私たちのカラダを取り巻く皮膚の研究は大昔からあるが、感覚器、臓器としての研究は21世紀に入って本格的に進み始めたばかりだといえる。肌=皮膚は、音を聴き、光を感じ、情報発信すら行うシステムであることがわかってきた。皮膚にはどのような可能性が隠されているのか。「ブレインスキン理論」の提唱者であり、長年、皮膚についての研究を続けている、資生堂グローバルイノベーションセンター主幹研究員の傳田光洋に話を聞いた。
TEXT BY YUKO NONOSHITA
皮膚の解明が進んだのは21世紀に入ってから
皮膚を覆う表皮のほとんどは、ケラチノサイトと呼ばれる上皮系細胞から構成されており、温度や圧力に対する感覚を持つことが傳田らによって明らかにされたのは21世紀に入ってから。そこからさらに、触覚の知覚、つまり表皮に様々な感覚機能、情報処理、情報発信機能があることを証明するためいくつも研究が行われ、傳田の研究チームが、「ブレインスキン理論」を提唱したのは2011年のことである。
最高のセンシング機能を持つ表皮は、単なるカラダの内と外を隔てる膜ではない。単に感じるだけでなく、「考える」こともできるがゆえに、わたしたちがまだ知らない健康の秘密が眠っているのかもしれない。そして、意外にも皮膚に関する研究はそれほど進んでいないのが現状だ。
そんな皮膚に関する研究は、現段階でどのようなことが行われ、何がわかってきたのか。資生堂の入社と同時に皮膚の研究を続けてきた第一人者はいま、何を見つけようとしているのだろうか。
肌の状態と健康は密接に関係している
——長年、皮膚についての研究を続けられていますが、「皮膚が考える」というのはどういうことなのでしょうか。
傳田 私たちの身体を覆っている皮膚には様々な機能がありますが、研究で注目しているのが表皮を構成しているケラチノサイトと呼ばれる細胞です。ケラチノサイトが形作る表皮には、水を通さないバリアである角層を構築する以外に、優秀なセンサーとしての機能があり、圧力や温度、湿度以外に、可視光や音までも感知し、自ら考える情報処理能力を持った、“体表の脳”ともいえる働きがあることがわかってきたのです。
自分と世界を区別する役割を果たす皮膚は心と密接なつながりがあり、光や音からも無意識に影響を受けている可能性があることを、2011年に「ブレインスキン理論」として提唱しています。センサーの集合体である表皮は平均して1カ月程度で新しく入れ替わりますが、外界からのストレスが続くと、そのサイクルが乱れて、バリア機能が落ち、免疫機能も低下することもわかってきています。
——皮膚が持つセンサー機能は私たちが想像している以上に高く、それがカラダやココロの状態にも何らかの影響を与えているというわけですか?
傳田 最近の論文の一つで、スギ花粉のアレルギー抗原が、皮膚角層のバリア機能を維持する機構にもダメージを与えていることを発表しています。そしてもうひとつ、ケラチノサイトは「とげ」のような異物が表皮に侵入すると、角化細胞でくるんで排出する機能があることもわかってきました。
一方で、アトピー性皮膚炎などによって肌状態が良くない人は、精神疾患になりやすいことがほかの研究者によって報告されています。皮膚の状態と心身の状態が、相互に影響を与えているというのは以前からわかっていましたが、さらに研究が進んだことではっきりとしてきました。
たとえば、これまでアトピー性皮膚炎患者の痒みの原因は、患者の表皮の中の神経が増えるからだと主張されてきました。しかし、二光子レーザー顕微鏡で表皮内部にある神経の3次元構造を観察すると、患者の表皮では、むしろ健常者の皮膚より神経密度が低いことがわかりました。つまり、神経の数ではなく、センサーとしての表皮の機能異常が痒みの原因なのかもしれないのです。
——肌の状態を整えることが、健康につながるかもしれないのですね。
傳田 研究は以前から進められていて、皮膚感覚を正常にする方法のひとつとして、外界からのどのような刺激が考えられるかといった調査が行われています。その中には、拒食症患者にウェットスーツを着用させて身体全体に刺激を与えたところ、食欲が回復したとの実験報告があります。また、メーキャップのような行為も重要で、認知症の高齢女性がメーキャップをきっかけに、認知能力やコミュニケーション能力、運動機能まで回復した例もあります。
五感の中で桁外れの情報を感知
——皮膚が持つ「意外な機能」として、ほかにはどのようなものがありますか?
