CPUやメモリーを使うノイマン型と呼ばれる現在のコンピュータの発展は、半導体の微細化技術の発展、つまりは「半導体の集積率が18カ月で2倍になる」(ムーアの法則)という予言の遵守に支えられてきた。しかし、その法則に限界が見えてきた今、量子力学を応用した「量子コンピュータ」への期待が高まっている。どこまで研究が進み、どんな使われ方をされているのか。東北大学大学院情報科学研究科の大関真之准教授に訊ねた。
TEXT BY HIROKUNI KANKI
お値段は1台10億円!?
——そもそも「量子コンピュータ」とはどういうものでしょうか?
大関 パソコンのような通常のコンピュータでWordやExcelといったソフトを使うときには、“指示”をしますよね。そうした指令の中身はいわゆるデジタル信号で、電気を強めたり弱めたりして、0か1というシグナルを送っています。一方量子コンピュータでは、0と1だけを利用するのではなく、組み合わせて利用できるという、量子の不思議な性質を利用します。
0でもあり1でもあるという性質の意味は、人間の英知を結集しても「そうだからだ」としか結論付けられません。複数の結果や可能性を保有しているということは、うまく活用すれば0と1の信号を共存させた状態を利用できるのではないか。こうして量子コンピュータの発想が生まれました。
——それはいつ頃の話ですか?
大関 米国の物理学者リチャード・ファインマンが、1982年、通常のコンピュータでは実現し得ない性能を持つ新たなコンピュータの可能性を指摘したのが出発点ですね。その時点では実現可能には程遠いものでしたが、技術や量子力学への理解も進んだ1994年、米国の理論計算機科学者ピーター・ショアが、量子力学を使って素因数分解を効率的に解く「ショアのアルゴリズム」を数学的に証明したことから、暗号解読に使えるほどの技術とされ、実現化の機運が高まりました。
——その後、2011年5月にカナダのベンチャー企業「D-Wave Systems」が突然、量子コンピュータを発売しましたね。
大関 量子コンピュータには、大きく分けて2つの方式があります。まず、どんな操作をするかという手順があり、それを逐次コンピュータに指示をする「量子ゲート(量子回路)方式」です。これは従来のコンピュータの延長線上にあるものです。これまでIBMやグーグルなどが研究を進めてきました。
もう1つが、D-Wave Systemsが採用した「量子アニーリング(量子焼きなまし)方式」です。「物質が冷やされる時に構造が安定する」という自然現象を応用しているので、信号を送るのでなく、基本的には“冷やす”だけです。言ってしまえば“不器用”なコンピュータで、経路探索に代表される「組み合わせ最適化問題」を解くのに特化しています。従来のコンピュータより1億倍早いという表現もされたこともありますが、あくまで問題を限定して、ある意味の“やらせ”をした場合の話です。一般的にはどこまでの性能を持つかは未知数です。
——販売が始まったといっても、まだ10数億円という価格です。今はどういうかたちで利用が始まっているのでしょう。
大関 企業や研究機関が購入するにしても非常に高価です。しかし利用に関しては、カナダや米国にあるマシンにクラウドサービスで接続して使わせてもらう時間貸サービスがあります。それだと、だいぶ手の届く値段です。利用時間の制限などを懸念されますが、コンピュータ自体の計算が早いので、一瞬で終わってしまいます。利用を公表せずにその可能性について検証を進めている企業は日本国内・国外に多くあります。
金融機関では既に運用開始?
——軍事関係のほか、保険、証券、金融、IT、ゲームなど、いろいろな分野での利用が考えられますね。
大関 今挙がったような分野は、おおよそ試していると思います。最初の顧客であるロッキード・マーティンは、航空機を設計する際のバグ取りの問題に適用したそうです。ユーザー数が最も多いのは、やはり金融分野だと耳にします。「利益が一番上がる投資はどれか」「リスクを分散させるにはどうするか」というバランスをうまく取る選択をするような場合、量子性を用いて解くことが有効になります。そこに投資した場合と、しなかった場合、状態を重ね合わせていろんな可能性を探索させるのです。
通常のノイマン型コンピュータとは勝手が違い、使いこなすのに手こずっていましたが、ようやく、量子コンピュータ向けのアプリケーションやソフトウェアプログラムが充実してきました。海外の例だと、金融系に特化したソフトウェアを開発する会社が立ち上がっていて、D-waveマシンを使う手前まできている。「こういう投資戦略を組みたいんだけどどう?」という問いかけをインプットするところまでやってくれて、ユーザーサイドは計算された結果を受け取るという状況になってます。
——もはや占いというか、予言者のようですね。大関先生自身は量子コンピュータが日常の社会にどう浸透していくと思いますか?
大関 新聞や本がスマートフォンに変わったような劇的な変化はないでしょうが、僕たちが認識できないレベルで、普通に浸透していくと思います。量子コンピュータによるサービスをネット経由で享受することは、簡単にできるようなります。
ここでのポイントは、「量子アニーリング」は、個々人の生活にとって最適な選択ではなく、社会全体における最適な選択をすることが得意だということです。実際にフォルクス・ワーゲンなど自動車産業での利用例が出てきました。全体の交通量を適切に抑制しながら渋滞を免れて、旅行時間を短くするような取り組みがすでに始まっています。
——ビジネスやサービスはどう変わるでしょう。
大関 金融の投資のような場面だけでなく、人間は常に選択を迫られながら生きています。音声認識技術の発達なども使い、クラウドの量子コンピュータに「こういうことで悩んでいるんだけど?」と言ったら、「あなたはこういう道を選んだらいいです」という“可能性”を提示してくれる類いのサービスは、直近の未来として想像ができると思います。さらに、社会全体の最適解を追求することが可能となれば、デートの目的地や時間やプランまで、スムーズな選択岐を提案できるようになるかもしれません。
人工知能ブームの背景にある機械学習には、大量のデータを学ぶ必要があるという弱点があります。量子アニーリングは、データから学ぶという方策ではないので、ビジネスを考える上で新しい基軸となるでしょう。さらに、量子アニーリングはそもそも最適なものを導く方法ですが、ほかの候補の提案を瞬時に行うことも、得意であることがわかってきました。難しいリクエストに対しても、そうした提案を気軽に行う独特なサービスなどができるかもしれません。
——最後に研究室で取り組みたいことを教えてください。
大関 10月1日に「量子アニーリング研究開発室(Tohoku university Quantum Annealing Research & Development:T-QARD)」を発足します。これから必要となってくる量子コンピュータを活用した事業やサービス展開に必要な人材育成を担いながら、先端研究を推進していきます。さまざまな分野にせっかく適用できる方法なので、量子コンピュータのことをよく知らないからと遠慮することなく、「こんなことできないの?」と気軽に聞いてくれる企業と共同研究をしながら、人材育成と研究開発を推進していきたいと考えています。
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大関真之|Masayuki Ozeki
1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て2016年10月から東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻准教授。共著に『量子コンピュータが人工知能を加速する』(日経BP)、著書に『先生、それって「量子」の仕業ですか?』(小学館)ほか。
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