「2020年」に向けて、大なり小なり動きを見せている東京。その変化の後景にある「都市の記憶」を、音楽家/文筆家の菊地成孔が、極私的な視点で紐解く連載シリーズ第27回!
TEXT BY NARUYOSHI KIKUCHI
ILLUSTRATION BY YUTARO OGAWA
またスマホの悪口を言うが、腸管内視鏡の話とニコイチなのでマンネリを許して頂きたい
人間ドックに年イチで行くようになって15年ぐらいが経つ。その中で去年だけ行けなかった(特に面白おかしい理由がある訳ではない。単に、ちょっとだけ多忙で、行きそびれただけである)ので、初めて「2年ぶり」に行った。因みに56歳の誕生日のすぐ後である。筆者が感じていた「ちょっと怖いな。はは、、、、はは」と云う感覚が、読者貴兄にどの程度伝わっているだろうか?心許ない。
人間ドックといっても、もう思いっきりぶっちゃけると内視鏡検査がされたいだけとも言える。一般的に内視鏡検査はキツい。上(胃)と下(腸)だったら、圧倒的に下がキツいのだが、筆者は、ある意味陵辱されているようにさえ見えないでもない腸管内視鏡検査に対して、かなり愚直にセクシャルに、マゾヒスティックになっている。と、ストレートに断言してしまえるほどのマゾヒストではない。
最近は死語というか、大分人気も落ち着いてきたが、巷間、松本人志が考案したと言われる「ドM」という言葉は、非常に良くできている。フロイドの原理を言い当てて妙なる流行語としては歴代でも上位に入るだろう。専門のクラブに行って、料金を支払って鞭で叩かれたり、プライヴェートでも、ちょっとS気のある恋人に、ドンキホーテとかでも売っているロープで縛られたり、踏まれたり、といったありきたりな世界は、もう自分の生活とは縁もゆかりもない夢の世界だ。がしかし、内視鏡検査には行きたいのである。
そしてそれは、一筋縄ではいかない。内視鏡検査はキツい。なのでキツい目にあいたい。というだけでは、そこそこなドMと言えるだろう。内視鏡検査を内視鏡検査たらしめているのは、「(医療機器と医師の技術の進化によって)どんどん楽になっている」というベクトル、その属性1点に尽きる。本来なら拷問にも近いものが、日に日に楽になっていますよ。と自己申告し続け、しかもそれは、驚くべき正しさで、その通りなのである。SMクラブが「最近は鞭なんて新素材のゴムで出来てて、どんなに叩かれてもさほど痛くないんですよ~」とか「最近の女王様は、あなたのプライドを傷つけないように、ちゃんとプレイ中に敬語で話します」と言って客を募ってるようなものだ。その売りに乗るのはストレートでストロングなマゾヒストとは言えないだろう。
上なんかもう、凄いですよ。ちょっと前の、飯場の水道に力任せに繋いであった青や黄色のゴムチューブみたいなのを、補助器付きで飲み込まされ、えずきまくりながら、延々と涎と涙をダラダラに垂れ流し、、、、なんていう黄金時代はとうに終わり、そうだなあ、太めのスパゲッティだよね。たまに鼻の穴に麺が入っちゃうときあるでしょう?(ないか・笑)あれと変わらない。
鼻の穴からそのぐらいの太さの奴を、麻酔のゼリーを飲み込んで完全に無感覚になった喉から胃にかけて差し込まれるのだが、「あれ? なーんか変な感覚」ぐらいなモンで、全く嘔吐反射(えずき)はないし、食道だの幽門、噴門だのの細くなっているところがこじ開けられて激しい痛みが、なんてえのは平成通り越して昭和の話ですよ。
しかし、伸びは良いが、結局一掴みのゴム袋みたいな胃に対して、腸はなんせ第二の脳であって、何メートルもあるソーセージが綺麗に畳み込まれているのであるからして、もう天国と地獄だ。そもそも内視鏡を入れるまで腸管洗浄に3時間かかる。これがキツい。下剤を飲んで、人工的な下痢の状態にし、飲んだ下剤が全く澱まず真っさらの状態で出てくるまで、排泄を続けるのである。毎年よく耐えたなオレ、と思う、将棋世紀の大苦戦、長考の煉獄である。
2リットルの下剤の味は、曰く「レモン味」で、その絶妙な不味さ、それを3時間かけてゆっくりゆっくり飲み、便意が来たらトイレに行く。さあここからスマホの悪口である。もう読まずもがなであろうからして、読まなくても良いぐらいの話だ。