傳田 リラックス効果をもたらす「オキシトシン」というホルモンがあります。ハグやキスといった肌の触れ合いによって、脳の下垂体で放出されるとされてきました。それが表皮のケラチノサイトでも合成されることがわかっています。一方で、ストレスを感じると生成される、コルチゾールというストレスホルモンと呼ばれているものがありますが、脳から出る副腎皮質刺激ホルモンによって副腎で合成されるだけでなく、表皮が乾燥した時にも表皮ケラチノサイトで合成、放出されるという研究結果が出ています。
——研究の手法も新しい方法が取り入れられているのでしょうか?
傳田 従来の生物学の領域では説明できなかった表皮のメカニズムを解明するために、コンピュータ上に表皮の3次元モデルを作り、加齢による変化や痒みの仕組みを解決しようとしています。たとえば、赤ちゃんの表皮モデルから、正常な表皮細胞の更新サイクルなど再現したり、老化に関係すると思われるファクターを変化させることで、表皮にどのような現象があらわれるかを調べたりしています。すでに一部の原因遺伝子も発見しており、老化対策として特許を申請しています。
——皮膚には複雑な機能がまだまだ隠されていそうですね。そういえば日本語には「肌感覚」という言葉がありますが、以前から皮膚に感覚があることをなんとなく知っていたけれど、それを数値化したり、言語化する方法がなかっただけなのかもしれません。
傳田 私自身は肌感覚というのは、五感のなかで環境からの情報を桁外れに最も多く感知し、一方でその多くが無意識下に作用し、意識にならない感覚だと捉えています。そもそも、触覚は個人の主観や環境に密接に関わっているため、容易に言語化して、共有することがとても難しい。同じものを触っても、好きか嫌いかで感じるものが大きく異なるので、これまで論じられることが少なかったのだと思います。
——ということは、まだまだ研究され尽くされていない分野であり、これから新しい発見が出てくる可能性がありそうですね。
傳田 肌感覚の研究は言語化ができなかったために遅れていますが、そのぶんだけ大きな可能性が拡がっていると感じています。研究についてもいろいろなアプローチが考えられますが、これまで難しかった言葉をあえて使って、肌感覚を明確に意識させることで感覚を研ぎ澄まし、そこから得られる情報に注目するという方法もありかもしれません。
——皮膚の研究が進むことによって、私たちの生活や環境、社会にどのようなことがもたらされそうでしょうか?
傳田 皮膚を介した全身や心の健康を育む医療というものがこれから進展するのではないかと考えています。応用できる範囲も広がり、たとえばこれまで立地条件や間取りといった観点から見ていた住環境のあり方について、皮膚を起点にするというような発想が生まれるほか、労働環境を改善する要素として含まれるようになるかもしれません。
いずれにしても、感覚器としての皮膚に対する科学的な解明は進んでおり、大きな注目を集める日はそう遠くないでしょう。
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傳田光洋|Mitsuhiro Denda
1960年兵庫県生まれ。資生堂グローバルイノベーションセンター主幹研究員、国立研究開発法人科学技術振興機構 CREST 研究者。京都大学工学部工業化学科卒、1994年同大学博士号取得。カリフォルニア大学研究員を経て2009年より現職。『驚きの皮膚』(講談社)、『皮膚は考える』(岩波科学ライブラリー)ほか著書多数。
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