NEW KNOWLEDGE, NEW PERSPECTIVE

石川善樹 × 山崎亮(コミュニティデザイナー)|身につけよ! 人生100年時代における新しい「教養」_#4

いまの時代に求められる「新しい教養」とは何かを探し求め、国内外の賢人たちに予防医学研究者の石川善樹がインタビューを行う本企画。今回登場するのは、コミュニティデザイナーの山碕亮。「都市とウェルビーイング」をめぐる2人の対話は、あろうことかディベロッパー批判(!?)から始まった。

TEXT BY Tomonari Cotani
PHOTO BY koutarou washizaki

「よい暮らし」の定義が見えない

石川 最近、ディベロッパーから相談を受けることが増えたんです。新しいビルを開発するとき、「働く人たちのウェルビーイングをどうしたらいいか?」ということを、僕なんかに聞いてくる時代になったようです。そのときはいつも、「僕じゃなくて山崎さんに聞いてください」と言っているのですが(笑)。

山崎 僕にも答えはないですけど(笑)。でも確かに、公衆衛生面で先進国は進んでいると思いますが、逆に、いろいろなものが高度化したことで、今度は細菌からではなく、精神的に参ってしまう人たちが出てきているのは確かだと思います。日本では年間の自殺者が2〜3万人いて、潜在的に鬱な人は数百万人いると言われています。基礎衛生面は何とか乗り越えられたけれど、「精神の健康」という新しい問題に対して、再び一致団結して立ち向かえるかというところは試されている気がします。

そんな中で、ハードがわかっているデザイナーと、健康についてわかっている石川さんと、コミュニティの中に入って各々の真意を引き出す僕たちがチームになってプロジェクトにアドバイスをしていけたら、新しい働き方や暮らし方のモデルを作れるかもしれません。

今回の対談を読んで、「このチームに発注してみよう」と思う人がいればいいですね(笑)。

石川 はい(笑)。僕としては、都市の再開発でみんなが困っている背景には、「よい暮らし」や「よい働き方」というものが、もうわからなくなっていることがあると考えています。19世紀のイギリスでは「田園都市構想」というものが、よい暮らしや都市生活に対するアンチテーゼとしてありましたが、日本やアメリカって、いまだにマイホームを推奨される傾向があり、「とりあえずみんなローンがある」という状況にありますよね。

山崎 そのために働くと。

石川 目先のローンに追われているうちに人生が過ぎていくから、ある意味、深く考えなくていい制度ではありますが……。

山崎 ニンジンをぶら下げられているような……。

石川 そう、先に何があるのかもわからず走らされている。でもさすがに、「家を買っても仕方ないでしょ」という雰囲気は出てきて、これからは住宅費が一番浮くというか、その部分のお金の使い道を考えることが、よい暮らしというものにつながっていくのではないかと思うんです。そしてその部分こそ、山崎さんがいろいろな人と共に悩んできたのではないでしょうか。

山崎 問題意識は持っています。住宅業界というのは、有り体に言うと、美しい住宅、人々の幸せ、豊かな暮らしを実現するために、建築空間をどうつくるかという分野です。そこで修行をしていたのですが、結局、ローンを組ませるところまでやらなければいけない。一括で払える人はほとんどいないので。だから銀行を紹介したり、「ローンを組むとして、あなたの頭金と年収ならこれくらい融資可能ですので、それだけ借りるなら、これくらいのグレードのデザインができますよ」とやるわけです。

デザイン料というのは総工費の10%ですから、3,000万円の家を設計したら設計料は自動的に300万円になる。それをなんとか、「ラグジュアリーな生活が……」とかいって、本人をその気にさせて5,000万円にすると、僕らの取り分が500万円になる。銀行も、より多く借りてほしいので嬉しいわけです。なので、僕らと銀行がタッグを組んで、「ワンランク上の暮らしを……」みたいなことを謳った広告を出すことになります。

5,000万円借り入れた人は、結局7,000万円くらい返すことになるのですが、そのために仕事をずっと続けなければいけません。「それって、本当にその人の豊かな人生を作っているの?」と、僕はある時点で思いました。「もう一歩上の上質な暮らしを」とか「美しい日常があなたの人生を豊かにします」とか言っているけれど、ヤバいかもと。

