heavenly peach

きみょカワいいの饗宴——桑原正彦「heavenly peach」@小山登美夫ギャラリー(〜8/8)

くもりときどきブタ。ゆるふわでカワいい、という感想でもいいし、だけど実は、カワいいけど怖い絵なのかもしれないと思えてきた。ともかく、奇妙でカワいい絵ではある。悪夢や絶望を見出すこともできる絵でもあるし、それとはまるで正反対にやすらぎをおぼえる絵でもある。

TEXT BY Yoshio Suzuki
Photo by Kenji Takahashi
© Masahiko Kuwahara
Courtesy of Tomio Koyama Gallery

描かれているのはたぶんおもちゃとか身近な道具。たぶん。明確には描かないし、色も抑えられている。ともかく、目の前にあるものが絵になってそこにある。ともかく。

桑原正彦の展覧会のお知らせ(プレスリリースやウェブサイト)には、通常、あまりないことだが、冒頭にギャラリーオーナーの小山登美夫の言葉が綴られている。

それは、1995年に桑原が谷中のギャラリー、SCAI The Bathhouseのスタッフだった小山に作品ファイル見せにきたことから始まる。
「桑原さんがファイルを携え、私が当時働いていた谷中のSCAI the Bathhouseにきたのは1995年。その当時、制作していた懐かしくもあり悪夢のような作品に、私は強い興味を持ちました。」

《空き地》2019年|桑原正彦 1959年東京都生まれ。主な個展に1995年「石油化学の夢」(AKI-EXギャラリー)、1997年「棄てられた子供」〜2019年「夏の日」など小山登美夫ギャラリーで12回開催。主なグループ展に、「TOKYO POP」(平塚市美術館、神奈川、1996年)、「POPjack: Warhol to Murakami」(デンバー現代美術館、アメリカ、2002年)、「Japan Pop」(ヘルシンキ市立美術館、フィンランド、2005年)、「Pathos and Small Narratives」(Gana Art Center、ソウル、韓国、2011年)など。

小山はといえば、その前年に村上隆「明日はどっちだ(Fall in Love)」展を、そしてこの1995年に奈良美智「深い深い水たまり」展と村上隆「狂ったZ」展をSCAI The Bathhouseでディレクションしている。

のちに村上隆は、現代美術のあたらしいムーヴメントや機運を「スーパーフラット」というキーワードで言い当ててしまう。それは日本のお家芸となったマンガ、アニメと現代美術の抜き差しならない関係や、さらに琳派や奇想派、浮世絵などの日本の伝統的絵画からの連なりに着目している。しかし、このときはまだそこまではいっていない。

また、奈良美智の絵と出会い、のちの彼の成功の予感をもった小山はこんなことを聞いたという。「奈良くんの絵はイラストとどう違うの?」。すると奈良はこう答える。「僕は注文で絵を描かない。自分が描きたいものしか描かない」。

小山や彼の周辺のアーティストたちは確実に美術の新しい潮流を感じていたのだろう。

そして、桑原の作品を見た小山はSCAI The Bathhouseではなく、青山にある知り合いのギャラリーで個展を開催した。翌1996年、その「美術の新しい潮流」を体現したともいえる、平塚市美術館で開催された展覧会「TOKYO POP」(キュレーション:小松崎拓男)に奈良や村上、会田誠らとともに桑原も作家として名を連ねている。

《ビニール製の夢(ブタ)》1995年

絵画の新しいムーヴメントというのは、実は1980年代から世界同時多発的に起こっていたのである。それは、「ネオ・エクスプレッショニズム(新表現主義)」と呼ばれた。具象的な絵画で、感情をストレートに吐露し、鮮やかな色彩に満ちているという傾向がある。代表的な作家としては、ドイツではA. R.ペンク、ゲオルク・バゼリッツ、アメリカではこの傾向を「ニューペインティング」とか、「バッドペインティング」と呼び、ショーン・ランダースやジュリアン・シュナーベル、ドナルド・バチェラー。ジャン=ミシェル・バスキアを入れることも、いや彼はグラフィティ系か。イタリアでは「トランスアヴァンギャルディア」がその流れで、いわゆる3Cと呼ばれるエンツォ・クッキ、フランチェスコ・クレメンテ、サンドロ・キーアらがいる。

振り返って、日本はどうかというと、これは重なり合わないし、ちょっと矮小化するけれども、イラスト界で一斉を風靡した「ヘタウマ」がそれにあたるとする場合がある。河村要介や湯村輝彦らがいる。

《Sweet-ex》2019年

なぜ、そんな世界同時多発的な絵画のムーヴメントが起こったかというと、一つには1980年にニューヨーク近代美術館で開催された「ピカソ展」の影響があるといわれている。たとえば、この展覧会を見た横尾忠則は帰国後、「画家宣言」をして、グラフィックデザイナーから画家に転身することを決めたのだった。展覧会の入口ではデザイナーだったが、出口を出たとき、画家になっていたとのちに語っている。

そのピカソにしても、セザンヌやベラスケスらから大きな影響を受け、新しい絵画を模索した結果が彼の仕事だったわけで、セザンヌのような印象派、ポスト印象派の画家たちにしてみても、写真の発明・発達やチューブ入り絵具の普及、そしてもちろん政治的・社会的・産業的な近代化が背景にあって、ああいう絵画になっていくわけだ。

《手を加える》2000年

さて、桑原正彦である。ゆるふわ系、脱力系と言ってしまえば簡単だが、それだけに終わらない。絵から直感的にとらえることは難しいかもしれないが、彼は人間の欲望、工業社会、環境汚染をテーマに組み込んでいるのだそうだ。

《new products》2019年

よくよく見ていけば、描かれるのは、ビニール、プラスティック素材のおもちゃ、生活雑貨などの大量生産品だったり、工業製品のように生み出される食肉だったり、あるいは、チラシ広告から引き写されたと見える女性たちの(物質としての?)身体。そう突き詰めると、さっきまで、かわいい系と思っていたモティーフがある種の絶望の対象にも見えてくる。

《遺品》2018年

けれども、絵を見て絶望だけを汲み取る必要はない。物があって、光があって、影ができている。淡い色彩。絶望を呼び起こす絵は見方によっては、希望。いや、希望とまではいかないけれど、たとえば、かわいいと思わせてくれるその絵は、そこにあるささやかな楽園なのかもしれない。
 
桑原正彦「heavenly peach」
場所 小山登美夫ギャラリー
期間 7月10日(金)〜8月8日(土)
OPEN 11:00〜19:00 ※日月祝休

profile

鈴木芳雄|Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌「ブルータス」元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。