The Voyage to Healing
on Vessels of Imagination

全米の子ども病院で現代アートが心を癒す——「RxART」がもたらす喜び、そしてチャレンジとは?

村上隆やジェフ・クーンズ、ウルス・フィッシャーなど錚々たるアーティストが、小児専門病院のために作品を制作する「子ども病院アートプロジェクト」。21年にわたり活動を続けてきたRxARTの中心人物、ダイアン・ブラウンに話を聞いた。

INTERVIEW BY David G. Imber
TEXT BY Mika Yoshida
EDIT BY Kazumi Yamamoto

ワシントンDCの病院では、PET-CTスキャナに一面、村上隆が描いたデイジーの笑顔が広がる。NYの病院ではライアン・マクギネスによるカラフルな生き物やスタンプが、学習ルームの壁で子ども達を待っている。入院や通院を余儀なくされる子ども達、そして病院スタッフの心をアートで癒やすのを目的に、NPOのRxART(アール・エックス・アート)が始めたのが「子ども病院アートプロジェクト」だ。過去21年間で実施したプロジェクトの数は実に53件。全米20の都市で36か所の病院に設置、計62組のアーティストに制作を依頼した。

昨年完成し、世界的な話題となった村上隆のCT/PETスキャン室。ワシントンDCの小児国立医療センター。2020年完成。 © Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. Ltd. All rights reserved. photo by Kenson Noel

村上隆のインスタレーションは病院側からも大好評。カイカイキキの許可を得た上で、検査を受けた子どもがもらえるカードをRxARTが企画中。インスタレーションのビジュアルや説明文、QRコードが印刷されるとか。 © Takashi Murakami/Kaikai Kiki Co. Ltd. All rights reserved. photo by Kenson Noel

ライアン・マッギンレーの写真。冬季オリンピックに挑む若きアスリート達の姿から、闘病中の子ども達がポジティブな力を得られるように、との願いを込めて。NYブルックリンのキングスカウンティ総合病院/児童・思春期精神科。2010年完成。 photo by  Jeret Peterson

キース・ヘリングのデザインが壁いっぱいに広がるのは、年間1万8,000人の子どもが運び込まれる小児救命救急科の待合室。ここは患者や家族が最初に足を踏み入れる場所。明るく絵でまずは迎え入れ、細かくコミカルな模様を追うことで不安から気をそらせられるようにとの思いも。NY市ヘルス+ホスピタルズ/ハーレム。2018年完成。 photo by Christopher Burke

ジェフ・クーンズのインスタレーションで彩られたCTスキャナと検査室。クーンズはノーギャラで制作した。イリノイ州のアドボケイト小児病院。2010年完成。 photo by Michael Tropea

RxARTが画期的なのは、著名アーティストの作品をただ展示するのではなく、場所や目的に合ったものを一から制作してもらう点にある。資金はプロジェクトごとに寄付を募り、病院側の金銭的負担はゼロ。通常は天文学的な金額で作品が取り引きされる作家たちが、RxARTから受け取るのは気持ち程度の謝礼というのも驚きだ。美術館やギャラリーとはまるで性質の異なる空間であり、デリケートな要素も多く予想される子ども病院で、世界的なアーティスト達に腕を奮わせるRxARTとは一体どんな団体なのだろうか?

CT検査の体験から生まれたプロジェクト

RxARTの創設者の名はダイアン・ブラウン。ワシントンDCで8年、NYで9年にわたり自らのギャラリーを運営していた元ギャラリストで、1990年からはプライベート・キュレーターとして幅広く活躍する。病院でプロジェクトを始めたきっかけは、彼女自身に病気の疑いが出て受けたCT検査だ。もし何か見つかったら……と不安に駆られる中、目の前の天井いっぱいにマシュー・リッチーのペインティングを思い浮かべて現実逃避したところ、検査の事などすっかり意識から離れていたという。「非常に力づけられたこの体験をぜひ他の人達にも、と思い立ったのが発端です」。

