TOKYO ART SECNE #01

建築家・石田建太朗に聞く、アートのある空間作り——連載「東京のアートシーンを作る人々」Vol.1

活性化する東京のアートシーンを作るキーパーソンたちを紹介する新連載。第一回は、多くのギャラリーやコレクターの私邸を手がける建築家の石田建太朗さんにお話を伺います。石田さんは、スイスに拠点を置く世界的な建築事務所、ヘルツォーク&ド・ムーロンで約9年間にわたり経験を積んだ後、2012年に独立。在籍時からアメリカ・マイアミの現代美術館を担当するなど、アートを観るための空間づくりについて知見を深めてきた石田さんが、アートと空間の関係性について語りました。

TEXT BY TAKAHIRO TSUCHIDA
PHOTO BY MIE MORIMOTO
EDIT BY Jun Ishida

——石田さんは、ヘルツォーク&ド・ムーロンではどんな仕事をしていましたか。

石田 アソシエイトとして、デザインからプロジェクト全体のマネジメントまでを担当しました。パリ中心部の高層ビル「トライアングル」のコンセプトデザインをはじめ大規模なものが多かったですね。アートに関連した建築では現代美術館のペレス・アート・ミュージアム・マイアミ(マイアミ現代美術館)があります。建設当時の館長は、以前のMoMA建築デザイン部門のチーフキュレーターであるテレンス・ライリーだったので建築への造詣がとても深く、美術館が造形的な建物で人を集める時代はすでに終わったと考えていた。人々が自由に使える、市民とアートのための美術館にしたいというテーマを提示されました。

代官山に事務所を構える石田建太朗さん。背後の壁に飾られた白い絵画はアンジュ・ミケーレの作品。

ヘルツォーク&ド・ムーロン時代に石田さんが担当したペレス・アート・ミュージアム・マイアミは2013年に開館。植物学者でアーティストでもあるパトリック・ブランと協働でファサードに植物を設えた。

「内向的な空間や、流動的で開放的な空間など、いくつかのタイプの展示室で構成した」というペレス・アート・ミュージアム・マイアミの館内。

——ペレス・アート・ミュージアム・マイアミはどんな美術館になったのでしょうか。

石田 マイアミは熱帯気候で南米大陸に近いので、オスカー・ニーマイヤーやリナ・ボ・バルディといったブラジルの建築家の仕事をレファレンスにしながら、屋外に日陰のあるパブリックスペースをつくりました。ただし展示室についてはまだ所蔵品が少なく、今後どんな作品が展示されるのかが想定できませんでした。それらをふまえたスタディの結果、内向的な空間の配置によってその周りの空間が柔らかく定義されるようにしています。またアートに共感できる設えを考えて、一部の壁はコンクリートにしました。巨大なホワイトキューブがあればどんな作品でも展示できますが、それではどの美術館で観ても同じになってしまう。フレキシビリティを重視し、ますます大型化する作品の搬入も考慮する一方、空間の分節の仕方によって美術館に独自の体験を生み出したのです。

2018年にオープンしたアーティストの奈良美智の美術館「N’s YARD」。周囲の自然との関連性が、開口部の配置や用いた素材に反映されている。Photo by Norihito Yamauchi

自然とアートが共存するN’s YARDの敷地。左上に見えるのは展示室に自然光を取り入れるための設え。Photo by Norihito Yamauchi

——石田さんが日本で設計したアート関連の代表作に、奈良美智さんのミュージアム「N’s YARD」があります。

石田 将来的に展示する作品が想定しにくいという意味で、N’s YARDはペレス・アート・ミュージアムと同じだったので、あの経験が役立ちました。奈良さんの作品は、小さいものから小屋のようなものまでスケールも多様です。そのため天井高などのプロポーションが異なる5つの展示室を用意し、自然光の取り入れ方などの光の環境も使い分けました。

