TOKYO ART SCENE #3

オークショニスト服部今日子に聞く、日本と世界のアートマーケットの今

東京のアートシーンを作るキーパーソンたちを紹介する連載「東京のアートシーンを作る人々」の第3回は、イギリスの老舗オークションハウス、フィリップス・オークショニアズ(以下フィリップス)の日本代表を務める服部今日子さん。フィリップスは、今年5月、ニューヨークで開催された20世紀・コンテンポラリーアートオークションで、過去最高の売り上げを達成。その牽引役となったのが服部さん率いる東京オフィス。アートにおけるオークションの役割から、彼女が見る日本と世界のアートマーケットの今について聞きました。

TEXT BY Akane Maekawa
PHOTO BY MIE MORIMOTO
EDIT BY JUN ISHIDA

——まず、フィリップスについてお伺いできますか。

服部 フィリップスは、1796年にイギリスのロンドンでハリー・フィリップスによって設立されたオークションハウスです。歴史的にはサザビーズやクリスティーズに次ぐ老舗といえます。以前は武器や鎧なども扱う幅広いカテゴリーを扱っていましたが、2014年にCEOとなったエドワード・ドルマンが、コンテンポラリーにフォーカスする戦略へと切り替え、現在では20世紀以降のアートをメインに扱っています。そのほか、同じくコンテンポラリーをキーワードに、デザイン、時計、ジュエリー、写真、エディションプリントの6分野に特化し、サービスを提供しています。

フィリップスの日本代表・ディレクターを務める服部今日子さん。異業種からアートの世界へ飛び込み、2016年に東京オフィスを立ち上げる。PHOTO BY MIE MORIMOTO

——アートの世界のおけるオークションハウスの役割とはどのようなものでしょうか。

服部 アートにおけるエコシステムのひとつのプラットフォームという位置づけになると思います。アーティストは、主に所属するギャラリーで作品を発表し、買い手はここで購入します。最初に世に送り出し、販売するギャラリー等をプライマリーと呼びます。けれども、アーティストのキャリアにとって、どのコレクターが持っているかというのはとても重要になってくるため、プライマリーギャラリーではこの作品が欲しいというだけでは購入できない場合もあります。そうしたとき、コレクターは、オークションに出品されるセカンダリーで買うことも。つまりセカンダリーとは、プライマリーで販売され一度人の手に渡った作品が、再度マーケットに出てきて売買されることです。最近の傾向として、1~2年で作品がオークションに出てくることも多いです。もちろん、何十年も大切にしてきたコレクションを手放すということもあり、そうしたときは名品が出てくることが多いですね。その売り手と買い手のお手伝いをしているのがオークションハウスです。また、オークション以外のタイミングや、表に出したくないときなどの、プライベートセールもお手伝いしています。

フィリップスのオークション会場。カテゴリーを絞り、コンテンポラリーに特化したオークションを展開する。Courtesy of Phillips

——出品の見極めはどうされているのですか。

服部 できるだけ、プライマリーギャラリーでの作品は観るようにしています。アートの世界にもトレンドがあり、作家の勢いを感じるのは大切ことなので。また、オークションハウスの視点からすると、美術館の展示も外せません。長期的にみて、美術館で個展をしたかどうかは、アーティストの評価としてとても重要になってきます。

信頼を受けるコレクターからの依頼でオークションにビットする服部さん。Courtesy of Phillips

——オークションの流れをおしえていただけますか。

服部 お客様と知り合い、出品いただくまでのリードタイムは、実はとても長いです。何年かお付き合いをして、フィリップスのことを知っていただいたうえでの出品の話になります。フィリップスには、ロンドン、ニューヨーク、香港、ジュネーヴにオークションの拠点がありますが、たとえば、アジアの若手の作家であれば、香港が強いので香港でのセールを提案するなど。作品が一番高く売れる方法は何かを考え、セールのロケーションとタイミングの戦略を立て、そこに向けてチーム一丸となり、マーケティングに時間をかけます。

世界を回る展示ツアーを終え、オークション会場であるニューヨークへ戻ってきたジャン=ミシェル・バスキアの『Untitled』(1982)。オークションが開催される約3週間前から展示がはじまった。Courtesy of Phillips