病院に金銭的な負担はかけず、作家に謝礼を支払う形で美術館レベルのアート作品を病院に設置したい! 彼女のアイデアを美術評論家やコレクター、キュレーター、アーティストなど周囲の友人は「どうかしている」と一笑に付したという。そんな中で唯一「やってみれば?」と背中を押してくれたのがアグネス・ガンド。有力なアートパトロンにして社会・教育活動に長年貢献してきた慈善事業家、ガンドの一言が決め手となった。

RxART創設者で代表のダイアン・ブラウン。オハイオ州出身、NY在住。1973年よりコンテンポラリー・アートの世界でギャラリスト、アートディーラー、コンサルタントとして活躍。

最初から順風満帆だったわけではない。「難航しました。アート界では知られていても、病院の人々にとっては全く無名な私でしたから『本当にわかっているのか?』と当初は大いにうさん臭がられたものです」。21年前の病院では、環境や雰囲気の重要性が今ほどには認知されていなかった。現代アートを院内に設置する、という試みに尻込みする病院側の説得に当たったのがブラウンのアドバイザリー・ボード(有識者委員会)の一人。世界屈指の医学研究機関であるロックフェラー大学で名誉理事を務めるこの人物の後押しにより、病院側は「3カ月だけ」としぶしぶ折れた。

「患者やスタッフが自由に書き込めるノートを置いて、不評の場合は作品撤去という条件でした。今でも納得できない理由で何点か撤去することにはなりましたが、追加の依頼も入って軌道に乗りました。最初はロックフェラー大学の小規模な病院でしたので、わりと容易に入院フロア全体を手がけることができました。やがて他の病院も興味を示すようになったのです」

当初は友人やコレクターに寄付を募っては、病院に向きそうな絵画を購入し、病室に設置した。ギャラリー時代から知り合いのコレクターが企業弁護士で、彼の力を借りて「501(c)(3)」団体を設立する。これによりRxARTへの寄付金は全額、所得控除の対象となった。病院にアートをもたらす力になってほしい、と資金調達に奔走するブラウンは次第に手応えを感じ始める。そして作品購入ではなく、空間にふさわしいアーティストを選んで制作を依頼する現在のスタイルに到る。現在は子ども病院を対象に、待合室やレクリエーションルーム、PET/CTスキャン室など、空間や環境そのものを変えるインスタレーションを作り出す。

ライアン・マッギネスの《エナジー》は幅30.5m、高さ3.7mもの巨大な壁画だ。建物に入ると視界に広がるポジティブなビジュアルが、子どもや親の不安を和らげる。ヴァージニア州キングス・ドーターズ小児病院。2016年完成。 photo by Eric Lusher

ダン・コーレンが一つ一つ手描きしたカラフルな「コンフェッティ(紙吹雪)」が廊下や天井に広がり、晴れやかな気分へと誘う。NYベイサイドのセント・メアリーズ・ホスピタル・フォー・チルドレン。2017年完成。 photo by Christopher Burke

「アーティストや作品を決定する際、最も尊重するのは病院スタッフの意見です。彼らは文字通り、作品と日々暮らすことになりますから」とブラウン。もちろん患者の反応も大事だが、彼らにとって病院はあくまで一過性の場所だ。「これは自分達のプロジェクトだ、と病院スタッフが感じてくれれば、その時点でプロジェクトは成功したも同然です」

資金は寄付でまかなう。ただしアート作品の寄付は受け付けない。またアーティストからの売り込みもお断り。ブラウンはじめRxARTのスタッフ、そして専門家委員会は常にアート界の最新動向を追い、これはと思う作家に白羽の矢を立てる。