また最初に敷地を訪れた時は、雑木林が生い茂る自然そのものの場所でした。それを背景に現代美術を観るのはすごく人間的な体験だと考え、自然と対峙できる展示室をつくっています。アートを展示したパビリオンが屋外に点在するドイツのインゼル・ホンブロイヒ美術館のような、自然、人間、現代美術の関係性は一貫して意識しました。東京都内でもアートギャラリーをいくつか設計してきましたが、ギャラリーで扱う作品の性格に配慮して、スペシフィシティ(その空間ならではの特異性)を重視することは変わりません。照明の設え、床の素材、壁の仕上げなどがひとつの文脈に乗っていることで、作品の記憶が場所の記憶と結びつくのです。

東京・天王洲のギャラリー「KOTARO NUKAGA」のインテリア。メインの展示空間は、壁と天井は白、床はコンクリートで、石のテクスチャーを感じる大きな研ぎ出しのカウンターを取り入れた。Photo by Norihito Yamauchi

ビューイングルームを兼ねるKOTARO NUKAGAのもうひとつのスペース。4種類の幅の板材をフローリングに使って動きを感じさせ、壁もベージュにして変化をつけた。Photo by Norihito Yamauchi

「AKIO NAGASAWA」の東京・銀座にあるギャラリーは、写真に特化していることから空間は白と黒で統一感を持たせた。床は黒く染色した板をヘリンボーン張りしている。Photo by KIAS

——アートと空間の関係について、今まで特に印象に残っている場所はありますか。

石田 デンマーク・コペンハーゲンのルイジアナ美術館は増築を重ねてできた建物で、窓のない展示空間がずっと続きながら、白い壁のテクスチャーが変化して空気感も変わっていきます。とてもアートに集中できる環境ですが、途中で階段を上っていくと小さな部屋があり、窓の外にドーンと海が見える。その風景が強烈に記憶に残っています。アートの強いエネルギーに向かい続けて疲れたところで、こんなに自然豊かな環境に自分がいることや、北欧ならではの光、季節感までも再認識させられたからです。僕にとっていちばん重要なリファレンスであり続けています。

東京・千駄木で古い民家をリノベーションしたアーティストのためのレジデンス「CASA NANO」。本来の要素を部分的に残しながらオープンな空間とした。Photo by Nobutada Omote

「CASA NANO」のリビングスペースは、床に座り布団で眠るという、日本の伝統的な生活様式に基づいている。
Photo by Nobutada Omote

——ヨーロッパと日本の住宅では、アートの楽しみ方にどんな違いがあると思いますか。

石田 ヘルツォーク&ド・ムーロンのパートナーの家に遊びに行ったとき、キッチンの片隅に飾ってあった小さな作品のことを楽しそうに話してくれたことをよく覚えています。それだけで生活の中のある瞬間が楽しく、豊かになる。とても無造作で、スポットライトを当てているわけでもないけれど、暮らしの一部になっていました。国によってアートの楽しみ方が違うというよりは、それぞれのコレクターとアートの関係性の違いのほうが大きいのだと思います。

加藤泉やボスコ・ソディをはじめ国内外のアーティストの作品がいくつも置かれている石田さんのスタジオ。

軽井沢で進行中の住宅の模型。石田さんは現在、アートコレクターの個人邸の設計を進めるほか、美術館やギャラリーのプロジェクトも手がけている。

——石田さんのオフィスにもいくつもアートがありますが、それはなぜですか。

石田 バーゼルは人口18万ほどの小さい街ですが、著名なアートフェアであるアートバーゼルの時期には世界中から美術関係者が集結します。日本から訪れる人も多く、街を案内したり一緒に食事をした繋がりから、帰国後にお仕事をする機会が増えていきました。アートとは、時代や世界をいろいろな角度から解釈できるように助けてくれるもの。大げさに言うと、自分たち人類がどんな生き物なのかを教えてくれる教科書みたいなものだと思うんです。また建築家はひとつの建物を何年もかけて完成させますが、アートははるかに早いスピードでメッセージを作品にします。その強くて純粋な力を、建築をつくる勇気にしています。

 

profile

石田建太朗|Kentaro Ishida
1973年生まれ。ロンドンの名門建築学校であるAAスクールで学び、2004年から2012年までスイス・バーゼルのヘルツォーク&ド・ムーロンに勤務。2012年からイシダアーキテクツスタジオを主宰する。