この仕事は一生をかけてやる仕事なのかと感じたときに、もちろんそういう仕事をしている人がいてもいいのですが、そうではない仕事を創りたいなと思ったんです。それが最初の問題意識でした。楽しい人生というものがどいうものなのか、もう一度しっかり考えなければいけないと。

「10年ほど前までは、ソファとテレビが家の中心でした。でも今は、テレビはそれほど見られていません。家電メーカーはそのことに危機意識を持ち、変わろうとしていますが、住宅業界はどうなんでしょうか。『いい暮らし』の本質をいま一度深く考えてみる必要性を、そんなところからも感じます」(石川)

どう生きたいの?

石川 おそらく世界はこれから、どんどん高層化していくのだろうと思います。そのとき、一カ所に機能が集約しがちなのですが、そこに、暮らす人の視点はあまりないなと思うんです。「ここでごはんを買う」「ここでエンタメをする」「ここで仕事をする」といった“機能”はあるのですが、機能が有機的につながっていくイメージが、なかなか見えてこない。働く場所にしても、機能としてはあるんです。集中するところ、交流する場、カフェ……みたいに。機能はあるのですが、有機的につながっている気がしないのは、結局“人の視点”が抜けているからではないかと。

山崎 僕の会社の名前はstudio-Lというのですが、Lは、ライフのLなんです。そこにはこだわり続けようという思いから名付けました。「生活とか人生というところから発想して、あなたはどう暮らすんですか?」という意識の発現、「ここで買い物をして、友だちと会って……」ということが機軸となって街や家ができあがる。そうしたことをじっくり考える機会を、これからの家や街づくりのプロセスには入れていかなければいけない。

だから僕らは、住民参加のワークショップを繰り返し、住民の方々から「どう生きて、どう暮らしたいか」というヴィジョンを掘り出し、「じゃあそのために街は、どの機能がどのように配置されていたらいいんだろう」という順番で考えていく活動を続けているんです。

石川 そうなんですね。

山崎 計画者側の発想で機能配置をするのではなく、居住者側が「こう生きたい」というヴィジョンを明確に持つことが重要だと思います。でも、今の人たちってヴィジョンを持っていないんですよ。機能が揃ったものを買っているだけ、みたいになっているので。

本来であれば、住宅購入希望者に集まってもらって、1年でも2年でも「どう生きたいの?」という話をした上で、「だったらこういう配列の方がいいんじゃない?」ということで設計が規定される……というプロセスを経るべきだと思うんです。注文住宅は、基本そういうものですから。

石川 山崎さんが行っているワークショップでは、普通、どれくらいのイメージやヴィジョンが居住者側から出てくるものなんですか?

山崎 時間かけないと出てきませんね。1年くらいかけて話をしていきますから。具体例として、台湾で行ったケースをお話します。台東で農業をやっている人たちと行ったワークショップの事例です。

彼らはシャオミという粟を育てていたけれど、前年、台風で水没してしまった。「じゃあ、次は何を作る?」という話をしているときに、シャオミだと、100育てたら、20か30は鳥に食べられてしまい、80か70しか収穫できない。収穫率が低いじゃないかという話になって、だったら何を育てたらいいかとなったとき、一人が「キヌアがいい」と言ったんです。スーパーフードで、世界的に求められていると。しかも、キヌアのなかには石けんに似た成分が入っていて鳥は好んで食べないので、100植えたら95くらいは収穫できる。収穫率も高くなる、と。今度はその横から、「向こうにある工場が果物をすごく買うから、果物を育てるのがいいんじゃないか」という意見が出て、さらに物知り顔の人が「実はキノコなんだよ。キノコが売れるんだ」という話をし始める。

課題があり、何を育てれば儲かるかを考え、それを解決策とする。そのプロセスだと、結局、次は何、次は何……となっていく。そうじゃなくて、「どう生きたいの?」「誰とどのように暮らしたいの?」「どのように働いてどう生きていきたいの?」ということを一度じっくり考えた上で、そこから抽出するような解決策にしないと、場当たり的になるよ、というときにこの図を書いたんです。

「課題」について検討する際、ほとんどのケースにおいて、直接「解決案」を思案してしまう。しかし山崎は、「生き方」を間に挟むことによってこそ、本質的な課題解決につながると考えている。

石川 うわっ、これは発明ですね。なるほど〜!

