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連載エコゾフィック・フューチャー

Ecosophic Future 09

On Mountains

山々をめぐって——エネルギー・精神・いのち

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世界を複数性や関係性において見直し、その背後にあるシステムやパターンに目を向けるために——。キュレーターで批評家の四方幸子が、未来の社会を開くインフラとしての〈アート〉の可能性を探る連載「エコゾフィック・フューチャー」の第9回は、関東南部の山々を歩きながら、「山々」という存在や概念を問い直す。

text by Yukiko Shikata

変容態としての富士山

2022年のEcosophic Futureは、初夢で最も縁起がよいとされる富士山の、上空からのりりしい姿から。昨年11月28日、向こうには静岡県の海岸線と太平洋が見える。この後、機内からフォッサマグナ西端の糸魚川静岡構造線を探したが、海岸から内陸へと連なる谷(断層)を挟んで植生が微妙に違うように見えた。西南日本と東北日本をかつて分断していたフォッサマグナのラインを俯瞰しながら、地上に連綿と生きる(そして生きてきた)人々や動植物、モノなど様々な存在に想いを馳せた。

 

 

富士山は、日本を代表する山として人々の深層に息づいている。精神的な拠り所といってもいい。私も富士山を見ると嬉しくなる一人である。とはいえ、「もし噴火や地震で今のかたちが変わったら、日本人の精神性やアイデンティティに与える影響は計り知れないだろう」とふと思う。そうなってほしくない、この姿をとどめてほしいと願いながらも、現状が地球史的には束の間のものだと知っている。とりわけ日本のように4つのプレートがせめぎあう火山帯では。

普段私たちは、山並みなどの風景を今あるイメージで把握しがちで、変化していると見なすことはほとんどない。人間の生とは異なる壮大なタイムスケールにあるからだ。もちろんミクロなレベルでは、刻々と変化している。しかし人間の知覚・認識や社会機能に影響をもたらすような状況にならない限り、見過ごされている。

10年ほど前、札幌市博物館活動センター学芸員の古澤仁氏から、「山々などの形態は、災害の痕跡です」と言われて目から鱗だったことを思い出す。人間中心主義から離れて、自然のダイナミックな営みを想像することが、私たちにますます必要になっている。

富士山は、フォッサマグナのエリアにあり、100〜70万年前の海底火山によって生まれたという。北は糸魚川の焼山から八ヶ岳などを含む火山列にある山のひとつで、過去に数百回の噴火、数回の山体崩落があったとされる。約1万1000年前には古富士が火を噴き、新富士火山活動期(〜縄文時代中期の5000年前頃)へと移行し現在の形状に至っている。その後も、文献に残るものだけでも781年(『続日本紀』に記載)以降、1707年の宝永の大噴火まで十数回に上るという。写真では、火口がしっかり塞がっているが、いつ噴火してもおかしくない。

富士山は、今後いつどのようになっていくのだろうか……。長い地球史の中で出会った現在のかたちをめでつつ、過去から未来に連綿とつづくエネルギーの変容態として、そして周囲の山並みと連続した存在として富士山を捉えてみる。

マウンテンメディア

「日本一高い」富士山だが、私が知る限り、かつて2つの意味でそうではなかった。ひとつは自然面で、20年万前には古阿弥陀岳(八ヶ岳)の方が高かったという(前回の「諏訪・八ヶ岳で始動する、新たなコモンズの実践の場『対話と創造の森』」で紹介)。もうひとつは政治面で、1895年から1945年までは台湾の「新高山(にいたかやま)」(現:玉山(ぎょくざん))が日本最高峰だった(余談だが、日本が太平洋戦争を開始した真珠湾攻撃の際の暗号電報が、「新高山登レ1208」である)。

富士山に最高峰を譲った古阿弥陀岳の麓(長野県茅野市)に一社ダイアローグプレイス(代表理事:新野圭二郎)が開設した「対話と創造の森」では、「マウンテンメディア」がパワーワードとなっている。八ヶ岳の懐の、自然信仰を基にした精神性が息づくこの地に位置していること、山をメディアと見なすこと、そして山から社会や地球の未来に向けて「公共創造」を発信していきたい、という願いがこの言葉に込められている。

「マウンテンメディア」の命名者は、SoundCloud(2007-)の設立者エリック・ウォールフォースで、新野とエリックは、00年代初頭にベルリンで知り合った友人である。「対話と創造の森」構想を新野が伝えた際、エリックから即座にエコー(山びこ)が返ってきたという。「それはマウンテンメディアだ!」と。