筆者が行っている病院では、それが平均的な数なのかどうか、1日に腸管内視鏡検査を大体6人ぐらい行う。検査自体は説明も含めて2~30分ほどなので、全員でまあ3時間だ。3時間は前述の通り、1人の腸管洗浄にかかる時間である。したがって、これは当然、集合は一挙、下剤の飲み始めも、1番の人と6番の人に1時間の差はない。
結果、どういう光景が繰り広げられるか? 言うまでもないだろう。「40代から70代ぐらいまで、会員制6人までの<内視鏡サロン>が形成されるのである。筆者の悪文により、この事自体に文句でもあるかのように読めてしまうが全く違う。この特殊サロンを、筆者は愛している。人はいう「全員が同じ痛みや苦しみを抱えている時、人は連帯する」と。
その上に、だ。病院は巨大なビジネスビルの中で、一つのフロアに個室は3つしかない(因みにうち1つは、障害者用と嬰児の排泄の世話を兼ねたテクノトイレみたいなアレだが、今回の内容とは関係ない)。冒頭に視線を移動して頂きたい。筆者の内視鏡歴は15年である。強い連帯を誇る6人の侍は、「座し、出したら軽く拭いてすぐ退出する」というマナーを無言で守っていた。
民がスマホを手にするまでは。
サロンのルールを想定してみていただきたい。前述のセッティングに便器3つしかないのよ。非常にエレガントかつ、若干デカダンでニヒリスティックな顔つきさえしているけれども、そんなもんダンディズムに決まってるでしょうが、そこは戦場なんだよ戦場。鷹揚にゆっくり出してんじゃねえ馬鹿野郎。てめえ王室の人間か。いや間違った。ゆっくりはしてない。事情により、ゆっくりは出せない(笑)。
さて、スマホに限らず、最大の長所こそが最大の急所であることは珍しくない。スマホがここまで民にインヴァイトしているのは、操作音が無音だからという点はかなり大きい。あれがノートブックPCぐらいカチャったら、とてもスマートとは言えないであろう。
しかし、それによって民は遠慮も配慮も失い、完全に退行してしまう。嬰児には絶叫か無音しかない。大げさだと思うなら、都内のあらゆる「ブックカフェ」に行ってみると良い。半分以上は営業等記名が間違っている。スマホカフェである。そして、もう完全に無防備で、思いっきり没入して静止画見まくってるんで(これは、テレビや動く遊具に没入している嬰児の状態とほぼ同じである)、オレ何回見たかわかんないよオリジナルのエロ写真。隠せよ大人ならさあ、公共の場だぞ。
え? 見てるオレが悪い? 覗きは犯罪だ? アホか。こっちは普通に振り返ったり、本を読み終えて遠くを見ていただけだ。ここにいる全員が皆スマホを凝視していると信じて疑わない、黒目も真っ白になっているオマエが、脇ガラガラ空きで、隣席や斜席からの視線圏内という配慮も何もなく、阿片窟の客みたいに延々とページ繰ってるから、見たくもねえブサイクなオマエの女の(以下自粛)見せられてるんだ猥褻罪の被害者はコッチだバーカ。
おっと、負の方向の性的興奮によって、話が大幅にそれた上にバーカなどと書いてしまった。適切な表現だと思うので書き直さないが、とにかく彼らはおそらく、スマホさえ机上に置けば、筆者などより遥かに常識やマナーをわきまえた社会人に違いない。無音によって、マナーという概念を消失させるスマートフォンは、アディクトフォンもしくは中毒電話と改称すべきである。絶対しないが。
じゃないと、「あ、出したな(失礼ながら)。あ、拭き終わったな(失礼ながら)。さあ、出てくれ(失礼ながら)。状況が状況ですしね」と、至極まっとうな思考の流れに沿って、腹をさすりながら立っている、同じ内視鏡検査待ちの侍に、長い無音の待ち時間が訪れるはずがない。無音なので丸わかりなのである。なんかの拍子に気絶してたらごめんよ。「あ、スマホ見てるでしょう。LINEに<いま、内視鏡検査待ち。下剤ファック>とか書いてない?」。無音。「あのさあ、もうそれ反射よね。シャブ中の人って、トイレに入ったら、矢も盾もたまらずキメ倒すらしいですよ」。無音。「昔はねえ、譲りあったんだよ。謙譲の美徳と言ってね。ちょっと意味が違うが。とにかく日本人の公共マナーというのはねえ」。無音。無音。
二つの個室、共に無音。