山崎 studio-Lは、いつもメンドクサイなと思われながら、これをどうしてもやって下さいと、1年かけて6回ほどワークショップを重ねていくんです。台湾でも、この「どう生きるか」という視点を入れて考えてもらった結果、おもしろい結末に至りました。

シャオミを100育てた、鳥が食べに来る。でも、おじいちゃんおばあちゃんたちに聞くと、追い払うなって言われるらしいんです。追い払うとそこにおいしいものがあるって気がつくから、20%で済んでいたのに、追い払うことによって30%食べられることになる。だったら、20%に留めておいた方がいいんだっていう即物的な視点がひとつ。

もうひとつには、「それでいいじゃないか」と。20%は自然界に食べてもらって、残り80%を人間がもらう、という生き方の方が気持ちいいじゃないかという意見が醸成されてきたんです。彼らと話したら、確かにそういう生き方をしたいと。

鳥を撃ち殺して100%自分たちのものだという生き方をして、100全部収穫できたとする。1㎏100円で売れるとしたら、「たくさんあるから90円にまけてよ」と言われながら卸していくことになる。それに、納期が1日遅れただけで「何やってるんだ!」と電話がかかってくるような人と取引していきたいのか、それとも、「我々は2割を自然界に出しました。残り8割をみんなで分けたいと思うような農業をしています。だから値段はちょっと高い。1㎏100円だけれど、110円でも120円でも、こういう農業の仕方を応援してくれる人と、我々はおつきあいをしたいのです」という、webサイトやパッケージやストーリーを出して、おつきあいができる人たちを探す生き方がいいのか、どっちがしたいんだ。という話をしたときに、「確かに、2割は自然にあげるような豊かな心で仕事をしていける仲間がほしいし、取引先も、納期が1日遅れたくらいで怒鳴りつけてくるような人じゃない、という生き方がしたいです」と。だったら、キヌアや果物やキノコじゃなくて、シャオミでいいと。それをどう売るか、という話をしていこうよ、ということになる。

これが、生き方というものを常に念頭に置くことの意味です。

すぐには出てこないのですが、丁寧にディスカッションをしていくうちに、「私たちって、結局こう生きたかったんだよね」という像が切り結ばれるようになって、そのために必要な農地のあり方、仕事のあり方、住宅のあり方、あるいはコミュニティのあり方が、ようやくできるようになってくる。

このプロセスは、だいたい3年はかかります。1年目に生き方を考えて、実際に動かしてもらうので1年、最後、継続するために1年。3年かかると、ようやく「これでいい」と納得した生き方を自分たちで作って、サステイナブルに実行していくことができるようになります。

石川 おもしろい! 結論が出ずに集まって話すというのは、寄り合いみたいですね。日本の地域だと、どんな話になっていくんですか? 確か山崎さん、大阪で地域の菜園を作りましたよね。「みんなのうえん」でしたっけ。あれ、すっごくおもしろいなと思いました。

山崎 大阪の北加賀屋というエリアで行ったケースですね。北加賀屋には、千島土地という北加賀屋地域の65%の土地を持っている不動産会社があるんです。元々北加賀屋は小さな工場の集積地だったのですが、このままだとどんどん地価が下がっていくので、地価を上げることは今の時代無理にしても、下げ止め対策を何とかやりたくて、10年前からクリエイティブビレッジ構想という施策を始めたんです。

その結果、北加賀屋エリアにいろいろなアーティストが入ってきて、「北加賀屋、ちょっとおもしろくなってきたね」というムードが生まれました。関西では、北加賀屋というとアートの聖地みたいになってきているんです。この10年で、クリエイティブな人たちが入ってくる素地ができたわけです。

その次の段階として、僕らに依頼が来ました。アーティストが入ってきて、おもしろい動きがその分野ではあるんだけど、地元に住んでいる人たちにしてみると、「千島土地さんは、何やっとんのや?」という状況になっていると。「ようわからん、けったいな人いっぱい来てはんなぁ」みたいなことになっていると。ついては、地域のおじいちゃんおばあちゃんたちと話をしてもらって、彼らが何をしたいのか、何をほしいのかを聞いてきてほしいと。

