一つ一つの写真は別に特別でもなければ、難解でもない。けれども、彼はまだまだ写真には今までになかった可能性があるはずだ、もっと表現のポテンシャルがあるはずだと信じてここまで来た。だから彼の仕事は止まることはないし、古びたりしない。初公開の写真作品を核にしたインスタレーションや映像を見る。
TEXT BY Yoshio Suzuki
Installation view, Wolfgang Tillmans:
How does it feel?, Wako Works of Art, 2020
ヴォルフガング・ティルマンスの写真は特に難解ではない。窓辺に置かれたオブジェや果物をただ撮っているだけのものもあるし、部屋に飾られた切り花やベランダの鉢植えの植物を撮影していたりする。身近な友人を写しもするし、レム・コールハースやケイト・モスという有名人のポートレートもある。飛行機の窓から見下ろした街の風景もあれば、地上からコンコルドを仰ぎ見て撮った写真もある。どれも明快で美しく、センスに溢れている。
一見すれば、誰でも撮れる写真だと思われるかもしれない。今の時代、露出からピントまでカメラが全部オートでやってくれるし、デジタルなのだから、失敗のしようがない。けれども、彼が作ってきた作品が、誰でも作れるものならば、作家としての彼は多くの写真家の中にとっくに埋もれているはずだ。それなのに、もう20年以上も活動し、彼しか作れない世界を構築し続けているのだ。
日本でも大変、人気のあるそんなティルマンスの写真展が六本木のワコウ・ワークス・オブ・アートで開催中である……と書いて、いや、いつものことなのだが彼の展覧会を「写真展」と呼ぶのはいかがなものかと考えるのである。それはいくつもの意味でズレているのではないかと思ってしまうからだ。
まず、「photograph」を日本では「写真」と訳しているが、原語に忠実な意味は「光の画」である。ここに意味の乖離がある。そして、写真展というと、たいていは撮影したものを印画紙やインクジェット用のペーパーにプリントし、それを額装して並べ、鑑賞していくものと決まっている。
ところが彼の展示では、作品は額装されていたりいなかったりする。クリップで挟んで吊るされていたりもする。サイズも様々だ。しかも、旧来の発色現像方式のプリントとインクジェットプリンターで出力されたものが混在していたりする。加えて、プリント作品の隙間を、彼の作品を印刷・掲載した雑誌のページが切り出され、それが埋めていく。簡単に言えば、写真展というより、インスタレーション。写真というメディアを使って、常にこれまでの写真表現の枠を超越しようという活動をずっと続けている。
そんなことはどうでもいいのかもしれない。ともかく、ティルマンスの新作を展示した個展が開催されているのはうれしい。2000年代から、パリのパレ・ド・トーキョーやロンドンのテート・ブリテンなどで個展を開催し、日本でも2004年に東京オペラシティ アートギャラリーで大規模個展を開催。さらに、2015年にも大阪の国立国際美術館で展覧会を開催している。
ヴォルフガング・ティルマンス。1968年、ドイツのレムシャイト生まれ。10歳のとき、天体観測に熱中し、父親のカメラを天体望遠鏡に取り付け、月の表面や太陽の黒点、日食などを撮影したことで、映像に興味を持った。大学でデザインを学び、また、身近な友人たちやクラブシーンなどを撮影し、ファッション誌を中心に発表していた。2000年にターナー賞受賞。これまで、ロンドン、ベルリン、ニューヨークを拠点に活動。
今回の展示を見ていくと、彼らしく、旧作から最新作までさまざまな時期に制作された写真作品があり、その間を雑誌のページが埋め、それによって、展示全体に軽快な感じでメリハリをつけている。例によって、額装してあるもの、そうでないものの両方がある。ポートレート、セルフポートレート、風景、静物などモティーフは様々。
さらに抽象的なイメージの作品が一段と存在感を放つ。たとえば、大画面に大胆にストライプが走る作品や、デジタル写真のノイズを極端に大伸ばしして、ピクセルやそこに生じる色ムラを出現させたものなども。そういえば、今回は出品されてないが5年前の国立国際美術館の展覧会には、アナログのテレビ受像機のなにも映っていない画面をていねいに複写したものがあった。それも彼なりの抽象表現、あるいはミニマリスムなのだろう。
絵画史に投影して考えると、ポートレートや風景は神話や聖書などを基にした物語画から引き出されたものだし、静物画はとくに17世紀18世紀のオランダやフランドル地方で盛んに描かれ、そこには暗喩があり、ヴァニタス(空虚)、メメント・モリ(死を想え)のメッセージが隠れている。抽象表現主義は20世紀の成果である。
そんな歴史を踏まえつつ、目の前の被写体から新たなイメージを生みだしうるのか、それは本当に可能なのか、それはどんな感じなのか(展覧会タイトルの「How does it feel ?」はこれ)を問い続けている。
なお、個展では必ず自身が展示の指示をすることにしているティルマンスだが、コロナ禍により、今回はそれは叶わなかった。彼はギャラリーの精密な模型をアトリエに用意し、そこに緻密に作品を設置して、それにしたがって、東京のスタッフが実際の展示を組み上げていったそうである。
鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
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