「マウンテンメディア」では、まず映像発信から開始する。「未来の世界をよくするには、どうすればよいと思われますか?」という質問に、関わるアーティストや様々な分野の人々が答えていくものとなる。まず昨年11月6日に開催したオンラインフォーラム「精神というエネルギー|石・水・森・人」の登壇者分(私も含む)を公開予定である。

「マウンテンメディア」は新野にとって、火山に由来する自然豊かな八ヶ岳のエネルギーの意味でもあるだろう。加えて長年詣でる奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の御神体が山(三輪山)であることから着想を得ているという。神社や仏閣は、大木や石、山などを御神体としているが、人間が聖性を感じる自然や事物がまず存在する。それらが人為を超えた深遠な時間や空間に由来するエネルギーを発している(と人間は感じ取る)のだ。

中でも山は、スケールの壮大さに加え、動植物を含む複合的な生態系として様々ないのちを擁している。そして、思うに山は単体としてではなく、連なる「山々」として存在するのではないだろうか。山は、地殻変動で皺が寄るように隆起したもので、谷や尾根を含む連なりそのもの、つまり複数性としてあるのではないかと。

八ヶ岳の「八」は、数字ではなく「多くの」という意味をもつという。八ヶ岳は実際、連なっている。「マウンテンメディア」は、そのような山々の生態系と連なりを念頭に、よりよい未来をめざして発信されつつある。

大小島真木《山の子に問いかけられる》(2014)

今年「対話と創造の森」では、アーティストの山川冬樹、大小島真木らを招聘し作品制作を進めていく。山川が昨秋この森を訪れた時、最初に試みたのが環境との対話だった。大小島は、2014年に茅野のコレクター邸に《山の子に問いかけられる 》という絵と壁画を設置、同名のアニメーションも制作したという。アニメでは、山が生きた存在として「私は山だ。私の前に立つあなたは誰か? あなたの中に山はあるか?……」と見る側に問いかける。山とは森羅万象であり、魑魅魍魎の住む世界でもあるだろう。大小島は、私たちの深層にある自然を呼び起こそうとする。

山々は、生きている。大きな生態系を抱合しながら、連なる生き物として。日本において山々は、修験道に代表される山岳信仰やマタギ文化などを生み出してきた。山川や大小島をはじめ、アーティストにとっても、山々は尽きることのない神秘と創造の源泉としてある。

山から、そして山へ:『オオカミの護符』

諏訪を調べる中で、映像作家で文筆家の小倉美惠子のことを知った。ユニークな人材や企業を多く輩出する諏訪地域、その背景としての自然、信仰や精神文化を掘り下げた『諏訪式』(2020)が素晴らしく、最新作に諏訪が題材の映画があるという(そろそろ公開予定?)。そして『オオカミの護符』(2011)を読んで、いたく感銘を受けた(『オオカミの護符』は、まず映画として制作された。残念ながら未見)。

 

小倉美惠子『オオカミの護符』(新潮社 / ※現在新潮文庫に収録)

 

小倉が生まれ育ったのは、多摩川下流に位置する川崎市の土橋地区(現:宮前区土橋)。都市開発で新興住宅地に様変わりした中、自宅に貼られていた「オオカミの護符」を調べるうちに、地域の人々に昔から受け継がれてきた御嶽講(多摩川上流にある青梅市の武蔵御嶽神社へ詣で、御神体である「オイヌ様のお札」つまりオオカミの護符をいただいてくる)を通した山岳信仰や多摩川流域の人のつながりへと導かれていく。東京都、埼玉・群馬・長野・山梨県を抱く関東山地南部は、オオカミ(ヤマイヌ)を御神体とする信仰・文化圏を形成する。近代までは山々が信仰の中心であり、人々はそこから流れる川でつながっていた。

小倉は、同書において「『お山』という言葉には、単に山岳を指すのではなく、『山の世界』、すなわち自分たちを生かしめてくれる『命の根源』そのものへの思いがこもっている」と書いている。小倉はまた、「『お山』は文化の発信源」という下りでこのように書いている。

秩父に通うようになって、土橋をはじめ多摩丘陵の地に伝えられる伝承や文物の多くは、どうやら山の世界からもたらされていると気づいた。——小倉美惠子『オオカミの護符』(新潮社文庫、2014)

小倉は、縄文にまで遡るとされる「オオカミ信仰」を代表例としつつ、中世に広がった青石塔婆「板碑」や近世の「ささら」(三匹獅子舞)、若者が熱狂した芸能の数々があると続けている。

