BIOIMAGE INFORMATICS

生命科学を革新するバイオイメージ・インフォマティクス

絶えず変化しながら、さまざまな構造や機能を作り出す生命。このダイナミックで、複雑な生命現象の解析を、画像処理や統計処理・機械学習などの情報科学の手法を使って効率化・高精度化し、これまで人間が気づかなかった、新しい発見につなげようという取り組みが始まっている。「バイオイメージ・インフォマティクス」と呼ばれる、野心的な研究分野だ。

TEXT BY ATSUHIKO YASUDA@XOOMS

生命は絶えず変化している

神戸市の中心街から、無人交通システム「ポートライナー」に乗って10分ほどすると、まわりにさまざまな研究施設が見えてくる。「神戸医療産業都市」と呼ばれるこのエリアは、最先端の医療や生命科学の研究開発に取り組む大学・研究機関、企業が集積する、全国でも有数の研究開発拠点だ。その一角に、理化学研究所・生命機能科学研究センター(BDR)がある。

生命機能科学研究センターのエントランスから、長い通路を抜けて奥の建物に入ると、全面ガラス張りの、ほかの研究室とは雰囲気が異なる部屋が見えてくる。ガラス越しに見えるオープンな空間の中では、数名の研究者がコンピュータに向かって作業をしていた。ここは、生命の「発生動態」の解明に取り組む、大浪修一のラボ(研究室)だ。

「発生動態」とは、受精卵とよばれるひとつの細胞が、細胞分裂を繰り返しながらさまざまな機能をもつ細胞となり、それらが集まって複雑な構造もつ器官や個体を作っていく過程のこと。生命の本質は「絶えず変化していること」にある、と大浪はいう。

細胞核の位置変化を画像解析で抽出した事例。細胞の映像(画像)から細胞核の輪郭を抽出(左)し、その位置と形状を、空間・時間の4次元の数値データに変換(右)している。

「ある瞬間の生物を見れば何も変化がないように見えますが、実は、時々刻々と変化しています。あらゆる生物は、生まれた瞬間から死に向かうプロセスが始まっている。生物はすべて『動的』なのです」

捨てられていた貴重な情報

絶えず変化する、「動的な」生命現象を理解する新しい方法論を、大浪はさまざまな角度から模索してきた。その根幹にある手法が、多様で複雑な生命現象を記録した画像や映像を、画像解析や機械学習といった情報科学の手法を利用して分析し、有用な情報を取り出す「バイオイメージ・インフォマティクス」だ。

「生命科学の研究では、生き物の動きを画像や映像をつかって『ビジュアル』に記録してきました。そこには生命を理解するためのさまざまな情報が含まれています。しかし、これまでは観察者が自分の気になったことだけを取り出して、それ以外の情報は『ゴミ』として捨てていました。

そのような、人間が取り出せなかった貴重な情報を、情報科学の手法を使って取り出し、生命科学のあらたな知見を得ようというのが『バイオイメージ・インフォマティクス』が目指していることです」

解析作業をより効率的、正確に

生命科学と情報科学を融合する「バイオイメージ・インフォマティクス」によって、どんなことが「見えてくる」のだろうか。そんな質問を投げかけると、大浪は、線虫の細胞分裂の映像から、細胞核の動きを可視化した事例を見せてくれた。

映像に写った細胞の上に、白色のぎざぎざした図形が重ねて描かれている。これは画像解析によって抽出された細胞核の輪郭を示していて、その数や形は、時間とともに変化していく。

撮影した映像だけでも、細胞全体が変化していく様子は「何となく」わかるが、微妙な違いを評価することは人間の目では難しい。一方、細胞核の輪郭を抽出し、映像の上に重ね合わせると、細胞分裂が進むにつれて細胞核の数や位置がどのように変化していくかが、一目瞭然にわかる。

また、細胞核の位置や形状は数値データ化されているため、細胞の動態を定量的に把握、比較でき、統計的な分析も可能となる。

この手法を使えば、今まで人間が労力をかけて行ってきた解析作業を、より効率的に、正確に行うことができるようになる。例えば発生動態の実験では、特定の遺伝子の発現を人為的に阻害して、それが発生にどのような影響を及ぼすかを調べる「遺伝子ノックダウン」と呼ばれる手法が用いられるが、さまざまな遺伝子を「ノックダウン」した個体について、それぞれ一定数、調べる必要があるため、組み合わせの数は膨大になり、解析作業には大きな労力が必要になるという問題があった。

遺伝子ノックダウン胚の発生動態の比較。各細胞の時間変化を数値データ化することで、定量的な比較や統計学的な解析が可能になる。

大浪が開発した、細胞核の位置や形状を自動的に抽出する手法を使えば、人間が行うよりはるかに効率的に、しかも正確に、大量の実験データを解析できる。

「もし、500遺伝子の実験データを人間が目で見て解析すると、おそらく1年以上かかるでしょう。プログラムで解析すれば、ものの数秒です。『バイオイメージ・インフォマティクス』は、実験解析の効率と質を大きく改善するでしょう」

データ駆動型サイエンス

「バイオイメージ・インフォマティクス」のメリットは、解析作業を効率化・正確化し、人間の負担を軽減することだけではない。生命現象を数値データ化することで、その解析に統計学や機械学習の手法を利用できるようになる。それによって、今まで人間が気づかなかった微妙な特徴や差異が「可視化」され、あたらしい発見が生まれる可能性が高まるだろう。このようなアプローチは一般に、「データ駆動型サイエンス」と呼ばれ、生命科学においても有効な手法になる、と大浪は確信している。

