さまざまな方法で社会に介入するプロジェクトを発表し、大きな注目を集め続けてきたアーティスト・コレクティブ「Chim↑Pom」。その活動を網羅的に展示する森美術館での回顧展「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」を、アートライターの青野尚子さんはどう読み解いたのか?
TEXT BY NAOKO AONO
Main Photo by Nawa Makiko
Photo courtesy: Mori Art Museum, Tokyo
子どもの頃、友だちが持っているキャラクター筆箱が欲しくなって「だってみんな持ってる」とお母さんにねだったことがある人は手を挙げてください——そう尋ねれば、100人中80人がこう言ったことがあるはずだ(個人的な体感です)。でもその「みんな」はもちろん全員ではない。数人でもいれば、子どもは親に「みんな」と告げる。
そんな遠い昔のことを思い出したのは、Chim↑Pomの回顧展「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」の出品作品、とくに近年のものは「みんな」の定義に関わってくるからだ。「みんな」は「公」と言い換えてもいい。
そのことを端的に表しているのが、この展覧会のテーマのひとつである「道を育てる」だ。
「みんな」って誰? 「公」ってどういうこと?
この会場の一部は「二層構造」になっていて、上部の床はアスファルトが敷かれた「道」になっている。展覧会期間中はここでのイベントも予定されている。会場のQRコードを読み込むと道でのイベントの「運営者」を公募するサイトにジャンプする。「公道」「私道」という言葉があるが大半の道は「公道」であり、「みんな」のものだ。ではその「みんな」って誰? 「公」ってどういうこと? 美術館の中に突如現れた「道」で、そんなことを考える。
Chim↑Pomはこれまでも「道」を作ってきた。2017年、国立台湾美術館での「アジア・アート・ビエンナーレ2017」で美術館内から前庭を通って公道まで続く舗装道を作っている。道は「公」であり、「みんな」のものだから、デモや飲酒ができることになる、という理屈からChim↑Pomのパフォーマンスとしてデモや飲酒が許可された。
高円寺にある「キタコレビル」はもともと建物の中に「道」があるビルだった。推定築70年、道をはさんで建っていた2棟の建物がいつの間にか、道に屋根をかける形でつなぎ合わされ、道が内部空間になっていた。Chim↑Pomは2014年からここにスペースを借り、もとの道と思われるところをアスファルト舗装して「Chim↑Pom通り」と名づけ、「道が拓ける」というプロジェクト名で24時間無料公開するイベントを行った。ここには取り壊された旧渋谷パルコ(2012年、Chim↑Pomはここで個展を開催している)や旧国立競技場の残骸を地層のように積み重ねた《The Road Show》などが展示され、ショップやバーも開かれた。もとは室内の私的な場所だったところが“外”の公的な場所になる。が、そもそもそこは外であり、公的な場所だったのだ。
街は人が作る
「キタコレビル」には“前編”となるプロジェクトがある。新宿・歌舞伎町の取り壊しが決まった「歌舞伎町商店街振興組合ビル」で開催された展覧会「また明日も観てくれるかな?」では《ビルバーガー》などの作品が制作・展示された。《ビルバーガー》は4階建てのビルの2〜4階の床におよそ2メートル四方の穴をあけ、ソファや照明器具などの残置物とともに1階に落としたもの。この「歌舞伎町商店街振興組合」は戦後の復興期に地主が集まって作られた、日本でもっとも古い振興組合と言われている。地主たちは焼け野原にあった街を「みんな」が集まる場にしたいと考えたのだ。
Chim↑Pomはこの歌舞伎町と高円寺でのプロジェクトをまとめた作品集に『都市は人なり Sukurappu ando Birudoプロジェクト全記録』と名づけた。「都市は人なり」とは戦後復興期に東京都の都市計画課長を務めた石川栄耀の言葉とされる。これを受けてChim↑Pomサブリーダーの林靖高は「街は人が作る」と発言している。Sukurappu ando Birudoは「スクラップ&ビルド」だが、これは和製英語であり、英語圏では通用しないことからローマ字表記とされた。そもそも築数十年で次々と建物を建て替えてしまう日本の状況は、世界的に見てあまり一般的ではないのだ。「都市は人なり」の都市は「公」であり、人は「個」だと考えられる。「公」に属するものならより永続的なものなのではと思えるが、日本では割とあっさりと更新されてしまう。