いろいろ話をしていくと、最初は「コンビニがない」とか「買い物をする場所がない」みたいな話をするのですが、「じゃなくて、どういう生き方をしていきたい?」という話をしていくと、「農地がない」ということが浮かびあがってきたんです。

プランターで、ネギとか紫蘇を育てているおばあちゃんたちがいて、こういうのを、もうちょっと広くやって、自分で育てたものを、少しでも食卓に出していけたらいい、みたいなことを言ったら、ほかの人たちも「そうだ、ここは全然緑がない! 農地がない!」って言い始めて、「じゃあ、それを作りましょうよ」ということになり。それで千島土地さんに掛け合って、古い工場を倒した後の土地の土を入れ替えて、市民農園をやることになったら、じいちゃんばあちゃんたちだけではなく、地域の若い奧さんたちも実はやりたかったんだとメンバーに入ってくれて、20坪くらいの土地を、みんなで変えていったんです。

そこで育ったものを使ってケータリングをするチームが出てきたり、エプロンとか農作業用のおしゃれなグッズをAmazonとかで選んできて、みんなに紹介するグッズ部とかができたり、大人の部活がその回りにいっぱいできてきたんです。レシピを開発する部とか。

それを見て、ほかの人たちもやりたいけれど、もう面積が限られているから、千島土地さんが第2敷地を用意してくれて、4倍くらいある広さと、脇にある古いアパートの1階を、調理ができる場所にして、そこで作って食べる、みたいなことができるようになった。

その農園で知り合った人同士が、実は同じマンションの上と下で住んでいて、「えっ、下の階ですか?」みたいになっていくのがおもしろかったですね。

時間はかかっても、じっくりと「自分の生き方」を当人たちが考えていくことで、真の意味での「よい暮らし」を手にすることができると山崎は語る。

山崎 地方に行ったりすると、「スタバやユニクロや無印良品みたいなものがあれば、若い人たちがこの地域から出ていかないんじゃないか」「若い人が街に居着かないのは、そうしたものがないからだ」みたいな議論がされがちなのですが、それは、「課題」と「解決案」を直結しているだけなんです。

でも、そうした人たちに対して、「スタバとユニクロと無印が揃ったら、若い人たちがここにいると思いますか? その3つを経験したら、H&Mがほしくなりますけど、そういうものがいっぱいあるところって、東京ですよね? だったらみんな、東京に流れてしまうのでは?」といった感じで話をしていくと、「地域が大事にしていかなければいけないのは、そっち路線じゃないな」ということになってくる。

むしろ若い人たちは、1回東京に出てもらってもよくて、事前に、「東京に出て何かを学んで、戻ってきて一体何をするのか」という意識のすり合わせをしっかりできていれば、「10年間東京に修行に行ってくるわ」って出て行く若者になると。そっちの方が重要なんじゃないかって。ナショナルチェーンの店やサービスをいろいろ体験し、「これじゃないな」と思ったものを、地元に戻って作り上げる人たちになった方がいいじゃないかって。

だったら、若い人たちとの対話の場を作り、故郷に対してどういう意識を持っているのか、お前ら何をやりたいのか、お前らがやりたいと言ったとき、オレらは応援するぜ、という大人たちがここに待っているということを知ってもらった上で、行ってこいという流れを作ろうということになるんです。

石川 若い人の特徴というのはありますか? 彼らは、コンビニがあることが当たり前というか、慣れ切っちゃってるじゃないですか。

山崎 その意味では、「より便利なものを」っていうことに執着するのは、上の世代な気がします。やっぱり、今までなかったものがほしいってずっとやってきて、便利であることがいい暮らしにつながっている、という感覚が抜けないのかもしれない。若い世代は、むしろそこがボンヤリしちゃっていて、生まれたときからコンビニがある世代の人たちは、彼らにとって自然な状態で、自分の生活がどうも不自然な状態に近づいていっている、人間としての自然から遠ざかっている、この状態を一度疑ってみる先に、よりいい暮らしがあるのかもしれないということに、より早く気づくんです。

石川 人間としての自然な暮らし。不自然な暮らし、というのはすごくいいキーワードですね!