故に、二つの無音。
筆者がいくらジャズミュージックの演奏家だからといって、常在戦場のワイルドアウトローなどと思わないで頂きたい。筆者は、ごくごく普通に、一度キレたが最後、自分の行動が規制できない、つまり精神的に弱い一般市民に過ぎない。何をしたか?「てめえら出した後までスマホいじってんじゃねえ。さっさと便器ん中に投げ込んで出てこいオラー!」などと叫んだら通報され、連行されてしまう。連行されようと構うものか、下剤さえ飲んでなければ。
まず左手の拳で掃除道具入れのドアをガンガンに叩いた。ガンガンは大袈裟もしくは自動的な擬音ではない。リアルサウンドである。ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!ガン!(以下同音)と1分間ほど叩き続けたが、二つの無音は「ひょっとして、誰もいないのかも?」と思わせるほどだった。2人の中毒患者は音にビビって震え上がっている、などという気配は全くない。アディクションという物は本当に恐ろしい。
筆者は次に、踵で掃除道具入れの脇の、金属板が張ってある場所を蹴った。ガキーン!という金属音、その望外の音量に、まず自分が驚いたが、拳が出すガンと踵が出すガキーンのコントラストが美しい事に、一瞬嬉しくなってしまったのは畜生の浅ましさとしか言いようがない。筆者の怒りの拳と踵は、次第に1957年のヴィレッジヴァンガードに於ける、ソニーロリンズ・トリオの演奏中に繰り出された、エルヴィン・ジョーンズのドラムソロの再現になっていった。このドラムソロが好きで、脳内でたまに諳んじているからである。
最初こそクールに始まるドラムソロだが、4小節を超え、16小節を超え、32小節を超える頃には大爆音になっていった。この段階で、通報され、連行される可能性は、当初の予定を大きく超えていたのだが、もうそういう問題ではない、あまりの惨事であるが故に一瞬で書くが、いかな検査用のオムツつき検査服とはいえ、当方、とっくに決壊しているのである(涙)。目には目を、アディクションにはアディクションとはいえ、ここまでの惨事が我が身に降りかかろうとは、予想だにしていなかったというのが事実である。
恐るべき事に、手前の個室から一人が飄々と出てきて、筆者を見て一瞬ビクッとし、これ以上の無表情はない、というほどの無表情を見せて退出した。そしてその無表情には「早くスマホが見たい」というメッセージが雄弁に書かれていたのである。筆者は、スマホの操作音を、昔の携帯電話のカメラのように、消音できないシステムにし、指先が接触するごとに「ごヒョ~ん」「いや~ん」「チャッチャチャーン(「星条旗よ永遠なれ」の冒頭)」「バキューン!」「ウヒャヒャヒャヒャヒャ!!」「ぷぅうう~~~ん」「スリーラー!(マイケルジャクソンのヒット曲)」「あと3秒で地球は爆発します(田村正和の声で)」「私が食べたのは!このポテトチップスですっ!!(月亭方正の声で)」などの、ありとあらゆるサンプリング音を(LINEスタンプよろしく)高音質で鳴りまくるように義務付けるか、公共の場には自転置き場のようにスマホ置き場を設置し、自己責任で施錠して預け、たまには盗まれる可能性を含ませるべきだと思う。スマホの操作音が真空なのは、スマートという意味でもマナーという意味でもない。
菊地成孔|Naruyoshi Kikuchi
音楽家/文筆家/音楽講師。ジャズメンとして活動/思想の軸足をジャズミュージックに置きながらも、ジャンル横断的な音楽/著述活動を旺盛に展開し、ラジオ/テレビ番組でのナヴィゲーター、選曲家、批評家、ファッションブランドとのコラボレーター、映画/テレビの音楽監督、プロデューサー、パーティーオーガナイザー等々としても評価が高い。「一個人にその全仕事をフォローするのは不可能」と言われるほどの驚異的な多作家でありながら、総ての仕事に一貫する高い実験性と大衆性、独特のエロティシズムと異形のインテリジェンスによって性別、年齢、国籍を越えた高い支持を集めつづけている、現代の東京を代表するディレッタント。
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