Chim↑Pomは既存の道で作品を発表したこともある。《ラブ・イズ・オーバー》は2014年、Chim↑Pomメンバーのエリイの結婚披露宴を公道で行い、参列者とともにロバート・インディアナ作のパブリックアート《LOVE》までパレードし、記念撮影をする、という作品だった。このとき、彼らは警察にデモの申請を行っている。道路は「みんな」のものであり、結婚式という私的なイベントを行うには許可が必要になる。デモと結婚式ではずいぶん違うような気がするが、公道における私的な振る舞いという点では同じものとされるのだ。
『公』『個』『美術』をめぐるさまざまな問い
Chim↑Pomの作品は過去に何度か“炎上”している。とくに2008年、広島の原爆に関する作品は苛烈な反応を引き起こした。この“事件”のあとChim↑Pomは当事者の理解を得るための努力が不足していたとの反省から日本原水爆被害者団体協議会代表委員(当時)の坪井直らと対話を重ねる。“炎上”当時は「みんな」がChim↑Pomを非難しているように見えた。が、実際には全員が彼らに反感を覚えたわけではない。また反対であっても「この部分はいいけれど、これは許せない」といった濃淡があったはずだ。「みんな」って誰? 再びその疑問がわいてくる。
会場では「道」についてのステイトメントとして「『公』『個』『美術』についてのさまざまな問いを投げかけます。」と書かれている。かつて「公共建築」は住民の意見を聞くことなく、いつの間にか建っていることがよくあったが、最近では住民参加のワークショップなどが開かれ、どのような建物にしたいかといったことが話し合われることが多い。
その一方で「公園」では周りの住民の苦情でいろいろなものが禁止されてしまうことがある。イギリスの「パブリックスクール」は「パブリック」という言葉からなんとなく公立学校なのかと思ってしまうが実際は私立学校であり、この「パブリック」は共同で使う、大衆が参加するといった意味合いが強い。
Chim↑Pomの卯城竜太とアーティストの松田修との共著『公の時代』では、建築家の青木淳が「『公』には『お上』と『みんな』、2つの違う意味がある」と指摘している。「お上」としての「公」は私的なものと対立する概念だが、「みんな」としての「公」は個人が(ある目的のもとに)集まったものであり、この2つは性質が異なる。「公」について語る際、ときに行き違いが生まれるのはこのためだ。Chim↑Pomは結成されて17年になる。この間、「公」をめぐるこうしたねじれが曖昧にされたまま、さまざまなことが急激に変化した。「ハッピースプリング」展で“道を育て”ながら、このことを少し考えてみたほうがいいのかもしれない。
二重、三重にひっくり返す仕掛け
会場では入口に託児所《くらいんぐみゅーじあむ》があり、予約制で実際に子どもを預かってもらえる。「くらいんぐ」の名の通り、いくら泣いてもOKな託児所だ。出産を経験したエリイが美術館に子どもを預ける場所がないことから着想を得て作られた。この託児所は美術館の入口にあり、ここで子どもを預けてゆっくりと鑑賞できる。
ミュージアムショップの一角には《金三昧》と名づけられた、Chim↑Pomのショップ・プロジェクが展開されている。これは展覧会のセクションの一つに組み込まれており、Tシャツなど、通常のミュージアムショップでもおなじみのアイテムのほかに「ちりとりに突き刺さったストロー」などという、妙なものも陳列されている。観客がこのストローを抜き取って会計のためにキャッシャーに持っていくと、普通の買い物とは少し違う体験ができる(実際に何が起きるかは現場で試してほしい)。
さらには地下鉄日比谷線・虎ノ門ヒルズ駅近くの「ミュージアム+アーティスト共同プロジェクト・スペース」でも作品が展示されている。そこは「本展実現までのプロセスにおいて、作家と美術館の間でさまざまに生じた立場や見解の相違をきっかけとし、多様な観点からの議論を発展的に深めることを目的とした場所」なのだという(美術館公式サイトより)。ここは完全予約制で、森美術館特設カウンターで申し込む形だ。「ハッピースプリング」という楽しげなタイトルの回顧展には、これはこういうことかな? という解釈を二重、三重にひっくり返す仕掛けがあちこちに施されている。やっぱりChim↑Pomは油断ならないアーティストなのだ。
2005年東京で結成。メンバーは、卯城竜太、林靖高、エリイ、岡田将孝、稲岡求、水野俊紀。ヒロシマ、東日本大震災 原発事故、都市、移民などをテーマに、時代の「リアリティ」に反応しながら社会に介入したメッセージ性の強い作品を発表し続ける。
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