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ウィリアム・クライン+12人は都市をどう捉えたのか?——21_21 DESIGN SIGHT(〜6/10)

人は社会的動物である。それゆえ都市を生み出す。都市という必然、都市という憧憬、都市という失望。写真家ウィリアム・クラインは20世紀の大きな戦争のあと、その記録と伝達と評論に着手した。それから、半世紀以上。文明はさらに進み、人々の表現手段や創造性は華々しい進化も遂げ、期待された成果が目の前に繰り広げられている。

TEXT BY Yoshio Suzuki
PHOTO BY Masaya Yoshimura

英国の文学者サミュエル・ジョンソンは1777年にこんなことを言っている。

「ロンドンに飽きたというのならそれは人生に飽きたということだ。そこには一生のうちに享受すべきものはなんだってある」(「When a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.」筆者訳)。

ただし、このときはロンドンでも本格的な鉄道がなかった。それが整備されるのはもう少し後、19世紀で、それでこそ「なんだってある」近代都市になる。一方、現存する最古の写真といわれるニセフォール・ニエプスが撮影した「馬引く男」は1825年のもの。近代都市の誕生と写真の発明は同時代だ。都市は写真にとって格好のネタであったし、あり続けている。

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1/2ウィリアム・クライン「Atom Bomb Sky, New York 1955」
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2/2ウィリアム・クライン「Mickey takes over Times Square(Montage 1998)」

「写真都市」というタイトル、「ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち」という副題。「22世紀を生きる」? それは写真家が生きるというよりは写真家の仕事が生きるということか。本展に出品している若い作家でも、1989年、1988年生まれなのだから。

20世紀中盤から活躍しているウィリアム・クライン(1928年〜)の作品が今も我々に閃きをもたらすように、現在活躍中の写真家が22世紀を予感させ、ときに啓示を与えるということだろう。

展覧会ディレクターは伊藤俊治。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授。長く写真評論の活動にたずさわり、『写真都市』『20世紀写真史』『ジオラマ論』などの著作で知られるこの領域の第一人者だ。

ウィリアム・クライン「Gun 1, New York 1955(painted contact 2000)」

ウィリアム・クラインの写真。以前、あるインタビューで、自分は性格がシャイなので逃げ隠れしたかったが体が大きく目立ちやすくて難しい。けれど、カメラを持ち、カメラで顔を隠して初めて、被写体や街といい関係が作れたというようなことを語っていた。ニューヨーク、ローマ、モスクワ、東京、パリ。生まれ育ったニューヨーク以外の都市にいるときもそれぞれの大都市を飾らず、自由に親しみを込めて、愛しさも嫌悪も隠さず撮影してきた。

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1/3ウィリアム・クライン「Models, backstage from the movies “Who are you, Polly Maggoo ? (1966)”」
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2/3ウィリアム・クライン「Dance Happening with Kazuo Ohno ,Yoshito Ohno and Tatsumi Hijikata, Tokyo 1961」
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3/3ウィリアム・クライン「Le Petit Magot, November 11th, Paris 1968」

写真だけの領域に留まらず、映像や絵画、デザインを表現手段とし、ファッションシーンも活動域にしているウィリアム・クライン。35mm判のカメラを携えて(テート・モダンで見せていたコンタクトプリントにはハーフ判もあった)彼自身、フットワーク軽く、都市のシーンを収集してきた。そのカットや写真集、展示は彼に続く写真家たちに大きな影響を与え続けている。

独自の創造性で都市を切り取る写真家たち

本展に出展している写真家の作品をいくつか見ていこう。

● 一つの都市の見かた、見えかた
安田佐智種(さちぐさ)の「Aerial」シリーズは高所から地上を俯瞰で撮影し、それをつなぎ合わせている。高所に上り、自分の足で収集し、それを寄せ集めていることから、身体感覚を通して世界を見ているのがわかる。ドローンで撮影されたものと比べるとその差は一目瞭然である。人が目と足と手で都市を捕まえている。

安田佐智種「Aerial #10」

彼女には「みち(未知の地)」シリーズというものもあり、東日本大震災被災地を脚で踏みしめながら制作した作品。津波に流され、ほとんど基礎だけが残ったような建物を一歩ずつ歩いては撮り進め、つなぎ合わせ、大きな長尺の絵巻のように仕上げていく作業である。

右端に安田佐智種。ニューヨーク在住。左は「みち(未知の地)」シリーズより。photo by Yoshio Suzuki

● 歩き、撮ることは地図を作ること
前述の安田佐智種が高所から撮影したものを放射状に繋いでいって都市の情景を収めたのに対し、西野壮平は地上を歩く。旅をすることを通して得た個人的体験をベースに世界の都市という構造体を捉えている。多数の地点から分割して撮影された写真を再構成することで時間や場所が錯綜する地図を作る作業だ。この「Diorama Map “Tokyo 2014”」は林立する新宿の高層ビル群とその周辺をとらえたもの。個人的な体験、都市との関係性が根底にあるという意味でグーグルマップ、グーグルアースの対極に位置づけられる。本展では11点の作品を展示。

西野壮平「Diorama Map “Tokyo 2014”」。都市を歩き、撮り、コラージュした、個人的なヴィジュアルマップ。

西野壮平。被写体は世界各地の都市であり、また彼の活動は海外の各地のアートフェス、メディア、美術館で行われている。2016年にはサンフランシスコ近代美術館(SFMoMA)にて個展を開催。現在、イタリア、ボローニャのMAST Foundationにて作品を展示中。photo by Yoshio Suzuki

