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石川善樹 × 溝口俊哉(コピーライター)|身につけよ! 人生100年時代における新しい「教養」_#3

いまの時代に求められる「新しい教養」とは何かを探し求め、国内外の賢人たちに予防医学研究者の石川善樹がインタビューを行う本企画。今回登場するのは、石川が「師匠」と慕う、コピーライター/クリエイティブディレクターの溝口俊哉。常に答えを求める研究者・石川に対し、溝口は、「文脈を理解すること」こそが教養ではないかと唱える。その真意とは?

TEXT BY Tomonari Cotani
PHOTO BY koutarou washizaki

石川と対談をするにあたって溝口は、「教養」について改めて検証をしてみたという。

三種の神器はリベラルアーツの象徴!?

溝口 今日は教養について語り合うんですよね?

石川 はい! 今日、溝口さんにお時間をいただいたのは、以前に国の健康作りの戦略を考えるプロジェクトを一緒にやっているときに、「善樹はどれだけ狭い範囲でものごとをみているんだ!」と指摘されてハッとしたことを思い出し、改めて、教養についてお話してみたいと思ったからなんです。

溝口 そんなこと言いましたっけ(笑)?

石川 直接そう言われたわけではなく、「大局観を持たないと、お前が考えているようなことは実現しないよ」と言われ、視点をグッと広げていただいたんです。今日もぜひ、それをお願いできればと!

溝口 なるほど。教養というかリベラルアーツというと、よく古代ギリシャの自由七科(文法学・修辞学・論理学・算術・幾何・天文学・音楽)とか、古代中国の六芸(礼節・音楽・弓術・馬車を操る技術・六書・数学)が挙げられるけど、日本の「三種の神器」も、実は教養について物語っているとされているのは知ってます?

石川 そうなんですか!

溝口 三種の神器とは、八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を指しますが、鏡は、自己を映すものだから哲学や心理学につながり、玉というかガラスは、モノを拡大したり遠くを見たりできるということで科学につながり、剣は、道具ということでテクノロジーの発達を象徴している、という説です。

石川 へぇ、知りませんでした。

「自分はこういう流れの中にあるということを認識できるかどうかが、ひとつの教養」だと溝口は語る。

“思考のインフラ”が、存在し得ない時代

石川 溝口さんご自身は、「教養」をどう捉えているのでしょうか?

溝口 教養というのは、「文脈を理解していること」ではないかと思います。ざっくり言うと、人は、成長していく過程で徐々に社会の仕組みを理解し、「自分がどういうコンテクストや関係性の中で存在しているのか」という俯瞰した視点を教養として手にし、「ああオレは、世界全体の中のこういう場所にいて、こういうことをやっていたんだ」と知り、死んでいく。つまり、「自分はこういう流れの中にある」ということを認識できるかどうかが、ひとつの教養だと思うんですよね。アリの大群の中の一匹のアリ(自分)が、全体の進行方向を認識するチカラのようなことです。

石川 その文脈というのは、言い換えると「今、どういう時代か?」みたいなことなのでしょうか。

溝口 それもあるけれど、人って、何かの途中で生まれて、やがて何かの途中でいなくなるわけですよね。自分が世界の中心にいるわけではなく、あくまでも「流れの中にいるんだ」という“文脈”を客観視でき、「だったら自分は何をしようか」と考えられる力が、教養なのかなって思うんです。

石川 以前に溝口さんが、「僕らクリエイティブディレクターの仕事というのは、赤ちゃんに名前を付けるようなことで、正解はない。その場の文脈の中で、みんなが腑に落ちるものを探す作業なんだよ」って仰って、その考え方にビックリしたことを思い出しました。

溝口 善樹は研究者だから、常に「正解」を求めているものね。

石川 そうなんです。それを聞いて、自分の発想の原点というか、ある「ものごと」がいいことなのか悪いことなのかを決める大元の判断基準が、僕にはないなって思ったんです。憲法みたいなものがあれば、ラクなんですけどね。そこに書いてあることに従えばいいので。

溝口 道路や上下水道みたいなインフラは、日常的にアップデートされて便利になっていくわけだけれど、思考のインフラ(文脈)みたいなものは、最近の日本では失われてしまったね。少なくとも今の日本にはないと思う。

石川 本当にそうですね。物理的なインフラと違って、思考のインフラは、アップデートというより膨張しているだけですからね。

溝口 昔は左翼とか右翼、あるいは東西とか南北という、二元化された対局軸があって、考えやすかったという面もあるよね。今は、それがすごく難しい。

石川 昭和のある時期まで、「デカンショー」といって、デカルト、カント、ショーペンハウアーの3人を抑えておけばOK、という時代があったようですね。まさに思考にインフラがある時代で、「なんてラクなんだ!」と思いました(笑)。