怖がらなくなる子ども達

制作にあたり、アーティストには可能な限り病院を見学してもらう。現在はコロナで直接訪問できないため、病院から送られた現場の動画や図面が頼りだ。RxARTは建築家を派遣し、設置する壁や天井などの寸法を正確に測量する。いかに百戦錬磨のアーティストだろうと、置く場所が美術館と子ども病院とでは勝手が違う。「子ども向けだからといって、例えばマンガのキャラクターを描けば良いといった子供だましは通用しないことをアーティストに理解してもらわないといけません。現在の小児科では上は24才くらいまで扱う場合もあります。幼児や児童はもちろん、若者や大人のスタッフもみな楽しめる、洗練された芸術作品が求められるのです」。

階段の壁にペイントするケニー・シャーフ。入院中の子供たちは病室から毎朝この階段を通って、病院内の学校へと向かう。ゴキゲンな毛虫や鮮やかな虹が炸裂する壁を見ることで少しでも楽になれば、との願いがここにある。病院の中にストリートアートがあるなんて! ブルックリンのキングスカウンティ総合病院/児童・思春期精神科。2013年完成。

もし作品が傷ついたら? 「プロジェクトの大半は壁紙です。コストも大きくかかりませんし、傷んだら取り替え可能です。私達も病院も設置にあたりそれぞれ保険を掛けています」

病院の経営陣、医師、患者の親……ブラウン達の元には膨大な数の反響が日々寄せられる。「例えばカリフォルニアのオレンジ郡子ども病院。ある女の子は2才の時からCATスキャンを撮っていて、毎回とても怖がっていたのですが、ロブ・プルイットのCATスキャンを設置してからは平気になりました。救命浮き輪を模して、上にカモメをあしらった絵柄です。『前は機械に呑み込まれるようで怖かったけど、今は楽しいの』と言ってくれるんですよ」。

「LAのシダース・サイナイ医療センターでは、ウルス・フィッシャーによるお茶目なゾウが天井や壁に描かれています。ある男の子は気の毒なことに持病のため入退院を繰り返しているのですが、再入院の時、ナースにこう言ったそうです。『ぼく、ゾウさんの部屋がいいなあ!』 入院する子どもに、心待ちにできる何かがあるというのは素晴らしい事ですね」

ウルス・フィッシャーの絵に囲まれた病室。LAのシダース・サイナイ医療センター。2017年完成。 photo by Bill Pollard

フィッシャーの「ゾウさんの部屋」が入院した子供や親の心を慰める。 photo by Bill Pollard

ダークな作風のアーティストの場合

RxARTがこれまで依頼してきた作家の中には、トレントン・ハンコック・ドイルダン・コーレンジェフ・クーンズといった名前がある。作品を通じて深遠な問いを投げかけるのがアーティストとはいえ、特に彼らはダークなイメージがあるが……? 「専門家委員会には医師もいて、彼らと綿密にやりとりします。何といっても親御さんからアドバイスがもらえるので万全です」

一方でこんなエピソードも。トレントン・ハンコック・ドイルの代表作は、テキサス州・ヒューストン美術館所蔵の『Untitled』。彼の作品に繰り返し登場するマウンド(山)の死を描いた、暗いテーマのエッチングだ。地元の病院のための依頼を受けるものの、自分が生み出すものは子どもには不向きでは、と悩んだドイルはある日、閃いた。『Untitled』以前のマウンドの、まだ明るい様子を描いてみたらどうだろう? 陽気でカラフルな絵柄にしつつ、ヒューストン美術館の作品を知っている大人にはいわば「伏線」として味わってもらえる。

『Untitled』では「バイ&バイ&バイ」と描かれていた文字も、病院の絵では「ハイ&ハイ&ハイ」に。「これを聞いた病院関係者の一人が『薬でハイになったという意味ですか?』と質問してきたので、違います、仲良し同士の挨拶ですよ!と答えました(笑)。軽快で楽しい作品になりましたね」。RxARTのプロジェクトを通じ、アーティストが新たな方向性を見出した好例と言えるだろう。

トレントン・ハンコック・ドイルの代表作『Untitled』。マウンド(山)の死がテーマだ。テキサス州・ヒューストン美術館所蔵。 © Trenton Doyle Hancock/Courtesy James Cohan Gallery, New York/Shanghai