「生命現象をとらえた画像データには、私たちがまだ理解できていない、とても『リッチな』情報が含まれています。当初の目的に対して正常か、異常かを評価するだけでなく、画像に含まれている情報をまるごと取り出して、今まで誰も気がつかなかった、もっと高度な因果関係や知識を取り出したい。将来、発生のしくみを直接理解することも可能になるかもしれません」

顕微鏡技術の発展

「バイオイメージ・インフォマティクス」を支えるのは、情報科学や解析技術だけではない。これまでは見ることができなかった、ナノスケールの生命現象を高い精度で観察・計測する「顕微鏡技術」の発展も大きく貢献している。

例えば、理化学研究所が独自に開発した「超解像蛍光顕微鏡」は、細胞内の微細な構造を、細胞が生きたまま撮影できる最先端の顕微鏡だ。これまでの光学顕微鏡でははっきりと見えなかった細胞膜やウィルス、シナプスなどもとらえることができる。

理化学研究所の発生動態研究チーム(大浪研)、先端バイオイメージング研究チーム、生体ゲノム工学研究チームが共同開発した「光シート顕微鏡」の計測(対物レンズ)部分。細胞組織の「断層写真」を2つの軸で撮影するため、4つのレンズが互いに垂直に配置されている。

また「光シート顕微鏡」は、CTスキャンと同じように、細胞組織の「断層写真」を撮影する技術だ。大浪はこの技術を発展させ、横方向と奥行方向の2方向の断層写真を撮影する装置を開発している。これによって、立体的に分布する細胞組織内で、個々の細胞の3次元座標を正確に把握することが可能になる。

このような顕微鏡技術の発展によって生命現象がより詳細にとらえられるようになれば、その解析作業もより高度になっていく。「バイオイメージ・インフォマティクス」の必要性はさらに高まるだろう。

「光シート顕微鏡」で撮影したマウス胚の断層写真。胚内部の縦断面(左)と横断面(右)を同時に撮影することができる。

生命現象のデータベースを共有する

大浪は、「バイオイメージ・インフォマティクス」の研究を進める一方で、発生動態に関するさまざまな画像・映像データを、世界中の研究者と共有するデータベースの構築にも精力的に取り組んでいる。「SSBD (Systems Science of Biological Dynamics)」と呼ばれるこのデータベースには、発生動態の映像データや、それらを分析・数値化したデータ、解析ツールなどがあつめられ、オンラインで公開されている。大浪は、このデータベースを作ろうと思ったきっかけを、次のように語る。

「私たちが細胞の画像データから動態の情報を抽出するまで、5年くらいかかりました。それでも、すべての情報を抽出できたわけではなくて、おそらくその中には、まだたくさんの情報があるはずです。頑張って撮ったデータを囲い込むのではなく、それを世界中の優秀な人たちに公開して、そこから有用な情報を取り出してもらったほうが、サイエンス全体にメリットがあります。そういう思いから、このデータベースを作りました」

大浪が始めたデータ共有の取り組みは、現在、「グローバル・バイオイメージング・プロジェクト」として、ヨーロッパや日本などを中心とした国際プロジェクトに発展し、画像・映像データだけでなく、データ・フォーマットや実験手順の標準化なども進められている。

生命科学の画像データを共有する「グローバル・バイオイメージング・プロジェクト」。ヨーロッパや日本などが中心となり、世界レベルでのデータ共有アライアンスが進んでいる。

生命科学は「情報科学」になる

顕微鏡技術や情報科学の発展にともなって、「バイオイメージ・インフォマティクス」は今後も発展を続け、DNA・RNAから細胞や個体まで、さまざまなスケールの生命現象がデジタルデータとして、世界中の研究者の間で共有されていくだろう。そうなった時、生命科学の研究方法は大きく変わる、と大浪は予想する。

「世界最先端の顕微鏡をもつ研究所が、そこで取得した画像やデータを公開し、残りの研究者は自分で実験を行うことなく、公開されたデータを入手してコンピュータで解析することで、何かを発見する。生命科学の研究スタイルはそんなふうに変わっていくでしょう。つまり、生命科学は、どんどん情報科学に近づいていくと思います。

そうなれば、将来、研究所を定年退職しても、自宅で発生動態の研究を続けられるかもしれません。そうなったら楽しいし、幸せですね。それを実現できるようなレベルまで、『バイオイメージ・インフォマティクス』を発展させたいと思います」

大浪修一|Shuichi Onami
理化学研究所・生命機能科学研究センター・発生動態研究チーム チームリーダー。東京大学農学部獣医学科卒。総合研究大学院大学生命科学研究科にて博士(理学)を取得。分子細胞生物学、生物物理学、ゲノム科学などの生命科学と、最先端の生細胞イメージング技術・画像処理技術・計算機シミュレーションを組み合わせ、多細胞生物の動態を包括的・定量的に分析する「バイオイメージ・インフォマティクス」の第一線で研究を進める。

保田充彦|Atsuhiko Yasuda
株式会社XOOMS(ズームス)代表、一般社団法人ナレッジキャピタル・リサーチャー。航空宇宙分野のエンジニアを経て、現在はサイエンス映像の制作、データの可視化、VR/MRコンテンツ開発などに取り組んでいる。座右の銘は「人生はすべて実験である」。