山崎 若い人たちは、スマホやコンビニがある前提で、そこに新しく効率の悪いことを足して楽しもうとしています。「不自然な暮らし」と聞いて、ほかの不便なことも全部ひっくるめてアタマが昔に戻っちゃう年配の方々とは、意識がまったく違う気がします。若い人たちは、「不便さのなかのよさ」みたいなものを、単体を取り出して考えることができますからね。

多忙を極める二人による今回の対談は、両人の仕事の都合上、霞ヶ関から羽田空港までの移動中に行われた。

デフレネイティブの逆襲

石川 日本は「成長社会から成熟社会へ」と言われていますが、経済学者の間でも、「過去20年はロストディケイズだったとされていたけれど、そうではなく、日本はいち早く成熟社会、定常社会に突入したのだ」という意見を言う人も出てきたらしいです。視点が変われば全然変わるんだなって(笑)。

山崎 経済学的に見れば、失われているように見えるのでしょうが、まったくその通りだと思います。僕は以前から「デフレネイティブ」って呼んでいたのですが、デフレが当たり前の世代が、活躍をし始めました。彼らは、経済成長を基本として「早めに土地を買っておいたら上がるだろう」とか、「株を早く買っておいたら上がるだろう」みたいなことを前提にしていません。土地の値段は下がる、株買っておいたってどうなるかわからないという人たちが、土地でも株でもなく、よい暮らしを実現させるためにどうしたらいいのかっていう風に、20年間やってきた人たちが、今40代ですよ。

僕は、バブルのときに高校生ですから。「大学に入ったらBMWとかに乗れるのかなぁ」とか思っていたけれど、まったくそんなことはない、という世代です。大学時代にアルバイトすら入れないという不景気が来て、社会に出たらずっとデフレ。金利も上がらないという時代を生きてきました。

そんな僕らにしてみると、「失われた20年」と言われていますが、感覚としては全然失われていない。経済成長率が失われたというのですが、それ、知らないので、社会人として(笑)。何かが失われたというよりも、いち早く「経済成長を前提としないけれどもよい暮らし」というものを、手作りで発想していく時代に入っていたといえる気がします。金がなければできないという発想から、抜け出ざるを得なかったからです。

石川 それは、東京にいると考えにくいですね。ローンはしないまでも、毎月の家賃とかムチャクチャ高いですから。

山崎 僕は兵庫県の芦屋に住んでいるんです。芦屋って、超高級住宅地だとみんな思っているらしいのですが、芦屋の地価を調べると、坪120万円から200万円くらいなので、100坪の土地を買おうと思ったら1億2000万円から2億円かかるわけで、なるほど、結構な金持ちが住む場所なんだなということは理解できました。じゃあ東京はどれくらいだろうと思って見てみたら、背筋が寒くなって(笑)、次に川崎を調べてみたのですが、川崎から数駅行った駅前の住宅地が、坪220万円だったんです。芦屋よりよっぽど高級なんですよ。

実際、東京都内は結局坪500万円とかでした。千代田区まで行くと坪2000万円という数字が出てくるので、東京ヤバイと思いましたね。高級住宅地だと思われている芦屋は、坪200万円。その10倍くらいのお金で東京は動いているわけです。時々「芦屋住まいですか、さすが社長ですね!」と言われますが、何言うとんねんと。「川崎の方がよっぽど高いんだぞ」というのが僕の意見です。京都や芦屋でも、40万円とか80万円というところはいっぱいあって、もっと行けば、坪どころか一山いくら……みたいなところがいっぱいあるんです。

石川 社会というものが、100点満点のうちどの辺まで来ているのかと言うと、正直90数点まで来ていると思うんです。で、幸せって変化度なので、93点が94点になってもそう変わらない。むしろ普段は20点くらいの生活をしていて、時々70点の出来事がある方が、差分としての幸福度は高いわけです。日常と祭りの持ち方というか、1年の設計と日々の設計なんでしょうね、生き方というのは。

山崎 意識が変わると、行動が変わる。行動が変わると生活が変わる。生活が変わると人生が変わる。結局そういうものの総体が街なんです。人々の人生がみんなちょっとずつ変わっていくのが、街づくり。街を変えようっていうところから街づくりをしてもなかなか変わらないのは、人々の意識が変わらないからです。「こんな街です」と器を作っても、人々の意識から生まれたものでなければ、使いこなせるわけがない。