——前澤友作さんが所蔵していたジャン=ミシェル・バスキアの『Untitled』の出品は大きな注目となりましたが、具体的にどのように進められたのでしょうか。

服部 まずセールの発表をロンドンで行いました。前澤さんが購入されたのはニューヨークだったので、ロンドンではあの作品を観ていない人が多いはずと思い企画しました。お披露目すると、皆さん列をなして観に来てくださって、戦略通り話題となりました。そこから、アートシーンの盛り上がりをみせるアメリカの西海岸のロサンゼルス、アジア市場の大きなコレクターが多い台湾と展示ツアーを組んで。本来は、日本でもお見せしたかったのですが、ウクライナの情勢があり不要不急にあたるアート作品は飛行機に搭載できない可能性も出てきたため、台湾からそのままオークションが開催されるニューヨークへと飛ぶことになりました。

パークアヴェニューにインパクトを放つバスキアの作品が覆ったフィリップス・ニューヨークのオフィスビル。展示と同時にビルボードも登場した。Courtesy of Phillips

——展示のツアーだけでも、世界を回り相当な時間を費やすのですね。

服部 実際に観ていただくことは重要ですから。オークションのその日までに、様々な戦略を立てていきます。ニューヨークでは、フィリップスのオフィスの上層部をバスキアの絵でカバーし、キャンペーンを打ち出したのですが、それを観たときは、遂にここまで辿り着いたと感動して泣きそうになりました。オークションは学園祭に似ているといつも思うんですよね。マーケティング担当、バナーをつくる担当、イベントのオーガナイズをする担当、セールのオークション自体を作り上げていく担当と、世界各地の同僚たちと一緒に協力してつくりあげていきます。5月18日のオークションを迎えた日は、本当に学園祭の発表のようで。そこが、オークションハウスで働いていて、とても楽しいところです。

バスキアのペインティングに向かう階段には、彼の言葉が。様々な演出により、作品と対峙する期待感も高まる。Courtesy of Phillips

——世界を巡り、お仕事をされていますが、日本と世界のアートマーケットについてどう感じていますか。

服部 世界的に同じトレンドがあるとするなら、アセットとしてアートは伸びており、特に若い世代のコレクターが増えてきています。新世代のコレクターは、同時代かつ同年代の作家に向いている傾向があり、若手のアーティスト市場が急激に上がってきました。また、アジアの市場が急成長し、世界のアートの売買の3割をアジアが占めています。特に日本のアーティストがアジアの方に人気があり、日本の若手アーティストが今とても注目を集めています。

——特に人気の高いアーティストとは。

服部 最近、オークションにおける日本のライジングスターはロッカクアヤコさんと今井麗さんでしょうか。お二人とも、欧米のギャラリーで作品を発表しており、日本だけでなくアジア、欧米からも大注目の作家になります。また、もちろん、草間彌生さん、奈良美智さん、杉本博司さん、村上隆さん、MRなどは、依然として人気があります。

——海外のギャラリーに所属するというのは重要なのでしょうか。

服部 重要だと思います。ホップ・ステップ・ジャンプで、ジャンプしようと思ったら、海外のアートフェアに出ているギャラリーや、海外のメジャーなギャラリーと付き合いのあるギャラリーに所属することはアーティストにとって大切ですね。

東京オフィスが位置するのは、東京のアートのメッカともいえる六本木。PHOTO BY MIE MORIMOTO

——日本はアートマーケットは小さいと言われますが、世界でみたとき、日本はどのくらいの位置づけなのでしょうか。

服部 マーケットには、買うマーケットと売るマーケットがあります。買うマーケットの意味でいうと、確かに日本の購買力は大きくはありません。ただ、日本のコレクターはこれだと思うものをきちんと買っている印象があります。いい作品が出てきたときには、きちんとビットしています。それが、毎回ではなく年に1回だとしても。そういう方たちがいるので目利きの買い市場だと思います。一方で、オークション会社からみると、売るマーケットとしては、日本はとても重要。日本人は茶道具ひとつにもこだわりますよね。そうしたコレクション癖があり、実は以前から脈々とアートを買っている国民なのです。アジアがにぎわっていますが、日本も負けていなく、日本からはいい作品が出てくるので、売るマーケットとしては魅力的です。たとえば前澤さんの場合、再定義をしたという点で、ある種バスキアのマーケットを作ったと思います。そうした力があるコレクターさんがいるので、日本はすごく重要なマーケットでもあります。