それらの伝播を考えると、山から里へ降りてくる恩師や修験者の存在が浮かび上がってくる。(略)「すべての街道は山に通ず」といっても過言ではないほどに、山は流通ルートとして大きな役割を果たしていたのであろう。(略)「山」は、信仰の場として山の神のもとに人々が集い、日常の規範や関係性から解かれ、治外法権とも呼べる「無礼講」が許された世界でもあったことがうかがえる。山は人を惹きつけて止まぬ場所であったのだ。——小倉美惠子『オオカミの護符』(新潮社文庫、2014)

小倉は、オオカミ(ヤマイヌ)信仰と山岳信仰の交差を述べ、そして「国家権力が及ばない場所。それが山岳信仰の地なのだった」と書いている。深山幽谷の地だからこそ、人間社会のルールが及ばず、自然の強さが人を敬虔かつ自由な気持ちにさせるのだろう。そしてオオカミは、この地の自然と神性を象徴する存在としてある。

 

三峯神社のオオカミの護符

 

山川冬樹が10月に諏訪・八ヶ岳の視察をした時、まず尋ねたのは、この地がオオカミ信仰かどうか、だった。山川は、車に秩父の三峯神社のステッカーを貼っているが、この神社はオオカミ信仰の中心のひとつで『オオカミの護符』にも登場する。諏訪・八ヶ岳はオオカミ信仰圏ではないのだが、秩父や東京、神奈川、山梨などとフォッサマグナのエリア、そして縄文文化圏でつながっている。

オオカミ(ヤマイヌ)を祀る神社へ

1月2日、埼玉県秩父市から山梨県境に向かう深い山中、荒川上流域にある三峯神社に詣でた。標高1100m、雲ひとつない快晴、三峯山が見渡せる。三峯山は、奥秩父山塊にある妙法が岳、白岩山、雲取山の総称で、いくつもの峠を介して東京都、山梨県、長野県に連なっている(とはいえ現在は、三峯神社の本殿が建つ山を「三峯山」と呼ぶという)。

 

三峯神社

 

秩父から三峯神社へ向かう時に、神庭(かにわ)洞窟がある。縄文土器、古墳時代の壺、奈良平安時代の須恵器などが出土、特に縄文草創期(1万2千年前)の石器や隆起線文土器は、日本最古の土器群の1つとされる。荒川水系もあり、いい場所だったのだろう。私がリサーチしている諏訪・八ヶ岳地域と連なる山梨県や武蔵野(自然・文化圏を構成)に通じる縄文の流れでもある。

三峯神社は1900年ほど前、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国平定後、今の山梨市から奥秩父の山々を越えて三峰山に登り、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)を祀ったのが起源とされ、奥秩父の原生林に迷いこんだ際、オオカミが道案内をしたという。

遥拝殿の右奥にある崖沿いの細い雪道をおそるおそる歩き辿り着いた祠、二ツ宮は、古い山神信仰に由来するという。秩父市街から隔絶し、険しい山や崖、谷を超えた高地にあるこの神社は、修験道の場でもある。長い時代の変遷の中、土着や山岳信仰、神道や仏教など様々なものが層のように重なりながらも、全体で凛とした佇まいを見せている。

長瀞では宝登山神社にも詣で、三峯神社につづき、オオカミの護符を入手した。長瀞は、東京の水を源流から東京港まで多面的にリサーチをするオープン・ウォーター実行委員会の視察で3年前の春に訪れたが、その時は地層が焦点だったので、今回初の参拝となった。

 

宝登山神社のオオカミの護符

 
宝登山神社

 

荒川源流の峡谷に広がる岩畳が有名な長瀞は、「日本地質学発祥の地」とされ、フォッサマグナを発見したナウマンも訪れたという。長野県の諏訪湖ではフォッサマグナの西端にある糸魚川静岡構造線と交差する中央構造線が、ここにも走っている。地層は主に、秩父帯、四万十帯、三波川変成帯で構成される。そのためか、高台にある宝登山神社でも、宝登山を含む山々の地脈や水脈のエネルギーが感じられる。

秩父神社は、初詣の列が長くて詣でることができなかったが、秩父市街では、この地を代表する山、武甲山の険しく勇壮な存在感に感動を覚えた。と同時に、容赦なくえぐられた石灰岩の山腹があまりにも痛々しく……。

