3Dプリンターが自動車の部品を成形できるまでに進化をとげた昨今、極微の世界では「ナノインク」を用いた電子回路の印刷が注目を集めている。私たちの生活を一変させる可能性を持つ「機能する印刷」の素晴らしき世界を堪能してほしい。
TEXT BY SHIN ASAW a.k.a. ASSAwSSIN
タッチパネルは刷られている
グーテンベルクの活版印刷が登場してからというもの、私たち人類は、数世紀にわたり「印刷物」イコール「紙の上の活字や模様」だと思い込んできた。しかし近年、本や商品ラベル以外にも、家庭にどっぷりと入り込んだ印刷物がある。スマホやタブレットに使う「タッチパネル」がそれだ。
タッチパネルの正体は縦横に銅線が編み込まれた電子回路。しかし、そのままガラスに貼り込むと格子模様がみえてしまう(かつて黎明期のスマホ画面は、光の当て方次第で奇妙なパターンがみえていた)。透明さを維持するには、超がつくほどの極細線(数10ミクロン=1/100ミリ程度)で金属をプリントする技が必要になる。そこまで細い銅線を、肉眼では確認できないというわけだ。
最先端の「スーパーインクジェットプリンター」が塗布するインクの液滴は、1ナノ(1/10億)リットルのさらに1/1万、なんと0.1フェムト(1/100兆)リットル。想像力の及ばないほど微量なインクを打ち出す印刷機だからこそ、ミクロン単位で回路を刷り上げていくことが可能になる。
軽さや透明度を求めるモバイル業界が牽引力となり、フィルムに回路を刷る「プリンテッド・エレクトロニクス」という言葉はすっかり定着した。インクと、インクを射出するヘッドと、それをコントロールする基板。3つを上手く組み合わせると、いろんな可能性を模索することができるという。
最近流行の有機ELディスプレイに代わり、次の世代を担う「量子ドットディスプレイ」も、こういった超微粒子を塗布できるプリンターで、原子10~50個程度の直径のドット、つまりナノサイズの点を丹念に刷っていく技術の延長上にある。噂によると、2018年中にもテレビとして量産される可能性がある、というから驚きだ。
「印刷された木目」をあなたは見破れるか
家具の扉などに使われるMDF(繊維板)が、本当の材木でないことは誰にでもわかる。しかし表面にリアルな木目が印刷されていると、ぱっと見では区別がつかないに違いない。もちろんあなたは主張する。「でも触ったらわかるよね?」……ところが、だ。印刷が木目の質感(凹凸)まで再現できてしまう時、あなたはMDFはおろか、鉄材もアルミ材も「木材」だと感じてしまうに違いない。
印刷で凹凸を再現するには、UVの光を当てると瞬時に固まるインクを用いる。通常のインクでは乾燥に時間がかかるが、このインクでは必要ないので、すぐさま何層も積み重ねていくことができると株式会社リコーのCIP開発本部・生野弘は語る。
「新開発のインクはいろんな基材に対応できます。鉄やアルミ、ガラスやプラスチック、アクリルにも印刷できるんです」
この技術を応用すれば、油絵の具で描かれた絵画を解析し、本物のごとき質感を持った絵画をプリントすることもできる。表面がツルツルのポストカードに比べて(どちらもフェイクには違いないが)所有する喜びは何倍も大きいに違いない。
バッテリーの充電時間が数秒になる
もはや印刷物だと認識できそうにない代物もある。次世代のバッテリーとして期待される「スーパーキャパシタ」は、電気自動車やスマートフォンの充電を「たった数秒で終わらせる」という画期的なテクノロジーだ。そのコアである電極部分にも、印刷で培ったノウハウが応用できる、と株式会社リコーの研究開発本部・松山剛は胸を張る。
「電池には+極と−極があるんですが、その+極の材料である炭素の、粒径が5ミクロンしかない中に、ナノサイズの穴を何個も開ける。それも、粒子の内部で網目状につながった穴を作るんです。これで大幅に蓄電料を増やすことができる。作り方は教えられませんが(笑)、プリンターのトナー技術を応用したこの炭素粒子を印刷(塗布)してキャパシタ電極を作製する手法は、まさに機能する印刷、プリンティングテクノロジーの発展形と考えることができます」
これほどまでバラエティに富んだ「印刷の進化」を、かつてグーテンベルクは想像できただろうか。時に政治や宗教の道具となり、あるいは標的として燃やされる悲しみを背負った印刷物。だが「活字」の呪縛から解き放たれた途端、プリンターは私たちを百花繚乱の未来へ誘う原動力へと変貌した。世間では「インターネットの情報革命はグーテンベルクの活版印刷以来の衝撃」などと言われるが、その表現はしばらく控えるべきだろう。革命はまだ、終わりを告げていないのだから。
吾奏 伸|SHIN ASAW a.k.a. ASSAwSSIN
映像演出家。CGアニメと実写の両方を手がける映像工房タワムレ主宰。京都大学大学院(物理工学)を修了後、家電メーカーのエンジニアを経て現職。理系の感覚を活かした執筆など、映像以外にも活躍の場を広げている。
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