小説はすべてを文字で伝え、読者のイメージに依存する。アニメーションはどうだ。登場人物の声、動き、その場の音も面倒見てくれる。言い方を変えるならば「押しつけてくる」。音楽も不可欠だ。作りたい世界そんなアニメーションの世界を率いる一人、新海誠の展覧会が国立新美術館で開催中だ。
TEXT BY Yoshio Suzuki
映画「君の名は。」の記録的大ヒットから1年、今この作品は海外でも熱狂的に受け入れられている。「新海誠展」会場となっている六本木の国立新美術館開館10周年、新海誠監督メジャーデビュー15年。様々な周年を迎えている今、「新海誠展」はどんな展覧会になっているのだろうか。
主要作品の原画や絵コンテ、ポスターなど宣伝物、ときには企画書という直接的な成果物でないものまで見せてくれている。
展覧会場で新海監督の作品を振り返りながら、あの作品にはすでにこの作品に発展する根っこのようなものがみえる、とか、こっちの作品でこんなことをしてしまって、それとは違う方向でそっちの作品はそうなったのかなどと推測したりできるものだ。ここまで一望しなくても、同時代の作家の新作をチェックしていればそういう楽しみはついてくるが、展覧会でアーカイヴ的に見るとそれが際立ってくる。
特にこの展覧会を楽しみ、なにかを得ようというなら、本編である映画を見てから行くことは必須。こうやって作られるとか、ここはこんな苦労のあとがあるとか、ここはこんなスタッフが作っていたのかと知るための展覧会でもあるし。
映画を見て、展覧会を見て、再び映画をみるともちろん感慨深いものがあるし、いろいろと分析できる面白さがある。それまで気づかなかったことに気づいたり、同じ映画なのに違った切り口やキーワードで見ることが可能になる。見たくなるのだ。
新海のアニメ作品では音楽がとても重要な役割を果たす。役割どころか、作品によっては、あるいは作品の部分によっては映像と音楽の立場が逆転し、音楽がメイン、映像がサブ、つまりそれは音楽のPVのような関係に仕立て上げているものもある。ミュージシャンたちとは制作の初期段階から打ち合わせをして、映像に寄り添った詞・曲が作られる。展示ではそのエピソードをミュージシャンが語ってくれていたり。
匂い、味覚……五感を動員される
展示の最終セクションあたりだが「君の名は。」をめぐる展示を見ながら、いろいろ考える。映像と音という視覚と聴覚を押さえておきながら、さらにたとえば、味覚などの感覚を見る者に呼び起こさせるのがうまいなぁと思う。カフェなんてない田舎で自動販売機とその近くのベンチをカフェに見立てる。「言の葉の庭」ではビールとチョコレートしか、味を感じなくなっている味覚を失った女性が朝からビールを飲み、バッグには大量のチョコレートを忍ばせている。「秒速5センチメートル」では雪による列車の遅れのせいで長い時間、食べものを口に入れてない主人公に提供される食事。それぞれ状況は違うが共通するところがある。それはそれぞれまったく違う飢餓感をまず持たせたあとの食物摂取であること。ただ、ものを食べ、飲むシーンとは違う。食べもの、飲みものがぐっと沁みてくる。
その人がどういう状態にあるかということ。今はたまたまこのようなコンディションだが、それは本来の姿ではなくたまたま現在の状況で…という女性たちが出てくるのも新海ストーリーの特徴だ。それはたとえば数年後には東京にいることを夢想する女子高生だったり、少し心に傷を負ってしまった女性教師だったりする。もともとそうあって然るべき自分ではない、かりそめの姿。その状態が描かれる。だからこそ、見る者の心に沁みる。
数学や科学の知識を織り込むのも巧みである。満開の桜の花びらがはらはらと舞い落ちる速度なんて、いったい誰が計ろうと、知ろうというのだろう。なにかを数値化することはかなり野暮なことかもしれないのに、そのことが登場人物の輪郭を一気に鮮明にしてくれてしまう。彗星、ロケット、黄昏時。空にあるもの、映るものは全部が重要だ。科学を日常に差し込むこと。また、古典の知識について話をされたらそちらに耳を貸さねばならない。「言の葉の庭」で自分については語ろうとしない女性が、柿本人麻呂の相聞歌をつぶやくことは最初は唐突に思えたけれど、それは実は必然だったのだと。
展覧会では前述のとおり、原画や絵コンテなど作品周辺のものがこんなにも…という量、展示されているが一方で、かつて監督が使っていたコンピュータや彼が好きな小説なども見せている。
現実をよりリアルに、より美しく
一つの言い方をしてしまうと、新海は空の作家である。都会の空、田舎の空、山の空、海の空、昼の空、夜の空。空に向かう塔、高層ビルも大事だし、空を背景に咲く桜も。もちろん、空から降る雨の物語もあるし、容赦なく照りつける太陽の光も描かれる。月の形が物語の状況を示唆することもある。しばしば鳥が飛び、ときにロケットも飛び、彗星が到来することもある。人物は見上げるように空ヌケで描かれる。背景には入道雲。新海の空は意味を持つ。そして美しい。
展覧会カタログで新海自身が興味深い話をしてくれている。聞き手が、アニメーションは現実をよりリアルに、より美しく感じられるようにしてくれるものだという話をするとこう答えている。
「振り返ってみればそういう経験を、僕自身もしてきたんだと思うんです。「空がこんなにきれいだったんだ」ということを、宮崎駿監督の『天空の城ラピュタ』を見て知る、というような経験が自分にもあった。そういったサイクルの一端に自分も含まれるのであれば、本当に嬉しいなと思うんです」(「新海誠展 ―『ほしのこえ』から『君の名は。』まで―」公式図録兼書籍。編集・発行:朝日新聞社)
やや、展覧会から離れてしまった。ともかく、映画を見て、展覧会を見て、いろいろ考え、感じることができればいいのだ。そして、もう一度映画を見たくなり、今後もこの作家の作品を、あるいは誰かが作って見せてくれる作品を好きになれればいい。
鈴木芳雄|YOSHIO SUZUKI
編集者/美術ジャーナリスト。明治学院大学非常勤講師。雑誌ブルータス元・副編集長(フクヘン)。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』『チームラボって、何者?』など。雑誌「ブルータス」「婦人画報」「ハーパーズバザー」などに寄稿。
SHARE