています。一社だけでは難しいことでも、様々な業種の大企業やスタートアップと活動するWiLだからこそ、大企業の共同研究所として、オープンイノベーションを支援していきたいと思います。
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