トレントン・ハンコック・ドイルが子供たちのために描いたポジティブな壁画。RxARTのプロジェクトを通じ、アーティスト自身が新境地を見出した。テキサス州ヒューストンのチルドレンズ・メモリアル・ハーマン病院。2012年完成。 photo by Thomas R. DuBrock

セイウチも「ハ~イ!」とごあいさつ。 photo by Kara Trail

魅力的なオリジナルグッズも続々と

RxARTは毎年プリントを1~2点制作・販売する。昨年はニコラス・パーティロイ・ホロウェル。どちらも近年非常に人気の高い若手作家だ。またぬり絵の本も制作し10%を販売、残り90%を病院の子どもたちに寄贈する。草間彌生やダン・コーレンのジグゾーパズルがあるかと思えば、アーティストとのコラボマスクも。また若手実力派の兄弟アーティスト、ハース・ブラザーズによる絞り染めTシャツを制作予定とか。ウェブサイトには、ギフトはもちろん自分用に買ってみたくなるアイテムがズラリ並んでいる。「RxARTにとっての定収入源ですね。グッズで大儲けしようと思ってはいません」とブラウン。ちなみにウルス・フィッシャーの子どもパジャマも近々リリースするというから見逃せない。

ロイ・ホロウェルのスクリーンプリント《MILK FOUNTAIN, 2019 》ホロウェルとRxArt、ロウワーイーストサイド・プリントショップとのコラボ。 サイズ28 x 21インチ。限定50部。在庫状況及び価格の問い合わせは contact@rxart.net まで。

草間彌生《Self-Portrait, 2008》のジグゾーパズル、75ドル。サイズ16 1/2 x 11 3/8 x 3/4 インチ。RxARTのサイトで販売。

メディカルアパレルのFIGSとRxARTがコラボした、大人気のアーティストマスク。一枚25ドル。ダン・コーレン(口紅)、アン・クレイヴン(猫)、ロブ・プルイット(パンダ)。いずれも限定品。FIGSのサイトから購入可

オラフ・ブルーニングの立体作品《Golden Boy》(2017)、5,000ドル。サイズ8 x 3 x 2 インチ。購入の申し込みはcontact@rxart.net まで。
Courtesy of Olaf Breuning / Metro Pictures


実はブラウン、そもそも大学で修めたのは医学進学課程。医師になってほしいという父親の希望に応えたものの、「医者だけにはなりたくなかった。ずっとアートに関わる事をしたくて」と笑う。卒業と同時に結婚して家庭に入るが、夫が博士号を取得するやいなや「今度は私の番よ」と大学に再入学。美術史を学び、ギャラリスト/キュレーターへの道に進んだという経緯があった。

ブラウンが一流のアーティストに依頼するのには理由がある。半永久的に置かれて多くの人々に影響を与える作品は、傑出した才能が魂を削って生み出す最高の作品でなければならない。単に可愛いキャラクターの絵を待合室に飾ってなごむのとは、根本から異なるのだ。RxARTのプロジェクトが成功を収めてきたのは、アートのもつ力が広く認識された社会であり、寄付や社会貢献、チャリティが豊かに循環する土壌あってこそ、なのである。

「作品プロジェクトを続けていられるのは実にありがたいことです。わずかな謝礼にもかかわらず、偉大なアーティスト達がスタジオ総出で精魂込めて作品を作ってくれる。子ども達の力になる事こそ、真の”報酬”だと感じてくれているのですね。私はじめRxARTに関わる誰もが、この喜びを噛みしめていると思います」


RxART 拠点はNYのロウワーイーストサイド。プリントやマスク等のグッズは日本からでも購入可。ぬり絵の本『Between the lines』($20)の最新版Vo.7はマーティン・クリードほか56名のアーティストが参加。プロジェクトへのドネーションも$25からウェブサイトで受け付ける。定期的にZOOMで催すハース・ブラザース、ケニー・シャーフなどアーティストのスタジオ訪問イベントも大好評。