山々は人類の歴史の中で、長年聖域としてあった。しかし近代以降、観測、登山、観光、大規模採掘など人間に消費されるモノや場と化した。「人新世」は、日本においては広義には明治時代以降、狭義ではここ数十年を意味するが、自然破壊や環境汚染が取り返しのつかないほどになった現在、私たちは、かつて山が育み連綿と下流域にもたらしていた自然の恵みやそこで育まれた精神文化を見直す時期にあるように思う。

山梨の丸石1:《道祖神リプレゼンテーション》

御嶽山は多摩川上流に位置する。それらの南西に広がるのが、笛吹川の上流となる甲州(山梨県)である。2021年秋、この地でアーティスト深澤孝史が展開する《道祖神リプレゼンテーション》プロジェクト(「山梨アートプロジェクト2021」枠/主催:山梨県立美術館)に特別調査員として参加した。

 

調査員と深澤孝史(黄色のジャケット) 山梨市にて

 

深澤は、人に潜在する能力や知られざる地域の側面を、現地の人々と調べる中で、思いもよらぬ展開を創発させてきた。私は、札幌国際芸術祭2014で《とくいの銀行 in 札幌》を、茨城県北芸術祭2016で《常陸佐竹市》をキュレーションしたが、いずれも大きな変化を地域にもたらしただけでなく、個人的にも得難い体験となった。

その彼が、生まれ育った山梨で、民間信仰の道祖神や丸石神にまつわるフィールドワークをもとに行うプロジェクト、それだけで特別な意味を帯びている。まずは「道祖神芸術調査グループ」の調査員が公募され、特別調査員として中沢新一(丸石神や道祖神の民俗調査をライフワークとした中沢厚を父にもつ)、野沢なつみ(中沢新一秘書で山梨県の丸石神のフィールドワークの経験豊富)、丸石を晩年に調査した石子順造の研究者でもある本阿弥清(都市環境デザイナー、美術評論家)、そして私が招聘された。

個人的にはとりわけ「3.11」以降、民俗学、考古学のリサーチも進めてきたが、実は大学時代に民俗学研究会に所属し、山梨県内のフィールドワーク(担当:口承文芸)を行なったことがある。めぐりめぐって、アートとしてフィールドワークに参加する機会を喜んだ。調査員の顔ぶれは、民俗学、考古学、丸石研究、建築、写真、ダンス、ファッション、編集など多岐に渡り、それぞれ探究心と知見に溢れている。

《道祖神リプレゼンテーション》の展示期間は11月16日から12月12日、場所は、山梨県立美術館(設計:前川國男)に隣接する広大な「北池」。かつては噴水があり水がたたえられていたが、2011年3月11日の東日本大震災で被災以来、涸れたまま10年以上経過したという。

合同フィールドワーク(10月30〜31日)は、山梨市や甲斐市の住宅地や神社、北杜市の神社や遺跡で数多くの丸石をはじめとする道祖神、そして石たちに出会うともに、山梨県立博物館での特別レクチャー、北杜市考古資料館見学を始め、濃密で驚きに満ちた時間となった。

その中で、山梨の笛吹川流域に集中して見られる丸石、それらを道祖神として祀る文化、また日常の風景に丸石が溶け込んでいる様子(漬物石など機能的なもの、無造作に置かれているものも含め、深澤が「石神未満」と呼ぶ丸石)などが見えてきた。丸石が、人々の精神性や文化を培ってきたともいえる。本阿弥清特別調査員からは、石子順造が甲州の丸石道祖神に出合ってから、丸石を造形表現の究極の形と感じていたとうかがった。確かに人為的な具象ではなく、丸石の形態や存在そのものから、時間や空間を超えた普遍性が感じられる。

 

左=My丸石 Photo: 四方幸子 右=金生遺跡 Photo: 野沢なつみ

 

2日目、深澤が育った地域にある松尾神社(甲斐市)を訪れた後、とある家(神澤宅)にてさりげなく佇む丸石を見初め、「My丸石」と命名した!(後述) 北杜市では、鳥居も神殿もなく、積み上げた自然石が存在感を放つ白旗神社で、石の周辺を力強く踏むと太鼓の音がするということで、みんなで響きを体験した。最後に訪れた同市の金生遺跡は、縄文時代の石廃棄場で、石棒や丸石を含む配石遺構が広がっている。この地は、八ヶ岳をはさんで長野県富士見町や原村(「対話と創造の森」がある地域)と縄文中期やミシャグジ信仰の文化圏を共有している。

