At the Bottom of the Sea

月を探しに行く——野口里佳「海底」Taka Ishii Gallery(〜10/7)

この星は海のほうが多い。この星は光の届かない場所のほうが多い。この星は人を寄せ付けない場所のほうが多い。それでもこの星は人を育んでいる。人はこの星を慈しんでいる。人は星を、星は人を愛している。真っ暗な海底の写真を見て、なぜそんなことを思うのだろうか。

TEXT BY Yoshio Suzuki

「宇宙人に頼まれて地球の記録写真を撮っているような気がすることがある」

野口里佳の作品制作の意思、エネルギーについて、野口の初期作品集の解説にそう書かれている。書いているのは現代美術家の島袋道浩だ(野口里佳『鳥を見る』P3 art and environment刊 2001年)。

野口里佳の最新の個展では沖縄で撮影された水中写真《海底》が大伸ばしのカラープリントとして、発表されている。沖縄の海で水中写真というとすぐに、真っ白なサンゴ礁の間を敏捷に泳ぐ熱帯魚の群れを思い浮かべるだろう。まったく違う。太陽の光が届かない海の底で自分の周囲をライトで照らすダイバーを写しているのだ。野口はこれまでにも《潜る人》(1995年)、《星の色》(2004年)という水中写真を発表している。

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1/5Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi
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2/5Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi
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3/5Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi
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4/5Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi
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5/5Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi

暗黒の海底にいてライトを持つダイバー。おそらく通常、人間が感じ考えられる重力とはまったく異なる世界。不自由な、長くは留まれない場所。しかし、地球上で海といえば、熱帯魚が群れ遊ぶサンゴ礁などより、こっちのほうが断然多いのだ。いや、陸地を含めたとしても地球の大多数はこういう場所である。地球をわがもの顔で人間が占拠しているつもりだが極地を含めても、陸地はおよそ10分の3。海のほうが多いし、海の地表はこのような暗黒の海底がほとんどだ。つまり、実は地球から撮った、もっともありふれた地球の写真というのはこれなのかもしれない。これまで誰も見せてくれなかったけれども。

そう考えたとき、野口里佳はなんて優れた「報道写真家」なんだろうと驚く。

Courtesy of Taka Ishii Gallery Tokyo / Photo: Kenji Takahashi

野口の初期代表作《潜る人》(1995年)。そのダイバーを見かけたとき、彼女には「月に行く人」に見えたのだという。そして、この作品を「月面に行こうとした作品」と位置づけている。水際と水中で月面を探そうとした作品だったが、月は見つからなかった。たどり着けなかったという。次に月を探したのが《フジヤマ》(1997年〜)だ。地上の月を探しに行ったのだから、そこはただ石がゴロゴロしているところとして捉えている。美しい稜線も朝日や夕日に浴び表情を変える霊峰の姿はない。

そしてこの《フジヤマ》シリーズの英語タイトルは《A Prime》という。A PrimeとはPrime Numberつまり素数(1より大きい自然数で、正の約数が1と自分自身のみであるもの)のこと。なぜ、素数なのか。これについて、ある雑誌のインタビューで本人が語る。

「すべてはわからないし、わからないものがわからないまま存在している美しさみたいなものを求めています。もちろん、私自身は答えを知ろうと思って進んでいるし、何かを知りたいとは思っているけれど、それは正解じゃなくてもいいんです。それに、何年かたってわかることもあると思うんです。別にはぐらかすつもりはなくて、いま、わかっていることを正直に話したいとは思っていますが」(『PHOTOGRAPHICA』[2011 SPRING vol.21]インタビュー野口里佳)

野口里佳「海底」2017 年 C プリント ©️ Noguchi Rika

《海底》のダイバーを見つけることができるのは彼がライトを持っているからである。遠くから存在を示す。ときにゆっくりとライトで円を描く。野口はフィルムを詰めた水中カメラでスローシャッターを切る。彼女にとってはいつものことだが、独特の距離感、被写体との関係性を保っている。人が、いる。けれど、誰か、わからない。地球上で採取した風景の標本として宇宙人に届ける写真がどうあるべきか、誰もわからなかった。これが最適の切り取りであると、野口だけがわかっているのである。

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野口里佳 「海底」
会場 タカ・イシイギャラリー 東京 会期 〜2017年10月7日(土) 閉廊日 日・月・祝祭日 開廊時間 11:00〜19:00

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野口里佳|Rika Noguchi
1971年大宮市(現さいたま市)生まれ。1994年に日本大学芸術学部写真学科を卒業、12年間のベルリン滞在を経て現在沖縄を拠点に活動。主な個展として、「光は未来に届く」IZU PHOTO MUSEUM(静岡、2011年)、「星の色」DAAD ギャラリー(ベルリン、2006年)、「飛ぶ夢を見た 野口里佳」原美術館(東京、2004年)など。2018年3月に開催される第21回シドニー・ビエンナーレに参加予定。主なグループ展として、さいたまトリエンナーレ(2016年)、「The Living Years」ウォーカー・アート・センター(ミネアポリス、2012年)、横浜トリエンナーレ(2011年)、「光 松本陽子/野口里佳」国立新美術館(東京、2009年)など。

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鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。