石川 これまでは常に“上”を見てきたわけですが、もっと自分と向き合うということですよね。

山崎 スペックを集めるように、よりいい暮らしと思われているものを自分に取り込んでいくのではなく、よりいいと思える心持ち、自分の気持ちをコントロールしていけるようなものを手に入れた人こそが、いい暮らしをできる気がしています。それを、僕は「楽しさ自給率」と呼んでいます。あまり理解されないのですが(笑)。

石川 確かに、楽しさを自給できる力を、どう身につけるかは大切ですね。

山崎 棒切れ1本落ちていたら、100通りの楽しみ方を作れる人になった方がよくて、そうじゃないと、お金を払って誰かに楽しませてもらうという消費の構造から抜け出せない。「石が3つあったら100種類の遊びを作れる」という人は、どの地域に住んでも、自分の人生を楽しく変えていく力を持っていると思います。そうした楽しさの自給力を持った人が地域にたくさん増えると、楽しさの自給率が高い地域ができあがる。エネルギー自給率も食料自給率も高めてほしいのだけれど、「スタバがないとウチの地域は楽しくない」というのではなくて、自分たちで楽しさを作れる比率を高めていくことが、地域を元気にすることなんじゃないかと僕は思っています。

石川 過去40年間で、人々の時間の使い方がどう変わったかという研究があるのですが、日本もアメリカも、とにかくテレビを見る時間が増えているんです。つまり、楽しさを供給してもらっているんです。レクレーション、余暇の時間は間違いなく増えているのですが、余暇をどう使うのか、ということを習ったことがないというか、やってこなかった。

山崎 余暇の中身は定義されていないので、余暇をどう使うか、ということを教養としてあまり知らないのかもしれませんね。

石川 そもそも、庶民に余暇が行きわたったのは最近の話で、余暇はずっと貴族のものでした。あの人たちは、月を見てほろほろ泣くとか(笑)、よくわからない余暇の使い方をしていたわけですが、その感性がまだ来ていないというか。あとはリタイア。リタイア後がすごく長くなったのも、つい最近起きた大きなシフトチェンジです。ちなみにリタイアという言葉に、実は隠居という意味ではないんです。あれは「タイヤを付け替える」ということで、本来とてもポジティブな意味合いなんです。日本だとリタイアイコール隠居、っていう認識ですけどね。

そのリタイア後にみんなぶち当たるのが、「膨大なヒマな時間をどうするんだ」ということで、そのときのヒントが、先程の山崎さんのお話にはあったと思います。まずは身近なところから、入り口はなんでもいいから、グッと考えてみるということです。

山崎 考えるクセ、考えることをおもしろがる。

石川 そこでお訊きしたいのですが、ワークショップの参加者に生き方を考えてもらうときって、どういうところから入っていくんですか?

山崎 100人参加者がいたら、2人ひと組になってもらい、インタビューシートを渡して20分ずつお互いにインタビューしてもらうんです。そのインタビューシートには、「小学校のときに一番印象に残っていることはなんですか?」とか、「社会人になってから、自分の人生が変わったなと思うような経験はなんですか?」とか、「これからどんなことをやろうと思っていますか?」といった項目が記載されています。

それが終わったら、今度は4人ひと組になって、「石川さんは、小学校のときにこういう変化があったから、今の石川さんがあります」といった、他己紹介をするんです。

自分の人生の過去、つまりは個人・家族・地域の話がいろいろあって、そんな話を私はこうだと思って、自分の人生を変えた点はここだ、と力点を置いて話したはずなんです。ところが他己紹介になると、本人の意図とは違うところがピックアップされる場合があるんです。

つまり、人から見ると、あなたの人生のおもしろいところはココなんだよ、というズレが見えてくるんです。ズレを感じることで、ワークショップの前と後では、語り口が変わってくるんです。「今、僕がこういうことをやろうと思っているのは、実は転校生だったからです」って、そんなこと前は言ってなかったよねってことになったりする。ピックアップする過去が変わるし、照射する未来が変わる。