都市は時間で違う顔を見せる。だから…

● 変化し続けるもの、それが都市である
勝又公仁彦「Panning of Days」は同じ場所から異なる日時に長時間露光で撮影された写真を組み合わせたシリーズ。都市が見せる日ごと、あるいは瞬間瞬間で違う情景、時間で変貌するその姿を1枚の絵の中に収める。そのことで都市の都市たる所以を浮かび上がらせている。

勝又公仁彦「Panning of Days – Syncretism / Palimpseste –」

勝又公仁彦。世界各地の都市の建物と空の境目、いわば都市の稜線を描写した「Skyline」シリーズでこの作家を知っている人もいるのではないだろうか。photo by Yoshio Suzuki

● 都市に隠される。都市に隠れる
行方不明になった少女たちに自ら扮して撮ったポートレートで話題になった須藤絢乃はさまざまな国籍の人間の顔をデジタルで合成した新しいセルフポートレートを作成した。都市に住む人間の不確実さや他者と自分、ジェンダーのゆらぎなどをポートレートに収める。

須藤絢乃「面影 Autoscopy」

作品説明をする須藤絢乃。こちらは「幻影」というシリーズ。実在する行方不明の少女をセルフポートレートで再現した。失踪した当時の年齢、髪型、服装、体型などを調べて撮影のための衣装を探し、それを着て撮る。これによって、2014年キヤノン写真新世紀グランプリを受賞している。photo by Yoshio Suzuki

都市がつくる惑星、地球

● 夜の都市に咲く大輪の花
台湾の夜の名物、大型トラックステージを使った「台灣綜藝團」のステージ設置風景を撮ったシリーズを展開しているのが台湾の写真家、沈 昭良。トラックの組み立てから撤去までの24時間を撮影した高速度撮影映像も組み合わせている。このトラックのステージが展開される場所に突如として、派手な舞台が現れるわけだ。たった1台のこれが、晴れと褻(け)、静と動、日常と非日常、現実と非現実を行き来させる。トラックと設置される周辺の状況を対比的に読み取ると、アジアの混沌まで浮かび上がってくる。

沈 昭良「STAGE」

沈 昭良。台湾台南生まれ。photo by Yoshio Suzuki

● 想像を超えた都市があるところ
写真家、石川直樹はしばしば探検家の肩書もつけられる。22歳で北極点から南極点までを人力で踏破、23歳で七大陸最高峰の登頂に成功という華々しい経歴をもっているからだ。自然を記録する一方で、彼の関心は人類学、民俗学にある。辺境から都市まで旅を続け記録をするのはそのためだ。

少し前には探検の目的地だった場所に今や人々が生活し、都市を形成している。北極圏や南極圏でさえも。本展ではそんな人々が暮らしを営む極地の写真を展示し、サウンドアーティストの森永泰弘とのコラボレーションを組み、「惑星の光と声」をテーマにした。地球という一つの惑星のざわめきを写真とフィールドレコーディングの音像で表現している。

石川直樹「Illuissat, Greenland / 2007」

石川直樹(左)とサウンドアーティストの森永泰弘。石川は土門拳賞、開高健ノンフィクション賞を受賞している。2018年4月より高知県立美術館にて個展「この星の光の地図を写す」。森永は世界各地を旅しながら、少数民族の音楽や儀礼などの記録を中心に創作活動を行っている。photo by Yoshio Suzuki

ウィリアム・クライン以下、計13名の作家が参加する本展。クラインの仕事がそうだったように、写真(と映像)は単なる記録ではなく、撮影した者の被写体に対する姿勢であり、解釈であり、提示であることを教えてくれている。カメラは解釈を伝える道具であり、撮ることは評論することだ。それをここでは多様な顔を見せ、無数の切り口をもつ「都市」という恰好の素材で行っている。

*TOP画像:ウィリアム・クライン + TAKCOM「ウィリアム・クライン + TAKCOM, 2018」。クラインが捉えた各都市の断片や人物をTAKCOMがフラッシュアップ的にあるいはカレイドスコープ的に映像展開している。

ウィリアム・クライン「Self portrait, Paris 1995(Painted 1995)」

ウィリアム・クライン|William Klein
1928年ニューヨーク出身。写真家、画家、映画監督、グラフィックデザイナー。ニューヨーク市立大学で学び、アメリカ陸軍に入隊しドイツとフランスに駐在。除隊後、パリのソルボンヌ大学で学び、更に絵画を学ぶようになる。1956年、最初の写真集『Life Is Good & Good for You in New York: Trance Witness Revels』(邦題『ニューヨーク』)を出版。以後、写真集『ローマ』『モスクワ』『東京』『パリ』を出版。60年代、70年代は映画の仕事が多数。80年代から再び写真家として精力的に活動をする。フランス芸術文化勲章コマンドゥール受章、ハッセルブラッド基金国際写真賞受賞など。2005年、ポンピドゥー・センターにて大規模個展開催、2012年、テート・モダンにて「William Klein + Daido Moriyama」展開催。

「写真都市展 −ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち−」
会期 2018年2月23日(金)〜6月10日(日) 会場 21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2 休館日 火曜日(5月1日は開館) 開館時間 10:00〜19:00(入場は18:30まで) ※六本木アートナイト特別開館時間 5月26日(土)10:00〜23:30(入場は23:00まで) 入場料 一般1,100円、大学生800円、高校生 500円、中学生以下無料

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鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。