2021年に、アーティスト近藤亜紀の個展を東京オフィスのスペースで開催。同展は、ShugoArts、現代芸術振興財団との3カ所での同時開催となった。©Aki Kondo Courtesy of ShugoArts

東京オフィスでの近藤亜紀の展示風景。フィリップスを通し、日本のアーティストが世界の目に触れる機会をと、ギャラリーに協力する形で多くの展覧会を開催する。©Aki Kondo Courtesy of ShugoArts

——今後、日本からどのように発信をしていきたいですか。

服部 日本のアーティストを、もっと海外へつなげていきたいと思っています。海外では、オークションで作品が売れると、またギャラリーでその作家が売れるので、ギャラリストもオークションをポジティブに捉えくださるんです。日本でも、そうした好循環になればと思っています。今、アートフェアやビエンナーレなど、イベントが多く開催され、人気のアーティストは常にアウトプットを求められているように感じます。また、作品がインスタグラムなどSNSを通じて簡単に観られる時代なので、これまで以上に消費されてしまうタイムスパンが短くなっています。少しでも多くの人にアーティスト知ってもらい、コレクター同士の交流の場になればと、東京オフィスの展示スペースでは、不定期ですがオークションとは関係なく展覧会も企画しています。ですが、海外に出ていかないと最終的には広がりません。フィリップスには、ニューヨークやロンドン、香港と、素晴らしいロケーションのプラットフォームがあります。日本の作家を、オークションに出品するだけでなく、オークションが開催されていない合間にそのスペースを使い、海外に拠点がないアーティストのプライベートセールのようなセリングエキシビションをたくさん企画できたらという野望を持っています。

アートのコレクション歴は15年という服部さん。ご自宅でもアートに囲まれた生活を送る。右の作品は、最近コレクションの仲間入りをしたミカ・タジマの作品。左のレシートの作品はジョナサン・モンクによるもの。右©︎Mika Tajima Courtesy of TARO NASU、左©︎Jonathan Monk Courtesy of TARO NASU

——最後に、服部さんご自身についてお伺いします。フィリップスの日本代表に就く以前は、アートとは別のお仕事をされていたそうですが、オークションハウスに入るきっかけとなったのは。

服部 コンサルティング会社に勤務後、不動産投資ファンドやヘッドハンターの仕事をしてきました。ちょうど投資ファンドにいたころから、大好きだったアートのコレクションをするようになったんです。時間をみつけては、ギャラリーや美術館に行き、趣味が高じて、アート・バーゼルにも毎年行くように。さらにフリーズ・アートフェア、ヴェネチア・ビエンナーレ、ドクメンタへも足を運ぶようになりました。いつの間にかアートの世界にネットワークができていき、2016年の〈フィリップス〉の東京オフィス設立時にCEOのエドワード・ドルマンに声を掛けられ、代表を引き受けることになりました。

——異業種から、アート業界に飛び込んだのですね。

服部 アートのコレクションを通して、ギャラリストをはじめ、コレクターや美術館の方などに知り合いも多かったので、全く外という感じはしませんでした。それに、業務時間中に、堂々と美術館やギャラリー巡りができるなんて、いいことばかりだと思って(笑)

※トップ画像作品クレジット:©Koichi Enomoto Courtesy of TARO NASU

 

profile

服部今日子|Kyoko Hattori
マッキンゼー&カンパニーに4年間勤務し、金融・不動産等の業界を対象に戦略立案プロジェクトに携わる。その後、不動産投資ファンド、ヘッドハンターに従事。2016年より、フィリップス・オークショニアズの日本代表に就任。東京オフィスを設立し、日本人コレクターのオークションを海外で開催するなど、日本と海外とのアート市場を繋げている。PHOTO BY MIE MORIMOTO