現在のなかに含まれている過去と未来をどう変質させていくか、ということをワークショップで繰り返しやると、「我々がこれからどんなものを作りたいのか」が、1年前に語っていたいい生活と、全然違うことを語る可能性がある。これが、意識が変わるということなんです。行動、生活、人生を変えてもらいたいと思っているから、相当丁寧に、差を作り出すようなワークショップをやっています。「宗教なの?」みたいな回りくどいやり方をしています(笑)。

石川 健康作りも実はそうなんです。人生観が変わることがとても重要。大病をしたときは、みんな健康に向かうんです。人生観が変わっているから。病気じゃない人に、いかに人生観を変えてもらうかが、予防医学の一番のゴールなんです。なるほど、一緒に考えていく作業なんですね。

山崎 人に照射して、跳ね返ってきたズレを感じるという、対話のなかでしかお互い発見しない要素が結構入っているので、そうしたものを複数の人間で何度も何度もやる、ということで、人生観を変えていく、ということを僕たちはやっている気がしますね。これは、教師と生徒の間柄ではできないと思います。

石川 「めだかの学校」じゃないですか! 「だれが せいとか せんせいか」。「雀の学校」は、「むちを振り振りチイパッパ」ですけど。

山崎 そうか、僕たちは「めだかの学校」なのか(笑)。とにかく活動を通じて、「次のいい暮らしを作るのはあなたです」って、それぞれの人に言いたくて仕方がないです。「次のいい暮らしはこうです」というのを、各個人が生み出す方法やプロセスは伝えるけれど、それはみんな違うはずですから。

石川 ひとりひとりが集積していくと、結果、コミュニティになっていくんですね。

山崎 ものを販売するのであれば、「次はこれがいい暮らしです」って言わないと買ってもらえないのですが、幸いなことに僕らの仕事はものを売らなくていいので、それぞれが考えて、「満足できる暮らし、考えついた? じゃあやってよ」ということになるわけです。

石川 秦の時代に呂不韋(りょふい)という人がいて、彼が人類史上始めて、春夏秋冬という概念を考えた人だとされています。それまでは何となく自然のなかで暮らしていたのですが、1月にはこういうことをしましょう、2月にはこういうことをしましょうと、ある意味、秩序というか季節を考えたのがこの人なんです。

今の時代、もう一度そういう秩序立てが必要だと僕は思っています。20世紀型の高度経済成長を前提としたものではなくて、もっと寄り添える、自然と思える秩序というものを、生み出していく必要があるなと思います。

山崎 秩序を作る側が、儲かるかどうかを度外視するか、話し合って小さな秩序をそれぞれの生活に作っていく、ということをやった上で、「じゃあそれをお手伝いできる空間はどうですか?」って、後から空間を出していくというスタイルが、今後はいるのかもしれませんね。

石川 呂不韋以降、次に秩序を作ったのは誰かと考えると、僕はナポレオンだと思うんです。封建制度、王様が支配していた中で、法典を作って、新しい秩序や人と人との関係を法が支配するんだと。僕は新しい秩序を作る人に興味があるのですが、呂不韋、ナポレオンと来て、次は山崎だなと。

山崎 僕は「みんなで作りましょう」って言っているだけですけど(笑)。

石川 その発想が新しいじゃないですか。

山崎 「あなたなりの秩序を作って行きましょうよ」って、みんなに分散させちゃう感じですね。

石川 そう。それはメチャクチャ新しい。それを知って、僕は初めて山崎亮という男を理解したし、応援したいし、一緒に仕事をしたいと思ったんです。

山崎 したいですね。

石川 機会を作りますね!

石川と山崎、この二人が「よい暮らし」や「よい働き方」を突き詰めていくと、どんな街ができあがるのだろうか。

profile

山崎亮|Ryo Yamazaki
1973年愛知県生まれ。studio-L代表。東北芸術工科大学教授(コミュニティデザイン学課長)。慶應義塾大学特別招聘教授。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、市民参加型のパークマネジメントなどに関するプロジェクトが多い。著書に『ふるさとを元気にする仕事(ちくまプリマー新書)』『コミュニティデザインの源流(太田出版)』『縮充する日本(PHP新書)』『地域ごはん日記(パイインターナショナル)』などがある。

profile

石川善樹|Yoshiki Ishikawa
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。