溝口 僕はある時期、立花隆さんがすごく好きだったけれど、ああいう知の巨人的な人、今は誰なんだろう。意外とマンガの方が、最近は深いことを語っているのかもしれないね。とはいえマンガを読まないので、何とも言えないけれど……。

石川 そういえばアメリカの大学にいたころ、哲学の先生が授業で、「政治哲学には4つの種類しかない」と言っていました。ユーティリタリアニズム、リバタリアニズム、リベラリズム、コミュニタリアニズムです。その後、「5つめとしてフェミニズムがある」というのがお決まりのジョークなのですが。

溝口 確かに、アメリカはその図式かもしれない。ちなみに善樹は、知の巨人というと誰を思い浮かべる?

石川 人はどうしても、興味があることや知りたいことを探してしまうと思っているので、僕は興味がないこと、特に自分が知りたくもないことに、なるべく首を突っ込むように心がけているんです。そうしないと、考え方が広がっていかないかなって。でも、思い切って飛び出したつもりでも、いつも出会うのがハーバート・サイモンという人物なんです。

溝口 知らないなぁ。

石川 アメリカの政治学者・認知心理学者・情報科学者で、ノーベル経済賞やチューリング賞を受賞しています。僕がやっている研究って、なんだかんだ先にサイモンが手を付けているんです。たとえば、博士論文で行動経済学の理論を使ったのですが、行動経済学自体、サイモンが生み出した学問ですし、最近だと転職の研究をしているのですが、それもサイモンが既にやっていた(笑)。さらに、「人工知能が極度に発達したとき、人間は一体何をするのだろう」ということを最初に考えたのも、サイモンでした。

溝口 それに対してサイモンはどんな答えを出しているの?

石川 答えではなく、2つの問いかけをしています。ひとつは、AIが発達してくると、ほとんどの仕事はAIができるようになるから、仕事に変わる新たな価値を人類は見つけないといけないだろうと。そして、新たな価値を見つけるためには、そもそも人類とはなんだということを、もう一度再定義する必要があるだろうと。これはまさに、先程溝口さんが仰った「文脈を理解する」ということにつながる問いかけですね。

「考えるとは何か」について考えたことがない、ということに気づいた石川は、「直観とロジックと大局観」に分けられると結論づけた。

「考えるとは何か」を考えたことはあるか?

石川 昨年、「考えるとは何か」ということを考えたことがない、ということに気がついたんです。僕は、人よりたくさん教育を受けてきたはずなのに、「考えるとは何か」ということを一度も習ったことがないなぁと。習ったことがないということは、誰もそれを体系化してこなかったのだろうと。だったら、自分で考えてみようと思ったんです。

溝口 習うものなのかな、という気もするけどね(笑)。「考えるとは何か」って、哲学とか修辞学的なものとは違うことなの? 概念ではなく、具体的に「考えるとは何かを教えてください」と言われたら、どう答えるの?

石川 何を考えるかによって、考え方が違うなと思います。「考え尽くされた問題」を考えるときには、大局観が必要です。文脈を捉えるというか、俯瞰するというか。逆に、「誰も考えたことがない問題」を考えるときは、直観で行くのがいいかなと。その中間の、「考え尽くされてもいないけど、手垢が付いていないわけでもない問題」は、ロジックを使えばいいかなと。つまり僕の中での結論は、考えるとは直観とロジックと大局観に分けることができる、ということなんです。

溝口 なるほど。

石川 それを思いついた後、たまたま、将棋好きの溝口さんの影響で羽生善治さんの本を読んだら、ほぼ同じことを言っていたんです。「直観と大局観と読み」が大切だって。読みというのは、まさにロジックのことですからね。

溝口 昔、『羽生の頭脳』という書籍シリーズで、「こうやってこうやれば、先手よし」という状況は実際には起こらなくて、形勢不明という状態に持っていくのが将棋の本質、と看過したのがすごいなと思ったよ。よりわからないところに踏み入って行くというのが、知の巨人の本質的な欲求なのもしれないと。そう考えると、善樹は答えを早く求めすぎているとも言えるね。それこそ立花隆さんは、「こうでこうで、でも、やっぱりここがわからない、みたいなところがワクワクして仕方がない」といったことを書いていたけれど、ある程度、人類の英知としての文脈がわかった上で、まだモヤモヤしている部分があることを楽しめるのが、教養なのかもしれない。

石川 形勢不明というか、不明なところにどんどん行ける力というのが、確かに教養なのかもしれませんね。人のバイアスとして、見たいものを見たがるというのがあるんです。街を歩いていても、ついきれいな人に目がいくとか(笑)。それで言うと、教養というのは、ある意味本能に逆らうことなのかもしれません。

「ビジネスは、学問と違って厳密な正解があるわけではないので、どのようなコンテクストでそこに至るか、ということが重要になる」と溝口。

4マイナス1は、最強の教養術!?