山梨の丸石2:「いしのまつりば」

北池を再視察すると、コンクリートの地と石が剥き出しの状況が、調査員たちの中で金生遺跡とだぶって見えてきた。そのアイデアをもとに、《道祖神リプレゼンテーション》では北池を「いしのまつりば」へと変貌させた。山梨ならではの丸石信仰を背景に、外から「いい感じ」(深澤)の石を持ってきて祀ることができる「道祖神場」をはじめ、「盃状穴場」「石神未満」という3 つの遊び場として人々に開き、丸石神写真などの展示も行われた。最終日には、映像記録の上映や中沢新一講演会(オンライン)、ダンサーの鈴木つな(調査員の一人)らによる北池でのパフォーマンスも行われた。

 

道祖神リプレゼンテーション「いしのまつりば」 Photo: 深澤孝史

 

会期中に『道祖神しんぶん』が4号発行され、私は「丸石問答」(柳田国男の『石神問答』ならぬ)というタイトルで、My丸石との出会いとその石をめぐる不思議な出来事や持ち主の神澤夫妻への聞き取りで構成した短文(前後編)を執筆した。My丸石は「いしのまつりば」に借り出されたが、「屋敷神」の位置付けではない(つまり「石神未満」)ので移動できたという。

中沢新一は、講演で「道祖神場は文化のゴミ捨て場」と述べている。地域の人々の生活を受け止めてきたその役割は、石が捨てられていた金生遺跡にも通じるのでは、と深澤は報告書に書いている(*1)。丸石の祀り場を、美術館という場でありながらも、涸れて機能しない北池で展開したこと。美術、民俗学、考古学、人類学が交差し、加えて地域の人々が出会う場となったこと。美術館、博物館、考古博物館のあり方や関係性を問い直すこと……。本プロジェクトには、これまでにない批評や示唆、実践が、深澤の醸し出すさりげないユーモアと空気感から発信されている。深澤の活動から、ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」の現代における拡張を感じるのは、私だけではないだろう。

 

 

 

道祖神リプレゼンテーション「いしのまつりば」 Photo: 深澤孝史

 

ある日、My丸石の取材で神澤家に電話をした際、奥様が何気なく口にされた「山と川は同じもの」が、頭から離れない。関東の山々と笛吹川の悠久の関係から生み出された丸石を思うと、まさにそうだと思う。丸石は笛吹川沿いの甲府盆地に集中している。笛吹川は釜無川と合流し、富士川となり富士山の西を流れて、富士から太平洋に注ぐ(その少し西の清水には、石子順造が住んでいた)。

こうして冒頭の富士山から、諏訪・八ヶ岳に立ち寄り、川崎、そして多摩川を遡り御嶽山へ。三峯山や宝登山を経て、山梨から富士山へと螺旋を描きながら、山々をひとめぐりしたことになる。

精神とは、いのちとは?

前回紹介した磐座もそうだが、石にはモノには収まりきれない何らかのものがあるように思う。石を見ると、そのような形になる前の何万年何億年の時間における生成変化を考える。石は有機体や様々な鉱物でできているが、その成り立ちはマグマなど流動体やその時々の異なる成分が特定の環境で混じるため、非常に多様である。また小石が混じったり圧力や熱で凝縮されたり、有機物などを介して結合し「育って」いくものもある。同時に石は、微生物や菌類など、様々な生命体を宿していく。石を思うと、やはりこの言葉が生々しく反芻される。

石が生きている、石が太る、石が血を流す……。——椙山林継 / 國學院大學名誉教授(2018年10月21日 静嘉堂文庫での松浦武四郎展関連講演より)
 
2020年12月、台湾東部の花蓮から山に入った原住民タロコ(太魯閣)族の村。知人のアーティストでシャーマンの東冬侯溫(トントン・ホウウェン)に、石を持ち帰りたいと伝えたところ、その石を手に、自然にうかがうように祈り始めた。しばらくすると、「OK(持ち帰っていいよ)」と。この地では、山も石も人も自然という身体の一部を成していることを強く感じ、感謝しつつ持ち帰った。

昨年「対話と創造の森」において開催したフォーラム「精神というエネルギー|石・水・森・人」は、石や水、森や人が、相互依存的で不可分なものであることを山々の中、自然の懐において話し合う場でもあった。石や水、森、人は、そのような視点から見れば、いずれも「生きている」といえるだろう。

私の考える「精神」とは、森羅万象であり、絶えず動的に変化・循環する様態を指している。精神/物資という二元論ではなく、情報のフローが、物質と非物質、可視と不可視の間を往還しつづけるという世界観である。それはまた、生命と非生命の境界をつなぐものとしてある。