石川 先程、かつては右左、東西、南北といったわかりやすい二項対立があったというお話がありましたが、溝口さんは以前、「プレゼンは2つだと決まらない」的なことを仰っていませんでしたっけ?

溝口 そう。プレゼンで2案出すと、なかなか決まらない(笑)。2案の提案はYESかNO、右か左かを問うことになるからね。相手を迷わせることになる。1案の場合は「これだ」という明確な意思表示をすることになる。で、3案は一番バランスがよい提案に感じるので、結果的には、まん中の2案目が売れる、ということになるんだよね(笑)。あと、僕がたまにやったのは、4案持っていって、その場で1案捨てるというやり方。結果的に3案にしてバランスよく見せる。それこそ学問と違って、厳密な正解があるわけではないので、どのようなコンテクストでそこに至るか、ということが重要になってくるわけですよ。

石川 それは最強の教養術ですね! 基本的に4象限で整理されると、まず網羅感があり、全体感が見えてくる。でも、ひとつ捨てることで、途端に浮かびあがってくるものがある。教養って、そういうものなのかもしれません。僕に足りなかったのはそれだ(笑)! 僕は、4象限に分けるのが大好きで、聞いた人はそれなりに「ほぉー」と言ってくれ、整理された気分になってくれるのですが、最近はなんだかダマしているんじゃないかっていう気が、ちょっとしていたところだったんです。

実際にコメを作っているわけでもモノを作っているわけでもない、僕みたいな研究者は、「石川さん、今の時代における豊かさってなんですかね?」みたいなことに答えることで勝負するしかないんですよ。でも、豊かさなんてどうとでも定義できるじゃないですか。そう思ったときに、自分の発想はあまりにもサイエンスに寄りすぎていたなと思い、今年に入ったころから、思想家や文学者が人生とか社会のことをどう考えたのかということを、遅まきながら勇気を出して勉強し始めたんです。まあ、おもしろくて(笑)。科学と同じかそれ以上に膨大な積み重ねがあるので、人生いくら時間があっても足りないなと。

たとえば社会学や行動経済学はつい最近できた学問ですから、網羅しようと思えばまだ手が届くんです。それを考えると、カルチャー系の人たちが積み重ねてきたことを、自分はあまりにも見過ごしてきたなと。

僕らが解くべきテーマというのは、これまで人類が見過ごしてきていて、かつ、自分の限られた人生のなかで溶けそうな問題だと思うんです。それには、もっと科学以外の教養を身につけなければいけないなと、最近は強く思っています。

溝口 人間社会には、建物をゼロから作る作業と、増築していく作業の双方があると思う。そして実際のところ、ゼロから何かを立ち上げることより、増築していくケース、つまりは「この窓ははめ殺しでいい。でも、その代わりにこちら側に天窓を作ろう」というようなアップデートの方が、ずっとずっと多いと思う。人は所詮、途中で生まれてきて、途中で死んでいくわけだからね。増築をうまくこなすには、前後の文脈を見通せないといけないし、本質的な建築構造の概念もアタマに入っていないといけない。それを知っていたり見つけられたりする能力が、結局のところ教養なんじゃないかな。

石川 ほんと、知らないことばかりです。それが建物なんだ、ってことも気づかないことが多いわけですから。書店に行くと、愕然としますよ。知らないことがこんなにあるのかって(笑)。だから今、すごく楽しいんです。勉強することがたくさんあって!


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profile

溝口俊哉|Toshiya Mizoguchi
コピーライター/クリエイティブディレクター。早稲田大学法学部卒業後、コピーライターとしてマッキャンエリクソンに入社。以来、制作本部で多数のクリエイティブを生み、1995年クリエイティブディレクターに。2007年に万有製薬のAGA、NECのエコノヒで日本広告業協会のクリエイター・オブ・ザ・イヤー メダリストを受賞。

profile

石川善樹|Yoshiki Ishikawa
1981年、広島県生まれ。東京大学医学部健康科学科卒業、ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門分野は、予防医学、行動科学、計算創造学など。近著に『仕事はうかつに始めるな』(プレジデント)、『ノーリバウンド・ダイエット』(法研社)など。