人類学者の奥野克巳は、ティム・インゴルドが、『人類学とは何か』の中で、人類学者A・ハロウェルとカナダの先住民族オジブワの首長べレンズとの間で、1930年代に行われた「石」をめぐる対話を検討している。べレンズの語りを検討し、インゴルドは以下のように述べている。

いのちが石の中にあるということではなくなる。むしろ、石がいのちの中にあるのだ。人類学では、モノの存在および生成についてのこのような理解—もしそう呼んでいいのなら、この存在論—はアニミズムとして知られている。——奥野克巳『絡まり合う生命 人間を超えた人類学』(亜紀書房、2022)より

 

奥野克巳『絡まり合う生命 人間を超えた人類学』(亜紀書房、2022)

 

インゴルドは、「いのち」を「世界を貫いて流れる物質の循環とエネルギーの流れの見えない力」としているが、この力は私の言葉では「情報フロー」を想起させる。そして「情報フロー」は、生物学者の三木成夫の世界観とも通じ合う。

「生命」とは、生活の中にではなく、森羅万象の”すがたかたち”の中に宿るものである。——三木成夫

森羅万象という言葉から、再び「山は生きている」という言葉が、自然科学から浮上してくる。そしてベルクソンは、「生命」と「意識」について生成論の立場からこう述べている。

生きているものは全て意識を持ちうるのです。すなわち原理的には、意識は生命と同じだけの広がりをもっています。——アンリ・ベルクソン

精神現象とは、したがって、人間にとってだけでなく、生命にとっての本質なのである。——小林秀雄
 
上の引用は、私を通した一種のキュレーションではあるものの、「いのち」「生命」「精神」という概念の広がりが、人類学や自然科学、哲学を超えて共有されうることを示している。

今回は、関東南部の山々をめぐり、同時に「山々」という存在や概念をめぐる旅となった。「いのち」「生命」「精神」……山々がこれらをもつ存在、いやこれらそのものとして見え始めること。世界を複数性や関係性において見直し、その背後にあるシステムやパターンに目を向けること。

インゴルドは、人類学における存在論として「アニミズム」という言葉を使っている。人間と非人間(動植物や石だけでなく、気象や自然の諸現象、デジタル上の存在も含めた)が連携していくプロセスの中に、新たな存在論もしくはアニミズムが編まれていく時期なのでは、と思う。
 
*1 山梨アートプロジェクト2021(山梨県立美術館)|深澤孝史企画《道祖神リプレゼンテーション》 <ドキュメント集>(編著・発行:本阿弥清+道祖神芸術調査グループ、2022年1月)

連載Ecosophic Future
エコゾフィック・フューチャー

四方幸子(キュレーター・批評家)の連載「エコゾフィック・フューチャー」では、フランスの哲学者・精神分析家フェリックス・ガタリが『三つのエコロジー』(1989)において提唱した「エコゾフィー」(環境・精神・社会におけるエコロジー)を、ポストパンデミックの時代において循環させ、未来の社会を開いていくインフラとしての〈アート〉の可能性を、実践的に検討し提案してゆきます。
 
Planning
四方幸子|YUKIKO SHIKATA

キュレーティングおよび批評。京都府出身。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、IAMAS・武蔵野美術大学非常勤講師。オープン・ウォーター実行委員会ディレクター。データ、水、人、動植物、気象など「情報のフロー」というアプローチからアート、自然・社会科学を横断する活動を展開。キヤノン・アートラボ(1990-2001)、森美術館(2002-04)、NTT ICC(2004-10)と並行し、資生堂CyGnetをはじめ、フリーで先進的な展覧会やプロジェクトを数多く実現。近年の仕事に札幌国際芸術祭2014、茨城県北芸術祭2016(いずれもキュレーター)、メディアアートフェスティバルAMIT(ディレクター、2014-2018)、美術評論家連盟2020年度シンポジウム「文化 / 地殻 / 変動 訪れつつある世界とその後に来る芸術」(実行委員長)、オンライン・フェスティバルMMFS2020(ディレクター)、「ForkingPiraGene」(共同キュレーター、C-Lab台北)、2021年にフォーラム「想像力としての<資本>」(企画&モデレーション、京都府)、「EIR(エナジー・イン・ルーラル)」(共同キュレーター、国際芸術センター青森+Liminaria、継続中)、フォーラム「精神としてのエネルギー|石・水・森・人」(企画&モデレーション、一社ダイアローグプレイス)など。国内外の審査員を歴任。共著多数。yukikoshikata.com

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